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本当の戦争の話をしよう(文春文庫)
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.4 82件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1998.2
  • 出版社: 文芸春秋
  • レーベル: 文春文庫
  • サイズ:16cm/395p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-16-730979-3
  • 国内送料無料
文庫

紙の本

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

著者 ティム・オブライエン (著),村上 春樹 (訳)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

724(税込)

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みんなのレビュー82件

みんなの評価4.4

評価内訳

紙の本

戦争小説でも反戦小説でもないベトナム戦争の物語

2016/02/08 18:29

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:雪風 - この投稿者のレビュー一覧を見る

世の中がきな臭くなっているので、ヴェトナム戦争の小説を読みました。
作者自信を語り手とし、戦場だけでなく、戦後のアメリカも舞台に展開していく連作短編小説集です。戦死する兵士・一般人も敵味方ともたくさん出てきますが、物語自体は淡々と静かに展開していきます。戦死する仲間も劇的な死に方ではなく、理不尽に死んでいきます。
作者は戦争を憎んでおり、戦場を舞台にしている小説ですが、戦争小説でも、反戦小説でもなく、戦争を契機に人生や精神を狂わせていく過程を描いている作品です。
太平洋戦争の戦死者の多くが実は餓死だったように、戦争のどうしようもない理不尽さが浮き彫りにされ、さらに戦後もその影響から脱せない戦友たち…
ノンフィクションのようだけどフィクション。そして、フィクションこそが本当の話を伝えられると作者は信じています。いい意味で期待を裏切ってくれますよ。

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紙の本

行き場のない痛みが平和へ移行するすべ

2017/02/17 06:54

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ましろ - この投稿者のレビュー一覧を見る

記憶が物語に導かれ、不滅のものとなる。永遠という時間を得て、真実より真実味帯びた物語の中では、今ここにいる自分へ繋がる過去の自分を思い出すことができる。その時感じ得なかった悲しみも愛も憐れみも見る。勇敢にもなれる。本当の戦争の話を語るすべもある。そうして終わらない物語になる。生き延びることができたとて、“戦争に行った”という事実は変わらない。それが示す悲しさ。そこに行き、見たこと、したこと、感じたこと、できたかもしれないこと。行き場のない痛みが平和へ移行するすべ。物語ることで救われる過去と心が疼いていた。

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紙の本

本当の戦争の話は醜くもなく、美しくもなかった

2001/04/10 00:49

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本当の戦争の話というのは全然教訓的ではない。実のところ糞みたいなものなんだ。だから、そんな糞みたいなものをだれも書こうとはしない。ほんの一握りの変わり者以外は。そして、本書の著者ティム・オブライエンはその数少ない変わり者の一人というわけ。ヴェトナム戦争に歩兵として参戦した体験を通した、ノンフィクション色の濃い短篇フィクション集だ。

 爆撃で殺られた爺さんを、わざわざ椅子に座らせて、足を組ませ、手にはオレンジジュースかなにか持たせてやる。握手をする。話しかける。ガムをくちゃくちゃ噛みながらニヤニヤ笑って…。アメリカ人って気が違ってやしないか?ほんとクレイジーだよな。これが本当の戦争の話ってわけだよ。
 それでもう一つ本当のことを言うと、彼ら「死」が死ぬほど怖いんだ。いつかは人間は死ぬ。そのいつかわからない事に恐怖を覚える「死」だよ。すごい強力なもの。その「死」が目の前の「ボンッ!」の一発で起こっちゃうんだ。そりゃぁ、慌てるよ。頭ごちゃごちゃになっちゃうよ。それで自分の死も「いつか」じゃなくて「即」になる可能性が高いことを知るんだ。怖くて怖くて仕方ないから、それで、彼らその爺さんを生き返らせるわけ。死人として扱わないんだ。もう永久にしゃべる事もできない爺さんに話しかける。「今日の調子はどうだい?」なんてね。

 こういう糞みたいな話がたくさん出てくるんだ。でもね、読んでてたまらなく嬉しいんだよ。ワクワクするような嬉しさじゃないけどね。美談なんて出てこないけどね。うまく言えないな。とにかく読んだらわかるよ。

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紙の本

読んでよかったと思ったから、読んで欲しいと思って薦める、自信を持って、こういう本はあんまりない

2004/06/13 02:05

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:バイシクル和尚 - この投稿者のレビュー一覧を見る

『本当の戦争の話をしよう』この題名に目を惹かれた。訳者村上春樹氏のあとがきによれば、この短編集の原題は「The Tings They Carried」直訳すれば「彼らの担ったもの」であるらしい。おそらく、そのタイトルであったなら、私はこの本を手に取らなかっただろう。読み終えて改めて本書の即物的なタイトルを何度も反芻してみた。そうしたら、このタイトルが本当にふさわしいと思えてきた。作者は能動的に働きかけているのだ、戦争に行った者が話す本当の戦争の話を。本当の話、何が本当であるのか、本当の戦争とは何なのか、本当の戦争の話とは何なのか。
 はじめに断っておくと本書は反戦小説ではない。また、人間愛(この言葉は嫌いだが)や平和、戦争の悲惨さを直接に訴えかけるものでもないと私は捉えている。そこにあるのはただ戦争の話である。

 本書はベトナム戦争で作者が兵士として実際に体験したことに基づき書かれた、連続した短編小説の集まりである。ルポでもノンフィクションでもない、小説、つまりフィクションである。小説という体裁をとりながらもあえて自らを主人公に据え体験を交えて書かれている虚構。その虚構の中で語られる「本当の話」とは何なのか、そんな曖昧な境界線の下、作者はこう語る。
「『お父さん、ホントのこと言ってよ』とキャスリーンが言う、『お父さんは人を殺したことがあるの?』
そして私は正直にこう言うことができる、『まさか、人を殺したことなんてあるものか』と。あるいは私は正直にこう言うことができる、『ああ、殺したよ』と。」
 
 本書は戦争の話を書いた小説である。そしてやはりそれは世界の暗い部分を書いたものである。戦友の悲惨な死や、ベトナム人の死、読んでストレートにそれは伝わる。しかし、作者が強調するのは「本当の戦争の話というのは、戦争についての話ではないのだ、絶対に」ということ。限られたこの書評文では、いかに作者の言葉を借りても、このテーゼは伝わらないだろう。しかし読めばきっと伝わると思う。私も読み進めながらじわじわとそれを感じた。訳者村上氏は本書における戦争というものを「ひとつの比喩的な装置」と解釈した。私はもう一度読み直しながら今も考えている。

 ベトナムの過ちを繰り返しているといわれる今のイラク。今だからこそ読むべき本があるかと聞かれたら、私は本書を薦める。

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紙の本

自分の中の戦争

2006/11/05 11:30

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 村上春樹のファンなので 本書を読む機会を得た。読み出すと止まらず 一気に読み終えた。


 ベトナム戦争の話である。しかし 村上が解説で言っている通り 戦争とは一つの題材であり 要は ある状況に置かれた人の話だ。「その意味では 誰もが 自分の『戦争』を自分の内部に抱え込んでいる」というような 村上の一文を覚えている程だ。
 その意味では反戦文学ですら無い。徹底的な「人間」の話である。


 我々も自分が抱え込んでいる「戦争」を考えるべきかもしれない。

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戦争はどこにある

2010/04/18 20:42

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る

ベトナム帰還兵という人たち。何兆円かかけて仕立てられたでっかい鋼鉄の飛行機でぐぉんぐぉんと空をまたいで亜熱帯のジャングルに到着、ジャングルや田んぼを黙々と歩き、鉄砲をバンバンと撃ったり手榴弾をシュゥウと投げたりする。戦場の体験は僕ら日本人に語り継がれてきたものとそんな変わらない。ただ違うのは、彼らはみんながみんな何Kgもある巨大な装備を抱え、その中にはいろいろな銃や銃弾や食料や包帯や手紙や通信機や思い出の品が入っていて、もし自分が撃たれて負傷したらヘリコプターがバラバラバラとやってきて病院に運んでくれて一回休み、死んだらおしまい、つつがなく一年が過ぎれば勲章をもらって、また飛行機でぐぉんぐぉんと大洋を渡って家に帰れるといったところか。そして父親のキャデラックかムスタングで地元の酒場か、新聞社に乗り付けて、この俺の話を聞きやがれ、とのたまったりするイメージだ。
作者オブライエンの場合はシヴォレーだが、花火大会をしている湖の周りを半日ぐるぐる回って、それからハーバード卒だったので小説を書いた。その間に自殺した戦友がいたりもした。やがて成長した娘に「お父さんは人を殺したことあるの?」と聞かれる。それでも書かないではいられない理由はなんだったのだろうか。なぜ彼は戦争に行ったのか。それは何を象徴していたのか。そして帰国後も脳裏に棲み付いた幻影は、なぜそこにいるのか。もしも行かなければ疎まれ、傷を負って帰って来れば白眼視される義務。
焼き払い、あるいは無人の村を生み出し続けたことが戦争だったのだろうか。むろん国土を蹂躙されたベトナム人たちにとっては、その場所、その時間のすべてが戦争だったろう。しかしアメリカ側の、時に粗暴だったり、皮肉だったり、繊細だったりユーモリストだったりした兵士や下級将校にとって、行軍し、殺したり殺されたりしたことは、戦争と言うよりも何かに翻弄された、あまりにも過酷な個人的体験であり、戦争はそれを指揮した司令官や政治家、支持したアメリカ社会総体の側にのみ存在していたのではなかったろうか。兵士達だけはそういった意思の総体から実ははじき出されていて、それはその場に居なかった者にしか永遠に理解できない秘密を、悪夢を彼らが共有してしまっているからでもある。しかし理解しえない悪夢が存在することを伝えるには、それを語り続けなくてはならない。
その苦悩は幾重にも、何度でも繰り返し彼らを包み込むが、兵士達は陸続と再生産され、たとえボタンを押すだけの戦闘であっても変わらないだろう。だからそれは、今でも誰かが語り続けなくてはならないことでもある。

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自分に引きつけて読む戦争

2010/08/19 13:40

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 作者ティム・オブライエンは1946年ミネソタ州で生まれ、1969年に徴兵されてベトナムへ行った。陸軍の歩兵だった。この本は22の独立した短篇小説からなるが、全編の主人公はティム・オブライエンという作者と同じ名の兵士であり、主な登場人物はそれぞれの短篇に共通する戦友たちであり、主題も各短篇を貫いてベトナムの戦場である。こうした事情は1973年に書いたデビュー作『僕が戦場で死んだら』でも同じだ。
 作者はほとんどノンフィクションと同じ手法で小説を書いたということになるのだろうか。
 このことについて、訳者村上春樹があとがきで言っている。「オブライエンは、自分の生身の体を虚構に突っ込むというリスクを引き受けてまでも「本当の戦争の話」を読者に向かって語りかけたかったのだ。」
 オブライエンは戦場で自分が見たものだけを書く。戦場にいる自分、戦場に行く前の自分と戦場から帰ったあとの自分も含めて戦争に関する自分だけを書く。もちろん書くということには選択と想像によるフィクションが入りこむから、どこが事実でどこが虚構とは言えない、その全体が真実である、そうした意味で自分が見た「本当の戦争」を書いている。 
作家が戦争を書くとは、こういうことであろう。
 開高健『輝ける闇』もそうだ。戦争を対敵言説とか国家の視点でなく一人の当事者の視点から書く。自分にとって戦争とは何かを書く。『輝ける闇』の場合は、開高は記者として体験したベトナム戦争を書くことによって自身の太平洋戦争体験を呼び出し、重ね合わせた。戦争によってアイデンティティを喪失した自分を書いた。だからこそ読者は『輝ける闇』を読んでベトナム戦争という特定の戦争を通して、それぞれ自分の経験に裏打ちされた自分の戦争を頭に描くことになる。読むとは、そういう作業であろう。
 オブライエンがあくまで自分に引きつけて書いたベトナムの戦場を読んで、ベトナム戦争を知らない日本の読者がそれぞれの経験に応じて「戦争」を描く。そこではじめて戦争が特定の事実を越えて、思い描くことができる対象になる。戦争が人間にとってどれほどの悪か、どれほどの不幸をもたらすかということを考えることができるようになる。
 わたしはこの本をこのように読んだ。国家の視点や国際政治の視点で大きく書いた戦争の本では、わたしは人間の不幸については考えないだろうと思うのだ。
 だが同時に、もちろん戦争は国家の視点、政治の視点で考えるものである。おもしろいことに、ティム・オブライエンは第一作『僕が戦場で死んだら』を書きながら同時に政治学の博士論文を書いていたそうだ。論文のテーマが何かも知らないで言うのは気が引けるが、オブライエンが政治学の論文を書くためには小説作品を書くことが必要であり、作品を書くためには論文を書くことが必要だったのではないか。オブライエンの全人格にとってどちらもが欠かせなかったのではないかという気がする。
 
 個人にとって、国家の仕掛けた戦争に行くことは最大の不条理であろうと思う。ベトナム戦争の時はアメリカは徴兵制だったから、不条理感は対イラク、対アフガニスタンの戦争よりも強かったかも知れない。対イラク戦争にも正義はないが、ベトナム戦争も、おおかたの兵士にとって、自分が何のために戦っているのか分からない戦争だったのではないか。
 この小説は、そういう状況のアメリカで、兵士の立場からはこの戦争は何であるのかを書いているが、悲惨を訴えたり、国家を非難する、反戦をうたう、というのではない。そういう性格のベトナム戦争が主人公や兵士のひとりひとりにどういう作用を及ぼしたかを、痛みをこめて書いている。
 たとえば「レイニー河で」は、カレッジを卒業した1ヶ月後に徴兵通知を受けとった二十一歳の主人公ティムがどういう行動をとったかを書いた物語。「私は死にたくなかった。それは言うまでもないことだ。でも私としてはよりによって今、あんなところで、誤った戦争の中で死にたくなかった。」「1968年のことで、人々は徴兵カードを焼いていた。船で河を越えればそこはもうカナダだった。」
 ティムは、カナダへ逃げて徴兵拒否することを、しようと思えばできる状況にある。カナダへ行くか徴兵事務所へ行くかを、ティムはその数日で選択しなければならない。
 ティムはこの戦争を正しいと思っていない。カナダへ逃げれば、戦争を正しいと思わない、人を殺したくない自分の心に忠実に生きることができる。それが自分に対して卑怯でない方法であると分かっている。
 しかし、たぶん戦争へ行くより大きな問題があるだろうことも分かっている。一生まともな生活はできない、隠れて生活しなければならない、家族も同様の目に遭わせる。さらに、自分が逃げ出した卑怯者だという気持ちを、戦争に行ったほかの兵士に対して持ち続けるに違いない。
 ティムは戦争に行く選択をし、自分を卑怯だと思い続けていくことにする。どちらの選択をしても、彼は自分を卑怯だと思うのである。
 その時代に、青年がアメリカ人として生きると言うことはこういうことだったのだ。
 そういう自らの必然の上で、作者ティム・オブライエンはこの作品を書いた。
「君ならどうするだろう?」と作者は問いかけている。

 

 

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2012/11/04 09:34

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2004/10/07 01:33

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