紙の本
絶対音感から始まる音楽の謎
2002/07/30 21:55
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投稿者:しょいかごねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
うちの妻に、絶対音感ってどう思う?と聞いたら、音楽家をやるために必要不可欠なもの、という答えが返ってきた。多分一般の人の印象はこれに近いのだろう。僕はもう少しひねた人間なので、絶対音感は、百害あって一利なし、という認識をしていた。そしてこの本を読んでわかったことは、要はそういう単純なものではないということだった。
この本では、絶対音感というキーワードを手始めに、さまざまな音楽家、音声認識や情報処理の研究者へのインタビュー、細密な文献調査によって、聴覚、音声認識、芸術、音楽など広い分野にわたるさまざまな話が紹介される。で、結局この本の結論は? 要はそう単純なものではないということ、聴覚や音楽と言った問題はまだまだ限りないなぞを秘めている、ということだった。
僕も少し楽器をやるのだが、そういう目からは特に興味深い内容だった。音楽をやる人、楽器を弾く人には特にお勧めです。
紙の本
音楽教育の裏側
2002/02/01 13:02
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投稿者:MITU - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本が出版されてから、広く絶対音感というものが私たちの日常会話に自然に出てくるようになった。音という音が、すべて音階の中の音として認識できる、絶対音感は音楽教育の中でも重要視されてきたものの一つだ。私自身も絶対音感を持つ一人だが、この本がなければ自分が絶対音感を持つということを認識することはなかっただろう。そのくらいある人には言うまでのことでもなく自然なことであることも事実だ。すべての音が音階で聞こえるからといって、音で自分の日常が乱される人ばかりではないし、躍起になって手に入れるほどの魅力のある能力ではないと思う人もいる。ちょっと言えることがあるとすれば、この本のおかげで、絶対音感だということをお家芸のように他人に有難がられることくらいだろう。絶対音感を持つ人がどのような生活をしているか、どのような経緯がありその能力を持つようになったのかが、垣間見える本。
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本として面白いか?と聞かれると面白くないと思う。
絶対音感について著名な音楽家さんたちのエピソードをもとに解説されている。それは、著者の好奇心のなせる業。
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世間で言われている 絶対音感神話 は本当なのか?
絶対音感とは そもそも何なのか?
様々な角度から 何人もの音楽家の実体験から 検証し 見直している。
絶対音感は音楽家にとって必要不可欠なものなのだろうか?
そもそも絶対とは何に対する絶対なのか?
今まで深く考えもせずに曖昧な概念を持っていた【絶対音感】というものを
再認識させてくれる一冊である。
自分なりの結論としては
限られた絶対音感――表現としては矛盾しているが 読むと理解できる――を持つならば 幅のある【ダイタイ音感】を持ちたい、ということである。
他の数多の物事とたがわず 音楽に於いても 中心にあるのは 生身の【人間】なのである。
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絶対音感とは?と云う疑問の答えは分かりましたが、読み終えてもスッキリしませんでした…; 全体がまとまっていないように感じ、ちょっと読みにくい文章でした。
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絶対音感てのは例の、音名から音をイメージできたり音から音名がいえたりするやつ。この本は絶対音感と呼ばれるものの正体を、歴史的概観や多くのサンプルによって解き明かそうと試みている。
もちろん、音の高さに何らかのラベルをつけ、ラベルから音の高さを、音の高さからラベルを想起できる能力なわけだから、センサーとしての耳の良さと記憶力の良さは資質として必要だし、ラベル自体は西洋音楽の体系にのっとったラベルなのだから、後天的な、訓練やら何やらで実用化されるのだ、というのも当然のことだ。世界には1オクターブを12にわける音楽体系ばかりではない。いわゆる絶対音感教育は、音のセンサーとしての人間の耳に西洋音楽体系のタガをはめることなわけである。
何人かあたしの周囲にもいた。便利だとか、どうやら記憶力と相関があるようだ、とか、不便なときもあるらしい、とかも知っていたが、こちらにはない能力に、とりたててコンプレックスは持たなかった。音楽のプロとなるとそうもいかないらしい。どうやら『お受験』による弊害(といってもいいのかな)は音楽の分野にも及んでいるようなのだ。西洋音楽の緻密で複雑な体系を学ぶのに、あまりに便利なツールなのだな、この絶対音感というやつ。
あたしも、Aの音一個だけは記憶している。アマチュア・オーケストラなんぞ何年かやっていれば、このくらいは大抵の人が持つだろう。但し、あたしの場合は、日本のオーケストラで広く音合わせに用いられている442ヘルツのAである。なので、NHKの時報に用いられる440ヘルツのAだと微妙に低くて気持ち悪い、という(苦笑)、小さい頃から440ヘルツを基準に絶対音感教育された人とは逆の現象が起きるんである。まあ、ヨーロッパのオーケストラなんかでは445ヘルツが普通らしい。Aも時代につれどんどん高くなっているようだし。
後半はあの五嶋みどりの母がどのように娘や息子を音楽家として教育しているか、という話になっている。全体を通じ、絶対音感の正体そのものがテーマというより、絶対音感を解き明かすことを縦糸に、音楽家と音楽と音楽教育との関係が描き出されていく、という趣向のようだ。
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・調査を元に論理的に話が展開されるので頭に入りやすい
・ただ、途中からこれ以上の展開はあまりないな、
と思ってしまい、
そこからは検証作業がずっと続くように感じられたのも確か。
・突飛なことは何もない。
きっちり積み重ねてこう言えます、ということを言っている
・そういえばそんな作家はそう見当たらないかもしれない
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何気なしに手にとった本です。音楽やら美術やら芸術的な才能に憧れがちなので、なかなか面白い題材でした。好奇心をそそります。
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最相葉月さんのノンフィクションはなかなか面白い。ギターをやっているものとしては興味深い内容であった。
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五嶋みどり、千住真理子、矢野顕子、大西順子、笈田敏夫ら絶対音感をもつ音楽家を取材し、その特異な世界を紹介しつつ、脳科学や神経科学の専門家たちにあたって分析を試みる。
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読み始めた本は読破してやる、が信条のわたしが、目新しいことがなにも書いてなくて途中で放り出してしまった、数少ない本。
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2004年4月3日読了。以下、過去の日記から抜粋。
もうずいぶん前にベストセラーになった一作。
めったに読まないノンフィクション。
ものすごーく丹念に書き込まれていて面白いのですが、
普段、読みなれていないだけに、非常に脳が疲労します。
私は吹奏楽部に所属していましたが、音感は鈍いです。
打楽器だからいいやと訓練を怠ったためだと反省しています。
よほどずれれば分かりますが、多少のピッチのズレに気づけません。
でも、友人には絶対音感の持ち主がいました。
彼は木をコンと叩くだけで、楽々と音名を言い当てました。
練習はほとんどしないのに、見事にファゴットを弾きこなしました。
そして、他人の音程には神経質なまでにうるさい男でした。
そんな彼に、劣等感を抱いた人間はたくさんいたでしょう。
よくも悪くも目立つヤツだったので、敵もたくさんいました。
現在、生徒の中にも絶対音感を持つ者が多少存在します。
彼女達を見ていると、ぼんやりと彼を思い出します。
共通するのは、生きにくそうな生き方をするなということ。
絶対音感があるからというわけではないのでしょうが、
やはり神経が繊細なのかなと思わざるを得ないのです。
本の感想というよりも思い出話になってしまったかな。
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絶対音感。小鳥のさえずりも救急車の音もドレミで聴こえる能力。
あいまいなはずの人間の感覚に「絶対」なんてあるのか?
著者は迷宮で次々に扉を開くように絶対音感という幻想の衣を一枚一枚はがしてゆく。広範な資料と取材を重ねて。
軍事的に利用された時代から、今や世界で最も多く絶対音感の子ども達を量産していく日本。
それなのにその演奏は創造性や表現の光彩に欠けるのはなぜか?
壮大なノンフィクション。脳科学から絶対音感を解明しようとする章はやや難解だが、
絶対音感を持つバイオリニスト五嶋みどりと龍を育てた母親の章は、よくここまで聞き出せたと著者の熱意が伝わってくる。この章に著者がたどり着いたものが表現されている。
第4回ノンフィクション大賞受章。過去に読了。レビューを書くために再読。
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ロシアの作家であるパステルナークが出版した二度の自伝。その大幅な自伝の修正は絶対音感に対するパステルナークの考え方の変化がもたらしたものだった・・・。絶対音感を技術的、科学的側面からだけではなく、それを持つ人の苦悩、それを持たない人の絶望、憧れといった非常に難しい側面でも描いています。私は、良い悪いは別として、絶対音感をもっていない人はもちろん絶対音感をもっている人の世界を理解することはできないけれども、同時に、絶対音感を持っている人もまた自分でそれを完全にコントロールできない限り(絶対音感をON/OFFできない限り)、絶対音感を持っていない人の世界を理解することはできないのではないかと思います。最上質のノンフィクション。
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この本を読んだのは、もう文庫が出ていた頃。
でも、本屋においてあるのが、
ずーっと気になっていたので、
ハードカバーで買ったのだ。
2002年−体調を崩していて、いろいろつらかった頃−に
この本と出会った。
そこにあったのは、音楽に携わる人々、
絶対音感をめぐる人々の生き様だった。
結局は、「絶対」というものは存在しないのかもしれない
と思う。
「絶対音感」も、人間が決めたルールの上に
存在するのであって、
自然の真理としてそこにあるわけではない。
先天的にその才能を授かる人もいれば、
小さい頃から叩き込む人もいる。
「絶対」という「正しさ」を追求するのも必要だけれども、
そのために「相対」という「周囲とのバランス」を失っては、
音楽することも生きていくことも難しいのではないだろうか。
この本に引用されているボリス・パステルナークの言葉は、
私にとってはすべての本質のように思える。
研究から日常生活まで・・・。
いや、すべての「生」(life)−「生活」、「人生」、「生命」−の
本質に思える。
すべてにおいてわたしは至りつきたい
核心そのものまで
仕事や 道の探求
心の擾れにおいて
流れ去った日々の本質まで
それら原因まで
基底まで 根まで
芯まで
絶えずもろもろの運命の
出来事の糸をつかまえながら
生き 考え 感じ 愛し
発見を成就したい
絶対音感というものに翻弄され、音楽家の夢を諦め、
それでも、「探求」をやめずに生きた人の詩が
この物語のベースを流れているような気がしたのだ。