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投稿者:ぽぽ - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんなにすごい人生を歩んできた人がいるんだなというのが驚きです。ドラマのような壮絶な人生を、歩んでいます。
紙の本
読み応えがありました
2020/04/30 20:07
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投稿者:makiko - この投稿者のレビュー一覧を見る
大女優・高峰秀子の戦後~50歳までの話。養母がものすごく酷い人だと聞いていましたが、高峰さんの冷静な筆致のためか、そこまで無茶苦茶な人だという印象は持ちませんでした。この本を書いたのは50歳頃のようですが、出来事のエピソードとしては松山氏との結婚まででした。もっと結婚後の家庭生活についての記述もあったら嬉しかったなぁ。
紙の本
敗戦から結婚まで
2002/01/18 13:12
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投稿者:喫読家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高峰秀子さんは、5歳から映画の子役として働き始め、ろくに学校に通うこともできなかったという。しかしその文章は、実に自在で表現力にもあふれている。彼女は今でこそ立派なエッセイストとして認められているが、これを書いた当時、この自伝はゴーストライターの筆になるものと誤解されていたらしい。
本書の表紙は、あの梅原龍三郎。「梅ゴジ」こと画伯との話もこの本に登場するが、ふたりの交流は『私の梅原龍三郎』という本で詳しく語られている。
敗戦直後、映画人が回想する米兵の話には明るいものが多い。ステージで知り合った観客の日系兵士が、友人たちをバスに乗せ、オニギリを食べに彼女の家まで押し寄せた話もそんなひとつだろう。彼らのお礼は、米軍病院でのコレラとチフスの予防注射だったとか。
下巻の写真は、彼女の20代前半から始まる。もう立派な大人の女優だ。仕事で知り合った名監督、小津安二郎、成瀬巳喜男など、それぞれに味わい深い逸話が語られているが、彼女にとっての最大の出会いは、やはり、木下恵介ではないだろうか。
ある日、出演を受けた覚えのない映画の話が舞い込み、それを断ったことから、関係するプロデューサーの不正が発覚。くだんの映画の監督、木下恵介に相談を申し込んだところから、両者のつきあいは始まる。訪れた彼女に監督は、「そんなケチのついた仕事なんかやめちゃいなさい」そして「次はあなたのために脚本(ほん)を書きます。脚本が気に入ったら出て下さい」と言う。そうして誕生した作品が「カルメン故郷に帰る」。そして「二十四の瞳」では、木下恵介の下で助監督を務めていた松山善三氏と知りあい、やがて結婚することになる。
「わたしの渡世」とは、もしかすると、養母との確執で家庭に恵まれなかったひとりの女性が、新たな自分の家庭を見つけだすまでの、長い放浪の旅だったのかも知れない。
紙の本
自由闊達、融通無碍な文章
2019/07/05 20:14
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
自由闊達、融通無碍な文章で、全盛時代の映画界のことだけでなく、時代のようすもくわしく描かれます。
その文章そのもののような人柄だったんだろうな。
当時の映画女優というのは、いまのタレントとは別格の大きな存在だったんだろうなということが、うかがえました。
まあそんなことより、読んでて面白いし、豊富に掲載されている往事の著者の写真がかわいい!
文庫本上下巻あわせて700ページ以上の分量を、楽しんで読めました。
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昨年12月28日に86歳で亡くなった女優高峰秀子さんの自伝。5歳から働き苦労の連続だったが頭のよさと潔さに敬服する。「俳優もスタッフも、だれかれの区別もなくみんなが平等に一本のクギであった。監督の命に従って、空に描く楼閣は、一本一本のクギにささえられ、作品として完成する」高峰さんの遺志を継ぎ、映画界に長年貢献した裏スタッフの表彰などを目的としたNPO法人「1本のクギを讃える会」を設立するそうだ。
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激動の昭和の映画史とともに生きた筆者の
女優人生が、淡々と描かれている。
優雅な笑顔の女優の素顔は、こんなにも
気風の良い、さばさばとしたお人柄だったんだなぁと、
驚くとともに、ますます好きになった。
義母との確執、かなわなかった恋・・・つらいことも
確実に演じることにいかさせれていたのではないかな。
生涯、学校には数カ月した行ったことがない・・・と
あるが、一流の仕事、スタッフ、文化人と出会い、
闘い、心のつながりを大切にして、感性が磨かれたんだな
と感動するほどに、すばらしい自伝だった。
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感想は『上』に書いたので。
親子間の交々
ここも読みごたえあり。
フランス渡航前後のくだりと
最後の母子間のあれこれ。
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10代のころ、ハリウッドのクラシック映画にはまったことがあるが、20代後半ころから日本の昔気質の作り手の心意気のカッコよさを知ってから、古い邦画も見るようになった。それがきっかけで
昨年逝去した高峰秀子という昭和の大女優の一人が執筆の才能も絶賛されているのを何かで読んで俄然興味が湧き、丸善で彼女のエッセイを探しさんざん迷った挙句、なかでもひときわ評判のよさそうな「わたしの渡世日記」の上下巻のうち、下巻を購入した。
本を購入するというのをあまりしない私にとっては、いきなり上下巻購入するのはちょっと勇気がでなかったのと、目次やぺらぺらページをめくった感じでは下巻のほうがおもしろそうだったからだ。
で、ようやく感想になるんだけれど、スクリーンの中の彼女のキレのいいネエチャンキャラそのままの無駄のないさっぱりとした文章力。こころにジーンとくる文章も大好きだけど、「そんなことどうってことないよ、くよくよしてないでさあ次いくよ」という突き放した暖かさが辛口の文章からも感じられて、「はい、姐さん」って私の心はいつしか秀子姐さんの背中を追いかけているようだった。
決して親族に恵まれたとは言えない環境で、華やかでもつらいこともたくさんあっただろう彼女だからこそ、書けた自分史なんだろうな。私のone of roll modelsとして大切にしたい一冊です
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「勲章なんて要りませんたら、要りません」なんて、まるで漱石のようですね。この清々しさも女史の魅力のひとつですね。そして、ひとりパリに日本から逃げるように旅立つその姿に言いようもないいじらしさを感じます。幼いころから苦労を重ねてきてつらいことも人知れず経験したことが窺えますが、それにもめげずに素晴らしい人たちと出会い、本当に人生の醍醐味を存分に味わわれて幸せであったのではないかと想います。女史の出演された映画をこれから楽しみたいと思います。
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あとがきで、沢木耕太郎がこの本の面白さ、というか文章のうまさについて真っ正面から考察していて、よくぞやってくれたと思った。
そう、内容じゃなく、文章、語り口の魅力なんだ。そういう意味でいうと安野光雅も私にとっては同じなんだけど。この人の文章ならなんでも読みたいと思わせる。
『巴里ひとりある記』も、存在は知っていて「あー、はい女優のパリエッセイね」と思っていたけど、俄然読みたくなった。
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家にあったので正月休みに読むか~と気楽に手に取ったら結構重い本でした。上巻は女優という特殊な立場ではあるものの一人の民間人が体験した戦争史として非常にわかりやすく貴重な経験談だと思うし、彼女の生い立ちや来歴は当時の世情やナマの歴史というのがヒシヒシと感じられるので面白いし。それにしてもよく色々と覚えてらっしゃるなぁというのが素直な感想です。まぁ普通の人とは違う波乱万丈な人生だったという事も関係しているのでしょうが。
そういえば自分の父母や祖父母の時代は子供が多かったので養子をもらっただの養子に出しただの、そういう話をよく聞いたなと思いだしました。自分の家も父方の祖母は伯父の家の養女になったそうだし、母の弟は養子に出されたというし。
高峰秀子の幼少時代、彼女を引き取って養育したいと申し出た人が作中何人か出てきたのも富める人が貧しいものに施すというか、面倒見るという風潮が普通にあったためかなぁなんて思ったりもしました。
私は彼女の現役時代を知らないし、そもそも映画自体をあまり見ていないので名前ぐらいしか知らない女優さんでしたが苦労されたんだなぁという事はよくわかりました。
特に家族や親子の縁はこじれると一番収集がつかなくなるというか醜く腐敗するような。でもそれでもスッパリ切ることが出来ないというのが血のつながりというものなのかなぁ。あまり感心することの出来る母親ではなかったのでしょうが、それでもなんだか可哀想に思えるのは高峰秀子の文章に後悔というか上手く行けたら良かったのにという願望が透けて見えるからなのかもしれません。
そして写真を多用しているので物理的にも重い本でした。多分良い紙使ってるんだろうな~
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著者は名前は目にした事があったので、写真を見れば分かるだろうと思っていたのだが、ピンと来なかった。登場人物まほとんど分からないのがとても残念だが、それでもとても面白く読めた。
とにかく文章が素晴らしく、他人の描写、自身の表現がとても綺麗であり、ユーモアに溢れている。
さらに、氏の半生そのものが波乱に富んでいるので、面白くない訳がない。
昭和にはこんな女優さんがいたんだなと思う。
(200)
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自分の芸、つまりは顔に責任を持てる俳優になるにはどうしたらいいか、と聞かれれば、やはり「勉強するよりほかはない」としか答えようがない。が、具体的に、どんな勉強を?と言われても私には正直いって分からない。本を読むのもいいだろう、人の話を聞いて知識を広めるのもいいだろうし、人生経験を積むのもいいだろう。それなら人生経験とはいったい何か?……。よく、子供を産んだから母親役が身についたとか、離婚をしたら演技が上達したとかいわれるけれど、それなら泥棒の役を演るには実際に泥棒の経験をしなければならない、ということになる。私にいわせてもらえば、人間になるには、俳優になるには、「ものの心」を「人間の心」を知る努力をする以外にはない、と思う。もっと簡単に言うならば、「人の痛さが分かる人間」とでもいおうか。
いつの世にも、何事においても、人の見る眼は十人十色だが、「とんちんかん」と「ないものねだり」だけは困る。受け取りようも返答のしかたもないからである。私はそうした批評への不満を新聞に発表した。過去、何百本という映画に出演してきたけれど、その映画の批評に自ら反発を示し、私の演技を正当化しようとしたことは、それまでただの一度もなかった。俳優は素材であって、素材がものを言うべきでない、と思っていたからである。
私たち日本人にいちばん欠けているのはユーモアとウイットだという。笑いは生活の潤滑油である。私はユーモア女房に徹しようと心に決めた。人を巧みに笑わせるには、並々ならぬ努力が要る。私は、森繁久彌や伴淳三郎の苦労のほどが、結婚によってはじめて理解できたわけである。演技と実生活は違うけれど、相手がいる限り、ただやみくもに自己を押し通すばかりが能ではない。それなら結婚などというシチ面倒くさいことはしなければいい。一人で暮らすほうが気楽ならそれもよし、この人と一緒に生きたいと思うなら、それ相応に努力をするのが当たりまえということだろう。古人間の私はそう考えている。
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掛け値なしの名著。高峰秀子は人生の達人だ。
司馬遼太郎が高峰秀子を「どのような教育を受けたらこのような人間ができるのだろうか」と評したというが、子役でデビューして小学校もろくに行っていない高峰は、学校教育をほとんど受けていない。では、どうしたのか。彼女が自分自身を教育したのだ。本書を読んだ今なら自信をもってそう言える。
自分の意思や力ではどうにもならないことは、決して悩まないし、振り返らない。周囲に対しては期待しないし、求めない。世の自己啓発書に出てきそうなことを、彼女は自己教育で見事に体得し、実践している。養母との関係など並の人間なら投げ出すか、もしくはキレるところ。でも、高峰は至って冷静。自分を客観視しているもう一人の自分がいるかの様だ。
そして、この感覚、どこかで読んだ覚えがあった…美輪明宏の『紫の履歴書』だ。美輪も同じだ。悩まず、振り返らず、期待せず、求めず。この奇妙な一致は何なのだろう。美男子・美少女として子どもの頃から芸の世界に身を置いていると、自分を客観視できる人生の達人になれるのか。それとも、この二人が持って生まれた才覚なのか。
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日本映画界を代表する昭和の名女優の自伝的エッセイ。一見華やかそうなスターの実人生の苦闘とそれでも前向きな生き方には心打たれる。
昭和50年11月から半年週刊朝日に連載されたエッセイ。リアルタイムではほぼ知らないが昭和の名女優、その半生を綴ったエッセイ。名子役から名女優へ。独自の感性と表現力。女優としての演技力の源泉を見た思いがした。
そして何より人生を明るく捉えるバイタリティと頭の回転の早いこと。
上下巻の下巻は終戦から。東宝の労働争議に直面したり、育ての母との葛藤など。そんな中昭和26年27歳にして一人パリへ。このあたりと木下惠介、成瀬巳喜男という名監督との出会い、そして伴侶となる松山善三、波乱の人生がクライマックスへ。作品としても7割あたりからの起伏が素晴らしい。
松山善三との結婚までで本書はほぼ終了。この作品をきっかけに筆者は多くのエッセイを残している。何より感性と頭の回転が素晴らしく、一気に読めてしまう作品でした。筆者の他の作品もぜひ読んでみたいと思う。