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1章 信頼のパラドックス
2章 信頼概念の整理
3章 信頼の「解き放ち」理論
4章 安心の日本、信頼のアメリカ
5章 信頼とコミットメント関係の形成
6章 社会的知性としての信頼
終章 開かれた社会の基盤を求めて
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集団主義社会は「安心」を生み出すが、「信頼」は破壊する
安心:自分を搾取する行動をとる誘因が、相手に存在していないと判断する、言い換えると、相手と自分との間には社会的不確実性が存在しない
信頼 :相手の内面にある人間性や自分に対する感情などの判断に基づいてなされる、相手の意図(遂行能力ではない)についての期待
共同体に代表される集団主義社会では、自集団の仲間との関係では安心していられるがよそ者に体質は心を許さない傾向がある。
集団主義が信頼を破壊するという点への理解が重要なのは、より開かれた社会への転換に際して、一般的信頼が極めて重要な役割を果たすと考えられている。
また信頼は、関係強化も重要だが、新しい相手に対しても信頼するという、関係拡充をの側面もある
フランシス福山は、家族が社会関係の中で重要な役割を果たしていればいるほど、集団を超えて他社一般に対する信頼が失われていると述べている。
またこれは「取引きコスト(特定の相手との間の安定した関係をとおしてのみ取引行うことで得られる)」の節約は、「機械コスト」との相対的な比較に応じて、メリットにもなればデメリットにもなる。
例えば経済関係と同じように、同じ相手との間に安定した夫婦喚起を続けていくと取引きコストは節約できるかき機会コストは失われているかもしれない。
人々の間に一般的信頼を醸成するために必要なのは、広い意味での社会的規制を身につける方策を増やすことである。
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第1のパラドックス
安心が提供されやすいのは、信頼が必要とされない安定した関係においてであり、信頼が必要とされる社会的不確実性の高い状況では安心が提供されにくい。
安定した社会的不確実性の低い状態では安心が提供されるが、信頼は生まれにくい。これに対して社会的不確実性の高い状態では、関心が提供されていないため信頼が必要とされる。
第二のパラドックス
集団主義的な安定した社会関係が整備された日本の方が、一般的信頼の水準が、アメリカ社会より低い
第3のパラドックス
他者一般を信頼する程度の高い「高信頼者」は、騙されやすいお人よしどころか、逆に、相手が信頼できる人間かどうかに対して敏感であり、また相手が信頼に値する行動をとる人間であるかどうかをより正確に判断できる
具体的な情報もたない他人に対しても、信頼している人は、特定の相手についての具体的な情報の判断を適切に行う人である。
関心は中位ないし用心深さを必要としないが、信頼を注意深さを必要とする。
社会的不確実性が高い環境で暮らしている人間は、常に周りの人間の信頼性につ��ての判断を行っているため、他者への信頼性を適切に判断することを学んできている
3章 信頼の「解き放ち」理論
ここで取り上げるコミットメント関係とは主に、敵対的な外部社会に対応するための関係ないうの結束を維持する「やくざ型」コミットメントである。(相手を信頼する必要がない)
→「内集団ひいき的」
安定したコミットメント関係の中では、相手が信頼できるかどうかを心配する必要がない。なので
命題2
<社会的不確実性の生み出す問題に対処するために、人々は一般的にコミットメント関係を形成する>
命題3
コミットメント関係は機会コスト( 別の相手に乗り換えれば得られたはずの余分の利益をあきらめること)を生み出す
命題4
<機会コストが大きい状況では、コミットメント関係にとどまるよりも、とどまらない方が有利である。>
関係の呪縛からの解放者としての信頼
命題5
<低信頼者(他者一般に対する信頼である一般的信頼の低い人)は、高信頼者(一般的信頼の高い人)よりも、社会的不確実性に直面した場合に、特定の相手との間にコミットメント関係を形成し維持しようとする傾向がより強い。>
つまり、一般的信頼は、安心していられるコミットメント関係からの「離陸」に必要な「推力」を提供する「ブースター」の役割を果たすもの
社会的不確実性の大きな環境では、他者から信頼されることが自己利益につながる可能性が大きい。そのような環境では、他人から信頼される人間が取引きや付き合いの相手として選ばれるようになるのは当然であり、それが成功に結び付くからである。
社会的不確実性の大きな環境では、周りの人間を搾取することに対する誘因が大きい一方、逆に、そのような行動を慎み、周りの人々の信頼に値する行動を取り続けることに対する誘因も存在している。このように、コミットメントに伴う機会コストの大きな社会的環境には、信頼される側の人格特性である信頼性をはぐくむ要因が存在しているか、同時に、信頼する側の特性でもある一般的信頼をはぐくむ誘因も存在している。
信頼の解き放ち理論は、特定の条件(社会的不確実性と機会コストのいずれもが高い状況)の下では、他者一般を信頼するという特性が、結果として本人に利益をもたらす可能性のあることを指摘するものである。
6章 社会的知性としての信頼
高信頼者=「賢い」他人の心や性質を理解するすべにたけている
社会的不確実性と機会コストのいずれもが高い状況=ふぐは食いたし命は惜しい
そんな環境では、社会的不確実性が高い環境で暮らしている人間は、常に周りの人間の信頼性についての判断を行っているため、他者への信頼性を適切に判断することを学んできている
そしてそんな環境では、それが自己利益に結び付く
しかし、高信頼者になるためには幼いころから周りを観察する、という高いコストを支払うことになるし、搾取されるリスクもなくならない。
なので、低新来者がコミットメント関係から出ないメリットも当然ある。
人間は歴史的に、社会的不確実性を低くし、機会コストも��るべく支払わないようにコミットメント関係を拡充してきた。
ひとつの例は、日本の終身雇用に代表される、日本型経営だろう。しかし、コミットメント関係の拡充では急速に拡大する機会コストに対応できなくなってきた。
オープン化するにしたがって、日本の安全神話も消えていくであろう。
一般に中央集権が弱体化して、それまで中央集権によって提供されていた安心が提供されなくなると、多くの場合には、別の方向での安心の提供が図られるようになる。そのためにもっともよくつかわれるのが、やくざ型コミットメント関係の形成と維持であることはこれまで繰り返し述べてきた。この点に関して興味深いことに、中央権力が弱体化して安心の提供が不十分になったロシアでは、ロシアマフィアとよばれるホンモノのやくざが急成長している。イタリアにおける,マフィアについて研究した文献では、南部イタリアにおいてはマフィアが、社会的不確実性を低減するために必要な安心を人々に提供することで、一つの「産業」として成り立っていることを明らかにしている。戦後の日本も含め、中央権力が弱体化してそれまで中央権力によって提供されていた安心が提供されなくなると、やくざやマフィアなどのコミットメント関係を基盤とした私的な権力組織が、安心を提供することで勢力の拡大を図るようになる。このことは、社会的不確実性に対する対抗の手段としてのやくざ型コミットメント関係の重要性を考えれば、当然のことだといえるだろう。
多くの場合、やくざ方コミットメント関係の内部に存在している安心を、人々は「信頼」と呼ぶ。
この時、当事者本人の主観的な世界では、彼らを結び付けているのは、多くの場合、やくざ映画の世界に端的に描かれているように、互いの人格に対する信頼である。しかしその信頼は、社会的不確実性のもたらしたものである。
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同著者の本『日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点』を、より学術的に詳しく記述した内容となっています。
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同じ著者の「日本の安全はなぜ消えたのか?」に記載されている内容を実証実験で検証したやや学術的な本。
(本書のほうが発売は古いので、実際は、本書の結果を踏まえて、新しい情報を加えつつ、「日本の安全はなぜ消えたのか?」を書いたと言うほうが正解)
安心社会と信頼社会、日本とアメリカで同じ実験をしてそれぞれの特徴を検証している。
個人的には、高信頼を得ることで、結果として得るものが多くなるという結果は、これからの社会を生きる上で嬉しいバックボーンとなる情報だと思った。
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「日本の安心はなぜ、消えたのか」をもっと深く理解したくて買いました。
1998年に、2009年現在の構造が見えている感じがする。
でも、あの、でもね。
さすが東大出版、文体が難しいっつーんだよー(泣)
頭のトレーニングだと思って頑張って読みます。
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第一のパラドックス:
信頼が最も必要とされるのは、「常識的」には信頼がもっとも生まれにくい
社会的不確実性の大きな状況においてであり、また「常識的」には信頼が
最も育成されやすい安定した関係では信頼そのものが必要とされない。
第二のパラドックス:
社会関係や人間関係がより安定して永続的であり、それらの関係が相互信頼によって
成り立っている程度がより強いように思われる日本社会での方が、アメリカ社会でよりも、
他社一般を信頼する傾向が低い。
第三のパラドックス;
他者一般を信頼する傾向が強い人間は、通常考えられているように「騙されやすいお人好し」
ではなく、むしろ逆に、他人が信頼できるかどうかを示唆する情報に対して敏感で、
また実際に他人が信頼に値する行動をとるかどうかを性格に予測する傾向がある。
実はこれらはパラドックスのように見えるだけで、パラドックスではない。
一般的に用いられる「信頼」という言葉を、「信頼」と「安全」の概念に分けて考えると解消される。
第一のパラドックスの言い換え:
安心が提供されやすいのは信頼が必要されない安定した関係においてであり、
信頼が必要とされる社会的不確実性の高い状況では安心が提供されにくい。
第二のパラドックスの解釈:
常識的な理解では、日本社会ではアメリカ社会におけるよりも互いに信頼
しあっていると考えられているが、その常識で信頼と思われているのは実は安心である。
第三のパラドックスの意味:
具体的な情報にもとづかない他者一般の信頼性についてのデフォルト値を高めにもっている人は、
特定の相手についての具体的な情報の判断を適切に行う人である。
なぜ他者一般の信頼性についてのデフォルト値を高めにもっている人間は、
特定の相手についての具体的な情報の判断を適切に行うのか?
この疑問に対する解答の手がかりが、安心と信頼との区別である。
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山岸俊男さんの「信頼の構造」を読んでいる。
この本は、”集団主義的社会は安心を生み出すが信頼を破壊する”というメッセージが中心である。
集団主義的社会とは、いわゆるコミュニティで、例えば、会社の組織でもそうである。
集団は信頼を生み出すと普通考えがちだが、私たちが信頼と感じているのは、実は安心の勘違いで
あり、集団主義の中では信頼は育たない。
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2011 1/1読了。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
「集団主義社会は安心を生み出すが信頼を破壊する」というメインメッセージと、信頼を巡る次の3つのパラドックス:
1.信頼が最も必要とされるのは、「常識的」には信頼がもっとも生まれにくい社会的不確実性の大きな状況においてであり、また「常識的」には信頼が最も育成されやすい安定した関係では信頼そのものが必要とされない
2.社会関係や人間関係がより安定して永続的であり、それらの関係が相互信頼によって成り立っている程度がより強いように思われる日本社会での方が、アメリカ社会でよりも、他者一般を信頼する傾向が低い
3.他者一般を信頼する傾向が強い人間は、通常考えられているように「騙されやすいお人好し」ではなく、むしろ逆に、他人が信頼できるかどうかを示唆する情報に対して敏感で、また実際に他人が信頼に値する行動をとるかどうかを正確に予測する傾向がある
について、先行研究や筆者らの研究グループが日米で行った多くの質問紙調査・研究室実験の結果をもとに検証し、「社会的不確実性」と「機械コスト」という観点からタイトルの通り信頼の構造について考察する本。
めちゃめちゃ面白い。
また、第2章で行われている信頼概念の整理が、情報の信頼性について研究する際などに非常に役に立つ。
そこでは信頼概念をまず、
・「自然の秩序に対する期待」(明日も太陽は昇るだろう、というような革新)
・「道徳的秩序に対する期待」
に分け、さらに後者を
・「能力に対する期待」(相手が期待される役割を推敲する能力を持っている、という期待)
・「相手の意図に対する期待」(相手が自分を搾取する意図をもっていないという期待)
に分ける。このうち「相手の意図に対する期待」を、
・「安心」(相手の自己利益の評価に根差す)
・「信頼」(相手の人格や相手が自分に対してもつ感情についての評価にもとづく)
に分け、その「信頼」を
・「人間関係的信頼」(相手が自分に対して好意的な態度や感情をもっていることが分かっていることに基づく)
・「人格的信頼」(相手が信頼のできる人格特性の持ち主であることが分かっていることに基づく)
に分類し、「人格的信頼」の下位カテゴリに「個別的信頼」(特定個人の情報にもとづく)、「カテゴリー的信頼」(特定のカテゴリーに属する人間についての情報にもとづく)、「一般的信頼」(他者一般についての情報・知識・信念などにもとづく)を置いている。
こうして整理されることによって、「信頼」の用法が整理されていることでその後の議論がわかりやすくなっていることに加え、他の研究等で「信頼」を考える場合にも有用である(例えばWikipediaの信頼性、という話なら能力に対する期待と相手の意図に対する期待の話が混在して語られていることが多いのでそこを分けよう、というような議論に使える)。
今後なにかと活用できそうな本。
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日本の古い農村集落的なイメージの「出かける時も寝る時も鍵を掛けないのに、余所者を極端に受け入れない」という矛盾するような信頼性、人を信頼するという事とお人好しの違いを分ける因子は何なのか、信頼と社会の関連性、など興味深いテーマを丁寧に説明してくれる本ではあるのだが、少し論文チックな文章なので、読むのも理解するのも時間と慣れを要するところが、難点かな。
じっくりと再読したい本ではある。
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1998年5月15日 初版。
社会心理学の教授が著者。
「集団主義社会は安心を生み出すが、信頼を破壊する」
を一つのメッセージを中心としてその元になる「信頼の解き放ち理論」とそれを検証する実験を紹介していく。
安心と信頼というのは混同されがちだが、この本の中では明確に区別されている。そしてその区別は今後の日本社会、つまり安心が消え去っていく社会の中ではかなり重要な意味を持つのではないかと思う。
つまり、消えた安心を出来合の安心で埋めるよりもそれに変わる何か、この場合では「信頼」で埋めていくことで新しい社会の構造を作ることができるのではないか。
非常に興味深い理論である。
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・amazonでジャーナリズム関連で
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
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2020.59
・信頼と信頼性の違い
・社会的知性をいかに、社会として育むか?
・20年前から日本は低信頼社会を突き進んでいる。その問題が浮き彫りなのが現代?
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日本の「安心」はなぜ、消えたのか よりも論文的で慣れていないせいか読むのに時間がかかってしまった。が、内容が濃く目から鱗が何枚も落ちた。10年以上前に書かれた物が今なお興味深く...その頃から日本はまだ変わっていないのかもしれない。
安心から信頼への道のりはまだまだ遠いように感じる。それはエネルギー問題にも関わるのかもしれないなぁと思った。
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学術的に「信頼」という用語を使うときの必須文献だろう。発刊から12年が過ぎても、その価値は色あせていない。
精緻に、その定義を分類し、とりわけ、「安心」と「信頼」が混同されて用いられていることへの論証は見事。
また、学術的な「実験の意味」(P144~)に触れたところも、ちょうど読み進めていくうちに、モデル化、単純化して人を試すことの限界を感じた直後に、説明されており、その切れ味は抜群である。いわく「実験が目指している一般化は、結果そのものの一般化ではなく理論の一般化である」。
全般に謙虚であると同時に、だからこそ裏打ちされた確信も感じられ、学問的な良心すら感じた著書であった。
また、著者の理論からアメリカ社会と日本社会へ斬り込む最後の数ページも見事。現実と理論の往還作業の必要性をわずか数ページで示してくれた。
途中、実験の内容、結果について述べた部分は、一般の人には読みにくいかもしれないが、これも本著の魅力の下地部分だと思えば、合点がいく。
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今春から所属することが決まったゼミの、昨年度の課題図書。
ゼミ選考のために読んでみたら面白かった。
「安心」ではなく「信頼」することの意義を知ることができる一冊。
グローバル化した現代において、今まで美徳とされてきた内集団びいきの日本型ビジネス形態は、機会コストの点でも時代遅れと言える。
人を信頼しやすい人間=お人よし、ひいては騙されやすい人間…ではなく、人の信頼性に敏感に反応できる能力を持っている人間なのだということを、豊富な実験を通して明らかにし、いわゆる”高信頼者”であることの利点を説く。
まちづくり、環境デザイン系のゼミだが、それに関連して本書のような社会心理学系の書籍も読んでいこうと思う。
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本書で述べられている信頼と安心の違いはインパクトのあるものだった。日本は、ステレオタイプでは信頼し合う社会という事になっているが安心のある社会だった。