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紙の本
麻薬のような言葉の洪水に酔いしれる
2002/04/03 23:42
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あこたん - この投稿者のレビュー一覧を見る
紙いっぱいにぎっしりと詰められた文字。単行本サイズなのに、妙に重く感じる手ごたえは、インクの重さのせいなのか? けれど、難しい解説なしにおもしろい。最初は少し、たくさんの形容詞や長い喩えで構成された文章に戸惑うが、いつしかすうっと入り込め、麻薬のような言葉の流れに浸る事ができる。
南アフリカを舞台に、サトペン一家の興隆と衰退が、たくさんの魂を巻き込んだ大きな渦となって絡み合い、書かれている。最初に解説を読んでしまうとつまらないので、ぜひ前置き無しに読む事をお薦めします。
紙の本
篠田一士が『二十世紀の十大小説』として選んだ1篇。米国南部の怪奇な男性の生涯を追ったこの小説は、どす黒い血に水溶き片栗粉を混ぜたような感じがした。
2002/03/06 13:11
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
本は楽しみと好奇心の満足のために読んでいるけれど、たまに征服欲に駆られた読書をすることがある。巨人たちが十指に挙げる小説を少しずつでも読んでいこう、全部読み通してみたいという動機のもとに取り組む場合がそれで、このフォークナーの長篇も、20世紀小説に通暁していた篠田一士が選んだのだから…という理由で手元に引き寄せた。
他に挙げられているのが『失われた時を求めて』『ユリシーズ』『特性のない男』といった巨編ばかりだからね。読み通せそうな分量だというのが、食指の動いた大きな理由だ。
フォークナーには、すでに『八月の光』で毒気にヤられている。くどいほどに粘っこい文体が表そうとする対象も、どす黒い血のような人間関係や遺伝に規定される狂気である。ディープ・サウスという表現がしっくりくる。中華料理であんかけを作るのに、水溶きの片栗粉を加えるとどろりと材料が次第に閉じ込められていくが、そういうものを調理しているときの感覚が、読んでいる私にまとわりついてくる。この『アブサロム、アブサロム!』は、あんかけを越えて、むしろ煮こごりの域に達しているかもしれないと思う。
さて、篠田一士のこの作品に寄せる絶賛。[たえず内から噴出する真偽さまざまなポエジーの戯れを、大人芸というしかない手さばきで、たくみの跡も見せず、心平らかに馴致しつくし、空前の小説創造の盛時を出現させ、両両相まち、アメリカ文学の独自の魅力を世界に冠たらしめたことは、二十世紀小説の快挙と言わなくてはならない](『二十世紀の十大小説』新潮文庫325pより)。——この表現自体が、フォークナーの詩的レトリックの頻用に準拠しているかのような解説である。
筋を書き出してしまえば案外すんなりまとめられそうな、トマス・サトペンという男がジェファソン(作家が創作上いつも用いる空想上の町)に作り出した家系の隆盛と崩壊を書き綴った大河小説。だが、その罪と虚偽にまぎれた怪悪な人物像と彼が残した血の悲劇が、何重もの形容を重ねたり、同じ内容のことを繰り返し言い換えることで、黒人奴隷を使って富を築き上げ、奴隷解放によって崩壊していった南部白人社会の興亡へと同心円を広げていくように書かれていく。
その回りくどさに洗脳されていくような気がするが、作者は案外、読み手の正気を失わせたところで異常な人物の物語を聞かせることを意図したのではないか…とも勘ぐってしまう。原文で多用されているイタリック体が、訳文では斜体に処理されていて、平衡感覚を失っていくような読書体験は、そのせいでもあるようだ。
上巻では、大いなる家系を創始しようと家庭をもったトマス・サトペンの息子ヘンリーが、大学で知り合った友人ボンを殺すに至るのだが、そのことの動機を何度となく言い換える部分が、特にしつこくてお薦めである。数あるレトリックのなかで、「青春と悲しみの繭の棺のような婚姻の床」という表現も気に入った。…そういう表現で、想像力の限界線を暴力的にどんどん押し広げていってくれるような小説なのである。