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『クオーレ』の時代(ちくま学芸文庫)
  • みんなの評価 5つ星のうち 5 1件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1998.9
  • 出版社: 筑摩書房
  • レーベル: ちくま学芸文庫
  • サイズ:15cm/287p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-480-08445-2
  • 国内送料無料
文庫

紙の本

『クオーレ』の時代 (ちくま学芸文庫)

著者 藤沢 房俊 (著)

『クオーレ』の時代 (ちくま学芸文庫)

1,026(税込)

ポイント :9pt

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評価内訳

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紙の本

イタリアで国民が創られた時代――日本との比較の視点で

2010/09/30 15:03

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 今、児童書『クオーレ』はそれほどなじみがないかも知れないが、アニメ「母をたずねて三千里」の原作と言ったらうなずかれるだろうか。
 1886年にイタリアのデ・アミーチスが書いた『クオーレ』(イタリア語で心の意味)は、日本では最初「クオレ愛の学校」として翻訳されたので、「クオレ」の方が通っているかもしれない。
 本書は、「『クオーレ』を資料として19世紀イタリアの国民国家形成を検討してみたい」として書かれた。テーマはイタリアのことだが、著者の視点には日本との共通点とか比較が置かれている。
 『クオーレ』は1861年に成立したイタリア王国(統一イタリア)で、小学校の副読本として出版された。北イタリアトリーノの小学校生活を舞台に、3年生エンリコの日記と先生のお話の形で、あるべき国家と社会の姿、創られるべきイタリア国民の姿を展開した物語である。新国家の理念そのものと言えるこの本はイタリア国内でベストセラーになっただけでなく、各国語にも翻訳された。
 1940年代、東京のわたしの家の子どもの本箱にも『クオレ愛の学校』はあった。兄に確かめたところ、本当にあった。夫や同年配の友だちにも聞いたがみな子どものときに読んだと言う。面白くて夢中になって読んだおぼえがあると言う。今ほど児童書の種類は多くなかったこともあって、日中戦争の前から太平洋戦争にかけての時代の日本で、少なくとも都会の小学生で『クオレ愛の学校』を読んだ子どもは多かったのではないだろうか。うろおぼえだが、わたしには外国の物語という違和感はなかったように思う。むしろ本の中のことはそのまま、自分が日々学校で教えられ命じられることだった。
 記憶の中のその違和感のなさには意味があったことに、本書『クオーレの時代』を読んで気づいた。
 本書を読んでよく分かったことだが、『クオーレ』時代のイタリアはすでに帝国主義の時代にさしかかっていた。君主制原理を強化し、学校と軍隊という装置を通じて人々に国家への帰属意識を注入することが、先進諸国から遅れをとった国イタリアとして緊急の要請であった。統一イタリアとなって25年、人々は自分はイタリア人イタリア国民であるという意識をまだ持っていなかった。サヴォイア王家とイタリア王国に対する帰属意識を持たせ、アオスタからシチリア島までの地域に住むすべての人間が「イタリア人」であるという連帯意識を持たせる。国王はすべてのイタリア人が構成する唯一の家族の父、「祖国の父」であるという位置づけで、国王を頂点とする家族国家イタリアの統一イデオロギーが作られる。そういう時代であった。
 著者は、こうしたイタリア王国の状況と課題が、後進資本主義国として早急に国家体制を確立しなければならなかった明治以後の日本に類似すると言う。日本は日清戦争を通じて国民国家を形成していった。それで著者は、この本に日本近代史との比較の視点を意識的に導入したと書いている。
 著者はその視点から、『クオーレ』の時代のイタリアの家族国家、国王への忠誠、義務教育制度、軍隊制度などを書いていく。
 たとえば徴兵に対する意識についても、日本のそれと比較する。両国とも、年を追い民衆が国家の中に組み込まれていく過程で、民衆の側から徴兵制度を支える意識が形成され、徴兵検査が成人式的意味を持つようになる。不合格は不名誉であるという認識、ひいては不合格者への蔑視が社会に定着する。とうぜん徴兵忌避者や脱走兵は民衆自身によって排除され、対照的に兵役や戦死への美化が強化されていく。『クオーレ』には少年から見た兵士の兄への賛美が描かれる一方で、兵士になれない弱者として、くる病の少年が描かれている。日本でもその時代、身体障害者や知的障害者、ハンセン病患者などは、民衆自身の意識のレベルで社会的劣者であった。
 国民形成とは、上からの制度による強制とともに、このように下からその制度を支える意識ができてきたとき初めて、達成され機能するのであろう。この本では、歴史的現象が、すぐれて人々の意識のところで考察されている。
 本書に取りあげられた『クオーレ』のエピソードを読むと、『クオーレ』の小学生たちの生活がひとつひとつの事象でわたし自身の国民学校時代の生活と酷似していることをあらためて痛感する。ランドセルは軍隊の背嚢と同じであること。軍隊の予備軍を作りあげるものとしての体育の授業。ブルジョア階級に主導権を固定した上で、貧者や労働者に慈善として思いやりを与える、そういう美徳。国王は立派なお父さま。
 そしていちばん強く感じるのは、これらの規範道徳が、甘く感傷的に、すぐれて読者の情念に訴えかけるやり方で語られ行われることである。ことがらが似ているだけでなく、世の中の呼吸する空気がきわめて似ているのだ。日本の子どもも、理性を働かす前に情緒の部分でまず権威を受けいれ、服従するようにたたきこまれた。つまりこれが、同じような創られ方をした両国民の、意識のあり方のレベルでの類似なのであろう。
 考えてみれば、国民学校生の兄やわたしが『クオーレ』を読んだのは、イタリアでの出版後半世紀もたった時期であった。イタリアと日本はファシズム、全体主義の時代にすっぽりと入っていた。イタリアで『クオーレ』を読んで愛国少年に育った子どもたちが大人になり、ファシズムを支えていたことになる。一世代前の『クオーレ』は、その時代もなお、愛国主義称揚の武器として機能したと著者は言う。遠く日本でも、少国民育成に十分役立ったわけだった。
 本書の方法で日本の近現代を考えることが、わたしには新鮮で説得力ある体験であった。

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