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女性作家シリーズ 7 佐藤愛子/田辺聖子
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1998.9
  • 出版社: 角川書店
  • サイズ:20cm/451p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-04-574207-7
  • 国内送料無料

紙の本

女性作家シリーズ 7 佐藤愛子/田辺聖子

著者 佐藤 愛子 (著),田辺 聖子 (著)

女性作家シリーズ 7 佐藤愛子/田辺聖子

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紙の本

『ジョゼと虎と魚たち』(田辺聖子著)にみる、〈パラドキシカルメッセージ〉

2003/08/20 13:53

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ヨーダ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ジョゼとは本名ではない。本名はクミ子という。フランスの小説家、サガンの作品にでてくるヒロインの名からとっている。ジョゼは車椅子で生活している。彼女にもたらされたこれまでの生涯最大の福音は、恒夫の出現だ。その恒夫に自分をジョゼと呼ばせることで(他にそう呼ぶ人はいない)、そしてそんな無茶が聞き入れられることで、クミ子は思い描く好ましいジョゼのイメージになれるかのような幸せに浸れる。
 「なんでクミがジョゼになるねん」「理由なんかない。けどアタイはジョゼいうたほうがぴったし、やねん。クミいう名前、放下(ほか)すわ」

 恒夫の前で、ジョゼはもう完全にジョゼなのだ。世間の目からも、どんな人からも邪魔されないひっそりとした海の底のような場所で、特権的なコードでこのふたりが結びつくために、必要な名前なのだ。

 この若い男女(ジョゼが25歳、恒夫が23歳)の弾むような掛け合い、会話の息遣いがこんなにもダイレクトに届く感じは、客席と舞台が近い小劇場で観ているような気分(一体感)にどこか似ている。頁から立ちあがる声が、読む者の鼓膜を震わす。

 ジョゼはほとんど家と施設の往復しかしていないので世間を知らない。テレビや活字などの間接情報はよく知っている。ジョゼの口からでてくる言葉には、願望と現実が入り交じる。昔、父親に背負っていってもらった野球の試合と施設のロビーのテレビで観た野球の試合がごっちゃになって、記憶の棚に並ぶことになる。

「後半、雨が降ってん。それでお父ちゃんがアタイを背負うて自分の上衣を上からかけてくれはってん」

 実際はこれと違ったのだが、本人は嘘という意識はなく、願望として記憶はジョゼの中で置き換えられている。恒夫はこうしたジョゼの生活史から、彼女が築き上げてきた原則や行動の基準を徐々に理解するようになる。

「そない、やさしいお父ちゃんが居って、クミ、なんで施設へ入ってん」
「うるさい。死ね! 阿呆! そんなこと知るかい」

 しかし当然、ジョゼは憐れまれることを嫌う。
 そしてジョゼがとる恒夫に対する高飛車な態度は、甘えられることを確認するための裏返しであり、恒夫が自分を見放さず、受けとめてくれていることをはかるためでもあった。こうしたほんとうの心の動きとは裏腹の言動や行動をとってしまうことを、ひとは通常、単に「あまのじゃく」、あるいはコミュニケーションの「ねじれ」と呼ぶ。
 同じような関係をどこかでみている。それは『ノルウェイの森』の〈僕〉と緑のやりとりだ。緑は〈僕〉にショートケーキを買って来てと頼むが、買ってきたケーキを窓の外に放り出し、気が変わった、今度はチーズケーキを買ってきてと頼む。仮定だが、こうした理不尽なたとえ話を語る。これを近藤裕子は、「チーズ・ケーキのような緑の病い」の中で〈彼女は相手が犠牲を払い忍耐し続けた量だけ、愛情めいた何かを確かめようとしている〉と指摘した。
 また〈親子関係において基本的信頼感を実感できずに育った(嗜癖者の)クライアントたちは、他者への根深い不信感に囚われている。それゆえ逆説的な言葉「パラドクス語」によってしか自己を表現することができない〉とも。『ジョゼと虎と魚たち』に戻ろう。

「来ていらん! もう来んといて!」
「……ほな、……さいなら」
「なんで帰るのんや! アタイをこない怒らしたままで!」

 恒夫という失いたくない人を得て、本音を吐露し、自ら一歩を踏み出し、パラドキシカルメッセージを解消、克服していく姿勢をこの会話にみてもいいのかもしれない。だからか、最後のシーン、海底にある水族館で想う〈完全無欠な幸福は死そのものだった〉という認識も、その言い当てている感覚の鋭さと同時に、死と幸福というその一見矛盾するものの一致がジョゼの中でなされていることに不思議と違和感はないように思えるのだ。

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