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演劇入門 (講談社現代新書)
著者 平田 オリザ (著)
画期的演劇論=私はいかに観客を騙すか 平田オリザがぜ?んぶ公開! 対話劇は可能か――私たちがいま、一般に「演劇」と呼ぶものは、西洋近代の枠組みを出発点としている。...
演劇入門 (講談社現代新書)
演劇入門
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商品説明
画期的演劇論=私はいかに観客を騙すか
平田オリザがぜ?んぶ公開!
対話劇は可能か――私たちがいま、一般に「演劇」と呼ぶものは、西洋近代の枠組みを出発点としている。そして、この「西洋近代劇」は、対話を基盤としている。一方、日本語は、残念ながら、いまだ対話の構造を有していない。これは、一見、絶望的な事態である。もし、単純に、この事態だけを見るならば、「すなわち日本には、近代演劇は成立しない」という3段論法が成り立つだろう。私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、すでに西洋近代という枠組みを、文化の中に取り入れて生活をしている。演劇も同様であって、それは「民主主義」や「市場経済」や「科学技術」と同様に、私たちは意識するしないにかかわらず、その枠組みのなかで舞台というものを考えている。私たちが演劇作品、とりわけ翻訳劇を観るとき、「そりゃ理屈では解るけど、日本人は、そんなに喋らないよ」と感じてしまう、その原因の大半はここにある。「対話」を、西洋人と同じレベルで描くこと自体に無理があるのだ。――本書より
若き天才が全て明かす「芝居作りの技術」。シェイクスピアはなぜ四世紀にわたって人気なのか? 日本で対話劇が成立しづらいのはなぜか? 戯曲の構造、演技・演出の方法を平易に解説する画期的演劇入門書! (講談社現代新書)
若き天才が全て明かす「芝居作りの技術」。シェイクスピアはなぜ四世紀にわたって人気なのか? 日本で対話劇が成立しづらいのはなぜか?戯曲の構造、演技・演出の方法を平易に解説する画期的演劇入門書!【商品解説】
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コンテクストの擦り合わせ
2016/03/31 16:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ルイージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間の生活は人それぞれに異なるコンテクストの擦り合わせだ、という論旨が非常に素晴らしい。本書は演劇を題材にした話ではあるけれども、複数の人が集まるコミュニティ運営論としても読み取れます。
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“対話”技法としての演劇論
2004/10/23 17:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hisao - この投稿者のレビュー一覧を見る
1962年生、気鋭の戯曲作家・演出家が“自分の妄想を他者に伝える”技術=演劇・劇作の技術を平易に述べた演劇入門書です。
著者の語ろうとする演劇は演ずる側と見る側が完全に隔離されたローマ帝政時代コロッセオで行われたの奴隷による見せ物でも、近代帝国主義の産物としてのオペラでも、共産主義政権下のサーカスでもありません。プラパガンダや単純な娯楽としてのテレビ・ドラマでもありません。遠くアテネ民主市民社会の“対話”と“哲学”にその淵源を持つ“西洋近代演劇”です。
舞台空間という限られた時間と場所で表現者と鑑賞者が“時空”を共有する。“近代演劇”は鑑賞者の参加が前提され、表現者と鑑賞者が内的な対話を行う“参加する演劇”です。
「演劇はすべての局面において対話を要請しそれがなければ成り立たない構造を持っている」
「重要なのは“私のテーマ”“私のコンテクスト”を、作品を通じて他者に伝える事ではなく、対話を通じたコンテクストの摺り合わせ、そしてコンテクストの共有、新しい共同体の新しいコンテクストの生成が演劇作品を演劇作品たらしめる要素である」
対話を成立させる技術としての演劇論が語られます。
表現者と鑑賞者が共有する空間を作り上げ、お互いの思いを共感せしめる“仕組み”として、戯曲の場所・背景・問題設定、登場人物の決定からプロット・エピソード・台詞の作り方が解りやすく解説されています。時空を支配する言語的、身体的な対話技法が具体的に明かされています。
“リアル”という概念についても著者は表現者と鑑賞者がコンテクストを共有し、新しいコンテクストを生成する感覚と捉えておられます。
私達の世界は混沌としています、特に今日に於いて国家、企業、学校と言った共同体が強要するコンテクストが音をたてて崩れ、人々はその仮想のコンテクストの無効性を直感し世界の“リアル”を捉える方途を見失っています。
その様な状況に於いて この世界の混沌を混沌のままで少しずつゆっくりと理解し合っていく“対話”を通しての“リアル”確保の技法としての演劇の役割が注目されるところです。
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入門
2001/08/27 18:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
劇作家が自らの演劇理論を優しく解説。従来の演劇におけるリアリズムがいかに現実からかけ離れているかを指摘し、独自の台詞、演出法を論理的に紹介。筆は文明論、日本論に及ぶ。
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演劇は決して遠いものではない
2022/06/05 18:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぷー - この投稿者のレビュー一覧を見る
1998年という時代の空気はそこかしこに感じるものの、現代演劇の作り方、向き合い方(鑑賞の仕方)という点において、本書がさほど古びているようには思えない。簡潔で読みやすく、さらに深掘りしていきたくなるような「入門」の書だった。私も戯曲を書いてみたい。
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演劇入門
2002/07/22 16:23
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投稿者:k.m - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここで扱われている「リアル」や「コンテクスト」自体が、日頃から興味をそそるテーマであり、時代性という流れにも十分に当てはまる考察である。人と人とが向き合い、その関係性から自らの混沌たる内面を引き出す。こうした他者とのコミュニケーションについては、あらゆる言及が繰り返されている。特に「ツール化」され、「商品化」され様々に相対化させる材料がそろっている現在の「コミュニケーション」には、それ自体を語る場が極端に増えてきていることも興味深い。「対話」のなさから、「繋がり」への貪欲さまで、現代のマスメディアや言論をにぎわすテーマのほとんどに係わっているのだから。
「演劇」という切り口で上記のテーマに係わる。それがこの著作での試みなのだが、実作を論理的に分解していく過程はとても楽しく、「演劇」自体への興味を増幅させられた。それは日頃感じている「演劇」に対する敷居の高さや、テンションの釣り合わなさといった既成概念が「小屋」へ足を運ばせない大きな原因となっていることを、著者自身が自覚していることに、とても共感出来るからだ。作り手自身がそのような問題意識をもっているというラディカルさがこの人の魅力なのだろう。「近代」を批判する「現代」の眼差しには、あらゆる分野を横断していく視野の広さを感じる。それは演劇に限らず、現在活躍している様々にクリエイティブな人達の意識からも感じられることだ。
著者は一貫して問題意識の焦点を、作り手→俳優→観客へと伝わるとき「コンテクストの摺り合わせ」が生じる、そのズレに向かっている。このズレをどう解消して行くかの過程に、この著者の人間性が大きく出ている。もとよりこの3者の完全な同意は無理であろ うし、そんなことは誰しも感じら れることだろうが、それを強引にねじ伏せてきた演出も多いのだという。確かに3者をみな納得させることは、鋭利なモノを丸くするだけの危険性を感じるし、作り手との対立が新たな創造を生むようにも思う。ただ著者が狙うモノは同意ではなく差異にある。「漠然とした差異」を強引にねじ伏せるのでもなく、丸く納めるのでもなく、その違いの明確な領域を認識するのだ。
こういった問題意識はとても参考になる。建築を作るのだって同じコトだ。一人で建築が出来ないのは自明なことだが、ではどれほどその「コンテクストの摺り合わせ」へ自覚的になっているかと言えば、確かに疑問を感じる。人はある作品なり空間なりに向かうとき、「コンテクストの共有」を感じられることが、その印象を左右する大きな要因ともなる。そのとき、僕が演劇に感じる敷居の高さや、テンションの釣り合わなさといった「既成概念」がコンテクストの共有を妨げて来たように、僕らが作る建築に対する印象にもそのことは言えるではないか。
最近のカフェブームや雑貨ブームのおかげで若手建築家が雑誌に取り上げられるようになった。こうして得られるコンテクストの広がりは大きい。白くてさっぱりとした部屋へ、自らの趣味の装飾で色付けの出来る空間の需要は増えている。そのなかで作り手が狙う「構成の無化」、「文脈の透明化」といった「恣意性の排除」というコンテクストが行いやすい状況も作られているのだ。しかし依然として広がる「既成概念」の壁は存在する。それは作り手自身の存在感でもある。建築を作る様々な問題に対するコンサルティング業務自体に理解を示す人はまだまだ少ないだろう。そこには「大工さん」から「ゼネコン」へ至る日本の建設事情に、「設計者の不在」という社会意識が根強く存在しているからだ。話が全くそれたが…役に立つ書物です。
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演劇みたことありますか?
2002/07/17 12:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:優樹O - この投稿者のレビュー一覧を見る
演劇よりも映画・漫画。長年そう思ってきた。わかりやすくどこでも出来て説得力があり「自然」。演劇は不自然なのだ。あのテンション、まるで檻を眺めるような客との対峙、アングラな決してポピュラーになりえない趣味的なもの。そう捉えてきた。しかし演劇の魅力に気付くきっかけがありそれからよく見るようになった。この本がきっかけだ。
平田オリザは日本屈指の演出家脚本家である。この本の中で彼は脚本のノウハウ・演出と役者の役割、リアルさと「自然」の違いについて順を追って説明している。たとえばリアルさとは決して自然さではないということ、それに気付くだけでもこの本の意義は大きい。
オペラやミュージカル・喜劇・コントいわゆる演劇(舞台作品)にはさまざまな方がある。しかしその中心は「舞台をつかった物語表現」であることにはかわりない。この本を読むことで現代演劇・舞台の一端にふれつかんで欲しい。