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商品説明
目立ってみたり、埋没してみたり、他者の視線を鏡にして、人は自分のイメージを微調整する。「わたし」を支える物としての衣服と、ファッションやモードという、想像以上に深く心に関わっている問題を考える。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
鷲田 清一
- 略歴
- 〈鷲田清一〉1949年京都市生まれ。大阪大学文学部教授。フッサールとメルロ=ポンティの現象学をベースに、身体、人称、規範、所有などの問題を論じる。著書に「悲鳴をあげる身体」など。
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紙の本
わたしは個(ひとり)か?
2003/07/21 18:09
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投稿者:こうたろう - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分のことを考えることが、他人のことを考えることにつながる。著者の作品群を読むことは、世界のことを考えるひとつの態度として、たぶん私以外の人にも必要なんじゃないかなぁ?
「じぶん」とか「自己」とかいうとすぐに、自意識過剰な暗いヤツだぜと、私は思っちゃいます。「サルトルの実存主義が云々」なんて言われても、正直しんどい。
でも「じぶん」って、何? ココロ? それって本当にあるの? 見たことないのに? 身体? 風呂に入ってない人は、存在自体がすべて汚いの?
『じぶん〜この不思議な存在〜』や他の著書に代表されるように、著者の態度は一貫して「じぶん」を問い続けます。服のポケットに手を突っ込まれて不快になるのはなぜ? 《顔》という,自分では見ることの出来ないモノが他人にとっての《じぶん》だとしたら、《じぶん》とは何か? …etc。
自分に問う哲学のような形式でありながら、私たちに問い掛けてくる著者のことば。
私たちは、本当にひとりか?