紙の本
忘れているものへ
2011/10/22 19:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
会ったこともない著者のことを、私はやはりファンの家族とともにいつも星野さんと呼んでいる。写真を眺め文章を読んでいると、そこにあるのはよき友人の兄貴分であり、他人のような気がしない。星野さんは、アラスカの自然をこよなく愛し、これを写真と文章に写し続けた人である。迫力と豊かさと愛情にあふれた写真に劣らず、文章もすばらしい。文学者の書く名文とは異質だが、そこには対象となる自然に深い愛情を持って深く入り込み、これを知り尽くした感性だけが到達できるような透徹した詩情があって、読者の心を離さない。星野さんの文章を読むと、いつも他の人にも読んで欲しくなる。自然の厳しさを畏れつつ、その恵みに支えられて生きてきたはずの人間は、いつしか文明の名のもとにこれを忘れてしまった。その懐かしくも厳しい根源を星野さんは思い出させてくれる。シベリアで熊に襲われて絶命した星野さんの最期はショックだったが、それすらも、彼が自然の摂理の中で、その生命の律動を生きた証ではなかったか、という気がする。
幸い星野さんの本は少なからず文庫化され、手軽に読めるようになったが、最初に手にとるには、写真の数も多いこの本がベストだろうと思う。星野さんの生と死に遠く思いを巡らせた大庭みなこ子の解説もいい。いやとにかく、星野さんの世界の持つ感動は、私の貧しい言葉では到底伝えられない。どうぞぜひこれを手にとって、大地と生命の鼓動を感じ取り、そこに関わる人たちの力強い生き様を味わってください。
紙の本
写真と文章の、静かで美しいハーモニー
2009/05/11 13:37
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:東の風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
カリブーの群れや巨大なムース、グリズリー(ハイイログマ)の親子、ハクトウワシにシロフクロウといった野生動物たち。エスキモーやインディアンのアラスカ原住民と、極北の大地に根を下ろして暮らす白人たち。そして、森と川、氷河、夜空にゆらめくオーロラの風景。遥かに広がるアラスカの自然と、人々の暮らしを撮ったカラー写真の数々が、とても素晴らしかった。自然と人間の関わり方について、何か大切なことを語りかけてくる感じ。そこには著者の、「この地で暮らす生き物たちは皆、アラスカの自然に生かされているのだ」という祈りにも似た気持ちが込められているかのようで、一枚一枚の写真に見入ってしまいました。
見ごたえのある写真の数々と、静かで美しいハーモニーを奏でている文章も素敵ですねぇ。<突然、背中に強い衝撃があった。かがんでいた僕は思わずバランスを失った。>(p.45 「コクガンの賭け」)に続く五行の文章。著者が思いがけず、シロフクロウの攻撃を受けるシーンのスリリングだったこと。どきどきしました。
あるいは、線路際に立って手を振れば、それがどこでも列車は止まり、その人を乗客として乗せるというアラスカ鉄道のことを紹介する件り(p.218~223 「冬のアラスカ鉄道」)。白い原野が続く中、まっすぐに延びる二本のレールの上を、平均時速48キロで走るシベリア鉄道。「なんだかまるで、地球という星の、雪と氷の大地を走る銀河鉄道999みたいじゃないか」と思うと、胸がほかほかしてきました。
とりわけ心がじんとしびれたのは、「シシュマレフ村」と題されたエッセイ。十八年前の1971年の夏、十九歳だった著者が初めてアラスカに来て、エスキモーの家族と過ごした村。神田古本屋街の洋書専門店で、一冊のアラスカの写真集と出会い、その中にあったエスキモーの村の写真に惹かれた著者は、この村に宛てて手紙を出します。<Mayor Shishmaref Alaska U.S.A>と住所を記した手紙を。それから半年後、家のポストに外国郵便が届きます。差出人住所欄に、<Clifford Weyiouanna Shishmaref Alaska>と書かれた一通の手紙が。<遠いアラスカがすぐそこで、自分の憧れを受け止めていた。>(p.242)という一行の魅力的なこと。「ここからアラスカをめぐる著者の旅がはじまるんだなあ」と思うと、しみじみと胸に迫るものがありました。
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アラスカ風のような物語
2000/08/02 15:41
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かんちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
星野さんの本を初めて手にしたのは昨年のこと。この本とは別の本でした。読み始めると何ともいえない清清しさとゆったりとした時の流れが、いつのまにか私の心を幸せな気分へとさせていました。薄い本だったので、へんな話ですが、読み終えてしまうのがもったいなくて読み終わらないうちに他の書籍もないかと探して2冊目にこの「アラスカ…」を購入しました。大自然とそこに生きる人々や動物を題材にしているからでしょうか。星野さんのエッセイの中には飾らないすてきさがいっぱい詰まっています。
本当にすてきな本です。みなさんもぜひ読んでみてください。
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アラスカに生活をして、たくさんの動物写真を撮り続けた、星野道夫さんの写真集。
それが、そのときのエピソードつきで紹介されている。
私たちが生きている同じ時間に確かに存在しているが、決して感じることがない遠くにある自然。それを実際に感じることができる一冊。
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読むきっかけはオダジョーがNHKで星野さんの旅を追いかけたドキュメンタリーのナレーションがきっかけ。
動機は不順だったけど、読んでみたら写真の美しさと星野さんの文章が素敵だった。
自分はなんて小さな人間なんだと思ったり、悩んでいたことがたいしたことないなと思わせたり、とても勇気づけられた。
自然の力に感服。
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‐人はなぜ自然に目をむけるのだろう。
アラスカの原野を歩く、一頭のグリズリーから、マイナス50度の寒気の中でさえずる一羽のシジュウカラから、
どうして僕達は目を離せないのだろうか。それはきっと、そのクマや小鳥を見つめながら、
無意識のうちに、彼らの生命を通して自分の生命を見ているからなのかもしれない。
僕達が生きてゆくための環境には、人間をとりまく生物の多様性が大切なのだろう。
オオカミが徘徊する世界がどこかに存在すると意識できること・・。
それは想像力という見えない豊かさをもたらし、僕達が誰なのか、今どこにいるのかを教え続けてくれるような気がするのだ。
少し寒くなってきた。アカリスの警戒音はまだ聞こえている。
雪を被ったトウヒの木々を見上げても、どこにいるのかもわからない。
これから、長い冬が始まる‐
‐風のような物語 エピローグより‐
多数のアラスカの自然や動物の写真&エッセイ。
気持ちがくたびれている時に読むと、冬のひだまりにいる時のような柔らかな暖かさに包まれます。
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どうしてこんなに、流れるように心に入ってくるんだろう、
星野さんの文章は。
まだまだいろんな写真を撮って、これ以上ない言葉を付けて、
世に送り出してほしかったな。
一生を通して開いていきたい、そんな本です。
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便利なことと不便なことと。受け入れていくことと守り続けることと。
新しいものと古いものと。生まれ生きていくことと死んでいくことと。
人間も自然の一部なのに難しいんだなって。
正解はわからなかったけど色々と考えてしまう本だった。
ハッとさせられる文章がちりばめられてた。
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”旅をする木”は圧倒的にやさしい語り口だったと感じたが、今回は謙虚さを感じたような気がする。写真家として生業を立てていながら、時に写真を撮らないことを判断するといった明記が幾度か現れる。それが彼なりのアラスカへのレスペクトの表し方だったのではないかと感じられる。効果的に挿入される写真が素晴らしい。特にすごく優しい顔をして映っている熊が美しい。この本もまた時々読み返したいなと思う。
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千葉の中央博物館で見た写真が目に焼き付いて、そのままミュージアム・ショップで買ってしまった。衝動買いだけど、買ってよかった。写真もステキだったけど、文章もよかった。
自然や風景や動物の話はもちろんなんだけど、それらがきちんと胸に届いてくるのは、彼の書く物語が「人間」を描いているからだ。こんなにすばらしい風景や動物の写真を撮る人の書いた文章が、根本のところに人間をおいているというは逆説的なような気がするかもしれないけど、そんなことはない。
彼自身が遺稿の中で書いている。「その土地の風景を自分のものにするために、そこで誰かと出会わなければならない」。この言葉が意味することを、正直言って僕は本当に実感することが出来ない。でも、おそらく真実なのであろうと心が直感している。
おそらく、人間の自然の一部で、中でも彼が描き出す人たちは自然そのもので、いや何よりも文章を書いている彼そのものが自然のとけ込んでいて、読んでいる僕はかろうじて彼らを通じることでのみ、自然の真実の姿にちらりと触れることがでいるのかもしれない。自然の姿、というのは、ただ壁に貼られた写真ではなく、いわば息づかいなのである。
アラスカに暮らす人たちの人生は、人類の歴史のしわ寄せを一身に背負っているようで、決して安易なものではない。それが豊かとか貧しいとか、幸せとか不幸せとか、そういう言葉で定義してはいけないものであると思う。だけど、アルコール中毒や自殺のことなどを読むと、人類というのは何か大事なものを忘れてしまおうとしているのではないかという思いがこみ上げてくる。
美しくて、しかも何かを語りかけてくるような写真が心から離れなくなって買った本だけど、語りかけてくる「何か」が、これほど大きなものであるとは読んでみるまで想像もしていなかった。よかった。
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アラスカに暮らす動物の話というよりは、そこに暮らす人々の話。エスキモー、インディアンの人たちの伝統的な暮らしだけでなく、時代が変わるにつれて彼ら自身が変わっていく姿も描かれています。
特に印象的だったのは、彼らがアラスカで共に生きる動物たちの命に敬意を払っていることが分かるエピソードの数々でした。
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20代後半に星野道夫さんの本に出会ってから、
多大なる影響を受けてきた。
意識しているわけでもなく、つい何度も手に取ってしまう。
星野氏の写真、文章は、
アラスカの自然や人々の前でどこまでも謙虚かつ自然で、
自然に対する畏怖と親しみが一体になっている。
その星野氏の在り方に衝撃を受け、
今でも憧れをもってその在り方に
近づきたいと思っているのかもしれない。
久しぶりに本棚から出したこの本は、
再読なのに新鮮な衝撃をもたらしてくれた。
アラスカの辺境の地の原住民の子供たちに絵を描かせると、
決まって大きな風景のごく片隅に人物を小さく描くという。
人間と自然の関係はそのような感覚でとらえられるのだろうが、
その感覚は、日本人にもあった(ある)もののように思う。
人間がどういう生き物なのかを
自然の一部として教えてもらえるような本。
「早春。小さな焚き火が揺れている。パチパチパチパチ、
僕の気持ちをほぐしてくれる。
熱いコーヒーをすすれば、もう何もいらない。
やっぱりおかしいね、人間の気持ちって。
どうしようもなく些細な日常に左右されていくけど、
新しい山靴や、春の気配で、こんなにも豊かになれるのだから。
人の心は深く、そして不思議なほど浅い。
きっとその浅さで、人は生きてゆける。」
「ある晩オーロラが現れ、全天を舞った。
人はいつも無意識のうちに、自分の心を通して風景を見ている。
オーロラの不思議な光が語りかけてくるものは、
それを見つめる者の、内なる心の風景の中にあるのだろう。」
星野さんは1952年生まれで大学生だったときに、
神田の古本屋街の洋書専門店でアラスカの写真集を見つけ、
その本に載っていた小さなエスキモーの村に心を奪われた。
その村はシシュマレフ村。
訪ねてみたいが、訪ねようにも方法がわからない。
手紙を書くにも、住所もわからない。
しかし、辞書で「代表者」という単語を調べ「Mayor」という言葉を見つけ、
「Mayor
Shishmaref
Alasla U.S.A」
という宛先で手紙を出す。
内容は、「村を訪れたいが、誰も知りません。
なんでも働くのでどなたかの家に置いてください」というものだったらしい。
半年後、奇跡的に返事があり、彼はアラスカへ。
1971年の夏だったそうだ。
その後アラスカ大学へ進学し、以後アラスカの人々、自然、野生動物を撮り続け、
国内の雑誌だけでなく海外の著名な雑誌にも作品を発表。
多くの写真集やエッセイが残っている。
1996年にカムチャッカ半島でヒグマに襲われ逝去。享年43歳。
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星野道夫は、手紙を書くように文章を書いていたと聞いたことがある。
手紙は、用事があっての場合でなければ、説明をするものというより相手と繋がりを求めて書くものだと思う。
星野道夫の文章は、具体的な事象が伝わってくるというより、星野道夫がみたアラスカそのものを、変に理解しやすくしようともせずに、言葉に変えただけの臨場感がある。
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アラスカへはまだ行ったことがない。
でもこの本を読むと行きたくなる。
マイナス40度の世界、当たり前のようにみられるオーロラ、エスキモーの生活、すべて体験してみたいと思わされる。図書館で借りて読んだが、手元に残しておきたいと思い、文庫本ではなく大型本を購入した。
やはり大型本の方が写真が断然良い。
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物語を読み進めていく中で、どんどんアラスカに心を奪われてしまい、読み終えたころには、いつアラスカに行こうか、いくつもの旅行サイトを閲覧している自分がいた。
アラスカを旅し、アラスカに住んだ筆者が体験した様々な物語が収録されており、短編集のような仕上がり。必要最低限の情報がシンプルな構成で書かれているが、写真家ゆえ、アラスカの大地や動物、インディアンのリアルで美しい写真も多く挿入されており、それによってよりリアルに物語を感じることができる。
旅した気分になれる、心地よい作品であった。