紙の本
何度でもおいしい好みの地方
2023/03/16 18:07
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
その名を冠した史観すら巷間に
流布している、かの作家による
所謂「街道物」の第二十四冊です。
本書では、第一作で訪れた近江を再訪し、
更には奈良へ赴きます。
前者では、琵琶湖の東岸へ、
後者では、興福寺から東大寺の修二会へと、
向かう、著者の語りは尽きることなく続きます。
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試験期間にぼちぼち読んでたのであまり印象に、、
本は悪いわけじゃないね。よってせめて備忘録しとこ。
興福寺の阿修羅像の清らかな顔には無垢の困惑ともいうべき
神秘的な表情がうかべられている。無垢の困惑というのは
多量の愛がなければおこらない。しかしその愛はそれを入れている
心の器が幼すぎるために慈悲までには昇華しない。
かつかれは大きすぎる自我をもっている。このために自我が
のたうちまわっている。法相・唯識は人間への絶望から
出ているために成仏するためにの修行は天文学的な時間が
要るとされる。。
華厳経にあっては三界唯心であって客観的に物や事が
存在することはないと言い切っておりこの雄大な教説は
唯心であることを出発点としている。心でそう思い
そう見ることによって物や事が存在する。心を
通さねば三界は存在しない。。。
三界は虚妄にしてただこれ一心の所作なり。
人間の心の動きに実践という衝撃を加えることによって
精神を高い次元へ転換させる。そのあとに解脱が開ける。
ただし華厳教学では人間が解脱するためにナマで存在する
「三界」そのものは存在せぬという。。
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司馬遼太郎さんのエッセイって実は初めてかも。
とても読みやすくて、内容が濃くて、面白い!
蒲生氏郷や井伊直孝についての本が読みたくなった。
街道がゆく、読みたい本がない時は、少しづつ読んでみても良いかも。
その地に絶対行きたくなりそう。
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近江はシリーズ第1巻に続いて2度目の登場。1巻は琵琶湖の西側だったが今回は東側。浅井長政や信長など主に戦国以降の話題。 奈良は飛鳥時代など古代がテーマ。奈良っていうと歴史の宝庫のようなイメージがあるけど、実際には古代までなのね。
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久しぶりに司馬遼太郎の文章を読んだ。膨大な知識とそれを再構成して解釈して示すところにあらためて驚嘆した。意外なほどに素直な驚きや感動が記されている。刺激を受けた一冊だった。
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再了。奈良散歩に入ると司馬は東大寺二月堂の修二会を軸に筆を進めます。1200年以上同じように続く修二会の諸儀礼。天上では一晩行われるが人間世界では数百年かかるという儀礼を人間世界で行うにはどうしたらいいのか。実忠は走ってやることで一晩の儀式としたという。
夜、呑みに出た司馬たちが興福寺の塔の下を通るくだりが好きだ。上司海雲さんが病院で眠れぬ夜を過ごした後の朝の雲の描写も好きだ。今年(2009年)奈良を三度訪れたが、いつもその前にはこの本を読んでいる。数百年を一晩に縮めるここで一夜を過ごすしながらこの本を手にすると、この旧都の千年を感じるような気がする。(mixiソーシャルライブラリーより転記・修正)
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旅行合わせで購入しざっくりとですが読みました。やはり司馬先生の文章は自然と引き込むものがあり、空気感も独特のものがあって好きです。また時間をおいて読んで、旅の事を思い出したい。
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読む度、奈良を歩きたくなります。
あったままに淡々と描いているような、読みやすい文章なのに、奈良の空気感がよく味わえる、司馬さんのすごさを感じます。通して読んだり、気のむくままパラパラとめくった頁を読んだり…と、何度も読んでます。
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万城目学の『偉大なるしゅららぼん』と並行して、こちら偶然に『街道をゆく 近江、奈良散歩』を読んだ。昭和の一時期、農地拡張のために琵琶湖沿岸の埋め立て工事が行われていたらしい。現在は滋賀県の「琵琶湖周辺の景観を守る条例」で自然と調和がとれている。これ以上、琵琶湖を汚せば湖の龍が怒り狂い、人々に禍を与えると信じられているとかいないとか…
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特に近江のくだりを読んでいると、田舎に住む人間と別場所からふらりやってくる人の視線の違いを感じますな、この手の郷愁的指摘は。分かるけれどもそこに生きる人には結構しんどい面もあったりするしねぇ、、、ただまぁテクノロジーの進化で当時よりもましになっているのかも知れませぬ。少しばかり手厳しく言えば、この本での指摘が金に成ることに気付いたからかもしれません。
いずれにせよ、今の日本の中での奈良という存在は、偶然の要素もあったしょうが、確かに先人に感謝すべきかと。
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司馬遼太郎の歴史知識とそれを検証するかのような味わい深い歴史紀行。
近江紀行は、作者か好きで何度も訪れているとこのことで、現代まで続く住民の営みと琵琶湖の景観がよく描かれれている。織田家と浅井長政が戦った姉川の合戦の経緯など短編読み物として成立しておりお家の意地が戦争に発展する経緯がよくわかる。におの浜の鳰の語源(カイツブリ、県鳥)など豆知識もあり、近代の琵琶湖自然破壊など多岐にわたる内容で興味深い。
奈良紀行については宗教的な話が多くを占め、あまり興味がわかず。作者は宗教に関しても造形が深く徹底的な考察に感心する。
興福寺での、明治維新での神仏分離に従い打ち壊される経緯に残念な思いが募った。
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連載の第1回には滋賀の西に目を向け、朝鮮(とくに百済)からの文化移入を考察したが、ほぼ半ばに当たる本巻(昭和59年)は東に向かい江戸時代に商業の根拠地として栄えた歴史、気風を考察する。司馬先生のお好きな経済合理性、首都にない独自の地方文化‥封建制が民主主義の基礎である地方自治を準備したと言えるかもしれない/奈良時代の奈良はエキゾチックを好む先進都市で、仏教という難解な(現代でも)先鋭的思想を、修二会という形にしてしまった(モンゴルの、地下水脈の表象にも相似)形が残っているうちには精神の復活の可能性がある?
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奈良編だったので、寺や神社についての話題が中心と思ったのだけれど、それは東大寺の二月堂など一部だけで、あとは純粋に、奈良や近江の土地と風土についてのエッセイが主だった。
司馬遼太郎のエッセイは、歴史小説よりもさらに自由闊達に思いのままに書いていて、どの話題をとっても、より一層、知識の深さと幅広さを感じさせる内容になっている。
私どものいまの文明は、街も田園も食い荒らしている。だからひとびとは旅行社にパックされたヨーロッパへゆく。自分の家の座敷を住み荒らしておいて、よそのきれいな座敷を見にゆくようなもので、文明規模の巨大なマンガを日本は描いている。こんなおかしなことをやっている民族が、世界にかつて存在したろうか。(p.111)
短編の主題は、人生そのものがそうであるように、二律背反でなければならない。二律背反というのは、万力(工作機械)にはさまれて絞められているということである。(p.129)
昭和二十年代の土木は、人力だった。
人間二人が、一つのもっこに土を入れては、所定の場所まで運ぶという可愛い段階だった。
この時代までの土木は、農業と同様、人間の営みのなかで崇高な分野に属した。古代中国の二大土木といわれている万里の長城や大運河は、これを見る者をして感動せしめる。その巨大さにおどろくのではなく、巨大なものを造った何十万、何百万の人間の労働の集積に感じ入るのである。
そういう土木の偉大さも崇高さも、日本社会が土木機械を手に入れたときから、変った。土木は私どもの国土と暮らしをおびやかす怪物にかわった。むろん、土木がわるいのではない。それを使用する国家に国民に、使用できるだけの哲学が無いか、不足しているということなのである。(p.162)
奈良仏教は「論」が中心だった。ふつう「南都六宗」とよばれるが、この場合の「宗」は宗教の宗というよりも、体系という意味である。興福寺は、法相学の研究機関で、ヨーロッパの概念では大学にあたる。(p.250)
玉というのは、半透明の美麗な石のことで、宝石ほどの透明感はない。ついでながら、ダイヤモンドをはじめとする宝石を珍重することはインド文明が先駆をなし、ヨーロッパに影響をあたえた。これに対し、玉を珍重することは、中国文明における独自のものである。玉文化は、存外、他地域には影響をあたえなかった。日本文化への影響は、皆無といっていい。
上代の中国では、玉は金銀よりも上位に位置した。
さらにいえば、紀元前の春秋・戦国のころから、士大夫以上の男子にとって服飾上、不可欠のものであり、需要が多かった。(p.266)
仏教は、いわば死語の山である。
日本仏教は、随・唐から宋までの中国人が編みだした特殊な述語によって構成されたままでいる。口語としてだけでなく、文章語としても死語であるにもかかわらず、日本の仏教は、鎌倉仏教においてもそれを改めず、明治後も同様だった。
鈴木大拙は、それらを英語にうつしかえることによって、いわば英語世界によみがえらせた。さらに日本語による著作も、英語を経て再表現されているため、ことばが当然なたら、こんにち的ないのちを持つにいたった。(p.282)
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教育が、どれだけ大事かと改めて思う。
松蔭にどれだけの人が影響を与えたか。
また松蔭に影響を与えた人がどれだけいたか。
当時でも、この過激な人に触れるのに
勇気がいっただろう。
現代ではここに紹介されている言葉を
全て受け入れられないが、
心に留めておきたい言葉も多数ある。
学びは人を知ること、
読書は人を変える力があるには共感する。
読書離れが言われる昨今、沢山の本を読み
いろいろな考えに触れて人と人が
触れ合う社会になってほしい。