紙の本
日本の文化を生きた青山二郎との魂の交流から生まれた傑作
2003/03/11 23:24
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投稿者:武田淳一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現在の日本人の中で、どれだけの人が青山二郎という人物について知っているのだろう。青山二郎とはいったい何者なのか。小林秀雄をして、「あいつだけは天才だ」と言わしめた人物。この本は青山二郎という人物について、青山二郎の最後の弟子であったという著者がその本質に迫ったものである。著者が青山二郎との交流について書くのは、この本が初めてではない。この本のプロローグとでもいうべき別のエッセイがあるのだが、それを読んだときから、行間からはみ出してくるような青山二郎という存在に私は圧倒的な魅力を感じていたのだ。この本で著者は、再び青山二郎という存在に対して、改めて一人の書き手として対峙している。著者は、“何者でもない”のが青山二郎なのだと語る。その“何者でもない”存在について、書きながら著者自身も再確認をしていく。そこで語られるエピソードの数々は、青山二郎に極めて近い立場に居た著者だからこそ書くことのできる興味深いものばかりだ。それらのエピソードはときに熱くときに静かに語られ、青山二郎という一人の人間の魅力を焙り出していく。その視点は常に鋭い。世情的な付き合いではなく、男と女という立場を超えた人間同士の魂の交流が有った著者にしか書くことのできない文章であろう。恐らく青山二郎について書かれた本で、この本を超えるものはもう出るまい。
「俺は、日本の文化を生きているんだ」と言い、美の世界を生きた青山二郎。「生活を売ってまで、生活を買う生活」をしていた青山二郎。彼のような魅力を持った日本人は、もう現在の日本にはいない。例えば彼の半生を映画化するとしても、彼を演じられる役者はいないだろう。それほど“何者でもない”青山二郎の魅力は、全てのものからはみ出している。
芸術や文化に関わる全ての人に、読んでもらいたい。
(書評:2003.03.12 武田淳一 )
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白洲正子の師匠
2012/05/18 06:30
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投稿者:ぽかぽか - この投稿者のレビュー一覧を見る
白洲正子の師匠、青山二郎。白洲正子を「韋駄天お正」と呼んで、酒に連れまわして胃潰瘍にしてしまったような人物。彼の、人も物も射抜くような視点の鋭さが印象的だった。何かのマネをして本物になった気になったり、誰かの顔色をうかがってその度に違う批評をするのではなく、自分自身の感覚でハッキリと良いかどうかを判断するいさぎよさは見習いたいものだ。ひとりよがりのものさしが一番格好良い。ちなみに自分は、この本と併せて「いまなぜ青山二郎なのか」を読んだので、実際にどういう物を好んでいて、どういった発言をしていたかがつながってより面白かった。
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いまなぜ青山二郎なのか
2002/04/15 23:47
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投稿者:ケイコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
稀代の鑑賞眼を持っていた青山二郎氏のことについていろいろ白州正子さんが書いています。ユーモアもあり、なおかつ、センスもある青山二郎さんをとてもよく知ることが出来ました。それにしても人間的にもとても素晴らしい方だと思いました。
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「なんでも鑑定団」では分からなかった。骨董ってこういう世界だったのか。白洲正子の師匠にして、小林秀雄、大岡昇平など文士たちに骨董を指南した人の目のすごさ。
2001/09/21 12:34
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投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
本文に先立ってカラー口絵8ページがついている。それだけで何となく「お買い得感」のある文庫本なのであるが、そこに載っている写真の数々がまたいい。愛らしい茶碗やぐい呑み、徳利など白洲さんや青山二郎が持っていた骨董がまずあって、青山二郎の雑記帳のページ、表紙や見返しが彩色された本などが出ている。
幼いころから愛情をかけられて育った人が、甘え上手のかわいい人になれるのと同じことが、ものの表情にも現われてくるのではないかと思わせるような品々なのである。
そのことは「あとがきにかえて」という白洲さんの文章にも通じるところがある。<彼が遺した一番の傑作は、陶器でも装幀でもなく、和子夫人ではなかったか〜>和子夫人は3番目の奥さんの姪で、12歳ごろから青山二郎にかわいがられていたという。『源氏物語』の紫の上のようだと白洲さんは言っている。これほどみごとな「遺族」というものを未だ見たことがない…とも。
不思議な本で、青山二郎という人が何者であったかは、この本を読んでも分からない。青山二郎という人が青山二郎という人であったことがよく分かるという感じの内容である。評論家だったのか、装幀家であったのか、画家だったのか、文筆家だったのか…そう、むしろマルチタレントという軽い響きの名称が、実のある響きを伴ったときにぴたりする気がした。「美のマルチタレント」といったところだ。
この本を白洲さんに書いてほしいと願った女性編集者・小島さんは、文芸書の仕事をするなかで、批評の神様・小林秀雄や河上徹太郎、大岡昇平といった錚々たる文士たちが、青山二郎を中心に集まり、骨董をいじくると聞き、白洲さんが青山二郎の愛弟子と知った時、好奇心を揺さぶられたという。
自分たちは秀才だけれど、あいつだけは天才だと小林秀雄が嘆じた人物・青山二郎は、18歳で骨董の老舗「壷中居」に現われて、当時数寄者しか知らない名品を買ったそうである。天才的な審美眼と一流の見巧者から言われるようになり、のちに国立博物館に寄贈される中国古磁器の図録を作成。装幀を手がけたり、『眼の引越』『日本の陶器』『陶経』という本を著したりした。
壷中居で買った唐津のぐい呑み3万円の支払いをしないうちに3年たって、5万円で店に引き取らせた。それが小林秀雄宅にあったとか、光琳の屏風を何枚にも切ってマンションの襖にはめ込んだとか、手にした名品の色をわざとはがして味を加えていたとか舌を巻くエピソードがいくつか出てくる。同時に、美を見極めて味わい尽くすことの何たるかが、青山二郎の言動を通じて書かれている。
戦後の混乱を経て、骨董の逸品は収まるべきところに収まってしまったのが現在のようである。しかし、二流三流や新品から一流を発見する眼に一流があるという記述を、昨今の骨董ブームほかあれこれ考えながら面白く読んだ。
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いやあ、今なぜ、って言われたところであたくしセレブじゃないから分かんないよう・・・。でもこん中に繰り返し出てきた、男同士の友情のすばらしさ!!つーのは分かる気が(笑)たとえば小林と中原の例の事件にしても、彼らは愛し合ってたから!だからと言って彼らは同性愛じゃないから、互いの肉体を求めたりはしない、しかしそこに女=肉体が介在したからああなったのだ、てのは世によくある事例としてそうよね〜って思う。ホラ、漫画家まりなシリーズの和矢とシャルルとかさ、とよく分かんない卑近な例を出してみた。あとよくある解決法で、どちらかの妹とくっつけさせる、とかな。でもまあBLとかもフツーになっちゃった今、そういうパターンなくなってきそうだけど・・・。って、これ本の感想か?
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白洲正子が好きで読んだ本だけど、「青山二郎の眼」という企画展をみてから青山二郎信者になって読み返した本
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(2006.06.13読了)(拝借)
白洲次郎が話題になっています。神さんの本棚をあさっていたら、この本がありました。著者が白洲正子なので、青山二郎と白洲次郎を混同してしまいました。
青山二郎は、骨董の目利き、装丁家と言った人なのでしょうか?小林秀雄に骨董を教えただけではなく、色んな面で影響を与えたようです。
白洲正子も青山二郎に骨董を教えてもらったようです。もらったあだ名は、韋駄天お正。白洲正子による青山二郎の思い出の記です。編集者が、白洲正子に十年お願いし続けて書いてもらった本ということです。天晴れな編集者です。依頼した編集者が一番読みたかった内容だったのかもしれません。
●天晴れな編集者の解説(190頁)
人を見て法を説けというが、青山二郎は一人一人への対し方が異なる。骨董については白紙であった小林秀雄には、つききりで世話を焼き、白洲さんには、放っておいて勝手に物を買わせた。子供の時から白州さんは大名家の売り立てなどに連れて行かれ、おぼろげに骨董の何たるかを知っている。その先入観をなくし、裸の目で見ることを教えた。
●白州さんの眼(194頁)
白州さんは、幼時から身につけたお能によって、男女を超えた世界が存在すると感得した感受性で、青山二郎という颱風の眼と、その周りに渦巻いた人間模様を適格に捉えることができた。美を呑みつくしたような生き方をした青山二郎。美はそれを観た者の発見であり、創作である、と看破した小林秀雄。
●青山二郎の添削(28頁)
(白州さんの書いた雑誌掲載予定の原稿を青山二郎が見てくれた。)
「こんな説明は不必要だ」といっては切られ、「文章が冗漫だ。形容詞が多すぎる」といっては削られ、なかんずく、「これはあんたの一番言いたいこと」と消されたのが一番身に応えた。自分のいいたいことを我慢すれば、読者は我慢した分だけ分かってくれる、自分自身で考えたように思う、読者にとって、これ以上の楽しみはないではないか、というのである。
●小林秀雄(39頁)
二人(青山二郎と小林秀雄)の交際は対象の終わりごろからで、既に青山さんはいっぱしの眼利きであったが、小林さんは骨董には見向きもせず、毎日骨董屋についてきて別室で本を読んでいたことはよく知られている。それがある日ふとしたきっかけで李朝の壺を買って以来、「狐」がついてしまい、狐が落ちた後までも骨董あさりは好きだった。
●目玉だけになる(43頁)
もちろん知識はあるに越した事はないが、ものを見るときは忘れなくてはいけない。すべてを捨ててかからねばならない。
●好きな陶器(47頁)
「陶器に就いてこれまで書いたことがないのは、私の見た眼といふか、感じ方と言ふか、私の考へが一度も固定してゐたことがないからである。セトモノに飛付いて、それを手に入れて見ても借金が払へた頃には新鮮味がなくなってゐるから、一つのものを二年も三年も持ってゐたことはない。そんなのは本当に好きぢやないのだと、と人に言われる。」
●モオツァルト(69頁)
その頃(1942年)彼(青山二郎)は音楽にこっており、ステレオが発明されるずっと以前に、高音と低音の蓄音機を部屋に置き、拡声器を何ヵ所かに据えて、終日��きほれていたのは有名な話である。(ここで小林秀雄は、モオツァルトをきき感動し、四年後に「モオツァルト」を書いた。)
●中原中也(98頁)
男同士の友情というものには、特に芸術家の場合は辛いものがあるように思う。中原中也の恋人を奪ったのも、ほんとうは小林さんが彼を愛していたからで、お佐規さんは偶然そこに居合わせたに過ぎまい。彼女に魅力がなかったらそれまでの話だが、あいにく好みが一致しているのが友達というものだ。それは陶器にたとえてみればすぐ解ることで、親友が持っているものは欲しくなるのが普通である。この事は同性愛とは何の関係もないもので、男が男に惚れるのは「精神」なのであり、精神だけでは成り立たないから相手の女が欲しくなる。
著者 白洲 正子
1910年 東京・永田町生まれ
14歳で、米国留学
1928年 帰国
1929年 白洲次郎と結婚
1943年 「お能」を処女出版
1962年 「能面」で読売文学賞受賞
1972年 「かくれ里」で読売文学賞受賞
1998年 死去
(「BOOK」データベースより)amazon
「俺は日本の文化を生きているのだ」が口癖だった男。あまりにも純粋な眼で、本物を見抜いた男。永井龍男、河上徹太郎、大岡昇平といった錚々たる昭和の文士たちの精神的支柱として「青山学院」と呼ばれた男。あいつだけは天才だ、と小林秀雄が嘆じた男。そして、かの白洲正子を白洲正子たらしめた男…。その伝説的な男の末弟子、韋駄天お正が見届けた、美を呑み尽した男の生と死。
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この時代にこういう人物がいたのだと、ある意味その時代の豊かさを感じた。
自分らしく生きるとは、自分に厳しくまずあるべき。
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「美」とはなにか、と問うことすら
おこがましい感じにさせられるほど
圧倒的なスケールを持った人
「美」を生きた人
それが青山二郎
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世の中にゃ 変わった人が いるもんだ
小林秀雄
「美は信用であるか。さうである」
青山二郎
「恋愛だってさうでせ。美人がそのまま人間の内容だったら世話はないのです。さかといって、人間はけして内容を先にして女に惚れるものではない。だから、さういふことは甚だ矛盾しているようですが、見た目に惚れる方が本当で、これは何とも致し方ないことです。してみると大概美人などというものは贋物だということになるが、そこがまたそれとこれとは全く別ものなのです。贋物の、例えば陶器があります。だまって騙されて買ったから悪いというのですが、それは騙された方が欲張っているからではないんでせうか。」
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男の友情とは何か。
どうして決別してしまうのか。
批評の神様といわれた小林秀雄と青山二郎という
二人の美の求道者が
どうして出会い、別れて行ったのか。
筆を取るのは白洲正子。
稀代の女性に男たちはどう映ったか。
話は青山二郎との出会い、
陶器への審美眼から語られる。
大岡昇平、中原中也らの素顔を描きつつ、
彼らと出会った女性に話は及び、
ラストは青山と小林の決別へとエッセイは進む。
美の追求、才能同士の葛藤、そして別れ。
昭和という時代の情熱が伝わってくる。
そこには戦後の文壇人たちの赤裸々な姿があり、
きらりと光る言葉たちがある。
青山二郎は陶器の目利きであり、
陶器のことはまったくわからないが、
その美意識には心を動かさせる。
「美の発見」とは秀逸だ。
「優れた画家が、美を描いた事はない。
優れた詩人が、美を歌った事はない。
美とは、それを観た者の発見である。創作である」
小林秀雄の批評に通底する思いがここにある。
こうした二人の美の発見者の別離には切なさを感じる。
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青山二郎 とは 不思議なヒトだ。
本の装丁の仕事、骨董品の鑑賞、青山学院の校長など
ホンモノを見抜く男であり、
小林秀雄に 骨董品を教え
『あいつだけは天才だ』といわせた男。
青山二郎は言う
『俺は日本の文化を生きているのだ』という。
白洲正子が もって行った原稿を 青山二郎に見てもらった。
白洲正子は言う
『「こんな説明は不必要だ。」といっては切られ
「文章が冗漫だ。形容詞が多すぎる。」といっては削られ
なかんずく、「これはあんたの一番言いたいこと」
と消されたのが1番応えた。
ジィちゃんの説で、自分の言いたいことを我慢すれば、
読者は我慢した分だけわかってくれる。
自分自身で考えたように思う。
読者にとって、これ以上の楽しみはないではないか』
ふーむ。
そういうものだろう。
言いたいことをいって、
書き垂れ流している私には耳の痛い話である。
白洲正子は言う
青山二郎にとっては
『思想というものも、目に見える一つのかたちであった。
生活の隅々まで浸透していなければ、思想と認められない』
青山二郎の日記の抜粋がある
青山二郎は言う・・・
『日本の詩人だの小説家ぐらい御都合な頭の働きをする人間はない。
先づ第一に困ったことには
彼らにはわからないことはないと言ふ自信だ。
頭の押へ手のない独り息子が親父になったような奴らだ。』
『中原と酒を飲むより中原とあって酒になった後で酒を飲みたい。』
『観て他を言はず 曰ク 高い月謝を払っていれば也』
『教育のおよびところは損得を限界とする。』
『要求は無法 愛情は無償』
『理とは理不尽の理 理外の理 無理の理 といふ字であるが』
言葉が 芯をついている。
白洲正子の見る 青山二郎は そびえたつ巨人のようだ。
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貫かれているのは、「青山学院」の「生徒」の目から見た師匠への愛情。
白洲正子は、ひょっとすると若いころは師匠の感性、センスをひたすら、盲目的?ともいえるほど信奉していたのではないだろうか?と感じさせる。なんだかよい関係だったことは、よくわかった。
ひょっとすると、事実を正確に伝えているのではないのかもしれないし、研究者ほど執拗ではないかもしれないが、自分の中で消化し、そうしたものだけを書いたもののように感じられた。昭和初期の風が感じられる良書だと思う。
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白洲正子が語る、ジィちゃん=青山二郎の思い出。主に小林秀雄との「高級な友情」とその顛末が語られている。あまりにほんとうが見えすぎるが故の天才の苦悩のようなものも軽快な文章で綴られ、高級な友情の悲喜交々が愉しく伝わってくる。何も成さなかったところにジィちゃんの天才があるといいった旨のことが書いてあり、僕の周囲の人に思いを馳せたり……。