紙の本
機能や潜在能力という概念
2018/09/26 20:47
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
何の平等か。身体的特徴や社会環境といった人間の多様性と社会的厚生の現実との関係を観察しながら、自由の平等により主体的に選択できる生き方の幅を広げられる世界の実現を目指している。所得の不平等と貧困者への分配の理論は実践されているのか。20世紀に書かれた内容が何ら色あせて感じられない。
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2009年度S大EHゼミテキストのひとつ。自由、福祉、格差、などなどを都度定義を繰り返しながら、あるべきものを理詰めで描く。J.ロールズとのやりとりなども書き込まれる。経済学や開発経済の分野のことは、必ずしもわかりやすいわけじゃないけれども、こうして一つ一つ、確認を繰り返すのは大事だと思う。センはジェンダーについての配慮がきめ細かく、そういう意味では、今以上に読まれて欲しいなと思う。
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テーマは、タイトルの通り、平等と潜在能力。
平等を、結果の平等ではなく潜在能力の平等としてとらえましょう、というのが主題。
もう少し細かく言うなら、
「①人間の多様性、②平等を判断する際に重要になる領域の複数性」がキー。
また、それゆえに、「なぜ平等が重要か」「何の平等なのか」と常に問い、それに応じた方法を用いることが重要。
非常に明確に書かれているなー、という感じ。
一瞬、「?」と思っても、その後に大抵例などを挙げていてくれるため、一般人にもわかりやすい仕様です。
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本格的にセンを読んだのはこれが最初。「何の平等か」と最初に問いかけられたときには、はっとさせられた。貧困を測定することとはどういうことかなど、いろいろと教えられた本。
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不平等とは何だろうか。
一般的に不平等のものさしとなっているのは所得であったり、成果としての効用の大きさとなっている。
だが、例えば途上国の「平等」と「不平等」を考えたとき、元来の考え方で十分であろうか。
センはこの考えに関して、自身の主張である「ケイパビリティ」を持ち出し、痛烈に批判する。
例えば所得を考えとき、同じ所得を与えられても健常者と障害者では、期待しうる効用の大きさが違うはずである。
また、成果だけを考えても、例えば自身の意思で断食を行っている者は、食料が手に入らずに飢えている者と同じように扱ってよいのだろうか。
以上のように考えると、かならずしも所得や成果が平等不平等のものさしにならないということになる。
そのためセンは、「機能集合」としてのケイパビリティによって測るべきだと主張する。
つまり、手段と達成するための自由を含めて考えるべきなのである。
センのケイパビリティ概念は、成果を達成するための自由を取り入れた点で革新的であった。だが、本書への批判としては、センは概念や大きなフレームワークを提示するのみであって、本質的な部分では貧困や不平等について何も語っていないし、果たしてケイパビリティ概念がそれを達成できるかは疑問である。
また、「何の平等か」という点には積極的に答えているが、「なぜ平等なのか」という点には最初から論を進める気はないと名言している。だが現代の開発学に必要な視点は、むしろ後者ではないだろうか。
どっちにしろ、このケイパビリティの考え方が、現代の人間の安全保障の核となったことは間違いない。その点において、本書は大きな貢献をしたといえるだろう。
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センの理論は、母国インドでは当てはまらないだろう。
インドにはカースト制度があり、政府は彼らを本気で救済するとは考えられないから。
センは経済学者でも主流ではないから、講演会には経済学者は集まらない。
社会の正義をどう定義するのかは難しい。
アフリカの貧困を救うのが先か?東北を救うのが先か?
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ゼミ課題図書。
‘アマルティア・セン’な一冊でした。
当然なんだけど、どこか平等ということは一方は不平等。
そもそも自由とはなにか、潜在能力、何のための平等なのかをあらゆる角度から考察した本。
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センの潜在能力アプローチは、教育や、生涯学習を、もっともっとずっと、実質的で世界標準の基準に照らして、深く広く意義あるものへ変えていく力を持っている。
ただ国内の子どもの問題や、国際学力テストの基準がどうこう、では全く汲みつくせない教育の意義と必要性と重要性を、このアプローチから組み立てることができるはずだ。誰かやっているはずなんだけど、どうしてこうも聴こえてこないのか?
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通常の政治哲学思想では、その人が考える最善の思想を当たり前かのように書くが、センはそれらを一歩離れた立場から観察し、彼らは皆自分が重要であると思う指標に関して平等主義的であるとまとめている。その上で、複合的な観察から、セン独自の幅広い守備範囲での平等を考察しており、とても興味深く、また説得的な内容となっている。
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何の平等か。
→なぜ平等かという問いの答えは、何の平等かという問いの答えに含まれる。
→「効用」に視点を置くと成果のみを評価することになる。成果とはそもそも願望に対する達成度であり、貧困者が自らの願望を低次に置いた場合、困窮の程度が平等評価の尺度に反映されない可能性がある。
→だから成果ではなく、成果を得るための「自由」についての平等を評価すべき。
→「自由」を評価するための尺度として、所得などの基本財を評価する手法がある。しかしこれでは個人の能力や処遇の差が考慮されていないので問題。
→個人がどれだけ生活機能(健康・栄養・幸福・自尊心など)を発揮できる状態にあるかという、「潜在能力」を評価すべきだ。
→「潜在能力」を厳密に評価することは難しい。そもそも平等自体が曖昧な概念なので、厳密であることの危険すらある。
→ところで、自由はおおきければいいというわけではない。
→自由が多いと煩わしく、さらに困惑が生じる恐れがある。
→また個人的福祉の達成とエージェンシーの達成とは相反する場合が多い。どちらを選択するかは個人の自由。
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本書は不平等を考え直すことを目的とする。まず、平等についての分析や評価において根本的な論点は「何の平等か」にある。この問いの理解のためには、以下二つの側面をおさえておくことが重要である。①人間の多様性、②平等を判断する際に重要になる領域の複数性である。異なる領域において平等が要求するものは互いに整合的であるとは限らない。なぜなら、人間はあまりに多様な存在だからである。一つの領域における平等は、他の領域における重大な不平等を伴う。
次に行うべき作業は、平等に対して特定の本質的アプローチを試みることに関連する。本書で著者が試みているアプローチは、実際に達成された成果を含みながら、さらにそれを超えた視野から「達成する自由」に基づいて個々人の優位性を判断するというものである。なぜならば、従来の、例えば功利主義者のような効用にのみ究極的な価値を見出すアプローチでは、極めて限定的に福祉を説明しているにすぎず、誤った方向に導く性質を持っているし、また「基本財」の有無によって不平等をとらえるロールズも、『基本財を活用する能力が人によって多様であることを無視している(P250)』からである。「達成する自由」、すなわち「機能を達成する潜在能力」に焦点を当てるためにはまず「成果」と「成果を達成するための自由」を明確に区別する必要がある。単に「達成された成果」の水準だけでなく「達成するための自由」に注目することにより、成果の評価とそれを達成する自由との間に存在する重要な問題が浮かび上がってくるのである。
最後に、貧しさと豊かさについて言及をする。これまで行われてきた貧困へのアプローチは、いずれも「貧困とは低所得である」という見方に強く依存している。しかしこれでは十分ではない。他にも考慮されるべき点があるのである。それこそ、所得からどのような機能を実現できるかという潜在能力である。ここで、貧困を定義することが可能となる。貧困とは、福祉水準が低いということではなく、『経済的手段が不足しているために福祉を追求する能力がないこと(P173)』である。貧困に陥らないために十分な所得とは、個人の身体的な特徴や社会環境によって異なるのである。貧困が問題なのは、経済的手段が不足しているからではあるが、もっと基本的なのは必要最低限の潜在能力が欠如していることである。所得だけではなく、所得やその他の資源が多様な潜在能力へ変換される過程に注目することで、豊かな国における飢餓という一見したところの逆説を説明することができる。
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ノーベル経済学賞のセンの著作。ロールズの正義論の発展系のような感じ。
平等を判断する時、用いられるものは①効用(パレート最適。つまり他の誰かの効用水準をさげることなしには誰の効用水準もあげることはできない。)②基本財(主に所得などよく生きるための手段)などがある。
しかし、これらでは限界があるとセンは主張する。
①はその効用が環境に適応する可能性を無視している点が問題。②は多様であることを無視している点で問題。以上の理由があるからである。
そこで「潜在能力(capability)」を提案する。
これは効用ではなく機能(人々の行動や状態。栄養状態良好で生活できることから自尊心をもち生活できることまでの幅広い概念)に注目する。この機能の集合を見る事によって、①や②で明らかにされなかった不平等を明らかにすることができる。
画期的なアイデアだが、それによって世の中がどうなっていくのかという具体的なビジョンは書かれてなかった。故にイメージがつかみにくく読みにくかった。それは今後の研究者の努力次第というところだろうか。
追記※訳者の言葉に『潜在能力を見ることで人々が達成できる生き方の幅を知ることができる。公共政策や開発政策の目標は人間の自由であり、主体的に選択できる「生き方の幅(潜在能力)を広げることである」』とあった。これがその具体的なビジョンなのだろうか。
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法理学ゼミで読み込んだ。平等ってそもそも何?ってとこから平等を求める意義や本質に迫る。
センの概念は大いに納得できるものがあり、これから社会を動かしていく上で活用できる部分は多いだろう。主に貧困対策に重点がありそうだが、私は職業選択の部分でも使えそうだと感じた。センは勇気が打ち砕かれていることが潜在能力がないことだと考えているから、例えば江戸時代のえた・ひにんなんかはそうだろうけど士農工商は当てはまるのか、現代では私の知り合いでは坊さんの家に生まれたら坊さんになるとか京都の旅館に生まれたら女将さんになるとかそういうのは勇気は打ち砕かれてないけど潜在能力は人より制限されていると思う。そういった観点で違和感のある部分は正していかなければならないのだろう。
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1999年刊。著者はケンブリッジ大学トリニティカレッジ学寮長。98年ノーベル経済学賞。
「自由」と「平等」は、粗い議論や制度内容如何によっては対立・相克が現出する。本書はこの対立を止揚し統合するのための視座、つまり自由・平等を両立させうる項目や対象を精緻に検討していく。
また、平等達成のための基本財(=資源)も、伝統的経済学での資産・所得等経済的指標に適合するものに限定せず、個人の潜在的能力を措定する点は新奇である。
これは法的権利の平等(実質的平等を目指す福祉主義を包含)とも、経済学的な資産・所得の平等とも異質なものだ。
このような、異質ではあるが新奇な「平等」論は知的好奇心を擽るだけでなく、自由が殊更強調される現代社会においては、その風潮に対するカウンターロジックになるのではとの期待もある。
その意味では、全く古びていない書と評しうるか。