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ドン・キホーテの「論争」

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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1999.11
  • 出版社: 講談社
  • サイズ:20cm/318p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-06-209914-1

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紙の本

ドン・キホーテの「論争」

著者 笙野 頼子 (著)

マスコミ言語の理不尽に、純文学作家が立ち上がる。最前衛の文学的レジスタンス、それは極私的言語の戦闘的保持だ! 新聞・雑誌等に発表された文章に加え、書き下ろしロングエッセイ...

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ドン・キホーテの「論争」

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商品説明

マスコミ言語の理不尽に、純文学作家が立ち上がる。最前衛の文学的レジスタンス、それは極私的言語の戦闘的保持だ! 新聞・雑誌等に発表された文章に加え、書き下ろしロングエッセイを収録。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

笙野 頼子

略歴
〈笙野頼子〉1956年三重県生まれ。81年「極楽」で群像新人賞を受賞しデビュー。94年「二百回忌」で三島由紀夫賞、「タイムスリップ・コンビナート」で芥川賞を受賞。

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みんなのレビュー6件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (1件)
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  • 星 3 (1件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

2004/11/29 10:00

投稿元:ブクログ

あんまり詳しくないというか、話したくないというか、考えるのが面倒臭いというか、あたしにはそういう類の話である。「純文学」というヤツの話である。
大筋は、新聞の「文芸時評」に書かれた、口当たりのいい純文学非難であった。ハッキリ言ってしまえば、それは純文学不要論、純文学意味無し、純文学死ね、である。それに対する笙野氏による反論、及び論争を「エッセイ」として書いた「論争・反論」を一冊にまとめた本。あたしはその、純文学云々というモノの論争には、あまり興味がないのだけど、これは誰かが書くべきテーマであるのかも知れないなー。

「サブカルチャー」っていうモノが一定の地位を築き上げた現在、純文学だとか、古典美術だとか、クラシックなモノへ、どうしても胡散臭さを大衆に与えてしまう。ただでさえ、取っつきにくく、分かりにくく、話のネタにもなりにくく、またエンタメとしては存在しない純文学であるし、それに対して大衆文学へのハードルの低さが拍車をかける。ただ、それはそれ、読者というのが居なければ、小説家が成立しないという、絶対的理論を掲げるマスコミに対して、作家達は自分の作品を売るという方法でしか対決出来ないと言うジレンマがある。一部のマスコミが純文学を否定するのには、根強い『数の論理』があり、消費システムというものから逃れることのできない現代人の宿命があるのだと考える人は多いであろう。売れる物を書く、という事に対して、売れなくても書くという姿勢は、あまりにも投げやりで自意識やプライドばかり高い作家の我が儘に見えないこともないのだが、しかし本来の小説の意義とは一体何か。作家には、「書きたいモノ」がある、それは間違いない。
本を売る為に書き始めるという作家も、今では少なくないのかも知れないが、そういった主旨で書かれたモノなど結局消費されれば消えて無くなってしまう希薄なモノでしかないだろう。それでもやはり、売れることを追求し、より多くの人間に読ませるという事が目的であると、ハッキリ断言してしまっている出版業界というのが、作家と対になって存在している以上、避けて通れないモノなのではないだろうか。作家が自分の書きたいモノを書くタメには、作り出されたモノを買う人間が必要になってしまうし、そのためには、作家本人の思惑外の作品の制作も、致し方ない場合があるだろう。あたしは、それが大衆文学のきっかけになってしまったのではないかと、ちょっと思っている。

しかし、売ることを目的に書かれた作品を、頭から否定するというのもおかしな事で、実は読んでみたらとても良い作品だった、ということが大いにあり得る。最近の傾向として特に思うのが、作品そのものは、明らかにエンタメ作品で、大衆文学であるのだけど、その作品を読んでみるとそこには、様々な手法を用いて作家の思想が込められていることが良くある。例えばミステリという仮面をかぶった純文学、ファンタジーを使って口当たりを良くした純文学、学園ラブコメと称した純文学。売る為の手法を用い、それにも増して、作家の意志を強く感じる作品という存在を強く感じる。ただ単に面白おかしく、萌え萌え、というだけの作品が売れるのは、もう常識で��マンガなどを見てみればまさしくそのような作品の羅列でしかない。むしろ作家のオナニー的な萌え追求作品だけでも、数多く存在するし、読者も作者との萌えの共有を、好意的に受け止め、購入する。

しかし純文学というのは、「純」である以上、そういった売れることを目的とした仮面をかぶせることを良しとしない。だからこそ、今現在、稀少となりつつあるのではないだろうか。それは決して間違いだとは思わないし、無くなってしまっては悲しいし、それだけは避けるべきだと思うのであるが、しかしだからといって、純文学だけを文学だと言う気もない。あまり普段考えることのない視点であり、また作家自身の言葉で書かれている所為か、とても真実みがある。しかし、この手の論争で良くあることだが、客観的な判断を保つには、両方の意見を同じ量だけ知る必要が、どうしてもあるな、と思わざるを得ないのだった。

2007/05/07 10:36

投稿元:ブクログ

マスコミVS「純文学」。最前衛の文学的レジスタンス、それは極私的言語の戦闘的保持。戦闘的「純文学」エッセイ。

2009/03/01 01:42

投稿元:ブクログ

笙野頼子「徹底抗戦!文士の森」河出書房新社 を一気に読んで、この本の前に発生していた論争を描いたこの本を中古で探して入手しました。

んが。なぜか読みはじめる事が出来ず。。。うむー。
いつか読んでやるぞー!!(握り拳)

2009/10/10 14:42

投稿元:ブクログ

カギカッコつきの「論争」になってるのは、実質のところ純文学を文学的にとか政治的にとか定義を噛み合わせて論じ合う論争にはまるで至っていないから。
文学評論家でもなんでもない某新聞記者が記名記事で、ほとんど気分で“「純文学」って意味なくね? 売れない=受け容れられないし”とイメージで言いっ放しにされ、それに笙野頼子さまが反論なさった由。

純文学とは何か、とか、笙野頼子の果たしている仕事についても興味深くはあるけれど、個人的には「論敵」の気持ち悪さが印象に残る。まともに反論して来ず、黙殺とニヤニヤ笑い、陰湿な嫌がらせをかましてくる、リアル“おんたこ”。

笙野頼子が書く世界、“おんたこ”がはびこりのさばる“だいにっほん”が、えらいことリアルに迫ってきて、決してそれが本の中のフィクションで終わらない、現実が描き出されてる、と感じられて戦慄してしまうのだった。

2011/06/11 00:29

投稿元:ブクログ

笙野さんは、一体何と戦っているのだろうか?ということを読んで考えた。
いつも何かと戦っている感じを受けるのだが、戦う自分のことをけっこう客観視しているような高い批評性(とでも言うのか?)が文章から感じられる。
これは評論を集めたもの、ということもありいっそうそれを感じる。

2015/06/29 07:54

投稿元:ブクログ

純文学をよく知らない癖に馬鹿にし、否定する者たちに闘いを挑んだ記録。
今でも純文学というジャンルが残っているのは、著者のおかげかも、と思う。

闘った相手について、
「例えば彼らに特徴的なのは知識の欠落したままする実体のない一般論、そして自分に都合のいい自作の用語定義とそれを使ってする少数者攻撃です。その時に表すファシスト丸出しの異様な被害者意識や、安手の過激フレーズを考えなしに使いたがる心の弱さ」
と書いていて、現在もそういう人物はいるな、と思った。

他にエッセイや書評もあって、時代を感じて面白い。
「ストーキング」という言葉は当時出てきたばかりだったんだな、と思った。