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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2000/07/19
  • 出版社: 文芸春秋
  • サイズ:20cm/422p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-16-319380-4

紙の本

希望の国のエクソダス

著者 村上 龍 (著)

2002年経済の大停滞が続く日本で、一斉に不登校を始めた中学生がネットビジネスを開始、円圏を巡るアジア通貨危機では、情報戦略を酷使して意外な結末をもたらす。壮大な規模で現...

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希望の国のエクソダス

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商品説明

2002年経済の大停滞が続く日本で、一斉に不登校を始めた中学生がネットビジネスを開始、円圏を巡るアジア通貨危機では、情報戦略を酷使して意外な結末をもたらす。壮大な規模で現代日本の絶望と希望を描く。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

村上 龍

略歴
〈村上竜〉1952年長崎県生まれ。武蔵野美術大学中退。小説家。76年「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞受賞。著書に「インザ・ミソスープ」「共生虫」ほか多数。

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評価内訳

紙の本

とにかく一気に読破して,日本の将来を考えてみることをお奨めしたい

2000/10/25 18:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:前川 徹 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 2001年6月,パキスタンの辺境,アフガニスタンとの国境付近で一人の日本人少年が地雷で負傷した。現地で取材するCNNの記者に対してもう一人の少年は,2年前から現地部族の一員となって地雷除去をしていると説明し,日本について「あの国には何もない,もはや死んだ国だ」と答える。2人の少年を取材するため成田を出発したフリーライターの関口は,パキスタンに行こうとする中学生の中村君に出会う。
 こうして始まる村上龍の最新作は,2001年から2008年までの日本を舞台にした近未来小説である。この後,中村君も関口もパキスタンに行くことはなく日本に戻るのだが,2001年秋には,都市部を中心に集団不登校事件が起き,やがて学校を捨てた中学生たちはASUNAROという会社をつくってネットビジネスを始める。この先をここで紹介するわけにはいかないが,話は教育問題から国際穀物相場や為替取引,地域通貨をめぐる問題や老人問題,環境問題へと限りなく広がっていく。
 作家にとって近未来モノを書くのは勇気がいることに違いない。読者がおぼろげにでも考えている近未来と比較されてしまうからである。作者はこの小説のために3年間の時間をかけて経済学者,為替ディーラー,文部省の課長,新聞記者,インターネットの専門家,現役の中学生などにインタビューを行ったという。それを踏まえて,閉塞状態にある日本の近未来をさまざまな角度から描こうとしている。だが,おそらく各分野の専門家であればあるほどストーリーに疑問を感じるのではないだろうか。インターネットを自由に駆使するASUNAROがインターネット放送を始めないのは奇異に感じるし,そもそも不登校の中学生が仲違いもせず組織的に行動し,企業経営ができるとは思えない。
 ASUNAROの指導者であるポンちゃんは「この国には何でもある。だが,希望だけがない」と言うが,それはまるで年功序列と終身雇用が崩壊した会社社会に取り残されて希望をなくした大人の台詞である。
 しかし,こうした点はこの壮大なバーチャル世界の中では些末なことだろう。この小説は未来を予言するためではなく,問題を提起するために書かれたのだろうから。作者は,日本の閉塞状態を不登校の中学生を担ぎ出さないと解決できないようなところにまで来ていると考えているのであり,そこには改革を叫びながら改革ができない政治家や行政への痛烈な批判が込められている。しかし,実際に日本を救えるのはここに書かれているように不登校の中学生たちではなく,この小説から日本の抱えている問題の深刻さを読み取れる読者自身なのではないだろうか。不登校者を生み出す教育システム,視聴率を気にして娯楽性の強い番組を流し続けるテレビ,わずかな情報で均衡を失ってしまう国際金融システムなど,ここで取り上げられている問題は極めて多様で奥が深い。
 何はともあれ,この小説は読み始めれば止められないくらいに面白い。細部にこだわっていては,この小説の価値は分からないだろう。細かなことに目くじらを立てずに一気に読破し,作者とともに日本の将来を考えてはいかがだろう。
(C) ブッククレビュー社 2000

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紙の本

物語としては駄作

2004/01/05 19:19

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:諏訪旭 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「2002年秋、経済の大停滞が続く日本で、80万人の中学生が集団不登校を起こす。」この広告から、本書を手にとった。村上龍氏の最近の作品は、読前のインパクトが非常に強い。「五分後の世界」や、「イン・ザ・ミソスープ」「共生虫」といった作品群はまさに本屋で立ち読みを誘う吸引力があり、読書人間はその力に逆らえず、購入してしまう。大きく残念なのは、読前の期待が読後まで維持しないことだ。大きな期待は、ああこんなものかという小さな落胆のうちについえてしまう。本書も私にとってはそうであった。大見出しをきって始まった物語は、ほぼすべてを通して経済学をわかり易く解説した経済小説にすぎないと感じた。様々な分野に精通し、知識人としても村上龍氏の評価は高く、その見識は目を見張るものがある。しかし、私が本書に期待したのは、物語作家としての村上龍であった。「愛と幻想のファシズム」で見た圧倒的なストーリーテーラーぶりは、影も形もなく、第三者的に新聞記者が語るヒーロー像は薄っぺらく、心躍るものとは程遠かった。現代文学の一時代を築いた偉大な作家だからこそ、私は常に大きな期待を持つのだ。
物語として見た場合「希望の国のエクソダス」は駄作と言えるだろう。しかし、この小説の価値はまったく別のところにあるのだろう。2004年を迎えた現在の日本の状況を的確に予想し、“希望”がない日本の未来の危機への大きな警鐘として、本書には大きな価値がある。

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紙の本

とても壮大な

2004/07/06 23:51

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:海の王子さま - この投稿者のレビュー一覧を見る

パキスタンのナマムギ事件で始まる物語は全国的な中学生の集団不登校問題に発展し、国会を巻き込み、経済を巻き込み、ネットワークは成長を遂げ、やがて梅雨のない北海道に…という壮大なお話。それを雑誌記者の視点から描いています。

そんな中学生騒動の中にあっても、おとなにはおとなの生活があって。僕は毎月のお食事シーンが好きでした。食事やその場での会話、話をしながらの考察や逡巡がいきいきと描かれていて。特に懐石料理がよかったです。そういうウンチクは、さすが村上龍ですね(あまりいい意味ではありません) 。

残念だったのが、ストーリィがリアルに未来を描こうとしていたこと。出版されてから時間とともに、そのリアリティが色褪せて。2002年の出版当時なら、そうとうおもしろく読めただろうにな。そんな気がしました。

友人某氏による「星3.5」という評価には、同感です。

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紙の本

これはこれは…

2003/03/25 12:05

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:じりくん - この投稿者のレビュー一覧を見る

俺にはちょっと難しすぎたかもしれない。
ちょっと、経済や政治的なことが連発してて、途中でわけがわからなくなってしまった。
だけど、内容はすべてわかった。
中学生でも、これだけのことをやろうと思えばできるのだろうか、なとど思ってしまった。

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紙の本

希望の国のエクソダス

2003/03/23 08:05

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:五十棲達彦 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
            「希望の国のエクソダス」p.419.

 2001年の夏、パキスタン北部・アフガニスタン国境付近で、16歳の日本人少年が地雷で負傷したことからこの物語が始まる。関口(=おれ)は取材の為、パキスタンへ飛んで行くが…。
 地雷で負傷した少年はアフガニスタン国境付近で地雷除去作業をしていたのだ。その秋、東京の中学生に異変が起きた。地雷で負傷したこの日本人少年=ナマムギに共鳴して、大量の集団的不登校が起こった。「日本に希望がない」、それが中学生を集団不登校にした理由であった。彼らはナマムギ通信というネットによるコミュニテイーを形成して、集団的なエクソダス(脱出)を試みていく。主人公達はあくまでも中学生なのだが、現代社会を凝縮している。

「ゆっくりと死んでる、幼なじみはそう言ったが、それは多くの日本人に共通の気分だったからも知れない。日本人にとって重要な何かが音を立てて崩れていくような不安感が1990年代からずっと続いていたのだ。結局のところ、それは閉塞感だったとおれは思う」P.170.〜171.
 国際金融論、中国問題、官僚と政治、教育問題、不況に喘ぐ北海道、総てが今の問題をイメージしている。中学生の連帯と脱出を軸にしながら、現代社会の皮相を抉り出す。私の知り合いの中学生教師が、今の生徒を教えることは疲れると云っていた。その実感が分かり難かったが、この「希望の国のエクソダス」を読んで、僅に想像できるようになった。時代背景。それがこの小説の力となっていて、読者を惹きつけるのであろう。同時に、村上龍のニヒリズムを感ぜずにはいられない。

 「希望の国エクソダス」が面白いと云ったのは30代のブルース好きの部下であった。30年振りに逢った高校のクラスメートもまた「面白いよ」と云った。村上龍を読もうと全然思いもしなかった。1976年に芥川賞を取る前に、群像の新人賞で「限りなく透明に近いブルー」を読んだ。残念ながら、村上龍の後輩となった、わたしの妹にその「群像」を貸して以来、村上龍は過去型でしかなかった。もしかしたら、同世代としてのシンパシーをどこかで読んでいるのかもしれないが、もう少しこの人の書くものを見て行きたい。そうすれば、時代精神が分かるような気がする。いまこうして、この小説を読んでいる時にも、米国は世界のイラク制裁反対を無視して戦争決議を国連安保理に諮ろうとしいている。願わくば、ソウナラヌコトヲを祈るだけである。

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紙の本

経済白書として一級、小説としては失敗作

2000/10/14 04:28

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:CURB - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本を取り巻く経済情勢のシミュレーションとしては目を見張る正確さがあり、同じ要素をもつ『愛と幻想のファシズム』からの作者の進歩も窺える。しかし、この作品は2つの点から、失敗していると言わねばならない。
 本書の主題は、たとえ作者の意識の上では教育問題にあったとしても、『愛と幻想のファシズム』や『5分後の世界』と同じであり、それを載せるプロットは『愛と幻想のファシズム』のものと同一である。経済白書は毎年出ても文句は言われないが、同じネタを同じ手法で書いた小説は、芸術としても娯楽としても駄作と言わねばならないだろう。
 では、『愛と幻想のファシズム』を読んでない者にとっては、駄作でないかというと、そうではない。作品中、台湾の元テクノクラートの言葉として、日本はもうダメで、これを救うには、国際勢力に対抗しうる力をもった、ある独立した集団が登場し、支配的な影響力をもつようになるしかない、というのがある。これは正しい予言であり、これが、この作品の、そして『愛と幻想のファシズム』の主題だ。しかし、これは、実際にはあり得ぬ夢物語でしかない。例えば『ジュラシックパーク』は夢物語ではないのだ。あそこには作家の想像力が正しく働いたリアリィテイがあり、恐竜たちは、私たちの目前で、正に「科学的に」誕生したのだ。だからこそ、作家本人を含んでそれに追随しようという動きが絶えなかったのだ。
 『愛と幻想のファシズム』においては、集団が小規模で、リアリティの破綻が見えにくかったのもあるが、あの作品は、クリストファ・ーリーブ版『スーパーマン』の第一作がそうであったように、まさに夢物語としてあり、夢物語としてのカタルシスを我々に与えた。ところが、今回、作者は、不登校児のネットワークが支配的集団となる、という決してリアリティをもち得ないことを、真面目にシミュレートしようとしている。日本人が国際的に見て、甘えたダメな人間なのは確かだろうが、日本の子供は、その甘えた日本社会に甘やかされていて、これが日本を救うわけがなく、作品は、大変ご都合主義で上滑りに見えてしまう。作者の真面目さは痛ましく滑稽なのだった。
 村上龍は不登校児にもだいぶ肩入れしているようだ。不登校が増えているのは、世の実情と教育システムの矛盾がそれだけ大きくなっているからだ、と言う。教育システムが機能していないという指摘自体は、これまた鋭く、どこまでも正しい。だが、それを不登校増加の原因の第一に数えるのは、子の苦情を真に受けて教師をなじる愚かな母親の行為に等しい。おそらく彼がインタビューしたりホームページを覗いたりしたであろう不登校児は、かつての文学少年・少女のように、周囲に対する違和感と軽蔑が育む屈折を示しているのだろうし、かつて文学少年・少女が何か高級なもののように錯覚されたように、この子たちが何か特別な力をもつと思いこみやすいのかもしれないが、それはお人よしのすることだ。まして、彼らを不登校児の全体と見て、教育システムを批判して終わるのはまちがいだ。繰り返す。学校や全体として見た教師は昔からクソッタレだったし、教育システムは批判されなければならない。だが、不登校が増えていること、現在、学校教育そのものがうまくいっていないことの最大の原因は、ストレスに過敏になった社会が、子供の愚痴を先回りして甘やかすことを繰り返してきたせいで、極端にストレスに弱い子供が増えているからだ。キレやすい子供が増えたのも同じ原因からだ。言い換えれば、これは、駐車場の線をまたいで駐めて平気なヤツやどこにでも座り、どこででも飲み食いし、どこでも化粧するヤツらが増え、携帯で常に人とつながっていようとし、ひとつも頑張らない先から、頑張らなくていいんだよ、と癒し合おうとする、だらしなくなった世の中の問題なのだ。

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紙の本

まあ、読む価値はあるとは思うけれど

2002/12/11 01:26

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:すみれ - この投稿者のレビュー一覧を見る

私は読書歴が浅いので村上氏の本は初めて読みました。

正確に言えば、タイトルに惹かれて買った
「限りなく透明に近いブルー」も途中まで読んだのだけど、
なんだか読み進みにくくて、
もう少し読書慣れしてから読もう、とそのままにしているのですが。

本書も確かに、すごく読み進みにくい。
文体は巧い方だと思うし、テーマも良いけれど、
こむずかしい説明が多すぎて、ちょっと疲れてしまうことも確か。

でも、これを書いた村上氏は凄い人だと思うし、
終始「すごい発想だな」と思って読んでいた。
読み進め難いのに、その巧みな展開に惹かれて、
はやく読みたいとも思う。
だけど、こむずかしいんだよなって、
ふたつの気持ちを葛藤させながら読んでいた。

難を言えば、沢山取材してここまで書き上げたのは偉いと思うが、
説明よりも、もっと心情描写を多く描いてほしかったし、
結末も少し期待はずれだった。

社会情勢についてのバランスと、心情描写みたいなものが、
全く互角か、むしろ心情描写の方が少ないくらいかもしれない。
それは悪く言えば、まるで、長い長いあらすじを永遠に読んでいるとも言える。

その辺のバランスが、逆転して
誰にでも読みやすいものとして書いてくれていれば、
きっと5つ星だったんじゃないか、
そう思うと惜しくてたまらない一冊だ。

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紙の本

希望の国のエクソダス

2001/05/17 20:17

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 80万人の中学生達が一斉に不登校になる。この考えは村上龍氏が自身のホームページで提案したもので、賛否両論が巻き起こったらしい。それを契機にして、氏はこの作品を書いたらしいのだが、あまり現実味は感じられなかった。たしかに氏の書こうとしていることはわかるのだが、本質的な部分を捉えていないような気がする。

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紙の本

最後の希望は、R−17の少年達?

2001/03/20 21:28

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投稿者:たき - この投稿者のレビュー一覧を見る

 現在「大人」である私達にとって、「未来を夢見る」のは難しい。夢の未来の象徴であった二十一世紀は、夢みる子供だった自分がいつの間にか年を重ねたのと同じように、いつの間にか現実になったし、そこには、これまでと変わらない今しかない。こんな御時世に、近未来の希望の国を描けるヒトがいることに興味を持って、この本を手に取った。

 具体的なモデルケースとしてのストーリーの合間にたくさんの問題提起がされていて、多少うるさく感じながらも、気付くと考えさせられていた。なんとなく読んでいる自分は、どの世代の気持ちで今読んだのか。読みながらときどき確認してしまったのが面白かった。

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前代未聞の政策小説(?)

2001/02/03 20:22

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 2001年6月から2008年9月にまで叙述が及ぶ章立てのない長編小説。この作品は三つのパーツに分けることができるだろう、そうすることに何か意味があるのかどうかは別として。まず、「ナマムギ」の発見からテツ(本編の話者)と中村君との出会い、ポンちゃんの登場までの発端部。いつも思うことだけれど、村上龍は物語の発端部の書き方が実にうまい。とはつまり小説世界の造型力に秀でているということ。これは優れた小説家がもつべき当然の資質だと思う。

 次いで、円圏・アジア通貨基金構想の実現とその直後の通貨危機から2002年6月、サッカーのワールドカップ開幕一週間前の衆議院予算委員会でのポンちゃんの「答弁」で終わるハイライト。「インタビュー小説」とでもいうべき趣向が面白かったし、何よりもテツと由美子が懐石料理を食べながら経済を語る場面は秀逸。

 そして、ASUNAROの北海道野幌市への移住と地域通貨イクスの発行による「独立国」化への軌跡が描かれたやや長い後日談。小説的虚構世界の文法を大きく逸脱しているのではないかと思ったけれど、読んでいてここが一番面白かった。この部分を書くために村上龍は物語世界を造型したのではないかとさえ思う。

 あとがきがまたいい。「この小説は、著者校正をしながら、自分で面白いと思った。そんなことは実は初めてで、なぜ面白いと思ったのか、いまだにわからない。わたしの情報と物語が幸福に結びついたのかも知れない」。ここに出てくる三つの語彙、情報・物語・幸福、は村上龍の小説世界のキーワードである。メディア批判と教育、経済。これらは著者がJMMでいままさに取り組んでいる問題群そのもので、だからこの小説が面白くないわけがない。

 追記。日経新聞(2000年9月24日付)の読書欄で山城むつみ氏は、ポンちゃんが国会に参考人として招致され、演説するところが本書のヤマで、「そこまで、読み手の関心を強く引っ張ってきた本書のドライブはその後、急に失速してしまう」と書いている。(この点はまったく同感。)それはなぜかというと、作者はこの作品で「希望」について書きたかったのだが、「それを小説の文脈に実際に書きとめたとき、作者は、描こうとしていた「希望」をめぐって根本的な疑問を感じたのではないか。今の日本の社会は希望を必要としているのだろうか、と」。現に、作者はポンちゃんに「果たして希望が人間にとってどうしても必要なものかどうか、ぼくらにはまだ結論がありません」と語らせている。

 小説の結末で、「希望の国」を建設しているポンちゃんたちに共感しながらも、主人公(テツ)はそこで暮らす決心がつかない。「おれはまだ結論を出していない」。それが本書の結語なのである。──と、山城氏はいうのだが、確かに、あそこに描かれた「国」はどこか奇妙なところがあって、なにか人間の想像力を超えた未知の政治問題が息づいているような気がして、少なくとも私は永住する気持ちにはなれないと感じたし、作者の思想(こういう言葉はあまり使いたくないのだが、ここでは、作者が何を書こうと思いをめぐらせ、何を想いながら書いたか、その実質といった程度の意味で使っている)をめぐるかなり慎重な吟味が必要だと思った。それでもやはり私はポンちゃんの国会演説以後の叙述が(たぶん小説的感興とは別の次元で)面白かった。

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無駄と希望

2000/12/30 23:32

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投稿者:katokt - この投稿者のレビュー一覧を見る

 村上龍のストーリーテーラーとしての本来の能力からは、はなはだ疑問の残る作品だけど、いくつか読ませるところもある。

 まあ主人公と思われるジャーナリストにも中心的な役割を果たす中学生にも感情移入をさせない書き方なので、ストーリーが流れるはずもないんだけど。「彼らは徹底して無駄を嫌う」っていうのが少し核心に近いって気もするんだけど。

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紙の本

別にありかな、なんて

2001/06/02 17:51

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:千秋屋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 教育問題に始まったかと思ったら、最後は奇跡のハウトゥビジネスになって終わった。いずれにせよ、豪快な「もしも」がこれでもかと展開された。
 舞台は近未来。2001年から2007年までの日本。主人公は中学生。2001年の夏ごろから中学生の集団不登校が流行り出す。主に中学二年生。アフガニスタンでたくましく生きる少年が報道されたことからすべては始まった。彼に触発されたかたちで日本の中学生が学校に対して「NO」を突きつけたのだ。理由はシンプル。「行っても意味ないから」。中でも「ポンちゃん」というあだ名の少年は自らのスキルを武器に生きる道を模索。今、自分にできることをたんたんと遂行していった。
 彼にとってできることは、はからずも社会を変えていった。ネットでビジネスを、という素朴な発想はやがて世界を席巻。日本経済の絶望的大停滞という背景に、中学生の「希望」という名の脱出は加速度的に展開。価値や規則や義理人情、長年信じられてきたものがいかに曖昧だったかを、さらりと指摘し、ただひたすら思いつくことをたんたんとこなしていく。どれもこれも、ひょいひょい実現していくそのスピードはこれまた清々しく、気持ちいい。そりゃないよ、ってなことちょっと言いたくなるけど、別にありかななんてことも思ったり。いずれにせよ、面白かった。
 村上龍は即効性のある教育改革には「集団不登校」があるじゃないか、と言ったわけだ。前時代的発想のもとに居残る学校教育が今の時代に通用するなんていうのはまったく持って幻想で、中学生だってそんなことは感じているんだぞ。中学生は思っているよりバカじゃないし、やりたいことをやれる。やりたいことをやるのはもうちょっと待っててね、としきりに言う今の学校に、旧来の問題の先送り的思想が見え隠れする。何を信じて、誰を信じればいいだろう、ってことを中学生は考えている。そういうことに学校が気づかないふりをしている。たかをくくっている。
 いぜん石原知事も同じことを言っていた。学校になんか行きたくなければ行かなくていいと。彼自身、学生の頃そうだったらしい。その時、結局親が理解したところでうまくいった。一番ちいさなコミュニケーションがうまくいった。これは間違いなくいい例だ。ほんとはいけないんだけどね、なんていう甘っちょろい注釈はこのコメントにはない。
 なにはともあれ、僕の中学生観はもはや古い。前時代を生きてしまった感じがしてならない。僕はなんの疑問をもたないで、やってきたくちだ。実感としてはなかなかわからないが想像は何とかできる。でも、気持ちはわかるよ、なんて迂闊な事を中学生には言えないなあ。

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紙の本

とにかく”今”これを書いたことにリスペクト!

2001/01/16 13:50

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投稿者:吉野桃花 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 2002年、80万人の中学生が学校を捨てた。
 彼らは、ASUNAROというネットワークを作り(組織にあらず)ネットビジネスにより巨額の利益を得て、それを元に職業訓練施設を作る。自分たちの生活を自分たちで作りだしていくのだ。そしてASUNAROは、北海道の野幌に移住し、ひとつの自治体を作り上げてしまう。

 経済力さえあれば、いとも簡単に自立できてしまう、と改めて思った。ASUNAROの中心人物、ポンちゃんがコンピュータをネットを知らなかったら、単なる中学生の反乱として終わってしまっていただろう。嫌だ嫌だと思いつつ、また学校に吸収されていたに違いない。
 文句を言って暴れているだけでは、何も変わらない。そしてまた、その利益を自分たちの未来のために使う、という頭の良さがなければ、単にお金儲けて全部使っちゃいました、ってことになるだろう。

 それにしても、“金”を手にして強引に自立しなければ息がつまって死にそう、という強い閉塞感は一体何だろう。ポンちゃんは言う。
「この国には何でもある。ほんとうに何でもあるんです。ただ希望だけがない。」
 それは、この国は未来のためにお金を使ってないからじゃないだろうか。今を維持するために、未来に膨大な借金を積み重ねているだけの状態。

 “既得権益”という言葉が数回出てくるのだけど、これはキーワードだと思う。政治家はもちろん国民すべてが、既得権を手放しても構わない、と思わないときっとこの国は変わらない。(今も選挙の名簿方式を変える変えないでごちゃごちゃやってるけど、それは“より良い政治のため”じゃなくて、今自分が持っている利権を失いたくないってだけだ。)
 よく“痛みを伴った改革を”と聞くが、どこが痛んだんだか、まあまあって丸く収まっちゃって何も変わってない、ってこと多いでしょう?国だけじゃなくて、会社でもそうでしょう。

 村上龍が未来への希望のかけらとして示したのは、「既得権に拘らない」「自治体としての自立」「メンタリティを変える」この3点だと思う。「メンタリティを変える」というのはこういうことだ。
 ASUNAROは北海道の次に沖縄への移住を計画する。何故北海道と沖縄なのか。北海道や沖縄の人たちに何か特別なものがあるのか。主要人物である中村君はこう言う。
「逆で、普通の日本人が欠如しているんじゃないかと思うようになりました。それが何かうまく言えないんですが、要するに、上の人にペコペコして、下の人には威張る、というようなメンタリティです。そういう醜いメンタリティをどういうわけか北海道と沖縄の人は持たずに済んでいるんです。」
 日本中がそうなれば、国としてかなりの良い変化があるんじゃないだろうか。
(そういう日本人の悪しきメンタリティについては、島田荘司の著書が秀逸なので、興味ある方は是非読んでみて。笠井潔との対談「日本型悪平等起源論」(光文社文庫)とか「龍臥亭事件」(講談社ノベルズ)なんかがおすすめです。「龍臥亭事件」は御手洗シリーズのミステリだけど、島田氏の日本人論がたっぷり楽しめます。)

 しかし、子供が自分たちで希望を作っていかなきゃならないなんて、ほんと大人は不甲斐ない。
 私自身、子供達に対して何ができるのか。何をするべきなのか。これといった答えはないんだろうけれども、考えて実践してかなきゃまずいだろう、という気持ちになった。

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紙の本

冒頭のエピソードに登場する中学生たちのカリスマとなる少年は「タリバン」の地に住んでいる。社会問題と添い寝する村上龍に「あんた、もっと子どもたちが素敵だなと思うような大人でいてくれよ」と刺された気分。

2001/10/03 16:45

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る

「なるべく外さないように手ごたえのありそうな本を選んで読もう、限りある命なんだから」という思いが最近強くなってきている。息抜きを挟みながらも、ずしんとくる本を嗅ぎ分けているつもりだが、この本の響き方は尋常なものでなかった。
 大事な本だと思う。『朗読者』並みに売れたのだろうか。

 この本について人と話そうとするなら、小説におけるリアリティや「希望」とは何かを相互確認しておかないとややこしそう。

 リアリティという意味においては、これは荒唐無稽な物語だとひとまずは言ってみていい。
 タリバンの主体となっているパシュトゥーンの暮らす地で、現地の人びとに溶け込みながら地雷除去に従事する日本人少年。彼をカリスマと仰いでインターネットで連絡を取り合いながら全国規模の集団不登校に走る中学生たち。情報とコミュニケーションの価値を知り尽くした中学生たちが起ち上げるグローバルなビジネス。それが金融危機から日本を救うことになり、やがて独自の貨幣をもつ自治体を築くまでに展開していく。
 壮大なスケールの架空のお話である。

 ピラミッド型の組織とは異なる(許認可制度もないメディアであり、アメーバのようなインターネット社会になぞらえることもできる)中学生たちの集団ASUNAROの動向に吸い寄せられて興奮させられる。
 社会が混乱したり腐敗すれば、小説家にこれだけのものを書かせる起爆装置となり得るのか。作家の想像力とはこれほどまでに豊饒なものなのかという驚きがそこにはある。

 しかし、こんなくだりに打たれた。
「根拠のない資産を持っている無知で無力な国からはそれを奪うというのが国際資本主義の鉄則だ」という台湾のテクノクラートの意見に対し、主人公である中年記者が、きっと防ぐ方法はないんだろうなと嘆息する。
「本土から追われた国民党のように、危機感を持ち、新しいビジョンを提示する大きな集団が日本に現われることだって」
 テクノクラートに直接インタビューしてきた同棲相手が、主人公に伝えるこの言葉こそが、村上龍が現在の日本から読み取った気分であろうし、彼の思いそのものなのかもしれない。少なくとも読み手である私にとっては間違いなくリアルであった。
「それがあればいいのだ」と思う。シミュレーションでも幻想的な物語であっても、貫くものが私の生きる日々にリンクしていれば、それが私にとってのリアリティなのだ。
 それを感じ取ることが先ず大切だし、感じ取ったあとで、自分の心に宿るささやかな「希望」をもっと外に出し人に作用させていくことが大切なんだと認識することができた。

「希望」の形は人それぞれかと思う。野心や野望の類いかもしれないし、鉢の中で結ばれた小さなつぼみの明日かもしれない。
 アニメのハム太郎の番組の終わりではないが、「今日はとっても楽しかったね。明日はきっともっと楽しいことがあるよ」と実感をもって子どもや大人に語れる人でありたいと望む。 
 ここではシュールに貨幣経済の解体までは論じられていないけれど、それに拘泥されない価値を見つけることも急務かと思う。

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紙の本

何でもできる、でも、何も具体的なことはできない子どもたち。

2003/03/24 12:21

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投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本もとにかくお薦め。
 集団不登校、金融問題、インターネットの世界、こういったことがキーワードになるかな。とくに教育の世界では、集団不登校の文脈で取り上げられたんじゃないかしら?
 また、この国には、希望だけがない、ということだとか。

 それぞれのテーマも、十分面白いのだけれど、私自身が一番印象に残っているのは、ここに登場する中学生たちの危うさ。
 彼らは、何百万という金を動かし、国会にも登場する。彼らにできないことはない。
 しかしその一方で、何も具体的なことはできない子どもたち。

 何でもできないことはない、しかし、何も具体的にはできないという危うさ。そのことが強く印象に残っている。
 そして、このような像は、今の子どもたちにも当然重なってくる。

 それでも、関口は自分の子どもに「あすな」と名づけたように、私自身も、彼らのような存在に憧れを感じる。何でもできるということだけじゃなくて、何か、さわやかな、人をひきつけるような魅力を感じる。それは、何なのだろう?

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