紙の本
メディアから子供を守る。
2001/05/28 15:10
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投稿者:スゲチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「メディアリテラシー」とは、メディアの発する情報を鵜呑みにするのではなく、批判的な目で見ることである。著者は、そのための教育の必要性を訴えている。多メディア化が進み、情報が氾濫する時代には、「いかに情報を収集し」「その情報を分析し」「その真偽を判別できるのか」という能力が必要とされる。本書は、米国の事例を中心に、著者自らが体験した報告をもとに、わが国への方向性を示唆している。教育関係者やマスコミ関係者のみならず、メディアを専攻とする大学生などにもお勧めの一冊である。
紙の本
メディアを理解せずに、現代の政治・社会・文化を真に理解することはできない。
2003/04/04 13:05
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投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いま、日本の教育に欠けているものは、何だろう。その大きなものの一つが、メディア・リテラシーである。
メディア・リテラシーとは、「メディアが形作る『現実』を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力のことである」。
「機器の操作能力に限らず、メディアの特性や社会的な意味を理解し、メディアが送り出す情報を『構成されたもの』として建設的に批判するとともに、自らの考えなどをメディアを使って表現し、社会に向けて効果的にコミュニケーションをはかることでメディア社会と積極的に付き合うための総合的能力を指す」。
メディアの情報がすべて真実だとはいえない。なぜって? ニュース映像なら、撮影した絵と伝えたいコメントは、TV番組の決められた尺内で編集される。極言するならば、編集するスタンスで、まったく異なるニュースに仕上げるのも可能だからだ。
かといってやみくもになんでも批判的なスタンスからメディアが発信する情報に信憑性があるのかといえば、それは表現方法が異なるだけであって、ほんとのところは、そんなに大差がない場合が多いように思える。
よく考えてみよう。朝のワイドショーが興味本位の、覗き見主義、下世話でデタラメで、報道番組が高尚で真実を伝えているとは断言できないはずだ。
本書は、アメリカ、イギリス、カナダなど世界各国のメディアリテラシーの教育現場を取材し、紹介している。たとえばカナダのハイスクールでは、「番組制作を通してメディアに対する理解を深める」ために、実際に生徒たちが生放送のニュース番組作りに挑戦しているという。メディアを理解せずに、現代の政治・社会・文化を真に理解することはできないのだ。
お題目のように、「IT」や「パソコンが使えないと…」などと言われているが、それは単なる方法論であって、根幹をなすべきものについては、さほど言明されていないような気がする。作者はこれからは、マルチメディア・リテラシーの重要性を挙げながら結びの言葉としている。メディア・リテラシーが幼少年期のカリキュラムにきちんと組み込まれていれば、オウム真理教のような事件は起こらなかったと考えるのは早計だろうか。
紙の本
メディア・リテラシーの必要性
2001/02/18 13:16
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投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、おもしろい。メディア・リテラシー教育の進んでいるイギリス、カナダ、そしてそれに続くアメリカのレポートが中心。このレポートを読むと、メディア・リテラシーの教育の必要性、及びその困難さがよくわかる。なぜ、メディア・リテラシーが必要なのか。
そもそも、テレビや新聞、すなわちメディアが流しているニュースや情報は、事実をそのまま写し出しているのではない。当然、さまざまな要因が複合的に絡まり、事実を再構成して届けているのだ。そうしたメディアの裏側を研究、分析することで、メディアから送られてくる情報を批判的に受け止められるようにする。それが、メディア・リテラシー(メディアの読み書き能力)の教育ということだろう。イギリスでは、これが国語の時間に行われる。現代は、インターネットに象徴されるように、情報は文字だけで送られてくるのではない。文字だけでなく、映像も含めてその読み書き能力を教育しなくてはならないのだろう。これまで、いかに自分が文字を中心に考えていたか少し反省した。
メディア・リテラシーの教育では、生徒自身がメディアを分析するらしい。それは、教師のほうが一方的な内容を教えないようにするためである。
近年、日本の大学でも映画を講義に取り入れ始めたが、せいぜい映画史の紹介であったり、映画を使って外国の文化を学ぶとか言う程度に過ぎない。映画をはじめ、メディアを分析するということがまだほんの一部でしか行われていないのが現状だと思う。
メディアを批判的に見るということは、メディアが送る情報がすべてではないことを意識することだ。メディアが送る事実は、多様な事実の一部でしかないことを意識すべきなのだ。したがって、メディア批判はメディアがすべて悪だと決め付けることではない。そもそも、それも一部の事実で判断しているにすぎないのだから。せっかくメディアを批判的に見る教育を受けても、たとえば、広告を批判する番組をそのまま鵜呑みにすることはできない。批判番組ですら批判的に見なければならないのだ。
メディアに関する教育は、もっと日本でも行われてもいいと思う。情報を分析する技術は、身に付けておいて損はしないと私は思う。(この書評も批判的に受け止めてほしい…)
紙の本
2000/10/22朝刊
2000/11/10 21:15
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投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
マスメディアは社会に多大な影響を及ぼす。インターネットの時代を迎え、ますますその傾向が強まる。メディアが提供する情報を批判的に読み解くのが、メディア・リテラシーだ。
米国、カナダ、英国の初等中等教育の現場で今、メディア・リテラシーにどんな取り組みが行われているのかをルポした。メディアを監視する非営利組織(NPO)や、市民のメディア・リテラシーを支援するテレビ局なども紹介している。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000
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副題「世界の現場から」の通り、アメリカ・イギリス・カナダの教育現場におけるメディア・リテラシーの教育方法や、市民団体によるメディアウォッチ活動など、取材結果が報告されている。客観的な視点で現場の状況が語られているので、メディア・リテラシー教育を受けたことのない自分にはとても参考になった。
メディア・リテラシーとは、本書によれば「メディアが送り出す情報を単に受容するのではなく、意図を持って構成されてものとして、積極的に読み解く力」のことである。情報氾濫、多メディア化、また報道側の手法が洗練されていく現代において、受け手側のメディア・リテラシーは本当に大切だと思う。その意味は、単に「メディアを疑う」ことではなく、「情報の意味を積極的に読み解く」ことであり、またそれらを「自分で判断」し「自分の意見を述べる」ことである。むしろそれは一種のコミュニケーション能力なのだと思った。
メディア・リテラシー、きちんと身につけなくてはいけないな、と思う。
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メディアリテラシーとは情報を読み解くという能力。幼少からテレビの前に噛り付いてるような子供でテレビの情報がどのような意図で誰がどのようにいくらお金をかけて自分に届けられているんだろう?と常からから考えていたのが読むきっかけになりました。日本ではメディア教育は発展途上の為、カナダ、アメリカ、イギリスでのメディア教育現場からのレポートになっています。今後日本でメディア教育がされるときの良い判断材料になるんではないかと思います。
文章を読み取り、文章で説明することは想像できるんですが、3分の動画コンテンツを文章で全て書き出せということになるとどれだけの情報量になるのかというエピソードは考えさせられました。あと情報を読み解く基本は5W1Hが役に立つということ。この本もまた、メディアの一つで、判断基準の一つでしかないようです。
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メディアリテラシーの解説かと思いきや、どう教育に取り入れられているかという本。これはこれで重要だし日本にはないものなので面白い。
けど、タイトルには「教育現場」とでも入れたほうがよさげ。
(T)
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海外でのメディアリテラシー教育の実践例を解説した本。
読めばメディアリテラシー教育の必要性を強く感じる。
メディアリテラシー入門書。
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あるあるを例に挙げるまでもなく、日本人のメディアリテラシースキルは低い。子供たちにメディアリテラシーを世界ではどのように教えているかをレポートした良作。学校関係者は是非一読を。
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自作自演との言葉があるが、メディアから大量に垂れ流される、そして一過性の新奇さを求めているような報道から自由でいるには、現代は困難な時代です。
そんな肥大したメディアの時代の必需品が、メディアリテラシーです。
メディアリテラシーは、「免疫力」にもなり、「善用」にも効果がある。
高等学校における「必修科目未履修問題」の際に、世界史と情報が大学受験との関係で取りざたされたが、学校においてはメディアリテラシー教育が始まっている。
本書は、手際よく学校から離れた社会人に、メディアリテラシーの基本的な考え方を世界の現場を紹介しながら、容易な理解に導きます。
単なるメディア悪者論ではないバランスのとれた一冊です。
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高2かな?倫理の課題で読みました。外国、特に他の先進国と比べ、日本のメディア教育の遅れを痛感。
日本も義務教育である中学の授業で取り入れる必要があると思う。メディア・リテラシーを身に付ければ、勉強が出来るできないとかじゃなくて、もっと賢くなれるんじゃないかなー。
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アメリカ、カナダなどの教育現場から、多様なメディアからの様々な情報を正しく評価するためのメディアリテラシー教育を紹介する。
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●未読◎◎◎
人生の大半をメディアとともに過ごすとされる現代生活.報道の客観性や公正さ,暴力表現の影響などが議論になっている今,メディアのあり方を具体的に解読していくことの意味と可能性とは何か.各国で広がっている実践を丹念に取材し,教室での工夫や反応,メディアを監視する市民団体の活動などを報告,情報社会の今後を考える.
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この『メディア・リテラシー』は、アメリカ、カナダ及びイギリスにおけるメディア教育現場の取材を通して、それらの国におけるメディアの地位とその評価を明らかにしている本です。事例紹介のほか、それぞれ当事者の発言をもって「メディアの特性・危険性」や「その真意(企み)を読み解く必要性・方策」を提言しているように思えます。「思えます」と書くのは、おそらく著者の意図するところなのでしょうが、本作を読む限り、著者のポリシーが明確には伝わってこないのです。お題がお題だけに、そのスタンスは正解なのかも知れません。
本作は書名が示すように「メディア」を扱っていますが、そもそも「メディア」の定義は曖昧であり、この作品を読んで得られる視点は、「メディア」という語義にとらわれることなく、人間界のすべての物事に敷衍することができるのではないでしょうか。
テレビもラジオも雑誌も新聞もチラシも、ネットも写真も、手紙もなにもかも。昨日電話で話した友だちの発言にでさえも。
何にだって、そこには「意志」があるはず。「目的」と言い換えてもいいでしょう。「企て」と言ってもいいかも知れません。
そして、一般的に言ってわたくしたちは、そういう事実を忘れ(或いは最初から無知で)、日常の中で二重三重構造の情報を浴びながら、うまく情報発信者の意図に沿う人形になりかけているのです。これが本作で提示されている問題です。
このような事実に初めて遭遇する人たちの多くは、(操られるのと同じように)これまた本能的に拒絶反応を起こします。気づかぬうちにコントロールされているという事実は、誰にとっても愉快なものではありません。拒絶反応が大きすぎる場合、「このままでは無意識のうちに人間性を去勢される!社会全体に蔓延れば、気づかぬうちに戦争にかり出される!」というところまで発展させる人もいます(実際、mixi内でのレビューにそういう意見がありました)。
わからなくはありませんが、しかし、「メディアに流されない自分」の行き着く先は、どこなのでしょうか。つまり「メディア・リテラシー」という能力を鍛える目的は何なのか、ということです。わたくしはまだ、そこがわかりません。
人間社会のあらゆるものの裏に潜む「意志(目的・企み)」を読み解く能力をつけることは簡単です。ちょっとした教育を施せば、みんながみんな習得することができるでしょう。では、みんながみんなその能力を備えた社会というのは、どんなものになるのでしょうか。
どうですか。
想像できましたか。
すべての人があらゆるものの真意を読み取ることができたとして、どういう人間関係が築かれるのでしょうか。どういう社会ができあがるのでしょうか。そもそも社会というものが成り立つのでしょうか。
極端なところに行ってしまいました。
わたくしが言いたいのは、「メディア・リテラシー」というものを取り扱うには、そこにも「目的」が必要だということです。「目的」がはっきりしていれば、「どこまで操られてもいいか」という線引きもできるでしょう。
本作には、��ヶ国のメディア教育の現場において、それぞれ何を目的としているかについても紹介されています。著者は明言を避けつつも、各種あったはずの様々な「目的に関する意見」の中から或る特定の意見を採り上げています。教育を行う場合は、その立場に応じて目的が変わることになるのでしょうし、逆を言えば、メディア・コントロールに対する拒絶反応の種類(幅と深さ)はその人の立場(視点の高低)を表していると言えるのではないでしょうか。
その意味においての、著者の立場(視点)がどこであるかわかりませんが、「メディア・リテラシー」の必要性に関する説明はうまくまとめてあると思います。
『新しく登場したテクノロジーを前に、私たちは今、みずからの手でメディア社会を主体的にデザインしていくことができるエキサイティングな時代に立ち会っている。それが、どのようなものになるのか、筋力を鍛え建設的な思考能力を持つ、メディア・リテラシーを身につけた人間の存在にかかっているのではないだろうか』
どの立場(視点)であれ重要なのは「建設的な思考能力」。単なるヒステリーに陥ってはいけません。
本作を通して、「社会」というシステムがどうやって構築されるのかということと、心理学について学ぶ必要性を感じました。それらへの理解が浅いままでは、「真意を読み取る」ことの意義をはっきりさせることはできないと思います。
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100813 by朝日夕刊
公正と正確の観点、watch dog 「フェア」
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ⅰ ニュースは現実を真っ直ぐすべて伝えているか
ⅴ-ⅵ メディアリテラシー
009 メディアリテラシー
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