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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2000.10
- 出版社: 幻冬舎
- サイズ:20cm/302p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-344-00035-8
紙の本
アンテナ
著者 田口 ランディ (著)
15年前、妹はなぜ忽然と消えたのか? 父は死に、母は宗教にのめり込み、弟は発狂した。そして僕はSMの女王ナオミと出会い、封印してきた性欲が決壊し、急速に何かが変容し始めて...
アンテナ
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商品説明
15年前、妹はなぜ忽然と消えたのか? 父は死に、母は宗教にのめり込み、弟は発狂した。そして僕はSMの女王ナオミと出会い、封印してきた性欲が決壊し、急速に何かが変容し始めていた…。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
田口 ランディ
- 略歴
- 〈田口ランディ〉東京生まれ。広告代理店、編集プロダクションを経て、ネットコラムニストとして注目される。現在、インターネット上で6万人以上の読者を持つコラムマガジンを配信中。
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紙の本
興奮しつつ一気に読んでしまった。
2000/11/03 05:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:永江朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『アンテナ』は『コンセント』に続く田口ランディの長編第2作だ。といっても、『コンセント』の続編というわけではない。途中、作中人物によって『コンセント』に言及されることはあるが、登場人物も設定もまったく違う別の話となっている。
前作の『コンセント』は英語でいうソケット、電源プラグを入れるあのコンセントからとられたタイトルだった。挿入する、つながる、パワーを供給するなど、さまざまな意味が込められていた。それに対して『アンテナ』はもっと直接的だ。電波をキャッチするあのアンテナである。電波といえば、電波系、あるいは精神分裂症患者がよく訴える妄想を連想せずにはいられない。
『コンセント』が「引きこもり」を題材としていたのと同様、『アンテナ』も社会的な事件や病いを扱っている。主人公の青年には自傷癖がある。その描写は目を背けたくなるほど陰惨だ。しかも、彼は幼いとき、妹が忽然と姿を消すという事件に遭っている。事件後15年も経つというのに、妹の行方はいまだに知れない。弟は精神を病み、入院している。なんという病気なのか、医者ははっきりとした診断を下さない。父親は死に、母親は新興宗教に凝っている。
コラムニストとしての田口が、長年関心をもってきたことが、ここに凝縮されている。たしかに悲惨な家庭ではあるが、決して誇張された現実ではない。よく考えると、私たちの身近にあることなのだ。自傷癖のある友人がいたり、新興宗教に夢中になる親戚がいたり。まるで神隠しのような失踪事件はテレビでもたびたび報道されている。その意味で『アンテナ』は『コンセント』と同じく、私たち自身の小説でもある。
だからこそ、この現代人の病いが集中したような環境のなかで、主人公の青年をどう動かそうというのか、田口ランディの読者としてはそこにもっとも興味をひかれる。田口が用いるのは身体だ。もっとあけすけにいってしまえばセックス、それもアブノーマルなSMにその突破口を見いだす。具体的には『アンテナ』をぜひ読んでいただきたいが、なるほどなあ、と感心し、感動する。
こう言っちゃなんだが、私はこれまで少なからぬSMの現場を取材してきたし、SM関係者の話も聞いてきた。田口がこの小説で見せたことは、その体験と照らし合わせても非常に納得のいくものだし、私が取材の過程で気がつかなかったこともこの小説にはたくさんある。
『アンテナ』は怖い小説でもある。特に失踪した妹と精神を病む弟の関係が怖い。ふたりの影が重なり合い、やがて失踪の真相に迫っていく後半では、田口はついに触れてはいけないタブーの領域に踏み込んだ感がある。
興奮しつつ『アンテナ』を一気に読んでしまったいま、3部作完結編となる『モザイク』の登場が待ち遠しい。
(永江 朗/bk1ブックナビゲーター)
紙の本
私はヘンじゃない
2000/12/17 00:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:イツ花 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私はヘンなのではなく、新しかったんだ。
ランディさん、凄いですね。
すべての人間関係はSMで説明できます。
「知る」ために欠かせないものは
『素直な心(無心とも言えます)』『食べること』『エクスタシーの追求』
だと思っています。
私は嬉しいです。ありがとう、ランディさん。
そう言いたかっただけです。
紙の本
田口ランディは「本物」だった。
2000/11/22 14:21
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投稿者:シジミちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
兄の死という実体験を元に綴られた『コンセント』。それと比較しても第2弾『アンテナ』の、落ちることないその筆致には恐れ入るものがある。『コンセント』を読んだとき、思ったものだ。この小説が肉親の死、しかも餓死という状況を見つめ続けた結果として生まれたもなら、この迫力にも納得がいくと。しかし今度の『アンテナ』は実体験ではなく、それが証拠に主人公は男だ。なのにそのダイナミズムは、まったく変らなかった。それどころかより生き生きと、より文体に磨きがかかって描かれている。やはりこの人は作家として本物なのだと思った。一作限りではない、小説家としての器を持っている。
『アンテナ』にはSMや自傷行為、自慰行為、新興宗教、自殺、霊体験など、人間の内面に迫った後ろ暗いキーワードが多々現れる。しかしそれらを内包した結果、読者の手ごたえとして残るのは、生命の偉大なまでの存在感だった。文章で語り尽くした後に注ぎ込まれる、宇宙の力。タブーとされがちな暗い人間の側面が寄せ集まっているにもかかわらず、そこには聖も穢れもなく、美も醜もない。すべてが厳かな、森羅万象のそのものとして表現されていた。
紙の本
社会問題とからめた小説
2002/07/27 13:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はづき - この投稿者のレビュー一覧を見る
『コンセント』に続く田口ランディ小説第2弾!!またしてもやられた!!って感じです。なんか奥が深過ぎます。ところどころに出てくる社会問題がまた読者の興味をそそっているって思う。例えば、この本に描かれている幼女誘拐監禁事件。9年間も監禁されていた少女のことがフセンとして出て来ています。
物語りの主人公、裕一郎は8歳のこと6歳の妹を突然無くしている。「亡くして」ではないのは、死んだとは言い切れないからだ。いつもと変わらない夜。隣の布団で一緒に寝ていたはずの妹が、朝になったら突然消えていた。そう、跡形もなく、突然に。誘拐されたという形跡もなく、警察や多くのメディアの捜査にも関わらず、結局妹は見つからなかった。妹は神隠しにあったとされ、15年たった今でも謎のままである。そして、この事件をきっかけに確実に裕一郎の家族は崩壊を見せていくのであった。住み込みの労働者が死に、父も死に、母は宗教にのめり込んで狂ってしまった。そして、弟もまた狂い、病院に収容されてしまった。残された自分もまた、妹の亡霊を抱えてずっと生きてきた。平静を保つのも最近限界を感じる。そんな時に出会ったのがSMの女王ナオミである。彼女は相手の妄想に感応し、相手の抑制されてきた心を解き放つ能力がある。裕一郎は彼女にどんどんのめり込んでいってしまう。次第に変容していく自分に裕一郎はとまどうが…!?
う〜ん。あらすじを書いてるだけでも長々と訳が分からんくなってしまうなあ。でも、本当に面白い話だと思いました。SMによってどんどん救われていく主人公が最後には他人を圧倒するほどの強い男になっているのも良い。最初は消えそうなのび太くんだったのに。
紙の本
さらに次作も読みたくさせる。
2001/06/05 22:43
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投稿者:どしどし - この投稿者のレビュー一覧を見る
今回は主人公は男で、15年前に妹が突如いなくなる(その夜も隣に寝ていたはずなのに朝には消えていた)という出来事があり、そのことによって家族が大きく影響を受けていた。
現実と夢と妄想の描写が混在して、現実が次第に溶けていくような感触があった。
ラストはずいぶんすっきりした感じの決着だった。個人的には前作の方が好きです。
紙の本
人は苦しみから抜け出すために理性をかなぐり捨てなければならないときがある
2001/08/09 23:47
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nory - この投稿者のレビュー一覧を見る
十五年前に忽然と妹が消えたという事件によって家族は崩壊してしまった。長男、祐一郎は自傷を繰り返し、事件後に生まれた弟は自分が消えた真利江だと思い込み、母は新興宗教にのめり込む。バラバラに砕けてしまった破片をつなぎ合わせることはできるのか。
祐一郎はSM女王のナオミに封印を解かれ、感情の流れをせき止めていた壁を破壊し、新しい力を身につけていく。
人はときとして、苦しみから抜け出すために理性をかなぐり捨てなければならないときがある。頭の中で考えられるのは実はとても狭い世界で、言葉にできるのは単純なことでしかない。そこで行ったり来たりしていても、何も変わりはしない。言葉にできないことにこそ複雑で深遠な世界が隠れている。
では、その世界とどうしたらつながることができるのだろう。ドラえもんがポケットから簡単に道具を取り出してくれることはない。しかし、もしそれを使ってつながることができて問題を解決できたとしても、そこから先に行けるかどうかはわからない。自分の力を使わず、何の実感もないまま過去として処理してしまうことができるのだろうか。
ここにひとつのケースがある。
体をアンテナとして使うこと。危険を恐れず、受信するエネルギーと共振すること。固まっていてはできない。バイブレーションを感じ、意識を広げ、見えてくる世界に乗り込んでいく。そうすれば突き抜けたパワーが湧き出してくる。大きなうねりが生じ、物事が流れ始める。
もしもそれが悪い方に流れていったとしても、よどんで停滞していることとどちらがいいのかはわからない。結果は流れてみなければわからない。ただ、こういうときの直感は、動物の生存本能のように自分を守ってくれるものだと私は信じている。
紙の本
コンセントに続く不思議な話です!
2002/07/29 09:28
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投稿者:奈良より - この投稿者のレビュー一覧を見る
15年前に忽然と消えた主人公の2歳違いの妹真利江が弟の祐弥を通して
出現しているような描写はオカルトのようで怖い気がした。
また両親の真利江に対する対照的な行動。
父は真利江が消えて8年後家族を集めて「二度とこの家の中で真利江の話は
するな」と言った年の暮れにあっけなく死んだ。
これを自らの死で「真利江ほ封印した」と表現している。
一方、母は「自分を失わないため」にさらに宗教にのめり込んだ。
主人公は取材でSM女王の「ナオミ」と関わったことがきっかけで祐弥と
同じように「錯乱」しやがて「美紀」や「ナオミ」とのセックスを通じて
「アンテナ」、すなわち「目に見えないものを、別の目で見る」ための「触覚」
がとぎすまされていく。
そして祐弥によって「真利江はこの桜の木の下で死んだ」ことを知るのであるが
主人公が幻想の世界で真利江を殺したのは、真利江が主人公の「アンテナ」
を通じて自らが殺された時の状況を示して死んだことをわからせて供養して
もらいたかったのであろう。
激しい性描写と目に見えないオカルトの世界が融合した不思議な物語だと思う。
紙の本
家族小説・切断と接続の物語
2001/01/20 22:38
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品は紛れもない「家族小説」の傑作だ。あるいは、男が男になる「切断」の物語。傷ついた触覚(皮膚)をめぐる「接続」=快復の物語。
家族小説としての『アンテナ』。──父(男)と母(女)と子の三位一体。セックス(生殖)と成長(性徴)と弔いの物語。「シ」が父を現し、切断を意味する。母を現すのは「チ」で、これは接続を意味している。知(チと読むが、動詞形ではシる)と血、死と地、哲学(言語的妄想)と心理学(物質的妄想)。それでは第三の音、子を現す音は何なのだろう。(「キ」? それとも「ヒ」か「ガ」?)
切断の物語としての『アンテナ』。──「じゃあ、僕も兄さんの夢なんだね」。夢=妄想(リアリティのある妄想、というよりリアリティそのものとしての妄想)=パーフェクト・ワールド=金魚鉢=家族的無意識の切断、少女の殺戮、そして大海原=世界への帰還。「僕は女性性を取り戻した。だから女性が何をしてほしいのかが手に取るようにわかった」。
接続の物語としての『アンテナ』。──アンテナ=触角が媒介するもの、声と映像(フラッシュバック)。「声だ、ナオミの声は触覚を刺激する。声が僕に一つになろうと誘惑する」。他者のためのメディア(他者を映す鏡)としての顔。「カガミからガを抜くと、カミになる……」。そして、皮膚(襞)。冷たい手をもった二人の登場人物、祐弥の主治医とナオミ。「もしかしたらこの世界は同じ物質で作られているのじゃないか」。
ところで、本書を読みながら村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』をしきりと連想したのはなぜだろう。それはたとえば、本書に出てくる「コンセント」と名乗る女性(セックスによって他者を癒す女性)やナオミ(シャーマンと呼ばれる女王様)の存在が、加納クレタ──加納マルタの妹で、幼少の頃からあらゆる「痛み」に取りつかれ、肉と精神を分離する方法を学び「僕」と夢の中で交わる「意識の娼婦」、そして最後に「僕」と肉体的に交わることによってその名前を失う──を想起させたからだろうか。
あるいは祐弥のヘッドホンの中で、そしてナオミの部屋で響いていた(シャーマンならぬ)シューマン。ロラン・バルトが「狂者の痛み」を聞き取ったシューマン。そして『森の情景』第七曲「予言する鳥」の作曲者シューマンの残響なのだろうか。
ところで、ミシェル・シュネデールが『シューマン 黄昏のアリア』(千葉文夫訳)で、苦しみ(souffrance)と痛み(douleur)の違いをめぐって書いた文章──たとえば「痛みは自己の忘却にほかならない」「苦しみには快感が隠れている」「痛みのなかには虚無がある」等々──は、『アンテナ』の世界について何か告知していたのだろうか。
紙の本
前作よりも、さらに「粘っこく」なっている感じ
2000/11/08 13:11
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投稿者:FAT - この投稿者のレビュー一覧を見る
またも、「やられてしまった」という感じ。同じ作者の「コンセント」の時もそうだったのだが、夜中に読み始め、結局、朝までに一気に読み通してしまった。とにかく、田口氏の物語の運びが上手いということに尽きる。
さて、「引きこもり」がテーマであった前作に対し、本作では「自傷行為」がテーマということになるのであろうか。前作の場合、主人公とその兄の精神世界の両方の解明が進められていく感じであったが、本作では、妹の探索というプロットを採りつつも、その実、主人公・裕一朗自身によって、「自傷行為」の原因である「桎梏」が解放されていく展開が軸足となっている。その為、前作よりも、精神世界の救済の様が、より濃密にというか、「粘っこく」描かれていると言えるだろう。人間の精神世界の粘っこさが、皮膚感覚として、わき上がってくる感じがする。
さて、次回作では、どの様な精神世界の「ドロドロ」を描いて見せてくれるのだろうか。期待して待つことにしよう。