紙の本
懷疑主義のすゝめ−憂國の士カール・セーガン
2004/03/13 23:13
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:吉田松陰 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「暗闇を照す一本の蝋燭」と題する拙レビューは、システムの設定に依るのだらう、上下卷に依らず表示されるやうであるが、上卷に對して書かれ投稿されたものである。本レビューは下卷を讀んで書いた。
ガードナー「奇妙な論理」、シャーマー「何故人はニセ科學を信じるのか」は世に蔓延る僞科學の化けの皮を剥がすと云ふ、云はば「例題」が主であつたが、本書は科學の啓蒙が主目的である。
中で尤もページ數を割いてゐるのが科學教育の重要性だ。或る調査に依れば亞米利加成人の半數が地球が太陽の周りを囘つてゐる事を知らなかつたと云ふ。此れは教育の遲れとともに、キリスト教的世界觀がもたらした誤謬であらう。面白い事に支那人の半數も矢張り地球が太陽の周りを囘つてゐる事を知らないと云ふ。基督教と共産主義と云ふ相反する教條が同じ陷穽に嵌つてゐると云ふわけである。
セーガンは亞米利加の科學教育の衰頽を訴へる際に、日本人の學力の高さを引き合ひに出してゐるが、本書が世に出てから既に十年、日本人の學力低下も汎く認知されるところと成つた。「ゆとり教育」は國を亡ぼすと警鐘を鳴らす識者も多い。十年前、セーガンは亞米利加人に對して本書を上梓したが、十年後の現在、日本人が本書から得られるものは少なくない。
とは云へ、カール・セーガンもまた過ちを犯すのである。セーガン自身認めてゐる過もあるし、氣附いてゐない過もある。「日本では、第二次世界大戰へとつながる一連の事件に就いて、日本の殘虐行爲を出來るだけ小さく見せかけ、すべては東亞細亞を歐羅巴と亞米利加の植民地主義から開放するためにやつた事だとする歴史が書かれてゐる」。此れは戰中に行はれた戰時宣傳である。現在の歴史教科書では侵掠と記述されてゐるし、公平に見ても日本が亞細亞に兵を進めたのは自國防衞のためであつて、亞細亞解放は、長期的にはともかく、短期的には副次的なものであつた。第一、日本には當時、其れほどの國力はなかつたし、指導層も其の事は知つてゐた。
セーガンは民族主義・ナショナリズムにも矛先を向けるが、本書を讀む限り、セーガンの亞米利加民主主義への信奉へも懷疑の目が向けられるべきであると感じる。詰るところ、現代最高の科學者と云へども宗教やナショナリズムの呪縛から逃れる事は出來てゐないのではないか。
紙の本
本物と偽物の見分け方
2002/02/14 17:41
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mypenlai - この投稿者のレビュー一覧を見る
科学者は少しでも真実に近づきたい、という切実な願いをもって研究に臨みながら、より正しい結果を得るために自己批判的な姿勢を持ち続けなければならない。このような姿勢は科学者だけに課せられたものなのだろうか?
そうではなく、一般の人…国や職種の如何に関わらず、全ての人々に必要なものなのだ。そうでなければ、世の中にあふれる誤った情報にいつまでも振り回され続けることになるのだろう。もし、騙されることに甘んじたくないと思うならば、一見、簡単ではないような方法…科学的懐疑をもって検証を怠らないよう注意するべきだろう。
人々は不思議なものや未知な物事に対して、安直な答えに満足することも可能だ。けれど、それは本当に幸せなことなのだろうか? 人間というものは常に誤りを犯す可能性をはらんだ存在であり、不完全である。だからこそ科学的懐疑を身につけることが必要だ、とカール・セーガンは説いている。
UFOや超能力にまつわるエピソードだけでなく、こうすれば必ず痩せられる! とか、この方法で確実に儲けられる、など。怪しげな話、まがいものは身の回りにたくさんあふれている。魅力的な話に飛びつくのは簡単だけど、それが本物か偽物なのかを見分けるだけの眼を持っているだろうか。そんなことを考えさせられる一冊。
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下巻ではトンデモ科学や宗教的偏見などに対しての批判が繰り広げられる。世界を記述する言語としては、科学は万全では無いまでも、最も普遍的妥当性を持つものであるのは間違いがない。宗教やイデオロギー以前に科学的教育が成される必要がある。宗教などはその後で、自己判断が出来るようになってからでいい。
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そして下巻。
塾講師、という仕事をしているせいもあって、16章の「科学者が罪を知るとき」。21章の「自由への道」は、万感胸に迫るものがありました。
文字が読めるということ、学ぶということがどれだけ素晴らしいことなのか、知って、疑って、自分の頭で考えるということがどれくらい意義のあることなのか。そして、誰かの考えをうのみにしてしまうことが、どれくらい怖いことなのか、ということもあわせて。
……中学時代に読んでいたら、もっと変わった人生を送っていただろう、と思わせた一冊。とりあえず、見つけたら即購読をおすすめ。
原題は「暗闇を照らす一本のろうそく」というのですが、これがT・ホワイトの書いた「永遠の王」(アーサー王物語。ディズニーアニメ「王様の剣」の原作)のラストシーンとかぶってしまって、涙なしには読めませんでした。
これがセーガン博士の遺言、最期の執筆であっただけに、余計に……。
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上巻は宇宙人誘拐説といった具体例をたくさん扱っていたけど、下巻は科学の役割とか科学の楽しさとか科学教育とかいった科学全体に関する話が中心。そのため、社会に対して、あたかも“科学者代表”として科学の意義や楽しさを必死に訴えんとする著者の熱さや愚直さが伝わってくる。また、科学との関係で自由や民主主義の意義にまで語り及んでいる視野の広さには感心する。「科学者の良心」を感じるためには下巻も必読。
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似たような内容が繰り返し出てくるが、講義がもとだからしょうがない。
色々「え!そうなの!?」ってことが。
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一年の計は元旦にあり。2014年はこの本で開始。カールセーガン博士の科学者の責任に対する深い洞察とメッセージ。酒飲みながらの読書は至福の時間。
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世の中に流布する情報を疑ってみることの重要性。セーガンの言いたかったことは本当にこれに尽きる。
この本が科学だけでなく政治にもどんどん踏み込んで行くのは自然な流れだった。金儲けのため,権力維持のために事実がねじ曲げられる事例のいかに多いことか。
科学と民主主義。多くの犠牲を払って人類が歴史の中で見いだしてきた,権威や権力を疑い,異議申立をしていく大切なプロセスという点で両者はまさに双子のようなものだ。
しかしその真価を本当に理解する人は多くない。そのことをセーガンは痛切に憂えている。
科学者は概ねリベラルだけど,それはとても自然なことなんだよね。「自由な立場で物事を疑い,そして改善していく」という果てしない手続きに従事する者であるから。
出版から20年以上が経った今でも状況がさほど変わっていないことに軽い絶望を覚えるが,だからこそ読み継がれていくべき名著。
変わった状況としては一にも二にもインターネットだけど,この諸刃の剣をどう使いこなしていくかが課題だよな…と。
セーガンが言ってて印象に残ったのは,日本の科学について褒め称えてたとこ。アメリカよりも人口が少ないのに研究者は増えてるし成果も上がってるって論調で,アメリカの科学教育の体たらくに警鐘を鳴らしてた。
二十ウン年前はそうだったのか…!?
あと,小さい子供を一人で寝かす習慣を気にしてる様子なのが気になった。
欧米では普通らしいけど,日本は添い寝が多数ですよね。
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上巻以上に主観的な意見や考えが押し出されていたように思う
疑うことの重要性について一貫して説いている
後半は細君との共著でどちらかというとアメリカにおける政治のあり方が示されている
理想はわからなくもなく、読みやすく面白いが、やはりやや客観性に欠ける感があるように思われる
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科学は絶対ではないが、最善を導く手段である。科学的思考の根幹は批判的精神。示唆に富んでいて、とても勉強になる一冊。
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下巻p351-352「魔女狩りをよみがえらせる方法はいくつもある。自分の信念のみが唯一絶対に正しいのだと信じ込むこと。自分だけが善によって行動し、他の者は悪によって行動すると思うこと。神が語りかけているのはこの自分であって、信仰の異なる者には語りかけないと考えること。伝統的な教義に異議を唱えたり、鋭い疑問を発したりするのは邪悪なことだと思うこと。自分はひたすら信じ、言われたことさえしていればいいと考えること…。人がこうした信念の虜になっている限り、魔女狩りは様々に形を変えて、人類が存在する限り永久に繰り返されるだろう。」
#本 #読書 「人はなぜエセ科学に騙されるのか」カール・セーガン
謝辞中「アンのように、的確な助言を与えることができ、判断力に優れ、ユーモアのセンスを持ち、そして勇気ある展望の持てる人物が、同時に最愛の人物でもあってくれて、私は本当に幸運だった。」
翻訳は、青木薫さん。翻訳者あとがきもよいです。