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紙の本
フランスの詩人で作家のクノー氏による様々な登場人物が繰り広げるおかしな冒険小説です!
2020/08/07 09:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国の読者には『文体練習』や『聖グラングラン祭』、『人生の日曜日』などの作品で知られる20世紀の前半に活躍されたフランスの詩人で小説家のレーモン・クノ―氏の作品です。同書は、ロラン・バルト氏が「攻撃的なクノーの作品は、『文学』のおそるべき『成虫』を包み込んでいる」と言ったといわれる傑作です。内容は、オカマバーで踊り子をしている大男ガブリエル伯父さんに、時にはお巡り、時には名探偵に姿を変えるペドロ、見境なく恋に落ちるムアック未亡人など、ユーモア溢れる登場人物たちと、破壊力あふれる言葉たちが作り出す、おかしな冒険小説です。ぜひ、このクノー氏の代表作をお読みいただき、クノー氏の小説世界をお楽しみください。
紙の本
へんな登場人物がてんこもり
2019/02/08 11:24
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
パリに出てきたザジはストによって地下鉄が動かないという事実に愕然とします。彼女は地下鉄に乗るためにパリに出てきたというのに。登場人物はかわった人ばかり、まじめに読むのではなくてザジと一緒にパリを楽しんでみてはいかがでしょうか
紙の本
生意気なガキとへんな叔父さん叔母さんたちをめぐるドタバタ劇
2002/09/25 11:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:PX団 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書「地下鉄のザジ」は、ただユーモア小説というだけに見えつつ文学的にも色々意味があるらしい。まず、「不思議の国のアリス」のパロディーだということだ。そう、「地下鉄のザジ」とは地下にもぐれずに、現実世界で悶々とするザジちゃんの物語なのだ。ふたつめは、この小説が、ジャリの「超男性」やイタロ・カルヴィーノ、ミシェル・トゥルニエの数々の作品、コクトーの「大股びらき」の流れを汲んだ「寓話小説」に分類されるということ。単なるバカ小説ではなくきちんと構成された、何度読みかえしても、読者を飽きさせないハイテク小説なのである。もうひとつは、演劇の台本みたいにト書きをあちこちに挿入した実験小説でもあるということだ。
—— そんな(どんな?)クノー先生について。
レーモン・クノーは日本ではあまり知られていないが、フランスのシュルレアリスム史、シャンソン、特に酒場ムーラン・ルージュのことを書いた本にはわんさか出てくる。具体的にはヤスケン先生の「奇人・怪人伝」、カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」、ミシェル・アルノーの「ボリス・ヴィアン伝」など(いっぱいいっぱいでした)。
紙の本
ルイ・マル監督の映画化で有名。作家クノーは、言語遊戯的創作にこだわった文学者集団のリーダー。編集長ヤスケンのお気に入りであるブコウスキーも影響を受けたのでは?洒落たコメディーです。
2001/07/29 21:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本が出たのは1959年。ヨーロッパの人びとは第二次世界大戦の大きな傷跡に苦しみ、生きることの積極的な意味を見つけられず、インテリたちは実存的な憂鬱病に冒されていた。
裕福な家庭に生まれ制作費に事欠かなかったルイ・マル監督のデビュー作は『死刑台のエレベーター』−−優れたミステリーだけれど、その実存主義的な暗澹たる空気が伝わってくるようだ。
それから3年後に、彼は出版されてすぐの『地下鉄のザジ』を映画化する。
淀川長治さんが選ぶ1961年度の日本公開ベスト10で、「素晴らしい風船旅行」「処女の泉」「ウエスト・サイド物語」に次いで、ザジは第4位。チャップリンやマルクス兄弟と同じ、人情と生活に根ざしたドタバタ喜劇への評価は高い。ルイ・マルも、パリを元気に駆け回るザジなら、魅力あふれる映像が撮れると原作を読んで嬉々としたのだろう。
アンニュイを突き破ってくれるイキのいいスラップスティックを人びとは求めていたのだ。
母親が情夫とお楽しみのためという勝手な都合で、パリの伯父さんの元に2日間あずけられることになった15歳(たぶん)の田舎の少女ザジ。夢だったパリの地下鉄には、ストのため乗ることができない。
夜警と称し、実はホモの集まるナイトクラブでダンサーとして働く伯父さん、警官か痴漢かわからないトルースカイヨン、若い男を見ては大騒ぎの色情狂ムアック未亡人など、次々現われる都会に巣食う大人たち。
自分たちの欲望や都合のままに行動する彼らを相手に、ザジは「ケツ喰らえ!」という言葉を連発しては、パリの夜となく昼となく駆け回る。
作者のクノーにしろ、戦前はシュールレアリスム運動に参加していたこともあり、それまでの作品はどこか高踏的でとっつきにくいような前衛小説のたぐいだったらしい。
ジョルジュ・ペレックらと<ウリポ(潜在文学工房)>なる集団を率いて、言語遊戯的創作を試みていた。文壇の片隅に孤高の位置を確保していたという感じのもので、大衆へのアピールはなかった。
このザジが、フランス小説界の息苦しさをブレイクスルーし、フランス社会の息苦しさをブレイクスルーしたのだ。
この小説には、量は多くないけれど漫画の挿絵がついている。 吹き出しの中の文字は、話者によって書体が違っているという凝りよう。キャラクターのイメージに合わせてあるのだ、きっと…。
この絵から、ブコウスキーの小説を思い出した。文芸サイト編集長ヤスケンの紹介で近年ブレイクしたこの作家の翻訳本には、古きアメリカのコミック風のイラストがあしらわれたりして、いかにもな雰囲気である。
機関銃のような短い言葉の連発、その中身のナンセンスぶり、しかし小気味いいリズムの転がり方は、どこかザジを思わせる。
小粋なフランスのコメディーは、きっとアウトローのハードボイルドにも少なからず影響を与えたにちがいない。