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商品説明
エヴァンゲリオン、オウム、酒鬼薔薇…。波瀾と混迷に満ちた世紀末を気鋭の評論家は、どう見たか? 『別冊宝島』『論座』『諸君!』『文学界』などに発表された論文に大幅加筆。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
切通 理作
- 略歴
- 〈切通理作〉1964年東京生まれ。和光大学卒業。編集者を経て文筆業に。文化批評、エッセイを主に手がける。著書に「怪獣使いと少年」「おまえがセカイを殺したいなら」など。
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紙の本
それでもセカイで生きていきたいあなたへ
2001/04/19 16:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:津村 エミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
頭のあんまりよくない私がこのような本を読むと、つい自分も頭がよくなったような気になって、難しい単語なんか羅列してしまったりしてしまう。ハッキリ言って、この本に出てくる有名人(柳美里とか伊丹十三とか小林よしのりとか)はなんとかついていけたけれど、その分野では有名であろう評論家や作家などはぜんぜんわからなかった。しかもそれらが対象物を説明する比喩として出てきてしまった時には、参りましたと土下座するしかない。ただでさえ難解な内容なのに、比喩さえもわからなかったら、いったいどうやって理解していけばいいの!?とため息と一緒に本を閉じたくもなるが、そんな心配はご無用。むしろ不勉強な人にこそ読んでいただきたいと思う。それはなぜか?と考えてみると、どうも切通さんの対象物(人)との絶妙な距離感にあるようだ。本人もおっしゃっていた通り、彼は対象をきちんと分析しながらもけっこう感情移入型。文章の裏に彼の顔、「わからないもの」に少しでも近づきたいという純粋な気持ち、が見え隠れするからこそ、読者は信頼して読み進めていけるのかも。
♪ 明日がある 明日がある 明日があるさ〜 ♪
こんな歌が流行する昨今、私達はすでに死んだセカイに生きているのかもしれない。こんな歌にはちっとも励まされないが、それでもそんなセカイに生きていくしかないと、諦めに似た気持ちで毎日を送っている人にこそオススメしたい作品だ。結果よりもそこに到るまでの「過程」、例えばかの連続幼女殺人事件の容疑者Mがどのように考え、感じ、行動し、今現在何を思っているのかに迫っていく著者がそれらに対してどう意味づけするのか、に重きを置くこの作品を読むと、そこにはどうしても物事を単純に「善」と「悪」では片付けられない気持ち、現実に絶望しながらもなぜだか明日を生きる気持ちになってしまう。ここには正解は書いていない。それは誰にでも通用する正解など、この世界にはそもそも存在しないからだ。私達は一般論的な答えをもう必要としていない。ただ、「わからないこと」が気になり始めてしまった人は、「切通理作」という人間に共鳴することの快感を味わえる1冊だ。
紙の本
著者コメント
2004/11/08 03:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:切通理作 - この投稿者のレビュー一覧を見る
テーマはズバリ、90年代とは何だったのか?
宮崎勤事件、オウム、酒鬼薔薇など社会をゆるがした事件から、エヴァンゲリオン、小林よしのりのゴーマニズム宣言といった、時代に影響を与えた文化まで、分析を加えてゆきます。旧価値観の崩壊の過程から、新しいセカイの姿までを呈示します
もう一度だけ逢いにいく
地平線の鉄塔、夕暮れの本屋、少女の消えた森 きみの声と、かくれんぼう気分でシンクロする一冊
主な内容
ホワイトアルバム 県立所沢高校生との対話
戸塚ヨットスクールと生きる実感
被爆少年たちの終わりなき戦い
理想の学校を求めて
かくれんぼう気分 わが友宮崎勤
恋愛なんかやめておけ
夏への扉 アニメーションに記された刻、あるいは庵野秀明論
本当の話をしたいのです 柳美里論
異形の君へ
小林よしのり 与党精神の果てに 戦争論を読む
ガンダムという戦場 富野由悠季と二〇年目のニュータイプ論
戦争しか知らない子どもたち 作家見沢知廉の快楽
紙の本
「セカイが死んでも」
2001/08/25 09:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:soll - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、「セカイは死んでいる」と思っている人にお薦めの処方箋である。処方箋とはいっても、ここに明確な答えが書かれているわけではない。切通氏があとがきの中で「問いに対して答えを出そうとするリアクションよりも、なぜその問いが成立するかに関心が向けられていった。」と書いているように、氏は答えを即断することにあくまでも禁欲的である。すべての問題を因果関係で説明し、すべての問いに答えがあるかのように振舞う態度が多い昨今、そのような態度はむしろたいせつななにかを隠蔽しているのかもしれない。目を閉じてしまうことによって「セカイ」もっと死んでいくかもしれないのだ。
「セカイの死」とは、世界をリアルに感じることができない状況であり、まわりの他者と感情を共有できていない状況である。だからこそ、切通氏は「県立所沢高校生」の話を聞き、「柳美里」と対談し、「小林よしのり」の本を読む。そして「『なるほど、この人にとって問題はこう生きられているのか』と了解する」ことをのぞんでいる。このように他者と「間主観」を切り結んでいくことが世界を生きる第一歩なのである。
「死んだセカイ」にも処方箋はある。そのことを切通氏は私たちに教えてくれる。それは、「まだ生きている」私たちが、突然「セカイ」の向こう側に突き抜けていかずに、絶望せずに、「セカイ」を生き抜く希望を与えてくれる。