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煙か土か食い物 (講談社ノベルス)
著者 舞城 王太郎 (著)
【メフィスト賞(第19回)】ある日、俺の働くERに凶報が届いた。連続主婦殴打生き埋め事件。被害者は俺のおふくろ。腕利きの救命外科医・奈津川四郎が故郷・福井に降り立った瞬間...
煙か土か食い物 (講談社ノベルス)
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商品説明
【メフィスト賞(第19回)】ある日、俺の働くERに凶報が届いた。連続主婦殴打生き埋め事件。被害者は俺のおふくろ。腕利きの救命外科医・奈津川四郎が故郷・福井に降り立った瞬間、凄絶な血族物語が幕を開ける…。新世紀初のメフィスト賞受賞作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
舞城 王太郎
- 略歴
- 〈舞城王太郎〉1973年福井生まれ。
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愉快!痛快!爽快!
2006/02/25 17:52
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投稿者:nanako17girls - この投稿者のレビュー一覧を見る
謎の作家「舞城王太郎」のデビュー作。まあ、暴力、セックス、そしてロジック。いろんなことを語れる作品ではあるが、あんまり語っちゃって、的外れなことまでいいそうなんで、ちょっぴりにしときます。この作家の特徴として上げられるのが「エンターテイメント」と「文学」にある境界線を曖昧にしているということだ。今まであったその境界線を見事に「見えなく」してしまった。そのギリギリというジャンルを作ってしまった。「ミステリー」も「文学」も「ライトノベル」もmixした小説。そして、それが現代文学の主流になりつつあるのかもしれない(芥川賞の作品をみてもそうだ)また、「口語」「文語」もテキトーな感じだ。村上龍の「ラブ&ポップ」は口語を使い、小説を成立した。それがどんな試みかはあえて言わない、学者にまかしとく。でも、舞城は違う。舞城の試みは別のところにあるように思われる。「言文一致運動」とかとは関係ない。それがこの小説を「リアル」にしている。あえて覆面をかぶるのもそうかもしれない。匿名性をわざと出し「リアルな小説」を作る。
これからも目の離せない作家ではある。んで、かれのイラストとかも結構好き。「ヨユウのよっちゃんよ!」っていう科白なかったっけ、あったと思う(たぶんこの小説)「いいな〜〜〜」と思った。なんかつらくても「余裕のよっちゃん」で行きたいよね!軽やかに、そして、テキトーに。
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IWANTYOU
2003/04/03 01:27
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投稿者:penerope - この投稿者のレビュー一覧を見る
一郎・二郎・三郎・四郎…一郎・二郎・三郎・四郎…一郎・二郎・三郎・四郎…ああ俺は呪術的な不気味さとサイクルでもってこいつらの名前をつぶやいている。もう頭から離れない。本を閉じても消えてくれない。すでに俺はパニックの真っ最中だ。こんな閉店間際の安コーヒーを飲ませる店の学生アルバイトがたらたらと床を箒で掃いているが遅いんだよそんな動きは!と俺は叫んでしまいそうになるほど頭のなかはきっちりぐるぐる酩酊してるんだ。ぐるぐる魔人ぐるぐる魔人。俺の頭蓋んなかの酸素を喰らい尽くすな! ぐるぐる魔人。
ジャコパストリアスのあのきわきわハイテンションでテクニカルカルなベースプレイ、そのスピード、その音の羅列が舞上の筆先には宿ってる。ダダダダダッダダッダッダダダダッ言葉は跳ねる一回転、そして転がる二回転、にやっと笑って一発パンチで三回転したらもう奇跡的にかっこいいフレーズの出来上がりだ。ばかなまねごとなんて足元にも及ばない、けど感動したら誰かに伝えなきゃ、どんな形でも独りよがりでもってなことで満ち足りた時間の渦がやってくる。くるくる。
詰め込めるだけ詰め込んでみる。暴力もSEXも理不尽な世界も。饒舌は時に相手を辟易させ疲労に追いやるがそんなこと感じてぐったりしてる暇などない。現実はどこまでも、自分が感じてる速度なんかよりももっと高速でぴゅぴゅぴゅぴゅぴゅーんと進んでいるんだから。「熱にうかされたようにのめりこみたいわ」と思いながらページをめくろう。あらすじとかはみんなの書評を読んでちょうだいね。時々その過剰な話っぷりにいっぱいいっぱいになって頭が螺旋にぐわんと流されたりするんだけど四郎ちゃんそう四郎ちゃん、の次の行動が知りたくて、次の発言が聞きたくて、次の明晰な頭脳でもってすぱぱぱぱんっと謎を解く瞬間に立ち会いたくてやっぱり本が閉じられない。うーぅーと低い唸り声のまま火のついた煙草が丸々一本灰になって視線がやっと目の前のぼやけた現実に移行する。でも一瞬だけねちょっとの間。またすぐ視線は本に釘づけで、いきなり人が血を流してます。骨を折られて頭割られていっぱいいっぱいの暴力です。でも変な奴が多いんだよこの世界には。だからしょうがないんだよね。じっと見てやろう、感じてやろう、まちがいを教えてやろう。
そしたらまたスタートです。虫の歩みから始まって川の流れになって風のそよぐ調べになる。のちに歩きながら、早足になりながら、小走りになったところで額に滲んだ汗を袖口の繊維質になすりつけよう。やがての疾走、全力疾走。本を片手で持ちながらメインストリートを突っ走る。ぱららららっとページが音を立てる。それでも離さないで必死に走り、読む。そうだ、行間も忘れちゃいけないぞ。下手から太陽が登場してくるときに地雷を踏んではいけないように注意深く、でも疾走しながら読みつづけて走りつづけて息が上がっても足が震えてかくかくしてふくらはぎに熱されたハリガネを押し付けられたように痛い熱さを感じてもまだ走りつづける。エコーをこだまさせて叫びながら、いつまでも走りつづけよう。くわんくわんくわんくわんくわんくわんくわん……
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大加速ハイブリッド文学に、ありがとう!
2003/02/24 21:13
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投稿者:3307 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あれから三週間が過ぎ、私は日常を取り戻しつつあります。
私にとって、本書がもたらした衝撃とその美しさは、深さにおいて鈴木光司氏の『リング』から『らせん』への深化と並び、広がりにおいて北村薫氏の『空飛ぶ馬』に匹敵します。
全ての設定が有機的に集約する大団円を経験した瞬間、様々な思いが一気に呼び起こされ、情報量の密度に負けて回線が焼き切れ、充実した空白に支配されました。それは、ひどく自由で愉快な気分であると同時に、強く強く感じた「何か」を言葉にすることを禁じられたもどかしさに苛まれる時間でもありました。
充実した空白は、その一瞬の爆風で、思いも言葉もちりぢりに吹き飛ばしていたのです。以来三週間、まるで熟練の考古学者のような手つきで、私はそれらの言葉の断片を一つ一つ拾い集めてはつなぎ合わせてきました。
舞城氏のスタイルを構成する要素の一つに、徹底した一人称の視点から世界を描く手法があります。これは、90年代のジュブナイルを代表する、神坂一氏と比較することで鮮明になります。
神坂氏の文体の魅力は、「地の文の一人称スタイル」と、「大阪文化の結晶のリズム感で惹きつける会話文」にあります。作品の面白さだけでなく、読み易さへの気配りと、読者へのサービス精神が、あれほどの支持を集めたのでしょう。
舞城氏の文体は、最新刊の『阿修羅ガール』では、地の文から会話文が切り離されていますが、本作の時点では、基本的に地の文の中に会話文も取り込む形になっているため、視点のブレがより軽減されます。
改行が少なく一息で多くの言葉を叩きつけるスタイルと、この徹底した一人称の魅力により、読者はかつてない「スピード」を体験します。その加速度に私は、文章でここまでのことができるのか、と絶句しました。
このスピード感に乗せて、「現状がどれほど悲惨であっても、それを肯定した上で、あらゆる手を尽くして前に進む」という迷いのなさで『暴力』が語られます。そして、小説は一級のミステリと成り、同時に新しい文学が生まれました。
「文学」なんて言葉を軽々しく使うべきではないかもしれませんが、『作家の秘めた「毒」があり、それを文章に刻む過程で昇華して見せることで、読者を鼓舞するもの』を他に呼びようもないため、あえてこの言葉を選びました。
ミステリと文学のハイブリッドにより、祝福された小説がここにあります。
そんな作品を生みだした作家と、同時代に生きることができるのが嬉しい。
気負わずに、描きたい世界を書ききることで文学を「取り戻した」ことが美しい。
何より、舞城氏はスペシャルな作家であることは間違いないのですが、彼と同様に革命的な作品を送り出す作家が、この先に驚くほど現れることを「予感」させられたことが素晴らしい。
「まだまだ、こんなものでは終わらない」と。
「今」と「この先」を肯定する力が落ちた時に、追い風となる一冊。
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天才登場!
2002/07/30 12:59
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投稿者:marikun - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネット上で評判になっていた「舞城王太郎」作品、初挑戦!
メフィスト賞だし、吉とでるか凶と出るか!と思っていたら…。
大当たりです!ただし好みは、別れるでしょうね(笑)。
3代続く政治家一家の三代目は、一郎、二郎、三郎、四郎の四人兄弟。
みんな身長が高く、才能に恵まれ、しかもケンカが強い!という
とんでもない兄弟なのですが、その兄弟の父親がもっと
パワフル。小さい頃からの徹底的な暴力で一家に君臨しています。
主人公は、サンディエゴで外科医として働く四男の四郎。ある日、
四郎の元に母親(清楚な美人)が連続撲殺事件に巻き込まれたとの
連絡が入り、急きょ帰国して事件を自分で解決しようとします。
この話もストーリーは、あまり関係ないお話ですね〜。もちろん
メフィスト賞を意識してということもあるのでしょうが、数式や
図表を使った、見事な新本格式ミステリにも仕上がっています。
が!それより魅力的なのは、圧倒的な文体とそこで語られる
「奈津川家サーガー」とも言うべき家族の物語でしょう。とにかく
パワフルです。エルロイが日本人だったなら、こんな物語を
書いたかも知れません。一気に引き込まれました!舞城王太郎…。
天才かも知れません!
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壮絶なファミリーサーガのはじまり
2001/09/29 12:47
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投稿者:YASU - この投稿者のレビュー一覧を見る
圧倒的なパワーで押し寄せてくる奈津川一家のファミリー・サーガ。
母重体の報を受け、サンディエゴから二年ぶりに帰国した奈津川四郎を待ち受けていたのは、相変わらずの家族と連続主婦殴打生き埋め事件。
血と暴力にまみれ乱暴な言葉で罵倒し皮肉を垂れ流しながらも、家族への真摯さは決して忘れない四郎の熾烈な生き様と潔癖さには心を打たれる。超インパクト、かっこいい、かっこよすぎて震えが来る。反面、ハンソンを好んだり、阿帝奈の側でくつろぐ四郎もなかなかに魅力的だが、やはりその頭脳をフルに稼働し突っ走っている時の彼が一番なのではないだろうか。
登場することはないが、やけに(というか、一番?)存在感のある二郎も気になる。
果たして万有引力にも匹敵する逃げられない力は、今後奈津川一家を何処へと導いていくのか。丸雄、一郎、二郎、三郎、そして四郎のサーガは未だ終わらない。
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こいつはすげえぜ!
2001/03/29 18:50
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投稿者:春を愛する男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新本格というジャンルは、次第に本格を書くというよりも、SFやホラーを組み合わせ拡散する、あるいは殊能作品のごとく本格の嫌味なパロディーに徹するというような傾向を見せるようになって、いずれにしても中心から遠ざかっていく流れが勢いづいて、主流に感じられる昨今。
裏表紙に密室、名探偵、暗号と本格用語を連ね、直後くだらん、くたばれ!と掃き捨てる本書に至って、本格への距離は果てしなく遠いものとなったようです。それはかろうじて掠る程のもので、私は読中必死な目で本格を探したのですが、つまり本書を本格として読んでいたのですが、読了後ひょっとしたらあれが、と思いつく2,3がなきにしもあらずではありましたが、やはりあまりにも悲しくなって泣きました。
本格を遠く離れては本書が何であったか評価しがたいものがありますが、横目にゴンゾーな文体(意味不明)を用いたゴンゾーっぽさは十二分に発揮されていたように思いますので評価は自棄糞の星5つ。
紙の本
生きること、死ぬこと、そして生きて居ること。
2003/09/04 11:14
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投稿者:purple28 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は文庫派である。
血液型はA型。本棚に整然と並ぶ文庫は、A型の心をくすぐる。
乱れてはいけない。上にも手前にも、飛び出してはいけない。
本棚にみっしりと詰め込まれる文庫に、嘆息しきり。
それほどまでに文庫に愛を注いでいる。
なのに。
衝動を押さえられなかった。
まずタイトル。煙か土か食い物。いったい、なに?
そして表紙。空に浮かぶ蛇柄。Sが強調された題字。カタカナの作者名。
極め付けは書評だった。
“衝撃”を予感させる書評の数々。今すぐ手に入れなければ、と焦燥感に駆られる。
読む前から既に、止まらなかったのだ。
この作品を象徴する“スピード”“暴力”、そして行き場を模索している“毒”。うまい具合にちりばめられたこれらの要素が、読むものを、読もうとするもの、そしてこの作品に触れるすべてのものすら引きつけて離さない。
魔力というより、やはり焦燥感。落ち着かない。早く読まないと。
やっと読み始めても、今度は止まらない。止められない。
早く読んでしまわないと、落ち着かない。
四郎は、どこに行きたがっているのか。
二郎を追いかけたいのか。二郎になりたいのか。
しかし四郎は四郎。一郎や三郎も、二郎でも四郎でもない。
突っ走り続ける四郎は、本当は“安らぎ”を求めていたのだと。
そしてその安らぎはやはり、四郎をがんじがらめにしてきた“家族”“血”にあるのではないかと。
死んだらみんな煙か土か食い物になる。焼かれて煙になるか、埋められて土に返るか、獣に食べられるか。死んだものにその選択権は、ない。
しかし生きることと死ぬこと、そして“生きて居る”こと。これらは選択可能なはず。
なのに、敢えて他人を寄せ付けないように生きたがる四郎が、痛々しかった。
これから「闇の中で子供」「世界は密室でできている」へと続いていくわけだが、少しでも四郎に、そして二郎に安らぎがあることを願う。
(紫微の乱読部屋)
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暴力的に饒舌
2020/01/18 13:53
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
句読点と改行を極力排した文章が、流れるように頭の中に入ってきました。事件解決や犯人よりも、奈津川一家の異様さに引き込まれていきます。
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血と暴力のファミリー・ロマンス
2016/02/05 23:58
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投稿者:塩漬屋稼業 - この投稿者のレビュー一覧を見る
周回遅れの読者になりました。
マシンガントーク的なしゃべくり文体が怒涛の勢いでハイテンポに読み進める。
このスピード感。ごちゃごちゃ言うのはもういいよという、うんざりした怒り。
猟奇的な事件、それに巻き込まれる主人公の、虐待と暴力に満ちた家族物語。
ひとつの疑問。サイコスリラーものが流行って以来、心的外傷もしくはトラウマと暴力は固く結びついた。でも、この結びつきは必然なんだろうか。ここの結びつきを解きほぐすことにこそ、浄化の可能性があるのでは?
そして本書においては、暴力も猟奇も目一杯に過剰だ。殆ど笑ってしまうほどに。これは照れ隠しなのだろうか。それとも、映画をよく見ているらしい著者にとっては、サム・ライミ以降、血と暴力の過剰と笑いの結びつきは既に定型の技巧なのだろうか。
(本書を皮切りに何冊か舞城氏の著作を読んで、氏がたとえば坂口安吾的なモラリストではないかと思えてきたので、決して技巧だけではないように思えるのだが)
ともあれ、本書は傑作でした。
なんとこの物語は終局で「赦し」に至るのである!
赦しとは何か?―それは赦すことのできないものを赦すこと。つまり、不可能なことなのだ。
しかし、本書において主人公は赦しに至る。どうやって?
主人公、四郎は阿帝奈(アテナ)という女と出会い。「親密」になる。
(作中において四郎は自分が本当に求めているのは親密さなのだと臆面もなく、「小説」とは思えないストレートさでもって語る。余りにもなまな形で。誰かを受け入れて、誰かに受け入れられたい…という想い)
この親密さが四郎を変える。
つまり、自己は他者の中にしかないということなのだ。
(自分探しが構造的に失敗するのも、そのためなのだ。自分の中に真の自己を探しても見つからない。それは他者の中にこそあるのだから)
世界の只中にあって、他者が存在せず、自分一個の存在しかないのならば、そこではそもそも自‐他の区別をする必要がないのだ。だからこそ、他者の存在こそが自己を生み出すのだ。文字通りにも、自己を生み出すのは他者たちなのだから。
(自己の起源には複数の他者が存在するのだ)
自‐他は、だから切り‐結んでいるのだ。切れているからこそ、結ばれる親密さ。
だから出会いは新しい自己の生成であるのだ。
アテナのいる四郎は、アテナのいない四郎とは最早、別人なのだ。アテナのいない四郎にとって赦しえなかったことも、アテナのいる四郎には赦すことができるのだ。別人だから!
これはすごい、発見ですよ。
これは、しかし、あくまで四郎が赦すのであって、和解ではないのだ。和解は共同作業としてしか成しえない。
だからやはり、赦しは不可能でもある。赦した相手が、アテナのいる四郎に対してまたも赦しえない状況を作り出すことまでは阻止できないからだ。たとえば父と四郎、二郎と四郎という関係においては、アテナのいる四郎といえども、親子兄弟という関係の濃密さまでは簡単に変えられないかもしれないのだ。
だからこそトラウマと暴力を切り離す回路を探す必要があるのだ。
最後に、ふと思いついたのだが、人間への、同じくらいに深い、愛と憎悪がなければ、モラリストにはなれないのだろう、恐らく。
紙の本
ジェットコースタードラマって昔ありましたよね。あれ、ハマりませんでした?
2003/06/15 09:38
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投稿者:まりんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「えー! アンタ本なんて読むの?! マンガしか読まないと思ってた!」
こんな風に言われたこと無いですか? 無いですか、そうですか。
私は数え切れない位あります。
そりゃそうです、人前で「じゃー今から本読むから見ててね、どっこいしょ」なんて読書しませんからね。家に帰り、誰も居ないところで一人楽しんでます。ていうか、マンガは本に入らないんですかね。面白いんですけど、どちらも。
そんな私が会社で先輩に呼びとめられ、いきなり廊下でこの本を渡されました。
「オマエが読みそうな本なんだ」
「はあ、怖い本ですか? トイレ行けなくなるから嫌です」
「それがさ、スーーーーって一気に読めるよ」
訝しげに私は先輩と3秒ほど目を合わせた後、じゃーお借りしますと言って踵を返しました。
いやー、これ面白い!
私はどちらかと言うと、物語には偏屈な程完璧で簡潔な整合性を求めるので、涙を飲んで評価の★を1つ減らさせて頂きましたが、物語は常にハイテンションに進みます。テンション高いのは主人公だけなのですが、主人公の視点で進んでいくので、物語も常にハイテンション。周りの登場人物は真面目でテンション低い人物とイカれた人物だらけ。「なんだこれ、こんなのアリかよ!」が後から後から出てくるので、もうそんなの慣れっ子になってしまう自分が凄い。そしてそれが気持ち良いのです。ランナーズハイの状態って、こんな気分なんでしょうか。
家でこの本を読んでいる間、私は何度も、
「すげー!」
と言ってしまい、母に、
「すげー、なんて言うのやめなさい」
と窘められました。
家族と同居されてる方、この本をリビングで読むのは止めましょう。
たった今読み終わったので、これから本屋へ行ってこようと思います。
だって「すげー!」んだもの。これは一種の麻薬ですね。
紙の本
神か悪魔か
2001/05/30 20:35
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:seimei - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作者は神か悪魔か。メフィスト賞最強の作品かもしれない。サンディエゴのERに勤める奈津川四郎は母親が頭を殴られ土の中に埋められた状態で発見されたとの知らせを受け、日本に帰国する。この事件は連続しており、様々な記号的示唆にとんだ事件であり、四郎は謎に取り掛かる。そこから圧倒的な血族のサーガが始まるのだった。主人公の視点によるハードボイルド文体から、本格の仕掛け、能力の高い奈津川家の国会議員に上り詰めた父親である虐待者と天才にして残虐であった次男二郎の対立を中心にした過去を語ることによるそれぞれの性格描写と行動原理、首を傾げるような舐めたガジェットによる本格の仕掛けと、神話を地でゆく家族の葛藤の融合による脅威の作品。今年読んだ中では衝撃度では間違い無くTOPの作品。
紙の本
いにしえの血
2003/06/14 11:53
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:バナール - この投稿者のレビュー一覧を見る
この物語が、たとえばソローキンの『ロマン』でもいい、あるいは、宮部の『模倣犯』でもよい、そのような血が流れ人が撲殺される噺とひつもふたつも次元が異なっているのは、ここにわれわれが古の人々を想起してしまうからであろう。
「人間は死んだらどうせ煙か土か食い物なんや」
「どういう意味?」
「燃やされて煙になるか、埋葬されて土になるか、下手したら動物に食われるんや」
このような観想は、『楢山節考』を素通しやはり『経疏』に流れ着くと謂うしかない。
「我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚に非らず〜相共に賢愚なること、環の端なきが如し」
奈津川四郎とは、聖徳太子の別の名に違いあるまい。
紙の本
勢いのある語り口に好感
2001/05/14 12:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:OK - この投稿者のレビュー一覧を見る
毀誉褒貶のある作品みたいだけど個人的にはわりと支持。ネオ壊れ系(?)の語り口で新本格をやってしまおうという試みで、破れかぶれのようでいて意外に計算されているらしくもある文章の勢いは抜群。構成的には、過去の回想語りと現在の事件の進展とがばらけて融合しきれていない印象を与えるけれど(ちなみにそこらへんの組み立てはさすが整理されているなと思ったのが、馳星周の『不夜城』)、まあ文体と釣り合っているといえばそうかもしれない。とりあえず、内容よりも語り口で独自の新鮮味を出そうとする作風は、昨今の日本ミステリ界でほとんど見かけない態度で、それだけでも好感を抱く。
http://members.jcom.home.ne.jp/kogiso/
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圧倒的な存在感のある文体にノックダウン
2002/10/10 23:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:山村まひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
サンディエゴのERで働く奈津川四郎は、母親が連続主婦殴打生き埋め事件の被害者になったと連絡を受け、福井へ帰郷。犯人を追い詰め、復讐を誓う。
生き埋めにされた主婦たちをつなぐミッシングリンク、残された暗号、密室からの消失の謎、そして「名探偵」の存在をも蹴散らして、圧倒的な存在感でたたきつけるように描かれてゆく物語。
最後に四郎がたどりついた結論は?
新世紀初のメフィスト賞受賞作。
蔵で自殺した祖父、父親と確執の末、閉じ込められた蔵から消えた兄・二郎、そして、いじめられていた二郎が行った徹底的なリベンジの数々。
メインの連続主婦殴打生き埋め事件以上に、執拗に描かれる血と暴力で彩られた奈津川家のハードな血脈に打ちのめされるが、読後感は悪くない。
迫力のある独特の文体を堪能させてもらった。
紙の本
第19回メフィスト賞受賞。賛否両論の話題作
2001/10/31 22:16
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投稿者:海路友 - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんなんだこれは!
首を傾げる方もいるだろう。でも、あきらめてもらうより仕方がない。『煙か土か食い物』はそういう作品なのだから。
サンディエゴのERで働く奈津川四郎。彼の母陽子が、何者かに殴られ、生き埋めにされ、意識不明になった。
帰国した四郎は犯人への復讐に燃え、捜査を開始する。
福井県西暁市を戦慄させる、連続主婦殴打生き埋め事件。被害者の傍に残された動物のぬいぐるみは何を指すのか。犯人の目的は。
四郎の弟にして推理作家の三郎、自称名探偵の番場潤二郎。真相を見つけだすのは誰か。
捜査の過程で見え隠れする、行方不明となった兄二郎の影。
奇妙な連続犯罪を契機として、奈津川家に潜む血みどろ、どろぬまの過去が浮かび上がっていく。
第19回メフィスト賞を受賞した本作は、極めて危険な作品である。
語られる謎は二つ。一つは連続主婦殴打生き埋め事件。二つ目は、密室状態の三角蔵における奈津川二郎の消失である。
だが、正面からまともに挑んではならない。二つの謎を貫き、ひっかきまわして、遂には渾沌とさせる竜巻のような物語が、本作には潜んでいるからだ。
それは、奈津川家代々にわたる血の物語。壮絶な闘いの記憶を、読者は四郎とともに追体験していくことになる。
やがて謎が解かれ、登場人物たちの往き先が定まったとき、言い様のないカタルシスが読者を包み込む。
謎の連打に胸躍らせる方もいるだろう。凄絶な暴力描写に眉をひそめる方もいらっしゃるだろう。本格をバカにするなと怒る人もいるだろう。それでも、あきらめてもらうより仕方がない。『煙か土か食い物』はそういう作品なのだから。 (bk1ブックナビゲーター:海路友/ライター)