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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2001.4
- 出版社: 河出書房新社
- サイズ:27cm/123p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-309-26469-7
- 国内送料無料
紙の本
こどものいた街
著者 井上 孝治 (撮影)
ベストセラー89年刊「想い出の街」の第2弾。著者は刊行後1年で亡くなったが、その作品は世界的に評価され評伝が出版されている。彼が撮った子どもの写真を中心に編集。今や失われ...
こどものいた街
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商品説明
ベストセラー89年刊「想い出の街」の第2弾。著者は刊行後1年で亡くなったが、その作品は世界的に評価され評伝が出版されている。彼が撮った子どもの写真を中心に編集。今や失われた子どもたちの街中で遊ぶ姿がある。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
井上 孝治
- 略歴
- 〈井上孝治〉1919〜1993年。福岡市生まれ。福岡聾学校中等部木工科卒業。写真集に「想い出の街」など。
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紙の本
眺めると音が聞こえてくる、子どもの言葉が聞こえてくる−−「ろうあ」の写真家が遺した高度成長以前の昭和の街の光景。
2001/04/23 15:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
このサイトがなければ、この美しい写真集を手に取ることはなかったし、この優れた写真家のことを知ることはなかったと思う。出会うきっかけを与えられたことに限りなく感謝する−−価値ある1冊だった。
私が生まれた昭和35年は、安保闘争で国じゅうが揺れ、沢木耕太郎の『テロルの決算』に詳しいが社会党の浅沼稲次郎が右翼少年・山口二矢に刺殺され、年末になって「国民所得倍増計画」が決定されて高度成長が国家の政策として推進され始めることになった年である。戦後のひとつの大きな曲がり角となった年と言えると思う。
物が行き渡らず貧しかった日本の様子が原風景にあり、高度成長とシンクロして心身が成長していった世代に当たる。向田邦子や久世光彦といった人が懐かしんだ昭和の昔の後姿を知っている気がして、あこがれているからレトロなものが何となく気になってしまう。
だから、この本の表紙を見たときもパッとひらめくものがあった。自分のアルバムにもあるような路地で遊んだ子ども時代のノスタルジックな写真を集めているのなら、それをぜひ手元に置いておきたいと思い、すぐに買った。
昭和30年代のモノクロ写真がほとんどである。撮影地は、写真店を経営していた写真家の店があった福岡を中心に、九州のあちこち、わずかに石川や東京などの旅先で撮られたもの。
ろう石やゴムとび、メンコで遊ぶ路地、デパートの食堂、運動会やラジオ体操、幼い子の子守り姿、古い薬屋の看板に駄菓子屋の店先、街頭テレビに興じる人々、祭りの夜店におばけやしき、炭鉱の長屋生活、舗装されていないじゃりの道路など、子どもの姿を追い求めて写された写真の中に、当時のなつかしい物や景色がいっしょに封じ込められていて、じっと眺めていると胸にぐうっとこみ上げてくるものがある。
なつかしいからぐうっとくるのではない。Vサインで応えるポーズすらなかった時代に、はにかんだりニコニコ笑いながらフィルムに収まった子どもたち、思いがけない一瞬の笑顔や心配顔を捉えられた子どもたちの存在−−それを切り取った写真家の存在が、暖かく胸に伝わってくるのだ。
日々の生をいつくしみ謙虚に生きる子どもたち、その前向きなエネルギーを焼き付けることができる写真家としての喜びが伝わってくるような、浄福に満ちた写真ばかりである。
めくるたびに様々な音や言葉が写真から立ち昇る。
風に揺れる葉の音、自転車のベル、縄とびの縄が地面にこすれる音、人々のざわめきや歓声、店先でのやりとり、原っぱでの喧嘩のセリフなど。
しかし、だからこそ、これが「ろうあ」の写真家が撮り続けたものだと知り、ひどく驚いてしまった。
70歳をこえて発表した写真が、海外でも評価されたことはよくわかる気がした。ブラッサイやアンドレ・ケルテスのような詩的で美しい世界がここには確かに遺されているのだ。
それが人の心に共通のノスタルジーをもたらすのである。
紙の本
昔、こどもはこどもの群れとともにいた。こどもはこどもの群れとともにいるとき、一番生き生きしていた。
2001/06/13 22:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:芹沢俊介 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いまからたった四十数年前くらいまで、乳幼児期を脱したこどもは家族のものでもなければ、社会のものでもなく、ましてや学校のものではなかった。こどもはこどもに属していた。こどもたちは大人と別の世界を生きていた。こどもはこどもの群れとともにいたのだった。こどもはこどもの群れとともにいるとき、一番生き生きしていた。この時代、こどもと言えば、それは群れたこどものことであった。そのようなそのことがこの写真集をめくってみるとよくわかる。
こどもたちは道路いっぱいに座り込んでローセキで絵を描き、寝転がり、走り回る。かと思うと駄菓子やの前にたむろしている。縄飛び、まりつき、ゴムダンは女の子の遊びで、野球や相撲や取っ組み合いのケンカは男の子の遊びであった。
そのように路上はかつてこどものものであった。群れるこどもたちを受け入れていたのがまだ地面の露出している路上であった。乳幼児以外のこどもは昼間は路上にいたのだ。路地に、大通りに。つまり街にこどもはいた。街はこどものものであったのだ。路上からこどもを追い立てるもの─車とテレビ─はまだ大衆化していなかった。テレビは店や街角にあるだけ、路上を走る乗り物は自転車、スクーター、オートバイ、車はアメリカ人のものをのぞけばトラックやバス。そして路面電車。
ここに収められた写真のもっとも古いものが昭和二十五年である。昭和十七年東京生れ東京育ちの私は、そのとき八歳であった。わりと多いのが昭和三十二年の作品、その年、私は十五歳であった。いつの間にか私は自分のこども時代の面影を探していた。さすがに十五歳の私はいなかった。しかし八歳から十二歳ころの私はいた。群れ遊びのなかで思い思いの素顔をさらしている子どもに自分の姿がダブって見えた。
懐かしい。しかし懐かしさだけではない。というのも、主に九州福岡の街をテーマにしたこの写真集を見ていると、こどもが安心して街にいられた時代は、せいぜい昭和三十五年(一九六〇年)ころまでであったことが伝わってくるからだ。ちなみに井上孝治の、やはり街のなかのこどもを撮った『想い出の街』(一九八九年)に収められている写真のほとんどが昭和三十二年のものである。この写真集は─前作「想い出の街」もまた─車がこどもを路上から追い払い、テレビがこどもを家のなかに引き込んでしまう直前の時代を写しとっていたのである。 (bk1ブックナビゲーター:芹沢俊介/社会評論家 2001.06.14)