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紙の本
ドゥルーズ流動の哲学 (講談社選書メチエ)
著者 宇野 邦一 (著)
「差異」「リゾーム」「器官なき身体」。独創的なキータームを駆使して、「現代」と「人間」を解読し続けたドゥルーズ。限りなく柔軟、限りなく開かれた、斬新で強烈な「民衆的」哲学...
ドゥルーズ流動の哲学 (講談社選書メチエ)
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商品説明
「差異」「リゾーム」「器官なき身体」。独創的なキータームを駆使して、「現代」と「人間」を解読し続けたドゥルーズ。限りなく柔軟、限りなく開かれた、斬新で強烈な「民衆的」哲学の全貌とは。創造的哲学者の思考の伝記。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
宇野 邦一
- 略歴
- 〈宇野邦一〉1948年松江市生まれ。京都大学卒業後、ドゥルーズの指導を受けパリ第8大学にて博士号取得。立教大学教授。著書に「詩と権力のあいだ」など。
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民衆に捧げられた哲学?
2001/11/11 16:39
2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ベルクソニスムにおける「潜在的なもの」と「可能的なもの」(現実化されたものの方からの事後的な投射)との相違を踏まえ、「ドゥルーズの哲学の全体が、潜在性の哲学といってもいいくらいだ」(36頁)と述べる第一章「ある哲学の始まり」。新しい『資本論』を書くことをひとつの目標とした『アンチ・オイディプス』をめぐって、クロソフスキー(『生ける貨幣』)を引用しながら「欲望経済学」や「ただ一つの経済学=唯物論的精神医学」(144頁)について語る第三章「欲望の哲学」。
「たぶんドゥルーズが続けてきた哲学的思考そのものに、何か映画的なもの、映画のイメージに本質的に対応するような何かが含まれていた」(200頁)あるいは「映画が思考にもたらしためざましい転換は、現実的であると同時に、潜在的である」(201頁)と、ドゥルーズにおける映画的思考を論じる第五章「映画としての世界」。そしてエピローグでの次の文章が印象に残った。
《決して彼の哲学は、悲しみ、恨み、隷従によって連帯する集団としての「大衆」に捧げられているのではない。ドゥルーズが問題にしているのは喜びを原理とし、決して支配を内面化しない「民衆」なのだ。それは「欠けている」にしても、「民衆」は幻想ではなく、実在なのだ。この集団は、ドゥルーズが終始問題にした「内在性」に深くかかわっている。》(253頁)
もちろん「怪物的」な書物『差異と哲学』を取り上げた第二章「世紀はドゥルーズ的なものへ」や『千のプラトー』をめぐる第四章「微粒子の哲学」、そして、超越ではなく内在を原理とし、形像ではなく概念によって思考する哲学というドゥルーズ最後の関心を論じた第六章「哲学の完成」も面白かった。