「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
米文学から老子へ、そして詩と画作へ…。60から人生のベクトルを考えなおした著者は、78の現在まで、自らの心の風景と葛藤を、自分のために綴り続けてきた。深い自己省察と日々を、ユーモアとともに語る文学的随想。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
加島 祥造
- 略歴
- 〈加島祥造〉1923年東京生まれ。早稲田大学文学部英文学科卒業。現在、著述業に専念。著書に「老子と暮らす」「フォークナーの町にて」、詩集に「晩晴」など。
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
六十にして老子の道を知る
2001/07/27 18:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小池滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の加島祥造さんは1923年(大正12年)に東京の神田に生まれた、ちゃきちゃきの江戸っ子。アメリカ文学を専攻して、いくつかの大学で教え、その方面の著書、訳書も多くあるが、老子の思想にひかれてタオ(道)についての本を書いている。いまはすべての職から退き、伊那谷に小屋を建てて住んでいる。
この本に収めた随筆はすべて、自分で書きたいことを書きたい時に書いたものだと「あとがき」の中で言っている。長さとか締切日とかを決められてではなく、もちろん原稿料も貰わずに書いた文章を、自分で『晩晴館通信』という題の8ページのパンフレットにして、印刷も発送も全部自分でやって、年に4回発行して知人に配っている。
「晩晴館」とは、横浜の山手にある加島さんの自宅につけた名前である。中国の古典詩から取った言葉で、「雨上がりの夕方の景」という意味だそうだが、加島さんは日本流に「梅雨(つゆ)晴れの夕方」の意味にとっている。といっても、「港が見える丘」(その名の公園は近くにあるが)なんてシャレた家ではなく、陽当りのよくない湿っぽい木造二階建てとのこと。
60歳を過ぎてからの加島さんは、人生のベクトルを考えなおし「アメリカ文学から老子へ、知識を使った著作から詩と画作に転じてきた」(「あとがき」より)本の中やカバーの絵も自分で描き、カバーを飾る表題と著者名も自分で墨をすり筆をとって書いたものである。
このように書くと、ひどく年よりじみた仙人めいた内容のように思えるかもしれないが、実はそうではない。若い者への説教なんかまるでない。いや、文章自体が若々しい。まさに手づくり菜園でとれた新鮮な野菜をご馳走になっているような読後感を持つ。
加島さんの説明によると、老子の教えというのは、決して古くさい固苦しいお説教ではないとのこと。例えば「足ルヲ知ル者ハ富ム」という一句は、「貧しさを我慢する精神」を教えるものではない。「富ム」とは「内なる自由、心の自由」のことであって、しゃれた洋館に住み、外国旅行を楽しみ、グルメ・レストランに毎日通うというような──つまり、いまの日本人の多くが満足とか富裕とか考えているものとは正反対のものだ。
これもよく聞かされる「怨ニ報イルニ徳ヲモッテセヨ」の一句についても、新しいことを教えられる。「徳」とは外から押しつける倫理的規制とか道徳律とかのことではなくて、人間のみならず万物に宿るパワー、自然のエネルギーのことなのだ。
加島さんが上のことに気づいたのは、ある日おつながりのトンボの群にも、嫉妬や羨望の行動があることを知ったからだった。
ヤキモチは人間だけの醜い感情ではなくて、命に対する愛の感情と同じく、すべての生物共通のものだと悟ったのだった。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.07.28)