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紙の本
現代日本の研究機関と対比
2001/10/07 21:55
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投稿者:まみ君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本屋で偶然見つけた本だった。特に目的もなく、ふらふらと子供をつれて文庫本をのぞいていたら「理化学研究所」の成り立ちが書いてある。科学の中心は物理学の時代から分子生物学の時代に移り、科学の世界はますます資本の規模が重要な発見と相関するようになった。はたして日本の科学の黎明期にあって、大河内正敏のような鷹揚な人物が科学者として存在したのは幸福なことであった。むろん当時としてもアメリカの巨大資本の前に対抗できるはずはないのだが。もはやデレッタンティストであり、専門家であるという、有名な寺田寅彦のような人物は必要とされなくなりまた生まれなくなった。さらには一人の天才に頼り新しい発見を生み出す時代は完全に終わった。大局的には日本での科学は20世紀初頭に個人の発見から集団の発見へと変化する端境期にあったといえるが、まさにその橋渡し役を担ったのが当時の理化学研究所だったのではないか。そういう感想をまずもった。
著書のなかに盛んにでてくる「自由」というコトバ。自由というのは責任を兼ねている。しかしおそらく日本人というのは自由になれていなかったろうし、自由な楽園の背反に属すべきは本来は責任なのだが、当時の彼らにとっては使命感とか忠信といったほうがよさそうだ。大学は自由であるべきだという考え方が一方ではある。しかし現在の大学の硬直化を招いたのも、大学人としての自由、いまでは保身と言った方が良さそうだが、それを守るために独裁的になり、むろん研究者としてのチェックはもはや教授になってしまえば免除されるし、そうした責任のない自由を与えてしまったせいであろう。現在の理科研はどうであろうか。少なくても研究機関としての大学はもはや救いようのない次元まで堕落している。恐慌寸前の経済になってようやく、不必要な大学が淘汰されようとしている。第二の大河内があらわれて堕落した科学界の構造改革を夢に見るのは私だけだろうか。
紙の本
「リケンの伝記」
2001/08/31 16:12
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投稿者:佐倉統 - この投稿者のレビュー一覧を見る
理化学研究所の略称「リケン」は、科学技術に少しでも興味のある人にとっては、サッカーのナカタ、野球のイチローみたいに響く。先進国ならどこへ行っても「リケン」で通用するからだ。大学アカデミズムとはひと味違ったその自由で闊達な雰囲気は、仁科芳雄や長岡半太郎、鈴木梅太郎といったキラ星のようなビッグネームとともに、一種独特のオーラを理研に与えている。「科学者の自由な楽園」と評したのは、ここで成長したノーベル賞受賞者、朝永振一郎である。だが、この「楽園」を作ったのが、大河内正敏という学者・政治家・殿様であったことは、あまり知られていない。この本は、松平伊豆守信綱の末裔である大河内の人物と業績を中心に、「楽園」の栄枯盛衰を通覧する、いわば「リケンの伝記」である。やや英雄史観に偏りがちではあるが、それだけ個性豊かな面々が集まっていたということでもあろう。科学離れ・理科離れが取り沙汰される昨今の状況からしても、含蓄に富むことが書かれている。田中角栄・元首相が大河内の知遇を得ていたというのは、知らなかった。世の中せまいものだ。(佐倉統/進化学者 2001.6.19)