紙の本
『「死ぬ瞬間」と死後の生』を読んで
2016/09/10 19:39
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投稿者:kiyo - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ああ、ぼくは死んだらこうなるんだ」
って初めて確信した。
一生忘れられぬ本となりました。
紙の本
2001/10/22
2001/10/23 22:16
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投稿者:日経ビジネス - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者はホスピスを世界に広めた精神科医で、臨死体験を綴った『死ぬ瞬間』などの著書でも知られる。彼女はどうしたら苦しみを乗り越えられるか、死を恐れずに受け入れられるかをテーマに、各国で講演している。本書はそれら講演の内容をまとめたもので、彼女の語りが笑い声まで再現されていて思わず引き込まれる。
「人間は直感で正しい道が分かるものだ。それに従うと困難な道を行くことになる。だがその苦しみを耐え抜くと多くを学ぶことができる」という彼女のメッセージは、より良い死はより良く生きることによってもたらされると教えられる。様々な困難にさらされる現代人にとって、人生を100%生きるのが難しい時代だ。それだけに彼女の一言一言には重みがある。
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エリザベス・キューブラー・ロス博士の講演を編集したもの。シリーズの中でも特に分かりやすく書かれている本書は、ロス博士が語り続けたメッセージを理解するための最良の書である。延命治療のあり方や、死をどう受け止めるか、生きることと死ぬことについて深く考えさせられる。身内を亡くした友人にこの本を貸したら、「読んで良かった。気持ちが楽になれた。」と言ってくれた。身近な人の死に遭遇して、 喪失感が拭えない人に読んでもらいたい。
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「生」を見つめる、わかりやすい、いわゆる『入門』の本だと思う。
宗教っぽいと言う人もいるかもしれないが、単に誰もが必ず経験する、している「生」と「死」を取り扱っているのであって、宗教の話では決してない。
レビンソンの『ライフサイクルの心理学』では人生においてそれぞれやらなければならない「課題」があり、それをやり遂げずに次の発達段階に行くと、積み残した以前の「課題」がそのまま宿題として現在の「課題」の上にのしかかってくるとあるが、キューブラー・ロスも良く似たことを言っている。
「最初に課題を与えら他時にちゃんとやらないと、必ずまた課題を与えられます。しかも、前より難しいものを」と。
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死に行く子どもたちが自分の死を悟り、
象徴言語(ことばやしぐさ、絵)によってメッセージを伝えてくれる。
それを読み取る自分の直感を信頼し、
その子やまわりの人々が、残された仕事をやり遂げる手伝いをする。
死の受容のプロセスを進むことは、いのちの全体性を獲得することだと思う。
彼女の本が、より良い生き方を模索する自分を力強く励ましてくれる。
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「死」ってそんなに悲しいものではないのだろう。
本当に心から通じ合えたとき、暖かい死を迎えられる。
けどもし自分が、自分の大切な人が死に直面したとき、ずっと正直で素直でいられるだろうか?
そんなときにもう一度読みたい。
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キューブラー・ロスの書は読み難い。それは文章が解読に当って何難解な用語を用いているという意味ではなく、あまりに神秘主義的であるから。
67「人間の霊的な部分は、(略)肉体の能力が衰えると、それを補うためにちゃんと霊的な能力が発現するようにできている」 など端緒的な思想も覗けるが、如何せん生死間の事象に囚われ過ぎ、感情的で疎ましい。
「臨死体験」についてはそれが虚偽か真実かを論点に置くのではなく、それが一体私たちにどういった意味を齎すのか、真偽ではなく解釈の態度について考えることが始まりではないだろうか。
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人生のただひとつの目的は、精神的に成長するということです。あなたが完璧になると、誰かがちょっと洗濯機に投げ込んでみようとするのです。そして人生という洗濯機に投げ込まれたとき、あなたが壊れて出てくるかそれともみがかれて出てくるかは、ほかの誰でもない、あなた次第なのです。
最初に課題をあたえられたときにちゃんとやらないと、必ずまた課題をあたえられます。しかも、前より難しいものを。
キューブラー・ロスがそうだったように、誰もが子どもの頃やり残した課題を一生かけてやるのかもしれない。
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Death is of Vital Importance ―
http://www.chuko.co.jp/bunko/2001/06/203843.html
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このような研究が相当以前から専門家によってなされていたことを知らなかった。
人生において、肉親や親しい人の死に直面することはかならずあるが、病気のようにうっくりと死を迎える人に相対するときには、本書の内容は非常に有用であると思う。
死は生の完成形を迎えるための最終過程であると著者は説く。そうであれば恐れるものではないだろう。死に対する恐怖心は本能的なものなのかもしれないけれど、克服できれば、人生の過ごし方も違ったものになるのではないかと思う。
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著者の生い立ち、体験から語られる講演集。精一杯生きることの大切さを謳う。訓練で幽体離脱ができるとは驚き。14.2.20
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条件つきの愛が人生を台無しにすることがいかに多いか。
喪失体験が足りないと、giveがベースの愛情は育ちづらいのかもしれない。
しかし、godnessにしっくりくる訳語ってないね。
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知識は役に立つがそれだけでは誰も救うことはできない。治療の見込みがないと思われていた分裂病患者たちの94パーセントを退院させることができたという記述に目を見張った。わたしはキューブラーロスさんの言葉ひとつひとつに、身体を揺さぶられる。わたしは愛を与える力が少ないのではないか、これはどういうことだろう、人として生きていくにはやはり、、、などと考えてしまう。
まず、自分の肉体、感情、知性、霊的、その四つの調和が必要だという記述には、当然と思う反面、では調和がとれているかというと、うーむと唸ってしまう。
その四つが調和を保つためにはどうしたら良いのか?それは、自分の存在を受け入れ愛する、自然な感情に蓋をせず表に出して人と分かち合う、そして人を無条件に愛する、ということ。
この先の自分を支えていく考えに触れた。読んで良かった。
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丁度、この本を読んでいる最中に件の天災は起こった。
否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ
なにもできなくなる段階である。
受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
~wikiより引用
天災などによる死は、このような過程を辿れる余裕がないからこそ、より残酷性が増すのかもと思った次第。
ところで、甚だ不謹慎ではあるが…
相撲の八百長や、大学入試のカンニング事件や、前原さんを糾弾する人々は一体何処にいったのだろうか…
例の受験生を追って山形の母親を取材していた記者達は、そのまま仙台に移動したのだろうか…
そう言えば、阪神大震災の時にも多くの人が「私達が欲しい情報は"今現在、何処に、何が在る"なんです!」と訴えていたのを思い出した。
にも関らず、今回もTVでは…
今回の地震のメカニズムや原子炉の構造を解説することに多くの時間が割かれている(私達素人にそんなことを判り易く説明して、一体何の役に立つのだろうか…)
さらには…
日々明らかになっていく惨状や死者行方不明者数が、私達をどんなに陰鬱にさせているのか…
とにかく…
歴史や過ち、天災は何度も繰り返される。
しかし、死は一度しかやってこない。
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"この本は、キューブラー・ロスさんの講演を編集したもの。「死」を見つめることで、生を考えている。死に直面した子供との話は、死とは何かについて考えさせられる。子供は死を迎えることを意識しているし理解もしている。しかし、子供の表現力には限界があり、その子が何を気にしているのか親は気がついてあげられない場合もある。キューブラー博士は、子供が描く絵から死を前にやり遂げたいと思っていることを聞き出す。
日本では世界的に見ても希な宗教を意識していない生活をしている人が多い。宗教が死への足かせともなりうるということがあるエピソードには驚いた。
今回の本には、臨死体験にもふれている。永遠の謎である死後の世界、その一端ものぞける。"