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商品説明
90年代にデビューまたはブレイクした、いまどきの論客44人+αを論じる試み。この10年、彼らは何を語ってきたのか? 宮台真司、小林よしのり等を取り上げる、論壇エンタテインメント読本。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
永江 朗
- 略歴
- 〈永江朗〉1958年北海道生まれ。法政大学文学部卒業。西武百貨店系洋書店勤務などを経て、ライター業に専念。著書に「不良のための読書術」「出版クラッシュ!?」など。
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紙の本
人生いろいろ
2006/01/29 02:05
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nanako17girls - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は90年代にブレイクした批評家を紹介してる。メジャー・マイナーを問わずさまざまな批評(アカデミックとジャーナリズムの中間)を批評している。なぜ人は批評するのか?それは「自分の好きなものを擁護し、愛してるから」だろう。哲学者から精神科医、クルマ好き、化粧品のライターなど、雑多なものについて取り上げている。本書のテーマは「好きなものは好き」「誰にも理解できなくてもいい」「売れなくてもいい」そんな精神に貫かれている。つまり「オタク」だ。何かに熱中できる人はそれだけで羨ましい。クリティカルなものによりある作品、商品に夢中になれる。そんな人たちがいるだけでもなにか救われた気分になる。著者である永江氏もその一人だ。メイド喫茶にはまる人もいいだろう。しかし、「単なる消費者」ではなくそれについて「愛」を持つことは素晴らしい!1960年代に生まれた人たちはバブルも経験し、豊かなカルチャーを生み出している。フランス哲学にハマった人もいれば、フィギュアにハマった人もいる。そこには「いい・悪い」の差はない。ただ「自分の好きなものに対して『愛してる』のだ。かくいう著者も80年代に学生時代を過ごし、自称「書店マニア」を標榜している。まあ、好きなものに「語る」のは楽しいし、それを商売にしている人もいる。「入門書」としては悪くない。広大な「オタク・カルチャー」が存在する。それだけで十分じゃない?また、本書の特徴として非常に読みやすい!しかし、深い!そして装丁が素晴らしい!「私、オタクになれない、でも興味はある」そんな人にオススメだ。
紙の本
評論の批評
2001/10/10 00:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しや - この投稿者のレビュー一覧を見る
的確な批評性と文章に芸のある90年代の様様な評論家を、見事に作者が批評してしまっている一冊。宮台真司から田中康夫、近田春夫まで痒いところに手が届く人選がおもしろい。この本で90年代の事を振り返りつつ、この先10年の評論が見えてきそう便利な評論ガイド本だといえよう。気になる評論家がいたら、bk1でさっそく本を購入だ。
紙の本
1990年代にデビューまたはブレイクした現代日本の評論家達をレビューする
2001/09/16 21:11
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:格 - この投稿者のレビュー一覧を見る
評論の条件とは批評性と文章の芸の2点を満たしていることだそうである。この観点から現代日本の評論家たちをレビューしていく。しかし、評論家たちをなで斬りにしていくのかと思いきや、ほとんど褒めていて、肩すかし。けなしているのは小林よしのり、山田昌弘くらいか。
知らない評論家たちも多く、それでもそのレビューが面白ければと思ったのだが、あまり面白くない。キーワードを太字にしている部分があるので、途中そこだけを拾って読む状態になってしまった。ほとんど通じない。
ところが、後半の4章ライフスタイルとサブカルチャーの章に入って、まったく知らないのだが、全部読んでしまった。たとえば『ウンゲロ』の松沢呉一。『ウンゲロ』とは、ウンコやゲロだ。それを渋谷の街を探して歩く。その前は、オウム問題で、江川あたりに突っ込んだ。そして、今は「横町の性科学者」だそうだ。面白い。こういうへんなやつらのオンパレード。是非これから読んで行きたい。
紙の本
強欲なる読者より
2001/09/17 00:23
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Chintara - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう永江朗の本は読まなくて良い。そういう結論に達した。
昨今の論壇状況を概観したいという見地から本書を読むのは、もとより適切ではない。得られる知識はただひとつ、現代日本で活躍する評論家に著者の与える評価、それのみであって、それ以上の知見を求める者は強欲な読者にすぎないのである。
そうであるならば、著者が「小林よしのりが嫌い」と述べるように、読者は著者に対する評価を好悪で示すほかない。私は、自らの好き嫌いを根拠に臆面もなく他人への評価を書き綴れる永江朗が「嫌い」であり、今後彼の著書を読む必要がないと判断する所以はそこにある。
ところで、ときに読者は強欲である。少なくとも私は、論客を論ずる書物ときいて、本書に高次の批評、すなわち批評についての批評を期待していた。その期待が外れてしまったのも全く不満であった。
紙の本
2001/11/12夕刊
2001/11/16 22:16
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮台真司、宮崎哲弥、上野俊哉ら一九九〇年代以降にメディアに登場した約四十人の評論家を批評した。甘すぎず辛すぎず、明快に切るところが痛快。本業の分かりにくい研究者が増えたわけにも触れ、全共闘やニューアカデミズムの時代と現在との違いを浮き彫りにする。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001
紙の本
自分についての記述の訂正及び全体像がないのが残念
2001/11/05 15:41
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:山形浩生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分について一部書かれている本を読むというのは結構こそばゆいものではありますが、一つ訂正しておくと、ぼくはMITでクルーグマンの教えを受けたことはありません。講演を何度かきいて、サインをもらっただけです。
また、田口ランディと同列に言われるのは、正直いって気持ちのいいものではありませんでした。ぼくの文章はほとんどがまず紙メディアで発表されて、それを後から記録としてネット上にアップしています。初出媒体が主にネットやパソコン通信だった田口とは、かなりちがうのではないでしょうか。確かに多くの物書きに比べて、ネット上での活動が目立つということはあるかもしれませんが、ネット出身と称するのは若干無理があると思います。
さらに、内容的にも田口ランディごとき低俗オカルトライターといっしょくたにされるとは、情けないです。が、まあしょせんそれはぼくの評価がその程度ということで甘んじて受けるしかないですね。
本としては、個別のライターについてそこそこまとまった紹介にはなっているのですが、それを全体として見渡す視点がないのが残念でした。ないものねだりではありますが、自分でも知らなかった自分の新しい側面、あるいは自分自身の新しい位置づけ、といったものが見たかったとは思います(まあ田口と同列、というのは一種の「位置づけ」なのかもしれませんが……)。
「森永/宮台/山形はこんな系列でこんなことをこんなふうにいっていておもしろい」という羅列に終わっていて、たとえばなぜ数ある批評家の中でかれらに注目すべきだと考えるのか、とか(90年代に出てきた、というだけではあまりに弱いと思う)、それが全体としてどんな流れを作っているのか、とか(かつてのニューアカはいまどう影響しているのか、あるいはぼく以外にも呉智英や橋本治の影響下にある人はいるけれど、それがどういう系譜になっているか)といった見取り図が描けていないのは、不満なところです。
が、さっき言ったように、個別のライターの紹介はよくまとまっているとは思います。
紙の本
「批評の事情」の事情
2001/09/14 13:51
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本で語られているのは、主に90年代にブレイクした批評家、評論家である。「まえがき」で述べられている通り、本書のテーマは「現代日本の評論はどんなことになっているのか」ということなので、とりあえず本書を通読してみれば現代の評論の見取り図はできると思う。また同時に、ブックガイドとしても読める便利な本であろう。
さて、中身を見てみれば、「1社会はどうなる?」「2時代の思考回路」「3芸術が表すもの」「4ライフスタイルとサブカルチャー」「5文芸は何を語る」の5つに分類され、全部で44人の批評家・評論家が取り上げられている。永江朗は、それぞれの批評の方法や中身の特徴を語っていくのだが、それと同時に、批評・評論とはどういうことかということも考えている。本書の中にはちらちらと、永江朗の批評を読むとはどういうことかが語られているのである。永江朗にとって、批評を読む楽しみは何かというと、こういうことだ。
「批評を読む楽しさはいろいろある。日頃なんとなく漠然と感じていたことについて、はっきりした言葉を与えられたときは、まさに「腑に落ちる」というか、腹の中でストンと何かが落っこちて、うまいこと落ち着いた感じがする。あるいは、それまで思ってもみなかったものの見方を提示されて、「目から鱗が落ちる」瞬間。それはもう、その瞬間から世界が違って見えるほどの衝撃で、その評論を読む前の自分と、読んだ後のいまの自分とでは、まったく別人になってしまったかのような気分になる。」
たしかに永江朗は、評論や批評を読みながら「目から鱗が落ちる」瞬間を楽しんでいることが本書を読んでいると分かってくる。なぜならそうしたところでは、永江朗の筆の運びがよくなるからだ。本書をしばらく読んでいると、永江朗が批評家のどの部分で「目から鱗が落ちる」のだろうか、ということが気になってくる。そしていつのまにか、読んでいるほうも「なるほど」と永江の言葉に納得してしまう。それが、実は永江朗の批評家としての芸なのかもしれない。これは、永江朗は批評・評論にも芸を求めているのだから当然のことなのだけれども。
芸のほかに、もう一つ永江が批評に求めているものがあるとすれば、それは一つの作品なり商品を分析し論じながら、そこから文化や社会までも論じる、ということだ。こうした批評を評価している。たとえば、樋口泰人について論じている時に、「まさに、具体から抽象へ、そして普遍から個別へと巡る思考の飛躍。たぶん樋口泰人のこの文章を読んだ後では、『デッドマン』の映像からクリント・イーストウッドが描く「アメリカ」を連想し、さらに世界中の戦乱や世界中の不正義に思いを致すだろう。それこそが批評の力なのだ。」と最後の一文は太字で強調もされているのだ。
これまで、これだけの人数の批評家たちをまとめた本がなかっただけに、本書によって今どの批評家がおもしろいのか、どの分野の批評がおもしろいのかということが分かる。全部を読んでみて、個人的に感じたのは、批評・評論の本家とも言える文芸の分野が一番停滞しているのかもしれない、ということだ。鋭さでいけば、社会学あたりがあるし、面白さでいけば、サブカルチャーに関する評論かもしれない。この原因は、やはり文芸評論家が、自分の評論の対象に対しての愛情が一番少ないからだろうか。
紙の本
論壇案内
2019/04/26 23:35
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
批評家について語られているので、そもそもの論壇について興味のない人にはどうかな……狭い世界なんだなとは思いました。