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紙の本
毎日ごちゃまぜの気持ち
2006/02/11 10:55
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクヤマメグミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
実業之日本社から出ていた「てのりくじら」「ドレミふぁんくしょんドロップ」を再構成してまとめたのが本書らしい。
前作はオカザキマリ氏のかわいらしいイラストが添えらえていて、初め絵本かと思ったくらいだ。
文庫には池田進吾氏のモノクロ写真が。
それが画面を引き締めて、同じ短歌なのに全く違う印象を受ける。
『ハッピー』『ロンリー』『ウォーリー』というように、生きている私たちには数多くの感情が芽生える。
それらは毎日変わらないわけではなくて、ふとした瞬間にめまぐるしく変化するのだ。
そんな感情が31文字にのせられている。
ある時は強気なのに、ページをめくるとうなだれていたり。
クスリと笑いを浮かべた次の瞬間、真顔で考えさせられたり。
長編小説を読み始めるよりも気軽に手に取ることが出来るけど、心に突き刺さる言葉の数々は流し読みなんて出来なかった。
流れ落ちない、心にとどまる言葉たち。
手元に置いて、ランダムにページを開いて、分かったような分からないような気持ちになりながら一緒に生きていく。
そんな1冊になった。
紙の本
書評というより感想
2001/08/31 23:34
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:安田 祥子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私の通勤かばんにはこの本が1冊入っている。この本は休日にはショルダーバックに移動し、月曜日になるとまた通勤かばんの中に戻る。そしてもう1冊は寝室の書棚に。勤務時間中、昼休み、眠る前、いつでもすぐにページを開くことができるようになっている。もうほとんど中毒患者のように。たった31文字なのになあ。どうしてこんなに心が揺さぶられるんだろう。「心の琴線に触れる」ということを初めて感じさせてくれたのが枡野教祖の短歌だ。勇気づけられたり、ほわ〜んとなごんでしまったり、サクっと斬りつけられたり、じわっと涙腺がゆるんじゃったりするので、あまり人前では読まないようにしてる、私はね。31文字の力ってすごいよ。この感動をほかの人にも知ってほしいと、飲んでるときに初対面の隣の客にも勧めちゃったりした一昨日の私。もっと枡野中毒症患者が増えないかなあ。
紙の本
今を生きる人たちのために作られた短歌なのかもしれない
2002/02/17 13:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:楓 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は1997年に出版された『てのりくじら』と『ドレミふぁくしょんドロップス』の収録短歌を一冊にまとめて再構成し、新タイトルをつけたものです。前半はピンク色の写真と一ページにひとつの短歌が載っています。後半は水色です。写真は池田信吾氏。
作品集も多く、TV出演などもなさる枡野浩一氏の才能は今や疑いようもありません。しかし、実は私は、枡野氏の『ハッピーロンリーウォーリーソング』に出会うまで、現代短歌というものにほとんど触れたことがありませんでした。ですから、短歌=風流でなくてはならない、という思い込みがあったので、この作品集は衝撃でした。
枡野氏は、根性や絶望といった感情を、積極的に歌のテーマとして取り入れています。ひとつここに紹介してみましょう。
「こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう」
この歌に込められているのは、単なる希望ではないのです。あくまでも、今を生きる現代人のために作られた短歌なのだという気がします。
紙の本
なぜか疲れてしまったときに
2001/08/17 13:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:松木 秀 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ハッピーロンリーウォーリーソング』私はこの本を、精神的に疲れてもうなにも刺激を受けたくないようなときについ何度も手にしてしまう。
ほとんどの短歌というものは、人生を反映させたり、隙間をつくることによって読者の想像力に訴えかけるという書き方がなされる。だが、枡野浩一の短歌はそこが全部埋まっていて、隙を一切つくっていない。だからこそ、精神的にきついときに効果的なのであろう。想像力で補完しながら本を読む、ということは、本好きな私でもきつくなることがままある。そんなときには枡野浩一が極めて有効だ。
見開き2ページの右側に短歌、左側に写真をレイアウトした、歌集としてはすっきりとしていてぜいたくな構成も、ほっとできる要素のひとつだ。
そして、例えば折に触れてふと開いてみたときの一首に助けられたりしながら、私は今日も生きている。今開いてみたらこうあった。
「痛いの痛いの飛んでくように痛まなくなるまで歌いたい痛い歌」
あなたの今日の痛さはなんですか?
紙の本
ハッピーバースデイプレゼント
2001/08/15 01:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まるご - この投稿者のレビュー一覧を見る
誕生日はいつのころからかハッピーなだけではなくなった。きっと、それが大人になったということなのかもしれないね。
あなたの誕生日の3日前に、こんな本がでたんだ。最近、私が気に入っている枡野浩一という人の短歌集。短歌って言っても、多分あなたのイメージするものとはちがうと思うな。
もっと、言葉が今生きてるって感じなんだよ。言葉が放置されていない分、言葉がこっちによってくる感じなんだ。あるあるって共感したり、隠していたものを暴かれてどきっとしたり、おっとそうくるか、やられたなと思ったり。
ハッピーな歌ばかりじゃないけど、ロンリーの力もすごいんだよ。ハッピー・ロンリー・ウォーリーソング。これが、今年のプレゼント。ハッピーなだけではないけどさ、でもハッピーにはちがいない。
ハッピーバースデイトゥユー!!
紙の本
歌をつくって口ずさむ
2001/08/01 23:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:馬場ダイ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ハッピーロンリーウォーリーソング』。そこには枡野ワールドが広がっている。
この歌集の短歌は、97年に発行された『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』(実業之日本社)を一冊にまとめ再構成したものである。
それまで「短歌」といえば、
・老人の専売特許
・わかんない言葉を使ってる
・5☆7☆5
のイメージしかなかった。
そのコリコリのイメージを払拭してくれたのが、枡野浩一氏の短歌集だったのだ。
・老人は、まだ特許が取れていなかった
・わかる言葉を使ってる
・5☆7☆5☆7☆7
枡野氏が生みだす57577の三十一音は、あふれすぎて見過ごしていた日常ばかり。そんな、日常さえも視点さえかえればドラマにだってなっちゃうこと、平凡の日常が実は非凡の毎日だということを教えてくれる。
4年前と違うことといえば、池田進吾氏の写真が短歌の余韻をより一層引き立てていることと、私が4歳年をとったことだろうか。同じ短歌のはずなのに、当時とは全く違う短歌にさえ見える。
今日の私が好きな歌は、
ハッピーじゃない だからこそハッピーな歌をつくって口ずさむのだ
明日はどの歌を好きになっているのか…、何を感じさせてくれるのか…。『ハッピ−ロンリーウォーリーソング』は、そんな毎日をプレゼントしてくれる短歌集だ。
紙の本
ハッピーでロンリーでウォーリーなのだ
2001/08/17 21:35
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あきつよう子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
わたしたちは、ハッピーでロンリーでウォーリーだ。そんなこと、毎日毎日感じすぎていてあたりまえすぎて、忘れている。この本を開いて欲しい。
そこには短歌とともに多分どこかで見たことのあるような街の風景が写真になって並んでいる。通勤や買い物の途中で見るような。でも、そんな見慣れた風景が写真として切り取られたとたん、その表情にどきっ、とするのはなぜだろう。たとえば、ハンバーガーを食べ終えて足を投げ出すジーンズの少女、中吊り広告のある電車の車内。見慣れすぎてるものたちなのに。
枡野浩一の短歌は、それだ。私たちが、毎日あたりまえに感じている事をあたりまえの言葉で次々に切り取ってみせる。その時読む者は、そのあたりまえさに、打たれる。あたりまえである事のすごさに、打たれる。
この本を読むと、ハッピー、ロンリー、ウォーリーそれらがあたりまえの迫力できらきらと降ってくる。それがこの本を読んだ者への贈り物だ。多分。
紙の本
悲しくも美しい短歌の数々。
2001/08/15 13:04
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投稿者:みやぎあや - この投稿者のレビュー一覧を見る
「てのりくじら」「ドレミふぁんくしょんドロップ」を改題して一冊にまとめられた本書。コミカルなイラストだったハードカバー版とは変わって、日常の風景を写した写真が短歌を飾っている。イメージはまるで変わるけれど、短くて強烈な文章をより際立たせている点は一緒。こちらの方がややしっとりとした印象がある。
短い単語の羅列の中に隠された強烈な皮肉に痛みを覚え、同時にその痛みに気づく自分に安堵する。同じことを繰り返す日常の中でふと立ち止まって、自分の奥底をふとのぞきこみたくなるような何かがこの短歌の中にある。
紙の本
五七五七七の推進力
2001/08/22 02:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:澤 貴美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「短歌なんて作ったことない」と言う人でも、気が付くと日記を五七五七七形式で書いていること、あるのではないかと思う。五七五七七。偶数を安定、奇数を不安定とするのならば、全部奇数のグループ五つ(これも奇数。しかも足しても三十一とやっぱり奇数)で構成される、一見不安定なのに、心地よいリズム。日本人はこの形式を、知らず知らずのうちに求めてしまうものらしい。
『ハッピーロンリーウォーリーソング』は、そんな心地よい五七五七七のリズムを持つ、普段当たり前に聞いている「ような」言葉でつづられた、日常の一部を切り取った「ような」歌がたくさん詰まった短歌集だ。
枡野浩一氏の歌は、「短歌」という言葉が持つ堅苦しさとは一切無縁の存在として、しかしそのリズムの威力はそのままに、私達に直接届く歌ばかりだ。時には軽快な、時にはシニカルな、時には情熱的な表情で。
でも本当は気をつけた方がいい。枡野氏の歌は決して甘くない。当たり前と思った言葉は、実は絶対に当たり前のものではない。これらの歌は、心の奥の奥の世界から搾り出された、とてもとても特別な言葉でつづられた歌たちだ。五七五七七のリズムを推進力に、私達の心の奥の奥に直接響いてくる歌。その響き方は受け手の心の形次第で、まっすぐな人にはまっすぐに、複雑な人には複雑に、同じ人でもその日のコンディションによって、きっと違う広がり方をする。
そういうのはきっと、頭で考えてもだめなこと。「この歌の意図はどこに…」なんて難しいことを考えてもきっとだめなので、心で直接、受け取ってください。
最後に私が好きな歌を、一首は選べなかったから、二首。
・もう愛や夢を茶化して笑うほど弱くはないし子供でもない
・無駄だろう?意味ないだろう?馬鹿だろう?今さらだろう?でもやるんだよ!
この歌を今日の私の応援歌にする。明日は明日の応援歌がある。−この本の中に、きっと。
紙の本
歩いて行くために響かせる歌
2001/08/17 02:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:長瀬大 - この投稿者のレビュー一覧を見る
枡野浩一さんの短歌を読んだ時に感じる心の震えを僕は未だに上手く説明できないでいる。シンプルな言葉で、わかりやすい表現で、誰もが感じていることを言っているだけの三十一文字。聞き飽きた警句や、見慣れた日常の風景は、もはや僕らをどこにも連れて行くはずがないのに、何故か、枡野さんの短歌は激しく感情を揺さぶる。それがあまりにも純粋で、強い言葉だからかもしれない。
伝えるべき本質と伝えるべき他者を、ここまで明確にして表現する人を僕は知らない。短歌があんなにも純粋で力強いのは、目的が明確なので、回り道をする必要がないからだろう。だからその言葉は僕の胸に一直線に届き、共鳴する。伝えたいことがあまりにもクリアだから、無視することもできない。優れた作品が全てそうであるように、枡野さんの短歌も作者の心情というよりは、僕たち自身の感情と向き合わせるように作用する。そして、それがあまりにも純粋で見間違えようのないために、正面から深く見つめさせられることになるのだ。恐らくは、それがあの独特の感動を生み出しているのだろう。
「ハッピーロンリーウォーリーソング」は、そんな短歌に、池田信吾さんの優しい輪郭を持った写真が合わさって、もっと淡くて広い感情の広がりまで手に入れてしまった。これは何度でも読み返すべき傑作だと思う。そして短歌を読んだことのない人達にこそ強く奨めたい。
聞き飽きた警句や、見慣れた日常の風景は、もはや僕らをどこにも連れて行かない。枡野さんが歌う、ハッピーやロンリーやウォーリーな歌を聞いて引き起こされるのも、他ならない僕ら自身の、かつての、今の、感情であって、それが新しいどこかへ連れて行ってくれるわけではない。
でも、新しいどこかへ向かうための「力」なら、確かに与えてくれる。
「ハッピーロンリーウォーリーソング」は、自分の力で歩もうとする僕らが口ずさむための歌だ。だからこそ、僕はいつも、この歌を口ずさんでいる。