このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
70年代アイドルから90年代のヘアヌードバブルまで、「ハダカ」が事件だった30年間の裏面史を、150点の歴史的ビジュアルとインサイダーの証言で綴る。あの日あの時、彼女たちはなぜ決心したのか?【「TRC MARC」の商品解説】
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
ヌードをめぐる人生
2001/09/16 01:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:袋小路 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「『アイドルは脱がない』という基本原理から見て、ヌードになることは『アイドルの死』(もしくは転生)を意味するのではあるまいか」と編著者の宝泉はいう。加賀まりこから始まり、宮沢りえ、菅野美穂まで、「アイドルが脱ぐ」ことに(過剰な?)物語を読み込んだ本だ。
宝泉は元「よい子の歌謡曲」発行人。5、6年前、今はなき雑誌「宝島30」に、斎藤由貴、西村知美といった元アイドルを中心とした女性芸能人の「人生」をめぐるインタビューを加藤秀樹名義で連載していたのが印象に残っている。その名も「女の坂道」。アイドルなんてみんな同じ、と素人は思いがちだが、当たり前のことだがそれぞれ異なる人生を背負っていることを、そこでは示していた。アイドル雑誌周辺での仕事も多かったようだから、おそらく多くのアイドルの「人生」を見つめてきたのだろう。本書にも、その蓄積は生かされている。
「『アイドルヌード』とは、脱ぐ側にも見る側にも、切なさや痛みを伴うものなのだ」と宝泉は言う。逆に言えば、切なさや痛みが伴わないヌードはアイドルヌードではないのだ。
本書でいちばん面白かったのは、「切なさや痛みが伴わない」小泉今日子への批判だ。80年代の小泉は「死体ヌード」「人拓」など妙に「アート」がかった仕事を重ね、それがサブカルチャー文化人からの支持を受けていた。宝泉によれば、例えば中森明夫は小泉を「新しいアイドル像の構築」ととらえていたが、宝泉は、小泉は古いアイドル像を破壊するだけだと考えていたという。ここにみられる対立は、サブカルチャーVSオタク本流の対立、ともみてとれる。「『ヌード=アイドルの死』という大前提からいえば、彼女(小泉)は半死半生のまま生き続けている」と宝泉は言う。
アイドルヌードは今後、どうなるのか。
「アイドルヌードの妙味とは、『処女喪失』にも似たその『痛み』を、かつてのファンと被写体が共有するところにあった。が、ヘアヌードバブルの頃になると、アイドルもファンもそのあたりの感覚が麻痺してしまい、予定調和的なシラケた雰囲気が漂い始める」「『アイドルヌード』が飽きられれば『アイドル』そのものが死滅していくしかないだろう」と宝泉は予言する。
宝泉は彩流社からのムック「一発屋」シリーズでも該博な知識を披露している。しかし本書には知識だけでなく、アイドルへの「愛」も過剰なまでに感じられるのがよい。