- カテゴリ:一般
- 発行年月:2001.9
- 出版社: 筑摩書房
- サイズ:20cm/356p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-480-83189-4
紙の本
素粒子
文学青年くずれの国語教師ブリュノ、ノーベル賞クラスの分子生物学者ミシェル・ジェルジンスキ。捨てられた二人の異父兄弟の人生をたどり、希薄で怠惰な現代世界の一面を描き上げた長...
素粒子
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商品説明
文学青年くずれの国語教師ブリュノ、ノーベル賞クラスの分子生物学者ミシェル・ジェルジンスキ。捨てられた二人の異父兄弟の人生をたどり、希薄で怠惰な現代世界の一面を描き上げた長編小説。新星ウエルベック衝撃の話題作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ミシェル・ウエルベック
- 略歴
- 〈ウエルベック〉1958年フランス海外県レユニオン島生まれ。国立高等農業学校卒業。91年詩集「生きてあり続けること」でデビュー。著書に「ランサローテ」「プラットホーム」がある。
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紙の本
オスカー・レーラー監督映画化原作
2016/12/29 13:30
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
グリフィスのものがたりのように、登場人物たちの記憶がある散りばめられた構成は見事だった。孤独な兄弟の彷徨う様子は、今の世界そのものだ。
紙の本
素粒子
2001/12/14 08:19
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:333 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大変、刺激的な内容の小説だった。異母兄弟のブリュノとミシェル・ジェルジンスキの物語。
猥褻であり、そして刺激的だった。文化的な挑発をふくめ、よくフランスが描けている。サルトルやドゥールーズやソレルスなどが出てきたのも面白かった。
新しい人間が作り出される物語は、新しい世紀に相応しい。
紙の本
哀しくてやりきれない。
2003/05/02 11:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
確か、村上春樹のエッセイで知ったと思うんだけど、あのクルト・ワイルが作曲し、フランク・シナトラが歌った『セプテンバー・ソング』のような小説だ。おしまい。ってのは、駄目かしらん。ここでわかってしまった人は、こっから先は読む必要な〜し!
人生のセプテンバー(秋)を迎えた異父兄弟の物語。語弊があるか、そう痛感しているのは、兄だけかもしれない。国語教師をしている兄(ブリュノ)は、全身性器のような、性欲、命という本能むき出しの男。弟(ミシェル)は、穏やかでクール、脳ミソの代わりにC.P.U.でも入っているんじゃないかと勘繰りたくなる優秀な生物学者。もっぱら兄貴のイタセクスアリスが軸に、弟の話と交互に描かれているんだけど、結構、ポルノ。
その時々のフランスのと、いうよりも、世界的に流行ったカウンターカルチャーが出てくる。コミューン、ドラッグなどのヒッピー文化からニューサイエンス、ニューエイジ。日本だったらさしずめ、中津川フォークジャンボリーへ参加して、新宿風月堂でお茶してってとこなのかな。よーわかりまへんが。
お懐かしやアンガージュマンのサルトルからイブ・クラインのパフォーマンスよろしく窓から投身自殺したドゥルーズ、フィリップ・ソレルスまで登場してくる。ソレルスに兄貴は小説を持ち込むが、やんわりとソフィスティケートされた応対で掲載を拒否される。
ウィメンズ・リブがもたらしたものは何か。それは、精神まで萎えてしまった心優しき(または去勢されてしまった)男どもを出現させたこと。なんて言っている兄貴。俗物っぽくて不良インテリゲンチャには、好感を抱かれることだろう。弟君は、キャラ的に女性に人気なんだろな。
小説ってこんなに自由に書いてもいいんだ。なんかぼく自身、小説という型にガチガチにはめられていたことを知った。地の文があって、会話があって、起承転結があって…という。時々出てくる物理学や遺伝子工学についての記述は、科学書を思わせる文体になったりしているのだが、まったく気にならずに読み進むことができる。
で、やはり、エピローグが優れている。グッときた。どうきたのか、佐倉統風に言えば、弟の発表した論文により、ついにはミームが遺伝子をコントロールする時代になったことを書いているからだ。
20世紀後半の西欧やそこに生まれついた知識人を総括している気がするが、そこには哀しみを殺しながら生きている普遍的な人間の姿がある。
兄と弟に取り巻く小さな死から大きな死まで、ともかく死のにおいに満ちているからなのだろう。それは、エロスよりもタナトスと言うべきなのか。ともかく、不思議な味わいの小説だ。読んだ後に、さまざまな断片が、心のあちこちに突き刺さった。
紙の本
フランスの村上龍、かな?
2002/11/21 18:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:川ウソ左衛門 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代フランスの小説である。ゴンクール賞は逃したらしいが、1998年度の読書界の話題を独り占めした小説であるらしい。
本編が始まり、冒頭、どうやら作者と同世代の40歳になる男が登場する。
どうやら、この男は天才肌の生物学者で、ゆくゆくは途方もない偉業を達成する男であるらしい。
そして、この男には二つ違いの、いわゆるタネ違いの兄がいる。こちらは文学専攻、おばあちゃん子で、寄宿舎ではいじめられっこ、青春期に入っても過食による肥満とありあまる性欲で、鬱々としている。
フランスといえば、誰もがおしゃれな恋愛を謳歌しているような(なはずはない!のだが)、考えるまでもなく馬鹿馬鹿しく根拠のない思い込みが、ここあたりから裏切られ始める。
20世紀、特に第二次世界大戦後の、先進国を気取る国々での暮らしは、なんとまあ驚くほど似通っていることか。その希望のなさにおいて、先の見えない閉塞感において。
ともあれ、ある種の伝統を思わせる、古典的な小説作法に則った年代記風の語りと、誕生や生い立ちのエピソードを重層的に緻密に組み合わせて、人物像を浮かび上がらせていく力量はすごい。
中盤からは、もう若くはない中年男女の惨憺たるラブストーリーとして、私はかなり面白く読んだ。
70年代フリーセックス思想にもとづくバカンス施設での出会い、ヌーデイスト村や乱交クラブでの週末ごとのデート。そして早すぎる悲しい永久の別れ。
男の純愛は、女の死によって、あっけなく砕ける。男は、かつて自分に快楽をくれ、自分も快楽を与えようと努めた女の亡骸を棺のなかに見出したとたん、後ろ向きに倒れ、後頭部を強打する。職員たちが優しく助け起こす。なかでも年配の職員が「泣きなさい、泣かなきゃだめです」そう熱っぽく慰めるのに、男は泣けない。涙でカタルシスを得ることはできない。男は死も選べず、生きながら廃人になることを選ぶ…
「無定見。無定見で、軽薄で、道化じみている。それが男というものだ」。
紙の本
小説の「死後の生」まで完璧に描き切きった作品
2002/01/27 17:29
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終えてから数日、何をどう書けばいいのか思いあぐねていた。まとまった感想があるから書くのではなくて、感想文を書くから何かしら実質的なものとしてまとまってくる、そんな事後印象を記録しても自分を欺くだけのこと。生々しい読書体験がリアルに想起されるうちに、何を考え何を思いながらこの長編小説を読んだのかを書き残しておきたかった。
それはたとえば、ロシア・コスミズムや本書とは何の関係もないピーター・ゲイの『快楽戦争』の名が浮かんできたこととか、ニーチェの仏訳者ピエール・クロソウスキーの『生きた貨幣』は関係してくるのではないか、本書はスピノザの哲学が下敷きになっているのではないかと思ったこと。
あるいは、主人公の片割れミシェル・ジェルジンスキはどこかウィトゲンシュタインを思わせるとか、物語が1882年を起点としているのはニーチェがルー・ザロメに求婚したことやブロイアーの催眠療法と何か関係があるのかとか、母親譲りの遺伝子を分かち持つ異父兄弟のブリュノとミシェルの生の軌跡の交錯はアインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンの「想像上の実験」(19頁,135頁)と何か関係するのか、そしてそれは本書の書名の由来を明かしているのか、それともそれは二人の会話の中に出てくる「単子[モナド]か……。」というミシェルのつぶやき(205頁)のうちに示されているのか、等々といった散漫な印象やくだらない思いつき。
そんな断片的な(素粒子的な?)感想群をどうやって編集すればいいのか、それともそれはそのままにしておいて時間の熟成を待つべきなのか、あるいは雲散霧消するにまかせておけばいいのか。そうやって悶々と思いをめぐらせているうち到達した結論は、この小説のテーマは現代において宗教と愛がいかにして可能か、要するに新しい結びつき(共同体)の可能性の問題であるという、いかにも事後印象的なものだった。
この「テーマ」に対して作者が与えた回答が人間の終焉、ではなくて人類の消滅である。キリスト教の成立による第一次形而上学的変異、科学革命による第二次形而上学的変異、そしてそれがもたらした「分離」と「物質主義」の時代を過去のものとする第三次形而上学的変異の到来。ジェルジンスキの業績によって、細胞は無限の複製能力を与えられ、「どんなに進化した種であれ、すべての動物種はクローン操作によって複製可能な、同一の、不死なる種として生まれ変わることができるようになった」(340頁)のである。
──田村隆一は最後の詩集で、「さよなら遺伝子と電子工学だけを残したままの/人間の世紀末」と書いた。異父兄弟の陰鬱で苦悩に満ちた生と思索の軌跡を、まるで戯画化された「ケルズの書」のように絡ませ叙述することで二十世紀そのものを総括し、小説の「死後の生」(ベンヤミン)までをも完璧に描き切きったこの作品は、はたして悪夢の予言なのか希望の告知なのか。
紙の本
著者の生い立ちを色濃く反映した書
2001/10/02 22:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「本書は何よりもまず一人の男の物語である。男は人生の大部分を、二十世紀後半の西欧で生きた。ほとんどいつも孤独だったが、ときには他の人間たちと関係を持つこともあった。男の生きた時代は不幸で、混乱した時代だった。男を生んだ国はゆっくりと、しかしあらがいがたく中貧国の経済レベルに転落していった。彼の世代の人間は、たえず貧困に脅かされ、そのうえ孤独と苦々しさを抱えて人生を過ごさねばならなかった。恋だの優しさだの人類愛だのといった感情はすでにおおかた消え失せていた。同時代人たちは互いの関係においてたいていは無関心、さらには冷酷さを示していた。/消息を絶ったとき、ミシェル・ジェルジンスキは超一流の生物学者として誰もが認める存在であり、ノーベル賞の有力候補と目されていた。だが彼の真の重要性が明らかになったのはもう少し後になってからのことだった」。これは本書「プロローグ」の冒頭である。著者は1958年2月26日、インド洋上に浮かぶフランスの海外県レユニオン島生まれ。父は登山ガイド、母は麻酔専門医だった。両親は息子の教育を放棄、著者ウエルベックが6歳の時、父方の祖母に預ける。その後、両親は離婚、母親は別の男との間に娘をもうけるが、ウエルベックは4歳年下の異父妹といまだに会ったことはない。なお、筆名のウエルベックは祖母の姓から取られたものである。祖母は、彼が20歳の時に他界。1980年、国立高等農業高校を卒業した彼は、同年、最初の結婚をし、23歳の時、息子が誕生するが、やがて離婚。職も失って、数度にわたり精神科に入院もする。こうした著者の生い立ちを色濃く反映したのが本書『素粒子』なのだ。主人公は二人の兄弟。兄のブリュノ・クレマンには息子がいるが妻と離婚、現在は独身。年齢は42歳。高校の国語教師で、雑誌『ランフィニ』に原稿が載ったこともある。異父弟ミシェル・ジェルジンスキは、ブリュノとは正反対、早くから数学や物理学に卓越した才能を示し、長じてノーベル賞級の分子生物学者になる。著者がモデルと思われるブリュノは性的妄想から逃れられず、自慰や乱行も含め、年がら年中セックスをしている。これに対してミシェルは、異性への興味は皆無、性欲すらない男だった。本書のテーマは、<どこか双子めいた兄弟像を通して「西洋社会が暗澹たる方向に傾いていこうとする決定的な転換点」を浮かび上がらせたもの>とは訳者野崎歓の解釈である。小説は、「西欧の自滅」の過程を象徴したニューエイジ風サマーキャンプの乱行パーティその他、ブリュノのセックス・シーンに半分は割かれるが、これらの描写、作者が思っているほどの効果はなく、いささか冗長でもある。とはいえ後段は近未来小説にもなり、ミシェルが失踪してから20年後の2029年、知能ある最初の新種クローン人間に関する実験が全世界にテレビ中継される。それは約60年前の1969年、人類初の月面着陸の生中継を凌駕し、人々に強烈なインパクトを与えた……。