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商品説明
職を失った男は司法試験を目指して勉強中。妻は小学校の教師。結婚後四年、不妊症であることが判明した二人は、人工授精に挑戦する…。自らの体験をモチーフにして綴った、芥川賞候補作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
佐川 光晴
- 略歴
- 〈佐川光晴〉1965年東京都生まれ。北海道大学法学部卒業と同時に結婚。出版社を一年でやめ埼玉県内の屠畜場に勤務。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞受賞。
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紙の本
後藤明生と佐川光晴
2004/05/02 11:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は後藤明生ファンである。それがこの本を読むきっかけだった。
ウェブサイトなどで後藤明生の明らかな影響を受けた作家としてちょくちょく名前を見た時から興味を持っていたのだが、じっさい本書を読んでみると、その「影響」がとてもよくわかった。
後藤明生から影響を受けている作家としてはもうひとり、阿部和重がいる。阿部は専ら後藤明生の小説の形式的、方法的側面において後藤を摂取しているが、佐川は主に文体、認識の側面を摂取していると言うことができる。阿部和重については「アメリカの夜」の書評に少し書いたので詳説しない。
佐川が後藤明生から摂取したのは、文体である。
試しに後藤明生の「挾み撃ち」などと読み比べてみるとわかるのだが、佐川のこの作品の文体は明らかにその時期の後藤明生の文体を模倣している。区切りの良い簡潔な表現と、文学的修辞の排除、そして疑問符の他用によって自分の思考を常に相対化していく。
これにより主人公といったん距離をとり、相対化して眺める視線を確保する。
文章レベルだけでなく場面の作り方などにも、主人公を喜劇化してみせる意図が働いているのを見ることができる。たとえば、不妊治療のためにみずからの精子を自分で用意した「ジャムの空壜」に入れ、それをポケットに入れて坂を駆け上がるシーンというのが後半にあるが、この場面などその典型だろう。
なぜこのような文体が用いられているのか?
この小説は、ある夫妻が行う不妊治療の共同作業について書かれている。男はある日、通常の性生活があるのに二年以上子供ができないことが「不妊症」であると「家庭の医学」に記載されているのを見つける。ここでは、「不妊症」というのが誰かに明確な原因があるというものではなく、子供ができない夫婦の状態そのものに対する名前であるということが、男にとって重要なことである。
つまり、不妊症とは夫婦の関係そのものに与えられた名前であるということである。であるから、それは夫か妻をただ治療すればいいというものではないのである。
それが男にひとつの「とまどい」を与える。
そして、不妊症を治療するとは、「子供を作る」ということを「選択」することでもある。
それまでは自然な性生活のうちにいつのまにかできるもの、というとらえ方をしていた男は、それにもまた「とまどう」。
自分の人生をふり返っても、自分が大学院に進まず銀行に就職したことも、妻と結婚したことも、選択であるよりは状況のなかで決まっていったということが、彼をとまどわせるのだ。「明確な理由」がとても不安定なものに思えているのである。
また、男は失業中の司法浪人である。妻は教師として毎日出勤しており、そのあいだ男は家事のほとんどをこなしている。普通の家族、という形態ではないのである。ここでは従来の男女の役割の交代がことさら新奇なこととしては書かれていない。当然の成行であり、非常に淡々としている。
つまり、男にとっては家族や妊娠といった「普通」のことが、まったく「普通」でないのである。彼はみずからの手で自分を位置づけなければならない。当然のことが当然でないという状況である。
「当然」が自明のものではなくなってしまい、すべてが「とつぜん」にすりかわってしまった世界、それは後藤明生が認識していた世界の形でもある。「挾み撃ち」において獲得されたこの認識、これをこそ佐川光晴はその文体とともに引き継いでいる。
後藤明生との関係について書きすぎた。しかし、不妊治療を扱った夫婦を描いた小説として、男がどうその関係のなかで生きたかということを書いているこの小説は、単独で充分面白く興味深いと思う。
しみじみといい作品だな、と私が思ったのは、なにも後藤明生ファンだからというだけではないはずだ。
是非他の小説も読んでみたいと思わされたし、これからの動向がとても気になる作家である。
紙の本
ジャムの空壜
2002/02/14 14:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ポンタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
新潮新人文学賞「生活の設計」に続く第二作。芥川賞候補作。
今回は不妊を扱った小説。面白かったし、よくできていると思った、そして、なによりも驚くべきことは、これに続く「サンディア!」という2001年12月号新潮に発表された作品により、これらの一連の作品が三部作であるということがあきらかになるということである。この趣向は面白いし、よかったと思う。陳腐ではない。また、群像2002年3月号に発表された「縮んだ愛」も多少疑問に残る点はあるが、これも秀作だと思った。
佐川光晴氏に特徴的なのは健康的だということである。どうもこの印象を拭うことができない。これは村上春樹氏にも通ずるのではないかと思う。文学特有のいやらしさが佐川光晴氏にはないのだ、これは恐るべきことである。だから佐川光晴氏の書く作品は全部嫌らしくない。それゆえに正統な文学として賞を逃したり、評価されないのかもしれないがそんなことはない。村上春樹氏がそうであったように、この人もかなりの才能の持主なのではないだろうか思ってしまう。もちろんそれはこれから書きつづけてゆくうえでわかってゆくことなのだろうが、佐川光晴氏はこれから注目すべき作家であるし、これからも書きつづけて欲しい作家だ。
紙の本
苦悩・現実・日常
2004/12/16 20:42
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:花の舟 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本のオビにある作者自身の言葉によると、この『ジャムの空壜』も前作同様、佐川氏自身の体験を基に書かれたものということです。
「男」と「妻」という呼称で、一組の夫婦が不妊症であることがわかり、治療に取り組む日々を、几帳面にどの出来事も取りこぼすことなく…といった感じで描いた作品です。ルポルタージュやドキュメンタリーの手法でなく、小説という形で著し、非常にリアルでありながら、露悪的ではないところが好ましく思えました。
実際、読んでいますと、感情をできるだけむき出しにせず淡々と書かれてはいても、丁寧に綴られているだけに、「男」と「妻」の抑えた苦しみや、時として沈みがちな気持ちがかえってこちらの胸に響いてきます。「男」の妹の妊娠が、実家から知らされた場面など、ちょっと、痛々しくてこの「妻」がそばにいたら、黙ってそっと肩を抱いてあげたい…と思いました。
こんなふうに、二人はいろんな思いを抱えながらも、医師のアドバイスに従って治療を行うのですが、それと並行して、二人の暮らしが描かれていくのがとってもいいのです。
「男」は職を失って4年。司法試験の合格目指して勉強中で、教職にある「妻」に代わって家事一般を担当。このあたりの描写は、前作と同じくこまごまとした日々のことが軽いリズムを刻むように描かれていて、おもしろいです。また「男」が途中から、肉屋でバイトを始めることになるのですが、憑かれたように肉をスライスしたり、主人の仕事を手伝ったりするようすが、興味深い。勉強と家事と不妊症の治療とのほかに、全くちがう“労働”を自らに与えることで、充実感、満足感、楽しさなどの感情を強く感じることとなったのです。
二人にもたらされている逆境を、二人して乗り越えなければならないという見解がある限り、根本的なところでは揺らがないのですが、「男」と「妻」が予定していた日に人工授精が行えなかったことで、それぞれに、少しばかりの鬱屈を持ったであろうことが、文面から窺えるラスト近く。しかし、「男」が考えを切りかえて、明日のために眠ろうとするシーンには、佐川氏の日常への態度と真面目さが出ていて、安心して読み終わることができました。