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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.2 9件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2001.11
  • 出版社: 勁草書房
  • サイズ:20cm/477,17p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-326-65261-6
  • 国内送料無料

紙の本

生命学に何ができるか 脳死・フェミニズム・優生思想

著者 森岡 正博 (著)

脳死、フェミニズム、優生思想の3つをテーマに、生命倫理の問題を「人間とは何か」「科学技術はわれわれに何をもたらすのか」「現代文明は人間をどこに連れていこうとしているのか」...

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生命学に何ができるか 脳死・フェミニズム・優生思想

税込 4,180 38pt

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商品説明

脳死、フェミニズム、優生思想の3つをテーマに、生命倫理の問題を「人間とは何か」「科学技術はわれわれに何をもたらすのか」「現代文明は人間をどこに連れていこうとしているのか」という問いに結びつけて考える。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

森岡 正博

略歴
〈森岡正博〉1958年高知県生まれ。大阪府立大学教員。専門は哲学・生命学。著書に「生命学への招待」「脳死の人」「宗教なき時代を生きるために」「生命観を問いなおす」「意識通信」など。

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みんなのレビュー9件

みんなの評価4.2

評価内訳

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  • 星 1 (0件)

紙の本

私たちの存在そのものを通して現れてくる瞬間

2004/03/28 18:29

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:パティロ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本を離れて20年近く経つ。今はインターネットがあるから、それが私の図書館だけど、ネットをつなぐ前は、本当に活字に飢えていた。機会があって新聞などが手に入ると、それこそ必死で読み、気になるところは切り抜いたりしていた。今も大切にしているその頃の切抜きの中で一番登場するのが、この本の著者、森岡正博さんだ。その生き方に何か自分と共通するものを感じて嬉しかったから。

 ネットをつないで、森岡氏の生命学ホームページにたどり着いた時、やはり思ったとおりだと共感を新たにした。そして、縁あって『生命学に何ができるか』を手にすることができ読み終えたときには、氏の提唱する“生命学”のおかげで、目の前に大きく何かが開けた気持ちになった。
 本書、読みはじめからおもしろくてぐんぐん引き込まれるけれど、私が一番感動したのは、第四章田中美津論“とりみだしと出会いの生命思想”だ。
 「たてまえ」と「本音」の間の矛盾に気づき、おろおろする。このみっともない“とりみだし”のただ中に、その人間の真の姿が立ち現れる。とりみだす自分の存在そのものが語るものに直面する時に、人は自身の深いところを見つめることができるし、また、他者ともつながっていける…。
 これを読んだとき私は、以前何かの本で読んだ、アフリカのどこかの人々の神について書かれていた一節を思い出した。昇る太陽を見て一人のアフリカ人が、
「ああ、神だ。」と言う。それを聞いた外国人が、「太陽が君たちの神なのか。」
とたずねると、彼はしばらく考えて答える。「太陽が神なのではない。そうではなくて、太陽の昇るその瞬間が神なのだ。」

 思想にしろ、信仰にしろ、私たちをがんじがらめに縛るものではなく、私たちを導くものでなくてはならない。でも何処へ? “本物”の思想、あるいは信仰というものは、私たちの存在そのものを通して現れてくる瞬間、現在、行為、すなわち私たち自身へと導いてくれるものなのだろう。私たちが探し求めているものは、探し求める先にあるものではないのだ。

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紙の本

悔いのない人生を生き切るために。

2003/09/02 23:09

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

いわゆる学者の書くものは、大概が、小難しいロジックをデコレートしたもので、学説の引用のパッチワークで、結局、何をいいたいんか、とツッコミを入れたくなるのだが、著者は、「私はこう思う」と、あっけらかんと心情を吐露している。いきなり読者にカミングアウトされても、とまどうばかりなのだが、読んでいるうちに、魅力を覚えてしまった。

しかし、その一方で、こうもファンダメンタルな問題ばかり突き詰められると、息苦しくなり、陰鬱になってしまったことも否めない事実である。

脳死に関して作者は、メルロ=ポンティの「間身体性」という言葉を引きながら、こう述べている。「脳死になったとしても、その人はまだ完全に死に切っているのではないという感覚は、多くの一般人がもつ感覚で感覚である」

しかし、「英語圏で成立した『生命倫理学』」においては、「意識のない人間はもはやひとにあらず」というパーソン論が主流であると。脳死=死と決めつけ、さっさと臓器移植して命を救う、そこに即物的、効率的なもの、強者(医者)と弱者(患者)の図式、あるいは医療の生命に対する傲慢さを、ぼくも感じてしまう。

フェミニズムに関しては、日本のフェミニズムの流れを俯瞰している。その中で、田中美津への言及が、ひかれた。

A−「田中のリブは、自己との出会いから出発し、女から女たちへとつながってゆき、そして最終的には男から男たちへの出会いを誘発することを目標とする。リブは、それを真正面から受けとめて自分自身を振り返る男たちが現われない限り、次のステップには進めないのである」

B−「田中は言う。『(女と男)闇の重さは共有できないが、共有できないということそれ自体を共有することはできる。そうやって、われわれはつながってゆける』」

Aへ進むには、まずBを共通認識することからなのだが、はてさて…。

優生学に関しては、優生保護法の「優生」と優生学の「優生」は、同巣であると。いわれてみるまで、まったく気がつかなかった。

「優生思想とは、生まれてきてほしい人間の生命と、そうでないものとを区別し、生まれてきてほしくない人間の生命は人工的に生まれないようにしてもかまわないとする考え方のことである」

「障害者と『内なる優生思想』」の章では、障害者の夫婦が、妊娠して生まれてくる子どもが健常児であることを望むのは、一見、正当のように思えるが、しかし、それは自分たちの生存証明を打ち消すことになるのではないかと。

最終章の最後の数行。

「われわれは、連帯しない。われわれは、自分の生きている地点にとどまったまま、それぞれ固有のメッセージを発信する。われわれは、この広大な世界の片隅で孤独に闘っている人々と微弱な電波を交信し、悔いのない人生を生き切るために、お互いに遠くからささえあってゆくのである」

科学(でなかったら理系)と文学(でいいのかどうかわからないので、なら文系)と宗教の学際的立場の人の本を、結果的に、かなり、読んでいるのだが、この箇所だけ引用してみると、それはあたかも新興宗教の教典の一部のようにも思える。

はまるか、はまらないか、読み手の評価が真っ二つに分れる本である。

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紙の本

出会ったいのちへの揺らぎから、生命に対する人々の陥りやすい判断と新たな気づきへのプロセスに彼の思索がすすめられていく

2001/11/25 15:14

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちゅう子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 まだ見ぬ世界に目を輝かせていた幼い頃。限りない憧れに満ちていたはずなのに、いつの頃からか崩れてしまった。崩れいく日々を見過ごし諦めていくことが生きていくということなのか。そんな思いに包まれていた私に、もう一度いのちある人生、光を見つめてみないかと勇気をもらった一冊である。
 著書はかすかなロマンを漂わせながら展開が始まる。森岡正博氏はひとつの出会いから再起することを忘れなかった。社会の渦に翻弄されながらも、「彼の生きた歴史の中からつかみとったいのち」を彼の手のひらですくってみせている。そのひとつが彼を取り巻く社会運動としての激しい戦いであった。誰もが避けて通りたい道、時間である。確かに彼もその戦いを客観視してはいる。しかし彼は彼の生きてきた時間をしっかりと見つめ続けてきている。そして彼の胸の奥に潜む何かがあるという思いがこの著書に躍り出たのである。
 ひとつの論理や学問にはその性質上、陰にならざるをえないものがあるからこそ、人として見失ってしまうことが隠されてはいないかを問う。さらに、人々の生活から湧き出る叫びとしての運動(戦い)はつきつめていくと、人としての生き様を変容させることに導かれるのではないかと気づく。そこに「人として生きるときの揺らぎ、奇麗事だけでは生きていけない取り乱し」ということをあえて問いかけてくる。
 つらかった、読みすすめるときに目を覆いたくなった。そこまで考えて生きなくていい。逃れることもできる。この本、飾っておくだけでもきれいだしね(ごめんなさい)と。
 もとい。気をつけたいことは、森岡氏は学問を証明したいという試みで著しているのではないということ。この著書は学の世界の視点からでは絶対に読み取れないものである。もしも学の立場があるとしても、そこから必ず日常に繋がっていることを忘れてはいない。例えば、あなたの生きる毎日の中で「私には権利がある」「人は正しくなければならない」「悪を改めることこそが正しいことである」「大人になるということは諦めを認めること」云々が当然として育っていることを、各章で彼の学的解釈を通して語りかけ、問うているといえる。難しいことばにまどわされることはない。行間にある彼の語りに気づいたとき、これが「生命学」へのプロセスだよと私には聴こえてくる。
 まずは森岡氏の生きてきた(まだ生きているって?)時代に目を注ぎ省みた、彼の熱い語りの波に身をまかせてみてはどうだろう。あなたは「あなたにあるそのままの気持ち」で著書の内容を実感してほしい。そこから「あなたの生命学」がはじまるのである。

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紙の本

「生命学」の誕生

2001/11/24 23:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書の著者は、10年以上前から著者の提唱する「生命学」という立場から生命や人間の生き方、自分以外の「他者」との関係の築き方などについての論考を展開している。
 本書は著者が緻密に積み上げてきた「生命学」の集大成の書であり、かつ、「生命学」の学問領域と立場、射程、方法論を示すことにより、独立した学問としての「生命学」の誕生を高らかに宣言した書であると思われる(もっとも、著者には『生命学への招待』という力作が存在し、「生命学」の誕生はその時に宣言されていた。しかし著者自身『生命学への招待』では言い足りなかったこと、誤解されうる文言のあることを認めている。それをいま一度整理し直して「生命学」の地図を新たに書き直したのが本書なのかもしれない)。
 西欧で誕生し、「パーソン論」に代表される「“パーソン”でない人間を合倫理的に殺すにはどのような論理が必要なのか。“パーソン”でない人間を殺した時に我々が感じる“やりきれなさ”のようなものから、我々はどのようにすれば自由になれるのか」という倫理的指針の構築を目指して、現状追認の方向に本質的に閉ざされている「生命倫理学」の限界を世界で初めて論理的に示し、それに代わる論理構築やスタンス、生命を見つめるまなざしを示し得た点が本書の真骨頂であると思われる。
 おそらく、生命を見つめる学問や論理は、「いかにすればそれを合倫理的に殺せるのか」という方向にではなく、「いかにすればそれを合倫理的に生かすことが出来るのか」あるいは「それを殺してしまった我々は何を自身の責任として引き受け、それ以後をどのように生きれば良いのか」という方向に進むべきである。それを認識し、それを自己に問いかけ、そして歩き出す。それが「生命学」なのである。

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紙の本

生命倫理を越えた…か?

2001/11/13 23:22

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:森亜夫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は、生命倫理学がおもに扱うテーマ「脳死・優生思想」などを独自の生命学という視点から捉えなおそうとしている。その捉えなおしのための重要な足掛かりとなるのが、「ウーマン・リブ」の田中美津といった人々の思索である。それらを肯定的に、生命倫理の視点から読み直す作業は、まさに画期的と言えるだろう。
 また、本書では生命倫理学を学ぶ者には常識の「パーソン論」が、見事に批判されている。「人格(=パーソン)」のない生命は生きるに値しないとした「パーソン論」に違和感を抱く人は少なくないと思うが、反論はなかなか成功しなかった。著者森岡は、田中美津を援用しながら、パーソン論を見事に批判している。生命倫理に興味のある者は、この部分だけでも読むべきであろう。
 もっとも、著者によると生命学は、従来の生命倫理学とは違う。その特徴は、この書物全体から立ち上る著者の情念に彩られている。生命倫理学は、一般的、外部的な「制度」を問題にしているように見えるが、生命学はそうではない。個々人の生き方、思索にまでその批判を届かせようとしている。この方法は、一見魅力的であるが、従来、宗教などでとられてきたスタンスである。著者は生命倫理を越えて、どこへ行くのだろうか。

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紙の本

生命学はどこまで言うつもりか

2002/05/30 13:38

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:norimasa_ikeda - この投稿者のレビュー一覧を見る

何が正しいかという倫理学を「正論の倫理学」として批判し
「悪い」と知りつつせざるを得ないという状況を
「とり乱し」として一般化していく。
臓器移植や人工妊娠中絶自体を悪としつつも
当事者の「とり乱し」を
生命学の営みとして肯定していく視点は
奇妙ではあるが斬新である。
こうした「とり乱し」を軸としながら
従来避けられがちだった障害者の問題を正面から扱い
フェミニズム、脳死とつなげていくパースペクティブの広さは
非常に興味深い。

しかし、学問として見たときにどうだろうか。
「とり乱し」を軸に肯定されるものは
親子心中、恋人同士の殺害、金に困っての銀行強盗、
新興宗教による大量殺戮……
とどこまでもエスカレートしていくかもしれない。
これはいわゆる「自然主義的誤謬」と言われる問題であり
「とり乱し」を軸に何かを肯定するという思考が
倫理の問題を扱うときにおかしてはいけない基本的な間違いを
おかしていることを明確に示している。

このような批判に対しておそらく
森岡は「生命学は何が正しく何が正しくないかを決める学問ではない」
と反論するだろう。
たしかに森岡はこうした問題について慎重な書き方をしていて
臓器移植や人工妊娠中絶の是非についても
「私の意見」と断って書いている。
その意味においては確かに森岡は正しい。
しかし、この本を読んだ人のどれだけがそのことに気づいただろうか。
大部分の人が生命学によって臓器移植や人工妊娠中絶が「論理的に」
肯定されたと感じたのではないだろうか。
それは読者の勝手だと森岡は言うかもしれないが
こうした多くの読者の理解をはっきりと否定していない以上
森岡が論理的な問題をレトリックとして隠すという
欺瞞に満ちた構成をとっているという批判は免れないだろう。

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2007/02/28 08:21

投稿元:ブクログ

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2007/10/14 01:43

投稿元:ブクログ

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2010/07/17 01:34

投稿元:ブクログ

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