- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.1
- 出版社: 青土社
- サイズ:20cm/230p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-7917-5936-2
紙の本
芸術の名において デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント
著者 ティエリー・ド・デューヴ (著),松浦 寿夫 (訳),松岡 新一郎 (訳)
近代芸術の論理そのものを作品の主題へと転換したデュシャンの「レディメイド」。カント、フーコーの思想を鍵に、そのラジカルな芸術的実践の偉業を鮮やかに読み解き「近代」の意味を...
芸術の名において デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント
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商品説明
近代芸術の論理そのものを作品の主題へと転換したデュシャンの「レディメイド」。カント、フーコーの思想を鍵に、そのラジカルな芸術的実践の偉業を鮮やかに読み解き「近代」の意味を根底から問い返す。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ティエリー・ド・デューヴ
- 略歴
- 〈デューヴ〉1944年ベルギー生まれ。ブリュッセルで美学と記号学を教えた後、オタワ大学美学、近代美術史教授、パリ市立美術学校校長を歴任。著書に「マルセル・デュシャン」など。
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紙の本
芸術とは、何でもいい何かである。
2002/02/13 18:15
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:海野弘 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私たちは〈芸術〉とはなにかを非常に意識する時代にいる。しかし同時に、モダン・アートは難解で、一部の人にしか理解できないものと思われている。その象徴ともいえるのがマルセル・デュシャンで、彼は便器で「泉」を描いて、芸術作品として示した。
人々は、「これは何だ? これが芸術なのか?」といった。ベルギー生れの美学者であるティエリー・ド・デューヴは、このエピソードから、これは何だ、こんなものが芸術か、という人々の問いこそ、現代芸術を語っているのだ、という。つまり現代美術とは、「何でもいい何か」なのだ。デュシャンは便器によって、芸術の秘密をあばいたことになる。
デュシャンは、「何でもいい何か」を芸術にしてしまった。そこでは、作品をつくる技といったものは必要ではなく、これが芸術だ、と名づけるだけで芸術になる。つまり、プロの芸術家は必要ではないのだ。逆にいえば、だれでも芸術家になることができる。
現代芸術は、すべての人が芸術家であるというユートピアを実現しようとしたのかもしれない。芸術は、選ばれた特別の人がつくる特別な人のためのものだ、という貴族社会の枠組が崩れ、近代は、すべての人が芸術に近づけるようになった。それでもまだ、私たちはピカソやマチスのようには描けない。だがデュシャンは、便器を台にのせて、これが作品だ、といった。芸術は何でもいい、だれでもいいものになったのだ。
デューヴはデュシャンによってカントを読み直し、ポストモダンの美学を分析してゆく。皮肉なことに、「何でもいい何か」になったはずの芸術は、逆に難解で謎めいたものになり、「何でもいい何か」を論じるポストモダンの美学はおそろしく難解である。だが、「何でもいい何か」に生きる私たちのふやけた脳を、この本で刺激するのも悪くはない。 (bk1ブックナビゲーター:海野弘/評論家 2002.02.14)