紙の本
とても分かりやすく、とても深い
2016/06/19 18:20
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:十楽水 - この投稿者のレビュー一覧を見る
災害時の精神医療の教科書であり、ノンフィクションとしても読める一冊。阪神淡路大震災から21年が経ちますが、内容は決して色褪せません。
むしろ、現在は分業化・専門化が進みますます「プロ」への依存が高い領域になりつつある中、一人の精神科医が生身の人間として苦しみ、迷いながら駆け抜けた日々の記載は、人間が人間を癒す(傷つける)ことを、血の通った温かさを持って教えてくれるようです。専門性に関係なく読んでもらいたいです。
紙の本
大切なのは、傷ついた人にそっと寄り添うこと、そして風化させないこと
2002/02/15 23:56
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:青月にじむ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、今のように「癒し」という言葉に手垢が付くずっと前に書かれたものである。この親本を読んだと きは「癒し」という言葉が、とても新鮮だった。
阪神・淡路大震災をその身で迎え、直後から公的にも私的にも大変な責任と負担を負うことになる、 第一線の精神科医の、震災、およびその後の「精神」とそのケア、そして、精神を育む社会というものに ついて書いたものだ。当事者だというのに非常に抑えた筆致で、当時のことを回想し、仕事を進めていく 様子や神戸の町々を描 いている。勿論、精神ケアの話を中心としてだけれど、それらは決してカウンセ リングや診療によってだけ対応されるものではなく、むしろ、社会の中で生きていくこと、手を取り合っていくことでこそ癒されるものなのだ、ということを言葉を変えながら繰り返し説く。
“すべて傷ついた人間しかいない被災地では、外部から来た無傷の人間が寄りそうことで、被災者 は癒された気持ちになる。(p.233)”
と「そっと寄りそうことの大切さ」を知らされた。「存在すること」による癒しはこの直前に中井久夫氏の言であると書かれているが、当事者じゃないその他大勢の人間の無力感、疎外感というのは、こういう意識で解消されるはずだと私も信じる。体験していないのだから知らないのは当たり前だ。知らないことを知ろうとするのではなく、体感する、という意識になるのかもしれない。
また、デブリーフィング、デフュージングという、当事者同士で心のうちを打ち明け合う活動もある。アルコール依存の人たちの集まりなどでその存在は知っていたが、身近な人を目の前で亡くした人たちの集まり もまた、存在するそうだ。
そして街。普段こうやって何気なく歩き、暮らしている街というものの大切さ、掛け替えの無さを知ることに なった。それは、避難所から仮説住居に移ることを必ずしも嬉しいとは言えない、という人が複数いたこ とでも分かるだろう。普段、長距離を異動する首都圏の人間だって、やはり自分の「縄張り」「行動範 囲」というものは存在し、それ以外のところに長時間いれば落ち着かない思いに駆られる。ましてや、その ホームに「戻れない」人たちの絶望感は、比較にもならないものだろう。
私たちができることは、今までのできごとを風化させずに次に生かすことでしか無い。私ごときに何ができる か、とも 思うが、何かをしなければ、確実にできごとは砂となり、風に吹かれて散ってしまうに違いない。こ の7年間でも随分と変わってきたと思う。しかし、全く変わらない部分もあると思う。ことある毎にそれらを 思い出し、検証する必要があるだろう。
安さんは、21世紀を待たずにこの世を去った。これからのことは残されたものの責任である。
“被災地のコミュニティの問題は、日本全体の問題でもある。日本の社会は、人間の「力強さ」や 「傷つかない心」を当然のこととしてきた。また、バブル経済の際に、モノやカネだけが幅を利かせる、いささか品のない風潮が全国に蔓延した。人間の心の問題などは省みられなかった。しかし 阪神・淡路大震災によって、人工的な都市がいかに脆いものであるかということと同時に、人間と はいかに傷つきやすいものであるかということを、私たちは思い知らされた。今後、日本の社会は、 この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか……。(p.242)”
日本の、明日はどっちだ。
紙の本
2002/01/13朝刊
2002/01/17 22:16
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
阪神大震災発生後、被災者の多くが不眠や緊張感などのストレスを訴えた。本書は避難所に集まったボランティアと共に、被災者の心の傷のケアに当たった精神科医の記録だ。救助を求める声が耳から離れず、気を楽にすることを罪悪視する女性には、黙って話を聞くことから始めた。肉親を失った被災者同士の対話や電話相談にも参加した。それでも自殺や孤独死が相次いだ。かけがえのないものを失った人々の心のケアは本当に可能か、著者の苦悩が伝わってくる。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001
紙の本
阪神・淡路大震災において被災地から届けられた「いのちとこころ」のカルテです!
2021/01/09 15:24
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の若き研究家として治療活動に尽力された安克昌氏の作品です。同書は、1995年1月17日未明に発生した震度7の阪神・淡路大震災において、全てが手探りの状態で始まった精神医療活動、発症する数々の精神障害、集まった多くのボランティア、避難者や仮設住宅の現実を描いたドキュメンタリーです。震災がもたらした「心の傷」とは何なのか?そして本当の「心のケア」とは何なのか?同書は、被災地から届けられた「いのちとこころ」のカルテでもあるのです。同書はサントリー学芸賞を受賞された名作です!
電子書籍
恥ずかしながら
2021/02/15 06:43
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本をモデルにしたドラマ、映画を見るまでは安先生のことを知りませんでした。しかし、もう震災から26年経ち、今こそ風化させないように、もっと安先生のお話、残したかった事が世の中に伝われば良いなぁと思いました。
ドラマは、阪神淡路大震災と心のケアがテーマの作品だと知ってエキストラに参加したので、非常に想いがある作品なので、ずっと覚えておきたいし、伝えていきたいです。
紙の本
災害時精神医療のパイオニア
2022/04/23 23:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hachiroeto - この投稿者のレビュー一覧を見る
阪神淡路大震災が人々に残した、心の傷跡。生き残った罪悪感、救えなかった悔恨。精神科医として、彼らの声を聞き続けた著者による一冊です。「癒し」という言葉の本当の重さを再認識。
投稿元:
レビューを見る
今回の東日本大震災をずいぶん重ね合わせて読むことが出来たと思う。
「心のケア」についても,本当に被災地に必要なことは何か考えさせられる1冊。
この作者による著書がこれしかないのが残念なくらい,
分かりやすく読みやすかった。
投稿元:
レビューを見る
ようやくにして読み始めた。
安先生の言葉のひとつひとつが心に染み渡るぜ。
今回の東北大震災にはどのような形で安先生たちの経験やこの本の中で指摘されていたことが生かされているのか追いかけてみたい衝動。
投稿元:
レビューを見る
(2013.01.19読了)(2011.07.17購入)
【東日本大震災関連・その107】
東日本大震災の後、日経新聞のコラムで紹介されていたので、気になり購入していたのですが、阪神淡路大震災18年のニュースを聞いたのを機会に読んでみました。
1995年1月17日の阪神淡路大震災から、ほぼ1年間の著者の精神科医としての活動がつづられています。日本では、精神科とか、神経科と名乗ると敬遠されてしまうので、精神科医であることは、表面に出さずに活動せざるをえなかったようです。
人間は、体の不調と同様、精神のバランスを崩すことがごく普通にあるという認識が行き渡って、精神科にかかりやすい日が来るのが望ましいのかもしれませんが、本書でも述べられているように、親が子を失った時、子が親を失った時、愛する人を失った時、の悲しみ、等は、同じような経験をした人同士の交流が最も有効な癒しになる、ということもあるようですので、精神科医の役割は、あくまでも脇役ということになるのでしょう。
日本における心のケアは、阪神淡路大震災の経験をきっかけにして、本格化したのでしょうか。もしそうなら、この本の著者の安克昌さん、や中井久夫さんの果たした役割は大きい、ということになります。
ただ、残念なことには、安克昌さんは、2000年12月にがんのため39歳で亡くなっているとのことです。この本の単行本は、1996年4月に作品社より刊行されています。
【目次】
序 中井久夫
第Ⅰ部 震災直後の心のケア活動 1995年1月17日~3月
一、私の被災体験
二、精神科救護活動はじまる
三、直後に発症した精神障害
四、精神科ボランティアの活動
第Ⅱ部 震災が残した心の傷跡 1995年4月~96年1月
一、PTSDからの回復
二、死別体験と家族
三、その後の心のケア活動
四、避難所と仮設住宅の現実
五、変化してゆく意識
第Ⅲ部 災害による〈心の傷〉と〈ケア〉を考える
一、〈心の傷〉とは?
二、〈心のケア〉とは?
三、災害と地域社会
あとがき
解説 河村直哉
参考文献一覧
●気が張っている(22頁)
「たいへんでしょう」と声を掛けても、「命が助かっただけよかったです」、「だいじょうぶです」、「地震なんだから仕方がないです」、と自分の被害を控えめに話すのだった。
当面の生活維持のため気が張っているためと、あまりのショックで現実感を喪失しているために、うつ状態にならずにいるのだろう。仕事への没頭も、一時的に喪失体験からの注意を逸らせるために必要なのだろう。
●ないない(23頁)
大規模都市災害というものは、こういうものなのだ。埋もれた人を助ける人手がない。道具がない。消火活動するための水がない。負傷者を運ぶ手だてがない。病院で検査ができない。手術ができない。収容するベッドがない。そして、スタッフは全員疲労困憊している。
●PTSD(63頁)
被災者の多くが精神的ダメージを受けていることは疑いようがなかったけれども、そういう人達が続々病院の精神科を訪れてくれるわけではなかったのである。
●助けてあげられなかった(67頁)
「しかたなかったんで���。私も逃げるのが精一杯だったんです。助けてあげられなかった。……それで自分を責めてしまうんです。今も耳元で〝助けて、助けて〟という声がするんです。……私も死んでしまえばよかった」
●心の傷(69頁)
一般に、心の傷になることはすぐには語らない。誰しも自分の心の傷を、無神経な人にいじくられたくはない。心の傷にまつわる話題は、安全な環境で安全な相手にだけ、少しずつ語られるのである。
●飲酒(77頁)
避難所内でまず問題になったのは、朝から飲酒して生活のリズムを崩している人たちだった。治療を受けていないアルコール症者が多いようだったが、なかには数年間断酒していたにもかかわらず、震災後のストレスによって再飲酒し始めた人もいた。
●「解離」と「否認」(83頁)
衝撃的な体験をこうむった人は、しばしばその体験の実感を失ってしまうものである。ひどい場合には記憶を失うことすらある。これは、衝撃から自分を守ろうとする無意識の心の働きである。精神医学では、この反応を「解離」と呼ぶ。一方、「否認」と言う防衛機制もある。これは、「解離」と違ってその人が自分の体験を認めたくないことを、ある程度意識している。
●喪失の受容(109頁)
亡くなった人は二度と帰ってこない。これは厳粛な事実である。だから、死別体験者の苦しみとは、この動かしようのない事実をいかにして受け入れるかという葛藤であろう。だが死別という事実は、時間さえ立てば受け入れられるというようなものではない。死別を十分に悲しむという作業(「グリーフワーク」と言う)がまず必要である。そして葛藤の中で考え、感じ、話すことによって、喪失は受容されていくもののようである。
●被災地から離れて(158頁)
私の妻は、大阪に避難したときに子供を公園で遊ばせていたところ、見ず知らずの人に「神戸で被災した人は罰が当たったんですよ」と言われたそうである。また私の知人は、大阪にある職場で「いつまで甘えてるんや」と言われてひどく傷ついたと言っていた。
●行政の援助(167頁)
行政の援助はひとまず仮設住宅に入居したところで終わりである。この後は、「自力」だけで立ち直っていかなくてはならないのだろうか……。
●児童虐待(202頁)
子どもはどんな被害にあっても、自分からそれを訴え出ることがない。周囲の大人が発見して初めて顕在化するのである。
●外国人死者(239頁)
阪神・淡路大震災で、外国人は百七十三人の死者を出している。内訳は、韓国・朝鮮百十一人、中国・台湾四十四人、アメリカ二人、ペルー一人、ブラジル八人、フィリピン二人、オーストラリア一人、ミャンマー三人、アルジェリア一人などとなっている。
◆阪神・淡路大震災関連図書(既読)
「災害救援の文化を創る」野田正彰著、岩波ブックレット、1994.11.21
「大震災復興への警鐘」内橋克人・鎌田慧著、岩波書店、1995.04.17
「神戸発阪神大震災以後」酒井道雄編、岩波新書、1995.06.20
「災害救援」野田正彰著、岩波新書、1995.07.20
「わが街」野田正彰著、文芸春秋、1996.07.20
「神戸震災日記」田中康夫著、新潮文庫、1997.01.01
「ヘリはなぜ飛ばなかったか」小川和久著、文芸春秋、1998.01.10
「復興の道なかばで」中井久夫著、��すず書房、2011.05.10
「阪神・淡路大震災10年」柳田邦男著、岩波新書、2004.12.21
(2013人2月15日・記)
(「BOOK」データベースより)
1995年1月17日未明、震度7という激震が阪神・淡路地方を襲った。全てが手探りの状態で始まった精神医療活動、発症する数々の精神障害、集まった多くのボランティア、避難者や仮設住宅の現実…。震災がもたらした「心の傷」とは何か?そして本当の「心のケア」とは何か?被災地から届けられた、「いのちとこころ」のカルテ。第18回サントリー学芸賞受賞作。
投稿元:
レビューを見る
NHK のドラマを機に本書の存在を知り読んでみました。良い意味で期待を裏切る作品。震災後の心のケアに関する名著間違いなし。
NHK のドラマに感動し原作を読みました。
作者の安克昌氏は2000年12月2日、肝細胞がんのため39歳で逝去。ドラマは筆者の生涯を描いてた。本書は筆者の遺した震災の貴重な記録。
期せずして被災者としてかつ救護者の身となった精神科医。日本ではさほど注目されていなかった惨事ストレスに関する初期研究であろう。被災者でなければ書けなかっただろう。
筆者の短かった生涯を知らずとも名著の部類に入るだろう作品。ドラマの感動とはまた違った感動がここにありました。
投稿元:
レビューを見る
ドラマに感銘を受け、読みました
「心の傷を癒すということ」その意味と意義が、優しくも力強い筆致で語られる名著です。
そこには、間違いなく大災害の中で苦闘した安先生の姿が感じられます。
彼のメッセージを、今を生きる我々がついでいかねばならないと強く思います。
投稿元:
レビューを見る
本文の中か、テレビドラマのセリフかは忘れましたが、安先生が語る「心をケアするとは、一人ぼっちにさせないことだ」という言葉が印象的でした。また、最後にこれからの私たちへの問いかけとして「今後、日本の社会は、この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことができる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか‥」と問うています。
投稿元:
レビューを見る
読む前は、PTSDなどに対する専門的な臨床の方法が書かれていると思っていた。もちろん少しはそのことが書かれていたが、大半は阪神淡路大震災直後から1年後あたりまでに著者が経験したこと、そしてその中で心の傷を癒すということを改めて考えていく様子であった。
著者の考えをまとめると以下のようになる。震災において、心に傷を負うということは当然のことだ。そして、その傷を癒すためには医者だけでなく、周りの人たちが持続的に粘り強く寄り添っていく必要がある。
つまり、これさえあれば治せてしまうような医療技術は存在せず、また医者がどれだけ努力したとしても限界があり、社会や周りの人たちの協力が大切だということだ。
投稿元:
レビューを見る
被災とは、建物の下敷きになることだけではない。生き残ってからがスタートなのである。
生き埋めになった人を助けられなかった自責の念に駆られ続けること。倒壊した建物を見てはその下でゆっくりと死を迎えている人がいるかもしれないと考えること。大切な人を失った悲しみに耐えながら生きること。プライバシーがなく住環境が整わない避難所で隣人と折り合いをつけながら生活すること。一切の娯楽がないまま一秒一秒時が過ぎるのをじっと待ちながら生きること。地震が起こる前と後の景色を重ねて地震がなかった未来を思いその度に絶望しながら生きていくこと。地震が起きる前に戻りたい、という叶わない願いを抱き続けること。あのときこうしておけばよかったと後悔すること。数ある苦しみを想像して、それがなるべく小さくなるようにすることが、防災そして減災になるのだと思う。
能登半島地震で被災された方々は、今まさに苦しみの最中にいる。その苦しみがどんなものなのか
知るためにこの本を読み返した。
心に傷を抱えた人がいるということを知っておくこと、忘れないことだけは、今の私ができることだと思った。
投稿元:
レビューを見る
1995年阪神淡路大震災で心療ケアに従事された精神科医安克昌先生の著書。阪神淡路大震災をきっかけに、大災害に対する救援・避難・ボランティア・心身ケアの議論が幾度となくなされ、従事される方々の言葉に尽くせぬ努力もあり災害対策は(至らぬ部分はあれど)当時より大幅に改善された。その「当時」を知る貴重な叙述・分析である。今でこそPTSDなどの一般理解が進んだものの、平成初期は昭和の名残もあり「心の在り方」は疎かにされており、環境激変すなわち大災害ではその歪が顕著に表れるのに対して、成す術なく放置されていたように思う。崩れたものがそのままの形で戻ることはないものの、在り様を嘆き悲しみそして受け入れて新たな受容を育む、そうして「心の傷を癒すということ」について色々考えさせられた一冊である。