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商品説明
【文學界新人賞(第92回)】蜘蛛女、巨女、シマウマ男に犬人間…。デタラメな「進化」の行方は? 奇想に次ぐ奇想で選考委員の絶大な支持を得た文学界新人賞受賞作。表題作のほか1編を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
クチュクチュバーン | 5-74 | |
---|---|---|
人間離れ | 75-157 |
著者紹介
吉村 万壱
- 略歴
- 〈吉村万壱〉1961年生まれ。大阪府在住。京都教育大学第一社会科学科卒業。2001年「クチュクチュバーン」で第92回文学界新人賞を受賞。
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紙の本
まったくもってタイトル通りの小説。
2003/08/10 22:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:PNU - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間の尊厳も、命の崇高さも微塵もない壊れ歪んだ世界で、人が意味もなく肉片にされていくスプラッタ文学。〈気持ち悪い〉が180度回転して、かえって気持ちいいほど鬼畜で血まみれな2編を収録している。
「クチュクチュバーン」進化の何かが狂いはじめた。奇怪な様相を呈する世界で、人々は異形に変貌していく。変わり果てた、予想もつかぬ現実の中で人々は今を生きていくが。
これはもう、ここまでメチャクチャだとはスゴい。サルバドール・ダリかヒエロニムス・ボッシュかというくらいに奇想が素晴らしくグロテスク。同族殺しとカニバリズム、メタモルフォーゼがリズムとスピードある文章でこれでもかと描かれている。脳髄をミキサーにかけられるような、酩酊感をもよおさせて衝撃的だ。
友成純一「狂鬼降臨」や諸星大二郎「生物都市」という優れた先例が無ければ、もっと評価出来たであろう作品である(モチーフが一部非常に似ているのでね…)。
「人間離れ」人間たちは、「緑」「藍色」の襲撃を恐れ、火を捨て、裸で暮らし流言飛語にすがるのだった。
こちらも終末を迎えた人類のグチャドロ血まみれ物語。人間が獣に戻ってゆく様子がアイロニーたっぷりに綴られ、怒濤の迫力である。スプラッタ度は「クチュクチュバーン」よりもこちらが上だが、起承転結がある種の話ではないため、構成の妙、面白味は劣るかもしれない。しかし、化け物の造形や極限状況で駄目になりゆく精神描写はたいへんに良かった。
紙の本
小説は社会のディテールだ
2002/04/21 16:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:矢野まひる - この投稿者のレビュー一覧を見る
リストラ、失業率のアップ、元金が保証されない銀行、国会議員をスキャンダルから守るための情報統制、年老いて働けなくなってももらえる当ては全く無いにも関わらず払い続けなければならない年金(以下略)こういう状況下で、中年おやじは密かに10代前半の少女タレントに懸想を抱き、ジャーナリストは9/11をなかったことであるかのように話をすりかえる。考えたってしょうがないからだ。私の心にどす黒い澱が貯まる。正体が見えないのでなんだかひどく気色が悪い。これに形が与えられたら、事態は変わらずとも少しはすっきりと爽快な気持ちになれるのではないか。
この厭らしく淀み貯まった澱に、形を与えてくれたのが「クチュクチュバーン」だ。ここでは人間はもう人間の形をしていない。人間同士の交流もない。得体のしれない圧倒的な怪物が襲ってくる。全く無力な人間達は、それでも愚かな迷信を信じて浅ましくも生き延びようとする。それは私たちの時代の姿だ。そう思わせるだけの説得力をこの作品が持つのは、描写の鮮烈さに他ならない。
「虫は自然のディテールだ」と言ったのは解剖学者の養老猛氏だ。氏が言うには、微細な虫の身体には宇宙のシステムが凝縮されているということ(無教養なので詳細は不明。正確にはそういう言い方じゃなかったかも)。同じことが、小説にも言える。しょせん「作り話」だが、人間がこしらえる嘘のお話は、人間社会のシステムを紙切れ何枚かの内に体現しているものなのだと思う。本書はそういう力を持っており、読み終わってすかっと爽快な気分になった。
とはいえ、注文がないわけではありません。欲をいえば、社会の有り様をそのまま言われても、ちょっと困ってしまうところでしょうか。だって、これじゃ、ほんとに、マンマなんだもの(苦笑)。
紙の本
グロテスクさなんて、ここではとるに足らぬことだ
2002/04/05 18:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:行方知れズ - この投稿者のレビュー一覧を見る
究極に、意味の喪失した世界で生きていかねばならない人間たち。彼らは地球上の度重なる汚染のためにもはや人間の姿をしていない。ホラーやSFを連想させるが、ここにはつくられた虚構物語のつるつるした手触りはない。妙な現実感、われわれの現実の世界に地続きなのではないかと考えさせるくらいの切実さを持たせているのは、作者の筆力だろう。現代世界のグロテスクな戯画とくくってしまうにはあまりにラジカルすぎる。頻出するフレーズ「俺たちの仕事は見ることだ」のように、もはや世界に拮抗してゆく力をもつことは許されず、でもなおこの世界に生きることを余儀なくされているわれわれに残されたのは、見ること、しかない。哲学が難解な言葉を尽くしても語りえぬことを、文学はまだ記述する可能性を持っているのだと実感させた一作である。
紙の本
クチュクチュバーン
2002/02/14 13:41
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投稿者:ポンタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんともいえぬ世界が永遠と続いてゆく。しかし、それがいやらしく思えないのは何故だろう? それが文学の力なのだろうか? 文学界新人賞受賞作品。芥川賞を受賞した長嶋有氏とは同期。
紙の本
SFXを駆使したSF映画の世界
2002/02/26 22:15
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投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第92回文學界新人賞受賞作の表題作と、「人間離れ」(『文學界』01年11月号)の2作の入った新進作家のデビュー作である。吉村萬壱は1961年生まれ。大阪府在住とのこと。「なにしろ小説は、殊更な原因の説明もなく、すべての人間が宇宙もろとも異形の怪物へ変身してしまうという話なのであって、このテの作品は、繰り出される奇想だけが頼りである。(中略)吉村氏は、さして長くない一編とはいえ、最後まで奇想を途切れさすことなく、ソロで吹ききってみせた。たいしたもんである」とは、帯裏にある選考委員の一人奥泉光の選評の一節である。なるほどそうには違いなく、ぼく自身も「たいしたもんだなあ」と思いもした。これに似た小説といえば筒井康隆の初期作品など、わが国では極めて少なく、その意味ではオリジナリティもある。しかし読後、「これって、小説なのか?」とも思わせもした。小説に定義のないことは承知にもかかわらずだ。というのは、ここに描かれている世界はSFXを駆使したSF映画、はたまたSF的劇画のノベライゼーションといった感じにも受け取れるからだ。個々のシーンはとてつもなくリアル、悲惨、残酷な場面の連続だが、随所にユーモアもあり、とにかく達者なのだ。さらにいえば、吉村萬壱がこの2作に盛り込んだテーマというかモチーフは、「人間嫌い」のぼくが狂喜するほど人間の醜悪さ、終末感も出ていて、その意味では「よくぞ書いてくれた!」と握手を求めたくなるほどの作品でもある。
「一人残らずミンチになったその場所に、犬になった漁師が現れた。(略)カクッカクッと顎を鳴らして、肉を食べ始める。(略)そこに音もなく、藍色[人間を食う怪物]が一匹近づいて来た。建て売り住宅ほどの大きさだった。(略)犬男は口を大きく開けたまま死んでいた。暫くすると口の中から、ベロンと大きな舌が垂れ出てきた。漁師は師匠[犬男のこと]に近づくと、その舌を噛んで引きづり出し、黙々と食べ始めた」。
これは「人間離れ」の中でも比較的おとなしい描写の一節である。この2作品、残酷度が高いので、気の弱い向きは「オエッ」となるやもしれぬ。それほど過激な描写の連続なのだ。ぼくなどは、過激であればあるほど心中、快哉を叫びながら読み進んだが、読後、何か物足りない。「感動がない」など言っては的外れ、作者も白けるだろう。また、こうした小説に、いわゆる「感動」を求めることなど、ナンセンスかもしれない。2作品とも、主人公と思しき人物もおり、「物語」も、それなりにあることはある。しかし、シーンがしばしば飛ぶことも多く、人物と物語とがせめぎあって収斂せぬことも大きいとも考えたが、そんな尺度で計るのも見当外れのような気もする。奥泉光の「ソロで吹ききった」を借りて言えば、例えばこの場合の「ソロ」とは、始まりも終りもない、考えられぬほど壮絶なフリー・インプロヴィゼーションと考えれば、多少は納得する者もいるかもしれない。いずれにしても、もし次作があるとしたら、もう少しだけ「物語性」の強い世界の中での死闘を書いて欲しいと思った。