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ヘーゲル 〈他なるもの〉をめぐる思考
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.5 3件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2002.3
  • 出版社: 筑摩書房
  • サイズ:20cm/291,17p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-480-84711-1
  • 国内送料無料

紙の本

ヘーゲル 〈他なるもの〉をめぐる思考

著者 熊野 純彦 (著)

「他なるもの」をめぐるヘーゲルの思考とは? 「体系的形而上学者」というヘーゲル像によって蔽われつづけてきたこの問いをめぐり、プラトン、アリストテレス以来の哲学的思考と問題...

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ヘーゲル 〈他なるもの〉をめぐる思考

3,456(税込)

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商品説明

「他なるもの」をめぐるヘーゲルの思考とは? 「体系的形而上学者」というヘーゲル像によって蔽われつづけてきたこの問いをめぐり、プラトン、アリストテレス以来の哲学的思考と問題群を踏まえて展開する明晰なヘーゲル論。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

熊野 純彦

略歴
〈熊野純彦〉1958年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学文学部助教授。倫理学専攻。著書に「レヴィナス入門」「倫理の現象学」など。

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みんなのレビュー3件

みんなの評価3.5

評価内訳

  • 星 5 (0件)
  • 星 4 (1件)
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  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

熊野純彦の未発の思考

2002/09/16 20:22

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 レヴィナスの思考との息づまるような註釈学的対話の経緯が綴られた『レヴィナス 移ろいゆくものへの視線』に続いて、ヘーゲルのテクストに内在する「思考の襞」(まえがき)を跡づけ、現代においてヘーゲルの「特異な思考」(あとがき)をたどりなおす通路のひとつともなることを願って──そして、著者に「世界と対峙し世界を掴みとることばに向けた、尽きることのない希望」(あとがき)を託した故廣松渉への応答として──著された、熊野純彦対ヘーゲルの哲学的格闘の仮決算書。

 物事にはいつも「はじまり」がある。たとえそれがまだ終わっていないとしても。哲学にも「はじまり」がある。たとえそれがすべてが終わった後の暮れ方に羽ばたくものであったとしても。とりわけヘーゲルにあっては、すなわち「同一性と非同一性との同一性」と定式化される弁証法的思考をもって「体系 System」を志向したヘーゲルの思考を「近代的な思考の枠組みから溢れでてしまう発想の核を内部に懐胎していた」(まえがき)ものとして読解してみせようとするのであれば、知であれ意識であれ定在(Dasein)であれ愛であれ、その「はじまり」のうちに孕まれていたものへの徹底的な注視を避けて通ることはできない。

 著者の議論は見事にこの課題に応えている。そこで摘出されたものが「他なるもの」であり、あるいは「存在すること」そのものについてそれまでとは「べつのしかたで」でかたり出そうとすることをめぐる思考(81頁)であった。──しかしそれにしても、ヘーゲルの思考の「はじまり」のうちに懐胎されていた「他なるもの」の弁証法的帰結(?)をめぐる次の叙述のうちに、熊野氏の未発の思考が畳み込まれていることは、私の早とちりだとは思われない。著者自身が「あとがき」で述べているように、解明されるべき課題がまだ残されている。だから、この書物は「仮」決算書なのだ。

《経験が進展するそのつど、生成する知にたいしては、生成していく〈真理〉が開示される。ヘーゲルが構想した世界のなりたちのなかでは、真理もまた経験と世界との〈生成〉からはなれてありうるものではない。不断に生成する真理をとらえてゆく具体的な経験のかたちとそのすすみゆきのさまについては、さらに立ちいった具体的な考察が必要となるだろう。そうした考察をかいして、ある思考の原型が、ヘーゲルのうちで兆していることがあきらかになるはずである。その思考そのものはそして、ヘーゲルが〈否定性〉…という概念によっていいあてようとしながら、いまだ十分にはえがきとることに成功していない、思考のタイプであるようにおもわれる。》(第一章「生成する真理」,67-68頁)

《承認とはかくて最終的には、自己が歴史にぞくし、他者とともに歴史に内属していること、しかし歴史そのものは人間にとって一個の〈他者〉でありつづけることの承認にほかならない。承認はたしかに、たんに人間と人間とのあいだでのみ成立することがらではない。承認とはまた、神とひととの間の和解を告知することばであった。ヘーゲルの神はだが、歴史のなかで自己を告知する。ヘーゲルのそうした認識になお学ぶべき多くのものがあることに、ひとはようやく気づきはじめているようにおもわれる。》(第三章「世界という問題の次元」,207頁)

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紙の本

テーマと論文集

2002/10/09 05:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:アルケー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 なによりもしかし、ヘーゲルの「哲学」それ自体、現実と生とのひろがりのすべてをめぐって燃えさかる関心にたいして与えられた「体系」的な表現にほかならない。他方ではしかし、生と現実の細部への関心は、ヘーゲルのいわゆる<体系>を侵食しつづけることになるだろう。こう著者、熊野は書き出している。生と現実、これが著者の「まえがき」における主張である。
 また、ヘーゲルの思考は端的に<近代化の哲学>とよばれようが、同時にかえって近代批判をうちに含むかたちで体系化されざるをえなかった。ここに、いわゆる<体系>は、ここでもまた軋んでいく。現代の哲学的思考がヘーゲルになお関心を寄せるのは、とりあえずこの一点においてである。こうした視点からヘーゲルの思考をたどろうとするのが、この書の方向である。
 さらに、この書をつらぬく一貫した視点があるとすれば、それはヘーゲルの思考の総体における<他なるもの>のかたちとゆくすえを見さだめようとする志向である、と熊野はいう。だが、著者はヘーゲルのテクストにたいして外部から導入された尺度、外在的に設定された視角といったものではない、ということによって、真に<他なるもの>を扱う内容をもっているかどうかということは読者の判断にゆだねている。
 こうして見てくるとこの書の主題はあってなきがごときである。この書が10年ちかくにおよぶ論文集であるので、著者はどうにか主題をつくろうかたちでこう述べたのであろう。だから、書名を無視して関心のある論文を読むことに徹するしかこの書物とつきあう方法はない。そこで、簡単な目次をかかげる。
 第一章、生成する真理。こう書けばこの章が「精神現象学」を扱ったものであることはすぐにも分かる。「絶対的に<他なるもの>において純粋に自己を認識すること」という課題に応じるもので、<他なるもの>こそが「自己」に運動の原理をあたえるものであるからであり、真理そのものを<生成>の相のもとにとらえることを要求するものとなる、とこの章の課題を提示している。こうして『精神現象学』の「緒論」を中心にして論じていく。ここで著者が特に問題にしているのは「尺度のアポリア」、「知と真理」等、についてである。この章にほぼ四分の一をさいている。
 第二章、歴史、理性、他者。「理性と暴力」という副題をもつ雑多な論考。
 第三章、他者という問題の次元。これも表題から理解されるように、「承認」論を扱う。他者とは、私と同等で、同時に私にとって異他的なあるものとなる。あるいは、私との差異そのものであるといってよい。弁証法的な思考は、こうして、他者をめぐる問題群の内部でその射程を測られることになり、同一性のうちに差異を見いだしつづける思考のかたちが弁証法と呼ばれるものにほかならいからである。この展望のもとに、承認論の手前、「同一性と非同一性との同一性」を手がかりにして、生命や愛を語ったあとで、承認論を語り、そのあと、視圏を広げて作品や他者について語る。この章が<他なるもの>にもっとも関係した章になるであろうか。
 ここで本論は終わり、補論が二つつづき、全体の約三分の一にあたる。
 補論一 ヘーゲル反省論の位置。カントにおける超越論的なものからはじめて、フィヒテを経てヘーゲルへとドイツ観念論における反省論をおさらいしたあと、フッサール現象学の反省論に触れてこの補論を終える。
 補論二 差異という始原について。ここでは広松哲学について語る。
 以上がこの書の目次ないし、概観であるが、漠然とした論文集であることは否めない。
 こうしたものであるかぎり、熊野の発想や着想に目を向ける以外にあまり得るものはなさそうである。著者の名を耳にしたのはレヴィナスが最初であった。彼にはレヴィナスの方が適しているのかもしれない。だが私はレヴィナスは門外漢である。

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紙の本

伝統的な哲学からいまを生きる知恵を汲み取ろうとする最良の仕事

2002/07/10 18:02

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:森岡正博 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ヘーゲルの哲学は、かつてほどの人気がない。なぜなら、ヘーゲルは、この世界に存在する根源的な差異というものを、結局、歴史と調和と同一性の内部へと、暴力的に回収してしまうように見えるからだ。
 「西洋」、「男」、「近代」などの大きな声に決して回収されてはならない小さなつぶやきに対して、敏感に耳を澄まそうとする現代の思想潮流からすれば、ヘーゲルの哲学は、とても保守的で頑迷なものに映るのである。
  ところが、熊野純彦さんの本書は、まさにそのヘーゲルの哲学のただ中に、同一性を食い破ろうとする「他者」へのまなざしが潜在していたことを、ていねいに立証しようとするのだ。この意味で、この本は、とても現代的でアクチュアルな視点から、ヘーゲルの本質に迫ったものだ。  
  たとえば、私が「他なるもの」を意識するとき、その「他なるもの」は私によって意識されているのだから、私の内側にあると言える。しかしながら、同時に、それは「他なるもの」であるがゆえに、私からは切り離された外側にある何ものかでなくてはならない。ここに、自己と他者をめぐる大いなる逆説がある。
 私は他者を手の内に置いて支配しようとする。しかしながら、私が他者を隷属させて支配したと思った瞬間、私の手のひらの内側に残されたものは、私の言うことを何でも聞くだけのロボットなのであり、「他者」は私の指のあいだをすり抜けて、彼方へと忽然と消え去ってしまう。この意味で、「他者」とは、私の意図をあらかじめ挫折させうるような存在だと言える。
 熊野さんは、ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」を、このような視点から見事に切り取って見せてくれる。
 あるいは、私が他者を傷つけるとき、私は同時に、私自身の生の根源をも傷つけているのだとヘーゲルは言う。その傷を負った生が、「運命」として私に向かってくる。熊野さんが、このような考え方をヘーゲルから採取してくるとき、それは、現代の人間の実存状況を鋭く照らし出す知の装置となるのである。これは、伝統的な哲学から、いまを生きる知恵を汲み取ろうとする最良の仕事であろう。

初出:信濃毎日新聞

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