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紙の本
『時に午後三時十五分過ぎ生き残った者以外はひとり残らず死んでしまったのである……』
2003/08/25 22:55
16人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:成瀬 洋一郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
幕末から明治維新にかけて活躍した風雲児たちの姿を描く大河歴史ギャグ漫画。
歴史というのは、単に年号や人名を暗記したからといって面白くなるものではありません。さまざまな人物や事件の相関関係から全体像や大きな流れが見いだせるから面白くなるのです。そしてこの『風雲児たち』はギャグマンガの体裁をとりながら、真っ正面から歴史の面白さを教えてくれる名著です。
物事には原因があるから結果が生じます。原因の究明を疎かにして、結果だけを論じても無意味なんです。そして「明治維新」を結果とするなら、原因は「関ヶ原の戦い」にあたると解釈したみなもと太郎は、幕末の風雲児たちを描くために、いきなり関ヶ原の合戦にまで歴史をさかのぼりました。そして、結局何十巻も費やして、やっと坂本龍馬が活躍し始めたところで話が終わってしまうことになります。
別に話が冗長というわけでもなければ、横にそれたわけでもありません。すべてのエピソードは、たとえば山内一豊の妻も、薩摩藩の琉球征服も、時代錯誤の高山彦九郎の旅も、大黒屋光太夫のロシア漂流も、杉田玄白や前野良沢らによる解体新書の翻訳も、早すぎた天才・平賀源内の生涯も、水戸黄門の漫遊記も、シーボルトの追放も、すべて明治維新という「結果」を指し示しており、どれも幕末の風雲児たちを語るためには不可欠のエピソードなのです。「明治維新」という日本の大事件を描くためには、そこまで掘り下げ、相互に関連づけないと語り尽くせないのです。
僕がこの本を初めて読んだのはコミック・トム版で、小学校のときでした。学級文庫に誰かが出たばかりの1巻を持ち込んだらしく、他のマンガには五月蠅かった先生もこれには何も言いませんでした。たぶん教育用歴史マンガとして認識したのでしょうね。当時、子供がギャグマンガとして読んでも面白かったし、島津の正面退却には興奮させられ、日本史って面白いんだと子供心に刻みつけられました。
それからほぼ四半世紀。今、大人の視点であらためて読んでみると、その斬新な切り口や解釈がマンガの枠を超えていることに驚かされます。中でも印象的だったのが田沼意次と松平定信の章です。
今でこそ重商主義の優れた政治家とされることもある田沼意次も、かつては賄賂役人の代名詞であり、潔癖な松平定信にとっての敵役にすぎず、ドラマや小説に登場する田沼親子は紋切り型の悪の黒幕として描かれがちでした。けれども当時、既にみなもと太郎は、彼を「幕府の財政を立て直すために、国際的な視野で経済改革を推し進める政治家」として描写していました。しかし有能な補佐役であった息子・意知は抵抗勢力の陰謀によって暗殺され、意次もまた失脚し、経済改革が中途で挫折することによって明治維新へ向かって歴史の針が進むことになります。
今は出版社が代わり、「幕末編」としてリイド社の『コミック乱』で連載も再出発しましたが、無事にクライマックスの五稜郭の戦いを読める日が来ることを願っています。とりあえず25年待ちました。もう25年くらい待てるでしょう。