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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.2 20件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2002.4
  • 出版社: 晶文社
  • サイズ:20cm/260p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7949-6530-3

紙の本

「おじさん」的思考

著者 内田 樹 (著)

こつこつ働き、家庭を大事にし、正義を信じ、民主主義を守る…いまや風前の灯と化した「正しいおじさんの常識」擁護のために、いま一人の論客が立ち上がった! 成熟したよき「おじさ...

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「おじさん」的思考

税込 2,090 19pt

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商品説明

こつこつ働き、家庭を大事にし、正義を信じ、民主主義を守る…いまや風前の灯と化した「正しいおじさんの常識」擁護のために、いま一人の論客が立ち上がった! 成熟したよき「おじさん」として生きるための知的参考書。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

内田 樹

略歴
〈内田樹〉1950年東京生まれ。東京都立大学大学院博士課程(仏文専攻)中退。東京都立大学人文学部助手を経て、神戸女学院大学文学部教授。著書に「ためらいの倫理学」「映画は死んだ」など。

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みんなのレビュー20件

みんなの評価4.2

評価内訳

紙の本

達人の冴えわたった論理の切れ味

2002/12/08 17:23

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 合気道の達人が書く文章はさすがに違う。生の様式、思考の生理ともいうべき文体がびしっときまっている。はりつめた緊張のうちにしなやかな滋味がほどよくブレンドされていて、この「ほどよさ」が「おじさん」の持ち味だ。たとえば警察予備隊(現実)と憲法九条(理想)の成立の順番が逆だったなら、後者の空洞化ではなくて、むしろその前者に対する抑制機能がくっきりと見えてくるはずだと達人は言う(「「護憲」派とは違う憲法九条擁護論」)。こうした「双子的制度」の矛盾がもたらす緊張に耐えてこその中庸であり、思想とは本来そういうものである。しかし哲学はこれとは異なる。

《長じて分かったのは、「大人」はこういう答えの出ない問いをうまく避けるためのわざを心得ているということだった。その「技法」の一つが「哲学すること」である。/哲学とは人間の存在の根拠を問う「仕方」のことであり、答えられない問い(宇宙の起源とは何か、宇宙の涯には何があるか、時間はいつ始まり、いつ終わるのか、死後私たちはどこへゆくのか、などなど)について考える「仕方」のことである。哲学は何か「答え」を提供するものではなく、「答えがうまく出ない問い」を取り扱うための技法である。》(「哲学の効用」)

 この「思想」と「哲学」の中間に位置するのが「文学」である。達人は、文学的虚構の造形を通じて「近代日本人の成熟(=おとな)のロールモデル」を国民の前に提示してみせることをみずからに課した夏目漱石を論じた第四章(「「大人」になること──漱石の場合」)で、『虞美人草』の三人の青年をめぐって、「内面のある青年」小野くんと甲野くんが内部に蔵する他者と分かち合うことのない「内容」よりも、「内面のない青年」宗近くんのまっすぐ相手の顔に向き合ってメッセージを告げるコミュニケーションの「構え」や「作法」や「型」を称揚している。

 また、『こゝろ』に出てくる「先生‐K‐お嬢さん」から「私‐先生‐奥さん」への三角関係の転移の契機となった「遺書」がもつ機能──「それが意味するものの取り消しを求めるシニフィアン」(ラカン)──をめぐって、次のように書いている。《それは要するに、「遺書」を読んだあとの「私」が、若い人から「先生」と呼ばれ、無根拠な敬意を寄せられる立場の人間になる他ないということ、そしてその責務を引き受ける他に選択肢はないということを知った、ということである。/これが成熟ということである。》(243頁)──ここにある論理の飛躍は引用者がしかけた罠で、気になる方は是非本文にあたって実地に確認していただきたい。とても鮮やかな達人の冴えわたった論理の切れ味に驚嘆させられるだろう。

 以下は私の勝手な要約。──成熟(おとなになること=「わけのわからない」しかし「正しいおじさん」になること)へいたる三つの道のうち、知的緊張の持続が思想であり、反復練習の方法が哲学であり、秘密をめぐる作法・構えが文学である。ここでいう秘密とは「内面」を分泌する私秘的な意味合いをもたない。強いて言えば秘伝、つまり奥義の伝達をめぐるコミュニケーションそのもののうちに表現されるものである(ついでに蛇足を加えると、ラカンの引用を読んで私は「秘すれば花」という究極の言葉を想起した)。

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紙の本

カンバック、「日本の正しいおじさん」。

2003/03/20 23:39

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 おじさんの影が薄い。頭髪も薄いが、それにもまして存在のほうが薄い。おじさんが社会や家庭を支える規範として厳然たる力を持っていた頃は、現在よりも状況はマシだったのではないだろうか。賛否両論はあるかもしれないが。

 作者は「家父長」であり「進歩的文化人」であり「常識」や「社会通念」を備えたモラリストたる「日本の正しいおじさん」の復権をマジで願っている。だから、この本のタイトルってカッコつきの「おじさん」になっている。

 本書は作者のWebサイトに発表されたものを編集したものである。団塊の世代であり、全共闘世代でもある作者は、どうも活動家たちとは水が合わなくて、群れることはしなかったようだ。

 「コンサヴァ」という言葉がある。コンサーヴァティブの略語で、よく女性誌のファッションページなんかで目にするけど、訳すと保守的ってことになるよね。保守の対立語が革新だとすると、保守ってカッコ悪いよね、イメージが。でも、革新がカッコいいかとなるとそうともいえないわけで。なんつーかビミョーな言葉である。で、なんで貧困なイメージしか浮かばないのかっていうと、政治であり政治家だよね。保守イコール守旧派。だけどさ、そうしてしまったのは、清き一票を持つ有権者だよね。なんかよごれちまったかなしみを、じゃなくって二宮金次郎のようなおじさんの銅像をゴシゴシタワシでこすってピカピカにしようよといってるのが、本書。

 平明な文体である。しかし、鋭い。でも威張ってはいない。自然体とでもいうのか、このスタンスがとてもよろしい。さすが「汝殺すなかれ」のレヴィナス読みというのか、レヴィナシアンの作者にふさわしい慈愛に満ちた意見が多々ある。

 海外派兵による人的国際貢献に対しては「口だけ言う(行動は起こさない)」「金も出す」しかし「兵士を送りこむことには絶対反対」の立場をとる。それは「国際社会に対して『蔑み』の対象となっても『憎しみ』の対象となってはならない」からである。体面とか沽券とかを捨てて軽蔑される道を行く。まさしくこれは非戦なのだが、オス度の高い、好戦血中濃度の高い人種には耐えられないことだろう。

 夫婦別姓の実践者には「一人で暮らせばよいではないか」と。まして子どもたちに異なる姓をつけている夫婦に対しては「自分のイデオロギーを実現するために、他人(子どもは『他人』である)を犠牲に供することをためらわないような人間に同感できない」と述べている。

 また、フリーターについても「フリーターの社会的機能とは端的に『失業者の隠蔽』である」と。

 小津安二郎の映画に「刷り込まれ」、「娘と私」の中年シングルライフを実践していた(その娘が作者のもとを巣立っていったことも書かれている)大学教授なので、育児や教育にも明るい。ぼくは作者より一世代下なのだが、このあたりにシンパシーを感じてしまうのだ。

 「第四章『おとなになること−漱石の場合』」では、江戸時代から明治時代という転換期の中で漱石が創作活動を通して「『大人』のロールモデルを造型する」その行為を論じている。明治時代の青年たちは「近代と前近代」のはざまで苦悩するのだが、漱石を近代日本で「最初の大人」に位置づけている。すなわち、それは「おじさん」のプロトタイプなのではないかと思う。おじさん試作機、おじさん初号が漱石かあ。

 ぼくのイメージする正しいおじさんは、矢作俊彦が書いたもろ全共闘世代のスズキさんではなく、なぜか『サザエさん』の磯野波平なのだが。でも、それじゃあ、おじさんじゃなくて、おじいさんか。





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紙の本

こういう「おじさん」になりた〜い

2002/05/24 10:43

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:イカレ=ポンティ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『ためらいの倫理学』の姉妹編。著者がホームページで公開している、おもしろくてためになる日記から選ばれた二十二編と、晶文社のウェブサイトに連載されていた「漱石論」の二本立て。
 『ため倫』よりも、内容的に柔らかく身近なものが選ばれています。個人的には、同じ出版社から、同じような体裁で出してほしかったと思います。あの異様にシンプルな装幀はどうなんでしょうかねえ。
 内田さんの文章の魅力は、推論のおもしろさにあるのは言うまでもないことなんですが、その語り口自体のおかしさも重要な要素を占めています。あのほのかに断定的な文体にのせて繰り広げられる、刺激的な導入から結論への自信たっぷりな展開は、流れに身を任せていると実に心地いい。「内田マジック」と呼んでもいいほどです。
 だから「よくよく考えると、僕はその意見にはどうも賛成できないんだけれど、でも、先生のおっしゃることはよく伝わってきます。だって、説得力があるし、おもしろいんだもん!」ということになってしまう。文体自体が訴えかける読書の楽しさ、というのがあります。村上春樹もそういうところがありますね。読んでいるだけで気持ちいい。
 それにしても、ほぼ毎日書き継がれている日記の「分量」と「内容」の半端じゃないボリュームを考えると、この人は(著者だから当たり前なんだけど)「おじさん」として完成されていますね。「おじさん」的思考分野の老師のようです。私としては「こういうおじさんになりた〜い」と思わせてくれる人に久々に出会えて、とてもうれしい…です。

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紙の本

良いおじさんでも悪いおじさんでもなく、普通の「おじさん」的思考が知りたい

2002/07/16 12:33

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:chita - この投稿者のレビュー一覧を見る

「おじさん的」というから普通のおじさんかと思いきや、ここではインテリ、リベラル、勤勉、温厚な「よいおじさん」のことを言っているらしい。
会社人間、酔っぱらい、家族からは臭いモノ扱いされる普通のおじさんが、どう思考するのかと期待した私はがっくり。
著者は自分のことを「よいおじさん」ではなく「悪いおじさん」だと主張するが、読む限り典型的な大学教授おじさんのように思われる。
そのおじさんの不得意分野であるエロ関連話が、最初の方に続けて出てくるのはなぜかと思ったら、編集者がどうも取り上げたみたいで、格調高くエロ話をされても今ひとつ納得できない。
堅めの人の柔らかい部分を引き出そうとして内容がギクシャクしているので、やはり堅い話でまとめた方が良かったのではないでしょうか。

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紙の本

前編:必要なのは「知識」ではなく「知性」である。

2002/04/22 22:15

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:服部滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

<書評前編>
 本書にこんなエピソードが紹介されている。
 東大の先生が授業で「これまでに読んだことのあるフランス文学の作品名を書け」というアンケートをしたら、「カフカ」と書いた学生がいて驚いたという。それを聞いた某私大の先生は「わっはっは、甘い甘い」とおっしゃったそうである。その先生の仏文のゼミで学生が提出した研究テーマには「カミュトルとサル」と書いてあったという。
 カミュトルとサル、ですよあなた。わたしは電車の中でこの箇所を読んでいて、思わず吹きだしてしまった。慌ててあたりを見回し、ラーメン屋で味噌ラーメンをずるずるすすっている最中でなくてよかった、と胸をなで下ろしたものだ。最近の学生のユーモア感覚もあなどれません。

 昨今、学生の学力低下がモンダイ視されているそうである。そういうときにしばしば引き合いに出されるのが、小学校の学習指導要領で円周率を3で計算するようになったという例で、先日もテレビで福田官房長官がいつものシニカルな含み笑いを浮かべながら「3というのは如何なものか。わたしたちは3.141592653589…と覚えたものです」と自慢げに暗誦していたけれど、まあ、3であろうが3.14であろうが、たいした違いはない。そもそも学習指導要領は、時と場合によっては円周率を3で処理してもいいことにするといっているだけで、そんなことは今年はじめて決まったわけではない。わたしにしたところで、カミュとサルトルの区別は辛うじてつくものの、貸借対照表と損益計算書の違いなど皆目わかりゃしない。そういうものだ。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者 2002.04.23)

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