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- カテゴリ:一般
- 発売日:2002/04/01
- 出版社: 太郎次郎社
- サイズ:19cm/197p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-8118-0666-2
読割 50
紙の本
サヨナラ、学校化社会
著者 上野 千鶴子 (著)
義務教育からオーバードクターまで24年、その後は弱小私学から東大までの教師生活。学校教育の受益者にして被害者である上野千鶴子が当事者のひとりとして発言。学校化社会の「勝ち...
サヨナラ、学校化社会
サヨナラ、学校化社会
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商品説明
義務教育からオーバードクターまで24年、その後は弱小私学から東大までの教師生活。学校教育の受益者にして被害者である上野千鶴子が当事者のひとりとして発言。学校化社会の「勝ち組」に明日はない!【「TRC MARC」の商品解説】
★「こんな不況でよかったね。
親や先生は将来のためにがんばりなさいと言うけれど、
そんな生き方はみんなカラ手形になりました」
★義務教育から大学院、2年間のオーバードクターを含む24年の学生生活。
そして偏差値四流校から東大までの教師生活。
学校教育の受益者にして被害者という上野千鶴子が直言!
★評価に怯える優等生シンドロームの東大生、
子育てに追い込まれた「音羽の母」。
学校的価値に覆われた息苦しい社会をどう超えるか。
★学校はけっして人生のすべてじゃない。
こちらがダメならあちらがある、会社がつぶれても私は生きられる……
多元的な価値を見いだし、生き抜く「知恵」をつけよう。
これは希望のメッセージです。
【2015.5.22】四六判の紙書籍は品切になりました。筑摩書房より刊行されている文庫版か、電子書籍版をごらんください。【商品解説】
目次
- 1 東大生、この空洞のエリートたち
- おそろしく素直だった東大生/講議を要約しただけのレポート/東大でもついて
- 回る偏差値/評価されることに怯えつづけて/学校とは失敗してもいいところ
- 2 学校に侵食される社会
- 近代の制度としての学校/「頭の競争」は機会均等で公平か/敗者に現実をどう
- 納得させるか/優等生のがわにある不安/学校的価値におおわれた社会
- 3 少女・母・OLたちの学校トラウマ
- 学力を売るか、女を売るか/エリート女性がエリート男を求める理由/売春によ
- る女性性の奪還……「東電OL」/失敗を許されない子育て……「音羽の母」
- 4 学校は授業で勝負せよ
著者紹介
上野 千鶴子
- 略歴
- 〈上野千鶴子〉1948年生まれ。社会学者。京都大学大学院博士課程修了。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授。フェミニズムの立場から論壇で話題を提供する。著書に「発情装置」「差異の政治学」等。
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紙の本
自分が気持ちいいと思えること
2005/12/12 20:21
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:喜八 - この投稿者のレビュー一覧を見る
上野千鶴子。社会学者。日本における「マルクス主義フェミニスト」の第一人者。きわめて戦闘的な論客(凡庸な「知識人」などは木っ端微塵に吹っ飛ばされる)であり、草の根のネットワークに足を運び続けてきた現場主義者でもある。『女性学年報』を編集して日本の女性学を手弁当で育て上げた一人。
『サヨナラ、学校化社会』において上野は「学校」を次のように定義する。
・「国民化」の装置。生まれも環境もばらばらな人間を、均質な国民に仕上げる。
・「社会的階層を再生産するための装置」。もともと階層差のある子どもたちをもとの階層に再生産するための、ふるい分けを行なう。
「学校化社会」とは学校的価値観が蔓延した社会のことをいう。学校的価値とは、明日のために今日を我慢する「未来志向」と「ガンバリズム」、そして「偏差値一元主義」。学校的価値のもとに行なわれる「がんばり競争」は、敗者には不満、勝者には不安、というストレスを与える。
上野は学校化社会を「だれも幸せにしない社会」と断罪する。本著の中では「がんばる」という言葉が何回か登場するが、ほとんどの場合、ネガティブな意味で使用されている。
ちなみに上野自身は大変な勉強家である。また学問に対する姿勢の厳しさで知られる。東京大学上野ゼミがハードなことは伝説的だ。しかし、その厳しさに耐え抜いた学生は研究者として、専門分野で国際水準の議論ができるようになるのである。
「学校化社会」を脱するためにはどうしたらよいのか?
「未来のために今をガマンする生き方」をやめること。「自分が気持ちいいと思えること」を自分自身で探し出し手に入れる能力を身につけること。自分の人生に対する評価は自分でくだすこと。他者によって押し付けられた価値観に拘束されることなく、自分自身の人生を充分に生きること。
本著は「学校化社会」にあって窒息されかけている「この社会で既得権をも」たない人たち(若者および女性、そして多分男性にも)へのエールである。誰にでも容易に理解できるような平明な文章で書かれた、突き抜けた明るさに満ちた一冊。表紙カバーや文中のイラスト(イラ姫)も本の内容に合っていて親しみやすさをより増している。
紙の本
弱者の味方
2003/01/06 03:55
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Shinji@py - この投稿者のレビュー一覧を見る
まったく昔はよかったよ。周りに一人や二人は狂った暴力教師が必ずいてさあ。こっちに悪気があるわけでもないのに、勉強ができないだとか、規則だとかで、殴るは蹴るは。もちろん悪気のあるやつらもいたけど、そういうやつらには暴力教師もビビッちゃってさ。なんにもしないの。世の中の理不尽ってやつ、感じちまったよ。あの暴力教師がいなかったら、今でも思うよ、オレの少年時代は楽しかっただろうって。だから昔はよかったよ。ところが何だよ、今は。ゆとりの教育だとか言って、わからなかったら授業を簡単にするんだとよ。おまけに「気に入らない教師がいたら、すぐに言ってください。注意しますから」だってさ、校長が。学校で、勉強で勝つのって、せいぜい十人に一人だろ。負けたやつは自分が悪いと思うしかないだろう、それだと。勝ったやつだって、勝ったやつだけまたいい学校に集められて、競争して九人負け。自分はバカだから楽しくなかったって、意地でも思わせたいのかね、「学校」ってやつは。
と愚痴も言えないぐらい「学校」にやられちゃった人たちの救済に弱者の味方上野千鶴子さんがあたります。ぼくは以前、上野さんのことを、パンツのことを書いてお金をもうけたエッチなおばさんぐらいにしか思っていなかったのですが、webで「あげた手をおろす」という文章を見つけて、思わず恐縮してしまいました。すみません。驚いた証拠にそのページを「保存」していました。恐れ入った文を勝手に少しだけ引用してしまいます。
「わたしはフェミニズムを、ずっと弱者の思想だと思ってきた。もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。弱者が弱者のままで、それでも尊重されることを求める思想が、フェミニズムだと、わたしは考えてきた」。
(日本女性学会ニュース89号で全文を読めるみたいです。アメリカのアフガニスタン攻撃のことを書いたものですが。ぼくはasahi.comにあった池澤夏樹のコラムで見つけました。)
弱者が弱いまま、よりよく生きていける社会の実現を目指してきた人なんですね。そういう上野さんの今一番ほおっておけない弱者が、学校教育という制度に押しつぶされそうな子供たちなんだと思いました。そういう本だと思います。「わたしバカだし」と言ってる子たちや、疲れきっている優等生が読んだらいいのにと思います。この本の書評はすごくたくさんあったので、この辺でやめます。書評数が人気投票みたいですね。最初の変な文は、なんとなく書いてしまいました。
紙の本
既得権にしがみつくオヤヂたちに痛恨の書
2002/07/20 22:42
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:基山健 - この投稿者のレビュー一覧を見る
…いじめ、不登校、学力低下、学級崩壊、教師の性犯罪などなど、教育や学校について、いろんな問題が出てきている。でも考えてみれば、学校なんて先生に言われたことをいかにうまくやるかだけが問われるところだ。だけど今、社会は大きく変わりつつあり、自分の頭で考えることが重要になってきている。我慢だけを強い、考えることをさせない今までの学校なんてさっさと壊れたほうがいいんじゃないか。
「子供のための教育を」とか言って良心的に教育や学校をよくしようとしている大人もいるみたいだけど、今までの学校システムの中でぬくぬくとしていた一部の教師とか親とかが、今のシステムを守ろうとしているだけだと思う。だいたい、大人が「子供のため」と思っていることが、実は全然子どものためではないことはよくあることだ。
生徒に向かって「がんばれ」と言わない教師はいないだろう。経済成長期には、我慢して勉強し、進学し、就職すれば、それなりの収入を得、いい生活をすることができると思われていた。しかし、今は我慢して努力したところで、それが報われる保障は全くない。社会は大きく変わっているのに、学校という閉ざされた空間で何も考えずに生きてきた教師たちは、あいわらず「がんばれ」しか言えない。教師たちは学校の中で先生に言われるままに動き、その延長上で教員という職を得ることができた。その成功体験をひきずってしまうのかもしれない。それに教師は大失業時代の今でも、終身雇用、年功賃金という経済成長期の恩恵を受けてのうのうとしている。彼らが教える生徒たちは未曾有の就職難なのに…。
そんなことを考えていた私にとって、この本に書かれていることは「よくぞ言ってくれた」と思うことばかりだ。学校だけでなく、社会を覆っていたさまざまな「常識」の持っているインチキを見事に暴いている。「労組は正規雇用という稀少化しつつあるパイを既得権として必死に防衛している、守旧派であり抵抗勢力」「自分で自分の評価ができない、他人の目でしか自己評価できない従属的な意識は、学校で叩きこまれてきた習い性」「『構造改革』が、ようやく教育の分野にまでおよんできたことをひそかに歓迎」…。
今までの学校化社会の中で真面目に生き、今の社会の流れを嘆いている良心的な人々にとって、この本の衝撃はあまりに大きいだろう。自分のすべてを否定されたと感じ、この本から目を遠ざけてしまうかもしれない。
今の社会を根本的に問い直すこと無しに、嘆いたり、思い付きで何かよさそうに見えることをやっても全く意味がない。「教育の切り捨てを許すな!」とか言う人もいるけど、既得権にしがみつくオヤヂたちを大量に生み出す社会のしくみをまずぶっ壊さなければ、何も始まらない。
あと、まじめに社会学やフェミニズムを勉強しようと思っている方にとっても、この本は注が充実しててとてもためになると思いますよ。
紙の本
読んでスッキリ、これぞ癒しのバイブル!
2002/06/21 18:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤崎康 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いやースッキリした。いわば、知的オーガズムを何度も何度も味わった気分だ。こんなに爽快な読後感はめったにあるものではない。人生論としても、学問論としても、また教育論としても、絶対おすすめの一冊だが、何はともあれ、引用しよう。
「研究者をしている自分のことを、私は僧院生活者だと思うことがあります。大学、アカデミアの役割は、昔はもっぱら修道院が担っていました。僧院生活者は俗世とは無縁であり、世のため人のためではなく、自分の「解脱(げだつ)」のために生きています。それは自分がスッキリしたい、ということにほかなりません。/研究者とは、なにかが腑に落ちなくなった人がそれをひたすら腑に落ちるように修業しているようなものであり、研究室とは、腑に落ちなくなったことに憑かれた人たちの巣窟です。」「頭のてっぺんで天井がスポーンと抜けるようなものすごい快感」、それが得られるからこそ、人は低賃金で「研究」を続けるのだ(上野氏が、あたかも自分の性的オーガズム体験になぞらえるように学問を語るその語り口は、ぞくぞくするほどエロティックだ)。まあ、現実の大学の研究室には、そうした「解脱」や「エクスタシー」とは無縁な、たんなる組織の道具と化したゾンビのような連中がうようよしているのだが……。
「…どんなアイディアもモノローグの世界からはぜったいに拡がらない、対話のなかからしかアイディアは育たない…。自分のアイディアを聞いてくれる質の高い聴衆をもつということは、仕事をする人や研究者には──ほんとうはどんな仕事をする人にとっても、ぜったい不可欠なことです。」
「第三者から評価され市場でヒットするものは、百のうちの一つか二つもありません。…しかし、自分が好きなことだけをやった結果を第三者が評価しようがしまいが、自分が好きなことだけをやってこられたなら、それでOKではありませんか。人に言われたことばかりやって人に頭をなでてもらう生き方と、人に言われないことを勝手にやって、自分で『あーおもしろかった』と言える生き方と、どちらがいいかです。」
こうした引用のブリコラージュだけでも、本書の痛快さの一端は伝わるにちがいない。ともかく、万国の学生、読書人、ライター、研究者諸氏を勇気づけてくれる特効薬といえる一冊だ。 (bk1ブックナビゲーター:藤崎康/現代文化論・映画批評 2002.06.22)
紙の本
学校化社会は勝者も敗者も幸せにしない。将来のためでなく、現在をせいいいっぱい生きることをすすめる。
2002/07/06 15:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サニー - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は社会学者であり、学生として教師として長い期間を、学校で過ごしてきた。
近代が転換点を迎えている今日、近代の制度としての学校を分析。
偏差値など価値の一元化のもとでの優勝劣敗主義は、勝ち組も負け組も幸せにしないという。
東電OL事件について、東電OLを「学校的価値を愚直に信じた女が、いまの社会のハンパさに頭をぶつけて挫折し、男社会へのリベンジを果たそうとした極限の姿」であるとし、売春は男に対するある種のリベンジだという著者の分析に、おもわずなるほどと思った。
学校を知育限定の「小さな学校」でよいとし、学校は授業で勝負せよといっている。
人生を多角的に、多面的に生きればよい。偏差値の呪縛から自分を解放し、自分が気持ちいいと思えることを、探して生きるように。
「現在」の価値を見直し、自分で「ああおもしろかった」と言える人生をおくるようすすめている。
学校社会にどっぷりつからながら、今の学校化社会の問題点をするどく指摘し、これからの生き方を示している著者はみごとと言うほかない。
紙の本
うーん
2002/06/05 16:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:林檎ちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
図書館で借りて丸々読んだのにも関わらず自分で買い直した本。私は30代で、学校を出てかなり経つから学校を取り上げた本は関係ないかなと思ったが、これは、自分が直面している社会問題をもう一度見直すためのいい材料となった。今後の社会がどうなるかをこういう本で読んでみるのもいいと思う。私のようなもう会社で働きたくない人間は、どういう覚悟で生きていけばいいか、ということも書かれている。著者の言葉は相変わらずきつく胸に突き刺さる。しかし爽快だ。著者は名文家でもあるので、その点でもオススメな一冊。面白い本です。
紙の本
爽快だし、現実的で役に立つ
2002/06/11 16:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
毎日せまい教室にギュウギュウつめこまれて、みんなといっしょに行動して考えて……学校がどうにもキライだったわたしは、これ読んですっきりしました。
学校のいう「成果」をあげるのが、ホントに学ぶってことじゃないって、これでもかと検証してくれます。
ああ、気持ちいい。
でも同時に、マジで学校化社会にサヨナラしたら、かなりの摩擦の中を生きなきゃならんよなあ、というのも透けて見えて戦慄を呼ぶのも必須。
スリルありますよ、これは。いちいち具体的だし。
あと、あんまりジェンダー色強くないから、男性にも無理なく読めると思います。
親の立場な人も、読んでおくと子供にいらぬ小言をいわずに済むようになるかもしれません。
実際、役に立つよなあと思いました。
それと関係図書をたくさん紹介している下段の注釈も、便利です。
紙の本
学校が作った近代
2002/05/12 21:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よんひゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
努力と成績の間には、実は、さほど強い相関関係はない。では、学校の成績を決める大きな要素はなにか。それは、その子供の家庭の年収である。このようにして、学校では社会階層が再生産される。そして、そのツボは、下層になる子供たちが「自分たちはガンバらなかったから、だめだったんだ」と、自ら納得してしまうところにある。成績がよければよいで、次もまた、よい成績を取らねばならない、取れるだろうか、という不安のうちに学校時代をすごさなければならない。
こういう近代の学校の仕組みが喝破され、その中で虐待母、「東電OL」、拒食症の少女たち、などとの関連が語られる。読みやすく刺激的である。
紙の本
目次
2002/07/16 17:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1 東大生、この空洞のエリートたち
おそろしく素直だった東大生/講議を要約しただけのレポート
東大でもついて回る偏差値/評価されることに怯えつづけて
学校とは失敗してもいいところ
2 学校に侵食される社会
近代の制度としての学校/「頭の競争」は機会均等で公平か
敗者に現実をどう納得させるか/優等生のがわにある不安
学校的価値におおわれた社会
3 少女・母・OLたちの学校トラウマ
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失敗を許されない子育て……「音羽の母」
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「二流エリート」としてのオウムの若者/持ち寄り家計という生き方