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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.7
- 出版社: 文芸春秋
- サイズ:26cm/107p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-16-358600-8
紙の本
東京リラックス
著者 大田垣 晴子 (著)
「くつろぐ」「のんびりする」という気持ちよさだけでなく好奇心をも満足させる、東京発信面白不思議なリラックススポットを巡る画文集。『CREA』連載に大幅に書き下ろしを加え再...
東京リラックス
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商品説明
「くつろぐ」「のんびりする」という気持ちよさだけでなく好奇心をも満足させる、東京発信面白不思議なリラックススポットを巡る画文集。『CREA』連載に大幅に書き下ろしを加え再構成した。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
大田垣 晴子
- 略歴
- 〈大田垣晴子〉1969年神奈川県横浜市生まれ。武蔵野美術大学卒業。さまざまな媒体、広告で活躍中の画文家。著書に「サンサル」「イラスト日用服飾事典」など。
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紙の本
東京だけでも、いろいろな、体験が出来るんですねー。
2003/11/20 14:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆう - この投稿者のレビュー一覧を見る
やっぱり衝撃的だったのは、ケミカルピーリング。
湯島のあかすりは、素っ裸になってやるのは恥ずかしいけど、やってみたい! そして私も、垢太郎を作りたい。
エステもいいけど、催眠術や、自分の前世に興味あるナ〜。
太田垣さんの、好奇心はどこまでも止まらないのでしょう…。怖いとか、辛いとか、そういう言葉はこの人の辞書には無いんでしょうか?
羨ましい体験ばかりじゃないんだもん、腸の洗浄なんて、とっても辛そうだったしー、それでも嬉々としてやってのけちゃうんだから、そのエネルギーは、すごい!!
まったく自己流の完全なホームエステなら、いろいろ塗ったくったりして、それなりに楽しいんだけど(そして効果もあるような?)、でもやっぱり、高級エステにいってみた〜い!!
紙の本
東京リラックス
2002/07/28 22:30
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:スライム - この投稿者のレビュー一覧を見る
何を「リラックス」と定義するかは人それぞれ。こういう体験記で色々なリラックス方法を読めるのは本当に楽しい。私は大田垣晴子さんのファンなので余計に嬉しい。一番好きなのはやっぱりエステ編かな。女の憧れの場所なので。ゲランでのエステは有名だけど行ったことがなかったので参考になりました。また、正しい洗顔方法もよかった。洗顔であれだけ変わるとは。ああいうことを教えてくれる場所があるのか。東京が近ければすぐにでも行きたい!ベトナムや韓国への旅行記もあります。丁寧だけど妙にひょうきんな大田垣さんのイラストも冴えます。味がある。楽しめる本です。
紙の本
三八年めの「ずばり東京」
2002/09/08 18:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
故開高健の傑作ルポタージュ「ずばり東京」が書かれたのは昭和三八年の秋から翌三九年の晩秋にかけての一年間であった。深夜喫茶や羽田空港、はたまた予備校に「トルコ風呂」と当時の世相を舐めまわすように、開高独特の、芳醇にして軽妙な文体が東京を描ききっている。文庫版の「まえがき」で開高はその頃のことをこう書いている。「当時のトーキョーは一時代からつぎの時代への過渡期であったし、好奇心のかたまりであってつねにジッとしていられない日本人の特質が手伝って、あらゆる分野がてんわわんやの狂騒であった」。そういった時代だったからこそ、開高の饒舌がぴったりはまったともいえる。
それから三八年が過ぎた。その開高健ももういない。開高が「超世の慶事」と皮肉った東京オリンピックを一里塚にして、日本経済は高度成長を遂げていく。それが泡沫となっていることさえ気がつかなかったのは、開高の出世作「パニック」の鼠たちそのものであった。いったんはじけた泡はそのまま戻ることないまま、失われた一〇年などと気取って云われても、要は不況そのものなのだ。そんな時代に書かれたのが大田垣晴子の「東京リラックス」である。
初出誌が「クレア」という女性誌ということもあって、ここに描かれた世界はエステやリラクゼーションといった女性の世界だが、ここにも三八年という時の流れを感じる。男の世界から確実に女の世界に変わっている。疲弊しているのは男性ばかりで、女性はまだまだ元気だ。大田垣の漫画はそんな女性たちの貪欲さも描いているといえる。表現方法もそうだ。開高が三八年前に「ずばり東京」を描いた時にも、独白体や会話体と文体を変えたが、漫画はさすがに書かなかった。表現方法としてまだ完成されていなかったといえる。今では漫画はあらゆることを表現できる文化になった。開高がいれば、大田垣の作品をどう評価しただろう。
開高は「ずばり東京」の最後にこう書いた。「東京には中心がない。この都は多頭多足である。いたるところに関節があり、どの関節にも心臓がある」。そのことは三八年経った今でも変わらない。大田垣が描いたそれぞれの場所が関節であり、心臓でもある。そして、まちがいなく、ずばり東京である。