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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2002.8
  • 出版社: 晶文社
  • サイズ:20cm/220p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7949-6540-0

紙の本

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著者 坪内 祐三 (著)

江藤淳の自殺に思うこと。植草甚一はなぜ、若者に受けたのか。ジャイアント馬場追悼。私小説とは何か。東京堂書店について。1979年を境に文学はどう変わったかなど、今も注目を集...

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商品説明

江藤淳の自殺に思うこと。植草甚一はなぜ、若者に受けたのか。ジャイアント馬場追悼。私小説とは何か。東京堂書店について。1979年を境に文学はどう変わったかなど、今も注目を集めている坪内祐三の評論集。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

坪内 祐三

略歴
〈坪内祐三〉1958年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。『東京人』の編集者を経て、コラム、書評、評論など執筆活動を始める。著書に「古くさいぞ私は」「文庫本を狙え!」「靖国」など。

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みんなのレビュー2件

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評価内訳

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紙の本

【櫻の大樹】か【火焔樹】か

2003/01/20 00:10

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 吾々が道を歩いてゐる時、一里先の山道に目を奪う様な櫻の大樹がある事を吾々は知らない。(『小林秀雄全集12巻』福田恒存の解説より)。坪内は1982年に卒業論文「福田恒存論」を大学に提出したが、この本の主題は「植草甚一的なるものをめぐって」1979年をバニシング・ポイント(消尽点)として、例えば、彼は1979年に文章表現の世界で一つの大きなパラダイム・チェンジが起きたとする。卒論は変奏曲として、あえて挿入したらしい。でも、江藤淳を加え、[生き方の保守]と[主義としての保守]を明確に区分けして論じた、保守主義でない保守論は私なりに面白かった。著者のあとがきによれば、この本は未完成な本である。【幻の1979年論】たるこの本を完成させるのは、この本を通読し、何かの考えのきっかけをつかんでくれた(はずの)、読者ひとりひとりのその読みの力にゆだねられている。とバトンを渡される。松岡正剛監修『情報の歴史』を開くと、79年の項では[アメリカの原発事故とソ連のアフガン侵攻。米ソのかかえる矛盾の水面下、実はエイズが登場を待っていた][日本にもやっとワープロとパソコンの登場。テクノポップは歩きながらのウォークマンで]とコメントされ、坪内が位相の変化の風を感じた蓮実 重彦『表層批評宣言』、村上春樹『風の歌を聴け』はこの年である。沢木耕太郎『テロルの決算』(正確には前年)もある。1979年夏、[ザ・ギンザ]で[植草甚一展]が開かれ、12月、彼は亡くなる。
 そして、この20年、ポストモダニズム的時代相の中で時間は止まっているように見えたが、1999年、記号でない生身のジャイアント馬場は倒れる。=彼を失った今、私は、ただの中年男だ。年をとったという自覚がないまま私はこの20年を過ごした。私はそろそろ、私が青年から中年へと変った、この20年の意味をきちんと考えなければいけない。=(179頁)
 =我々現代人は、普段、直線上を動く時間の中で、つまりその断片の中で、飼い馴らされている。ところが、山道を歩いていて突然「櫻の大樹」に出会った時、その時我々は普段とは異なる時間の感覚ー即ち円環的に動く時間ーを持つのではないだろうか。円環的に動く時のもとでは、我々の自意識の入るすきまがなく、時間は一見停止して見える。つまり、その時、我々は常に現在しか持たない。それゆえ、何の前ぶれもなく「櫻の大樹」を見いだした時、我々の現前には未来も過去をも超越した永遠の現在が広がり、今も書いたように自意識の入るすきまなどなく、我々は何の気がねも持たずに眼の前にある「櫻の大樹」を介して、その永遠の現在の懐へと飛び込んでゆくことが出来るのではないだろうか。
 「民衆の生きかた」で福田氏は書いている。/要するに、時間も空間もまったく静止し、われわれはそのそとに投げだされ、純粋な、同時に無意味な自由を獲得するのであります。その瞬間は、すくなくとも真の自由への、あるひは生の充実化への、有力なきっかけとなりうるわけです。=(122,3頁)
 でも、79年の曲り角から、重い物語の荷物もなく、軽やかに20年以上も歩き続けて、ふと、空を仰ぐと【火焔樹】が燃え立っている地点に遭遇してしまったのではないか。それでも、自然の生成の型の中に身を預け、部分にして全体、瞬間にして永遠の合一感を味合う術を、日常生活を再活性化するための儀式を、如何にして身につけるべきであろうか。火焔樹に飛び込めば、向こうに櫻の大樹があるのであろうか。それとも、火焔樹も櫻の大樹も同じなのか。誰にもわからない。

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2014/04/19 08:33

投稿元:ブクログ

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