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黄色い本 ジャック・チボーという名の友人 (アフタヌーンKCデラックス)
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著者紹介
高野 文子
- 略歴
- 1957年11月12日生まれ。新潟県新潟市出身。新潟県立新潟江南高等学校衛生看護科、東京都立公衆衛生看護専門学校卒業。1979年、「JUNE」掲載の『絶対安全剃刀』でデビュー。1982年、同作品で第11回日本漫画家協会賞・優秀賞受賞。2003年には、『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』で第7回手塚治虫文化賞・マンガ大賞受賞。
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紙の本
書物との対話は素晴らしいことです。そのことを知る人は幸いといえます。ですがわけても「チボー家の人々」を知っている人は、それを知らない人よりも確かに幸福なのです。そんな確信が伝わる作品です。
2005/01/22 12:51
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
新潟に住む実地子は高校三年生。間もなく学校を卒業して社会人になります。そんな彼女が卒業間際に夢中になって読んでいるのがマルタン・デュ・ガール作「チボー家の人々」。
第一次世界大戦前後、ヨーロッパを呑み込んだ大きな時代のうねりの中で決然と生きたある一家の物語ですが、この長編小説は主人公ジャックやその仲間たちを読者に幻視させる魅惑的な力を放ちます。
夢か現(うつつ)か定かではなくなるような読書体験。それを高野文子の漫画「黄色い本」はコマとコマとの間の連続性を意図的に飛ばすことによって描いていきます。映画に例えて言うならば、ジャンプ・カットを多用した、一般的モンタージュからは外れた編集を続けて仕上げた作品といえるでしょう。
さらには被写体のサイズや位置とカメラ・フレームとが必ずしも合致していないコマがかなりの頻度で現れます。被写体などの端や角がわずかに欠けているのです。
こうしたジャンプ・カットやバランスを欠いた描き方のために、物語が持つはずの情報の流れが途絶されたり、本来伝えられてしかるべき情報量が意図的に減衰されたりすることになります。見る者の生理は大いにかき乱されます。実地子が感じた惑乱状態を見事に描いているともいえますが、同時にこの漫画は一度読んだだけでは物語を十分つかみとることが出来ないという危険性もはらんでいます。
それでも実地子が小説の登場人物たちと決意に満ちた会話をかわす姿に、読者は胸打ち震える思いがするはずです。社会への門口(かどぐち)に立つ多感な時期の若者と、血がたぎるような物語との熱い対話。
なんのことはない。これは20年近く前の私の姿です。
就職も決まり卒論も仕上げた時期に、私は大学時代最後の企てとしてこの「チボー家の人々」を読破することにしました。実地子が手にしたのは白水社の単行本5巻セットですが、私が手にしたのは同じ出版社から出たばかりの新書版全13巻。学生生協を通じて安く手に入れた新品の本でした。
暖房のきいた大学の図書館へ毎日通って朝から夕刻まで「チボー家の人々」をむさぼり読んだのです。登場人物たちの心臓の鼓動までもが確かに聞こえる思いをし、時代に立ち向かって生きた人々と肩を並べながら時を過ごしたのです。
それは、時に奥歯をぐっと噛みしめ、時に拳を堅く握り締めながらの読書でした。
気ままな学生時代と別れを告げ、社会へ出て行った後は長編小説に分け入っていく時間など自由に手にすることはないのだろうと思い込んで手にした「チボー家の人々」でしたが、まさに人生最後の読書にしてもよいような魅力溢れる小説だったのです。
ですから実地子が「チボー家の人々」に対して、鬼気迫るかのような忘我の読書を続ける姿が私にはとてもよくわかります。これは書を読む喜びを持つ者だけが知る魅惑の思いとも言えますが、私はあえてもう一歩踏み込んで、これは「チボー家の人々」を読む喜びを知る者だけに許される体験だと言いたいのです。
高校生の実地子は、登場人物の中でもチボー家の次男ジャックに特に強い思い入れを持ったようですが、実地子よりわずかに長じていた当時の私はジャックの兄であるアントワーヌに肩入れして読んだものです。未曾有の大戦を経て疲弊しきったヨーロッパにあって、それでも人間は必ずやより高い次元へと歩んでいけるはずだと信じるアントワーヌの力強い魂。
「黄色い本」で実地子の父は、娘が図書館で借りた本を大事そうに抱えている姿を見てこう言います。
「好きな本を一生持ってるのもいいもんだと俺(おら)は思うがな」(73〜74頁)
そう、その通り。
私の本棚には、今も「チボー家の人々」全13巻が並んでいます。そしていつの日か、私が再び挑んでくることを彼らは静かに待っているのです。
紙の本
すべての本好きに!高野文子のコミック「黄色い本」。
2010/09/29 19:17
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「黄色い本」は出版されているコミック作品としては最新作。といっ
ても初版は2002年だからすでに8年が経つ。寡作の人である。そして、
高野文子はオンリーワンの作家である。我が道を行くというか、孤高の
人というか、彼女の「表現」はまさにオリジナルのものだ。フォロワー
あるいはチルドレンは出てきてはいるが、今だ足元にも及びはしない。
さて、「黄色い本」。全4作だがやはり表題作がずば抜けていい。黄
色い本というのは白水社版の「チボー家の人々」のことで知る人ぞ知る
「黄色本」だ。主人公である田家実地子は就職を控えた高3生、この作
品の中で彼女は最初から最後までずっと図書館で借りた「チボー家の人
々」全5巻を読み続けている。学校でも家でも登下校のバスの中でも。
無類の本好きの彼女は、この長い長い物語を読むうちに小説の登場人物
ジャックにシンパシーを寄せていく。そして、いつの間にか自らも物語
の世界に入って行く。ジャックと言葉を交わす実地子、革命家たちの真
ん中で檄を飛ばす実地子…。彼女がいるのは昭和の時代のいなかの村で
ある。ジャックがいるのは第一次世界大戦前のフランス。時空間を超え
て2人の思いが交錯する。繊細で痛々しいような感受性を持つジャック、
そして、実地子の心もまた。
高野文子の表現は、次元をヒョイと越えたり、平凡な日常の一瞬をス
パッと切り取ったり、なんとも軽快で自在。それでいて、主人公の気持
ちがしっかりと伝わってくる。すべての本好きにおすすめのコミックだ。
ブログ「声が聞こえたら、きっと探しに行くから」より
紙の本
『少女』との離別
2005/07/08 09:11
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:NATSU - この投稿者のレビュー一覧を見る
夢想に遊び、友と語らい、日々を過ごす。青臭い矜持と老獪な諦観。少女期から大人へと変化する、その否応もない狭間を、この作品は見事に描ききっている。
本と遊び、現と折り合いをつけ、流れ去る刻に揺らぐ。『チボー家の人々』と実地子の物語は誰もが経験する事ではない。が、この郷愁は特別なものではない。だからこそ、読む人の心を締め付ける。
時に羞恥心を呼び覚まし、そして、もう二度と取り戻せない一瞬のきらめきを追体験させる。少女期との別れを描いた傑作である。
紙の本
心に残るかけがえのない時間。読書の至福のひとときを描いた表題作に感動
2004/06/15 02:07
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風(kaze) - この投稿者のレビュー一覧を見る
読書の喜び、物語の中の登場人物たちと過ごすかけがえのない至福の時間を描いた表題作の、これ、なんて素晴らしい作品なんだろう。どれどれ、そこそこ楽しませてくれるかな…くらいの気持ちで読み始めました。
そうしたら、主人公の実地子(みちこ)が本を読む姿に、話の登場人物たちと言葉を交わしたりする姿にどんどん共感を覚えていって、読み終えて、これは凄い作品だああああと感動してました。胸の中がじんじんしびれて、あふれてくるものがあって、目頭が熱くなりました。
表題作「黄色い本——ジャック・チボーという名の友人——」。
就職を控えた田家(たい)実地子が、学校の図書室から借りた『チボー家の人々』(山内義雄訳 白水社)全5巻の物語を読み、浸る姿が描かれています。学校に向かうバスの中で、家でする手伝いの合間に、寝る前の灯りの下で、実地子はひたすら黄色い本を読んでいくんですね。登場人物たちが語る言葉に耳を傾け、話の中に入って共に呼吸するようにして読んでいく。そのかけがえのないひととき、読書する喜びが生き生きと描き出されているところが素晴らしかった。「学生時代、そう言えばこんなふうに本にのめり込むようにして読んでいったこと、あったっけなあ」と、なんかこう懐かしい気持ちに誘われました。
本書には表題作以外に三編収められていますが、なんといってもこの表題作「黄色い本」が別格っていうくらい、心に深く残る作品になりました。積読してあるあの名作を、長いから読むのに時間がかかるだろうけど、いっちょ思い切って読んでみっか、どうしようか……と考えているそんな時、この「黄色い本」を読むと読む決心がつくかもしれません。
「黄色い本」のラストに置かれた台詞が、かけがえのない読書の時間へと差し招いてくれるみたいな、そんな素敵な調べを奏でていたのも忘れられません。
紙の本
少女漫画から少女がとれる時。
2003/04/25 11:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
一読して、とっさに「少女漫画から少女がとれる時。」というタイトルが浮かんだ。我ながらいいタイトルだと自画自賛。しかし、高野文子って少女漫画ってカテゴリーだったっけ。『絶対安全剃刀』『おともだち』『ラッキー嬢ちゃんの新しい仕事』『棒が一本』『るきさん』…。まあ初期の頃の作品は妻が愛読していた「プチフラワー」が初出だったけど。
タイトル作である『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』がやはり秀逸である。舞台は新潟のとある町(のはず。会話が新潟弁だから)。女の子は、図書館から借りた『チボー家の人々』を愛読している。文章をそらんじるぐらい。その女の子の一家と高校が舞台。彼女にとって『チボー家の人々』は、彼女自身のアジール(避難場所)だったのだろう。彼女には、もう一つの居場所があった。彼女とおんなじ様に、外国の物語に入りこんだ後、ふと我が家というのか、現実に戻されるといいようのない哀しみを覚えた。こんなに熱い思いを1冊の本に託せた時代は幸福だったかもしれない。
作者は、ぼくが忘れていた時代を次々と再現していく。編み機、石油ストーブ、制服、卓袱台、石炭ストーブ(ダルマストーブだったっけ)…。編み機。ぼくの家にもあった。母が作ったセーターを着て、小学校へ行った。
ううむ、こりゃ、立派な純文学だよ。しかも、そんじょそこらのへなちょこ純文学なら太刀打ちできないくらいの。確か作者も新潟県出身だったと記憶している。吉本ばななあたりとか、この世界が男の子になると、同郷の藤沢周あたりの青春小説を思わせる。
他の作品も、うまい。
『CLOUDY WEDNESDAY』は、冬野さほや魚喃(なななん)キリコあたりのイラストレーション、漫画が好きな人なら、ハマるはず。ポップなコミックアート。
『マヨネーズ』は、縁は異なものを形にしたような話。会社へ通っている人なら、「あるある、こういうの」と、好感を抱くだろう。
『二の二の六』は、ヘルパーさんが主人公。どことなく『るきさん』を彷彿とさせる主人公。室長が、これまた『るきさん』に出て来たえっちゃんにウリ二つ。
相変わらず絵が魅力的。陰翳のつけ方や、映画的な構図、時にはモンタージュと思えるようなコマ割りは健在である。線がますます自由に、軽く、達者になっている。たとえば、かわいくない子供の顔やヤラシイ中年男とかバスで高校に通学する時の老婆とかが、だ。いいよな、ペンで描く線って。Macなんかと違って線が、ギザギザしてないし。
なんだろ、でしゃばらないところがいいのかな。何もかもさらけださないところがいいのかな。トレンドじゃないところがいいのかな。描けないのか、描かないのか、描かせないのかは、よー知らん。でも、こうやって、高野文子の漫画が読めることは、数少ないうれしいことのひとつだ。
紙の本
高野文子の世界
2019/08/18 01:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:AKHT - この投稿者のレビュー一覧を見る
読む人の視座によって様々な楽しみ方が生まれるであろう一冊。
表題作は、シンプルな構成の中に思春期女子の読書する時間・夢想する空間・知性を開花させる青春をていねいに並べ、日常の客観と主観を巧みに描いた快作。
これを読む人の人格形成と世界観によってコマから見えてくる世界は異なるでしょう。日常の空気を楽しむ人、ノスタルジーを感じる人、作者の意図を解釈しようとする人、一見さりげないが非常に計算された構成を読み解く人、ただ眺める人、高尚な精神性を見つける人、娯楽と割り切って読み進める人、など。
感情移入して読むか、俯瞰して読むかで読後感がかなり大きく異なる作品群なので、読者との相性はあるでしょうが、二度三度と振り返って読むことを勧めたくなる作品です。
人によって読む側面が異なり、深度が異なり、解釈が異なり、ということが許される度量の大きい作品群。長年出版され続けていることがその証拠です。
紙の本
お気に入りの本
2016/02/02 10:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:onew - この投稿者のレビュー一覧を見る
「チボー家の人々」に登場する人たちに主人公が衣服に関する仕事をしますと宣言するシーンがすごくお気に入り。この本は歳をとってもずっと手元に置いておきたい一冊。
紙の本
娘の言い分父の言い分
2003/06/08 20:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
父は今までアタシに漫画を読むなと云ったことがない。父が子供だった頃、よく漫画ばかり読んでと叱られたそうだ。漫画はけっして悪いものではないのに、と父はずっと思っていた。だから、娘のアタシから漫画本を取り上げることはしなかった。それどころか、アタシが読んでいる漫画を父が読むこともある。父は今でも漫画が好きなのだ。そんな父がアタシに読んでごらんと勧めてくれたのが、高野文子さんの「黄色い本」だった。でも、アタシにはどうもわかりづらかったので、「難しいよ、これ」って父に返したら、父は「そうか」と少し悲しそうな顔をした。
娘の部屋にいっぱい並んだ漫画本を見ると、私の時代との違いを感じる。なんだか原色だけでつくられた世界のようだ。私の子供時代の漫画はもっとゆったりしていたような気がするし、教科書や文学書にはない独特の世界観があったようにも思う。「名探偵コナン」も「ヒカルの碁」もすごく上手な漫画だと思うが、文学や詩に匹敵するとは言い難い。私が読んできた真崎守や永島慎二の漫画はもっと深く心に残ったように思う。高野文子の「黄色い本」はそういう点では、現代漫画の中では稀有な作品だろう。娘が読めないと私に返してきたが、なんだかそれもわかる。今の漫画世代には重過ぎる作品かもしれない。
父は「黄色い本」の題名の謂れでもある『チボー家の人々』を学生時代に読んだことがあるらしい。箱入りの五巻本は、箱から出すと本当に黄色い本だったそうだ。「どんな本だったの?」と訊くと「よく覚えていない」と云う。そんなの読んだことにならないよ。父は恥ずかしそうに、高野さんの「黄色い本」をぱらぱらとめくった。
今年の第7回手塚治虫文化賞の「マンガ大賞」に「黄色い本」が選ばれた。そして、同賞の「新生賞」が娘の好きな「ヒカルの碁」だった。選考委員の一人である荒俣宏氏が高野の作品を「現代の日本マンガにおける一方の極北」と評しているが、「ヒカルの碁」と比べると荒俣氏が云おうとした意味がよくわかる。娘には「ヒカルの碁」こそ漫画なのかもしれない。しかし、「黄色い本」が描こうとした世界もわかってほしいと、私は思う。今の娘と同じ年令の頃読んだ『チボー家の人々』のことはほとんど覚えていないが、それでも私はその本を読むことで何かをつかもうとしていた。そんなことを、父さんはこの本を読んで思い出していたんだよ。
紙の本
いつでも来てくれたまえメーゾン・ラフイットへ
2003/05/26 20:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アベイズミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
高野文子の「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」を読みました。実のトコロ、読みました。などと簡単に片付けられるモノでなく、何度も何度もこの本を開きました。開いてはつくづくと眺めました。眺めてはため息をつきました。というのが真相です。
大概は寝床に入って、もしくは電車の中で、さらには酔ってしまわないかビクビクしながらのバスの中で。何度も何度もこの本を開きました。開いては眺めました。それはもう、少しばかり日課のようにもなっていました。
不思議なことに、なかなかはかどらない読書でした。
実を言えば、最後まで読み切ったのは、つい先日のことだったんです。あんなに毎日眺めていたくせに。パラッと開いてそこのページを眺める。ああ、ここは昨日も読んだかもしれないなと思いながらも、また眺める。眺める。眺める。ああ、もうこれでお腹一杯。もう食べられません。むにゃむにゃ。そんな塩梅だったのです。
ナゼでしょう? それは、この本が、読み進めたいという気持ちを何処かにやってしまうから。それはこの人の持つ絵の魅力? 単純に上手であるとか、可愛らしいとか、構図がよいとか、そんなことでなしに(それも充分あるのだけれど)、この人の手に掛かれば、何もかもがナツカシイトシイ物たちへと、包み直されて生まれ変わるからでした。誰かに愛された物たちへと。ちょうど向田邦子のあの世界のように、すべてが特別になっていくのです。例えば何でもない靴下ひとつにしろ。
そして「あの感じ」。唇に指先に足にたちまち伝わる「あの感じ」。アーモンドキャラメルの透き通った包み紙を唇に当ててぶーぶー言わせたとか。髪留めをぷちんと鳴らせたとか。トクホンを足からピッと剥がしたとか。スカートの皺を丹念に整えたとか。そして何だかちよっと胸が苦しくなってくるのです。コトバにしきれないモノが込み上げてきて。
きっともうそれだけで、私は満足してしまって。そのヤサシカワイイ世界に浸っていたいと思ったのでした。そして、本当にそれはページを開いていない時だって、続いていたのです。ずっと包まれていたのです。
でも、でもね、この世界はちいとも甘くないのです。もしかしたらば、高野文子が描く世界が、ただナツカシイトシイ、ヤサシカワイイだけのモノでないことを知っているから、私はちっとも読み進めようとしなかったのかもしれません。なんだかひどく愚図でいたいと思ったのかもしれません。
それでも、とうとう私はゆっくりとこの本を読み上げて、思い出していったのです。あの頃のことを。たくさんの中に紛れ込んでいたあの頃のことを。静かに、確信的に、明確に。思い出していったのです。
やさしいモノ無邪気なモノ素直なモノに、決別しなければならないと思ったあの日のことを。
やさしいモノ無邪気なモノ素直なモノを、少しだけ憎みはじめたあの日のことを。
望むと望まないとに関わらずズレのはじまった日のことを。
望むと望まないとに関わらず見通せてしまった日のことを。
私は決してこんな、おっとりとした、でもまっすぐではなかったけれど。こんなに、はっきりとした、でもひっそりでもなかったけれど。はじまってしまった日々の「あの感じ」は今でもまざまざと思い出せるのです。
でもね、彼女は、高野文子は、こんな私みたいな安っぽい感傷を良しとしないの。声高でもないの。たくましくって、おおらかで、でも触れない、そのかたくな。無骨なくらいの。
そして彼女はきちんとひとつひとつ年をとっていく。それが分かるの。伝わるの。そして時々こうやって、私を招き寄せたりもしてくれるの。まるで私の道しるべみたいになって。
紙の本
幸福な沈黙
2002/06/24 02:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あおい - この投稿者のレビュー一覧を見る
幼い読書の、想像と現実を緩やかに交叉しながら一見静謐で、どこか滑稽でさえあって、激しく、そして苦い悔恨のようなものにひたされた時間を描いた表題作がたまらないほど切ない。緻密に練り上げられた構成とそれを支えるまったく思いつきや物欲しげな「センスの良さ」などとは無縁の領域にある技術の確かさに、付け足す言葉など何もありはしないのかもしれない。他三編の収録作もどこか皮肉っぽくて少し意地悪なようなクールな短篇なのだが、何か賢しげな説明を拒絶するような味わいがあり、優れた作品は沈黙を生むという吉田健一の言葉を思い出す。
紙の本
このコマの白さが
2002/03/08 12:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:バイシクル和尚 - この投稿者のレビュー一覧を見る
素朴な絵とストーリーで人を引き付ける高野文子の新刊。読書好きの少女が出会った本「チボー家の人々」の登場人物ジャック・チボーと内心で語り合う。
素朴な日常と少女の空想の対比がどことなく不思議でそこがたまらない。この人のマンガの魅力は徹底した日常の描写にある。例えば、蚊を追って叩くその手を布団に擦り付けるそんなサイレントな描写、記号化した日常の一コマを端的に表現する、そんなところがスゴイ。ページのどこにもこんなことあったようなといったデジャヴを感じさせられる。それが全体的な不思議感をうみだすのだろう。ノスタルジアを描かせたら天下一品。そういう点でも「黄色い本」はお勧め。ぜひ一読あられたい。
紙の本
本を生きている感覚
2015/03/26 02:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やさし - この投稿者のレビュー一覧を見る
かわいくない女の子。るきさんとはまた別の、ただその人であるひと。女の子のそういう感じを描けるのは凄い。彼女とか奥さんとか、お母さんとかでない、誰のものでもないその人らしさが愛おしい。読書している時、別の世界をそばにおいて生きているような感覚、現実とすぐにスイッチする不思議なリアリティ、その雰囲気を味わう。チボー家、読んでみたくなる。
紙の本
何のために本を読むのか?君達は!
2003/07/20 22:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:もくりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
書評などというものを書き始めると、気に入った台詞を書き出したり、キャラの性格を箇条書きにしてみたりと、本を読む事以外にすることが出来てしまう。これがライターという職業にもなると、気に入ったページに付箋を貼ったり、ミステリーのプロットを抜き出してみたりと、純粋に本を楽しむということはどんどん遠ざかっていくのだろう。
このマンガの主人公、田家実地子さんは本好きの誰もが経験した、本を読む事が好きになったきっかけの一冊をただ今、読書中なのだ。
田家さんは就職を控えた学生なのに試験そっちのけで『チボー家の人々』を読んでいる(試験前は本が読みたくなるのよねぇ)。通学途中に本を読みバスに酔う。夜、蚊を駆除しながら本を読む。小説の中に出てきた難しい言葉を頭の中に思い浮かべる(そういえば、中学の時に太宰治にハマっている女の子が居たっけ)。そのうちに田家さんの周りに小説の主人公、ジャック・チボー氏が現れ始める(う〜ん、似たような経験が……)。
小説の中では『革命』や『資本主義』といった言葉が『論議』されているのに、現実の世界では、煮〆の煮方を覚えさせられたり、雪かきの道具を取りに行かされたりと、格好悪い日々を送っている。そして、いよいよ就職の日がやってくる。それと共にチボー氏等、同士達ともお別れをすることになる。
僕はてっきり、チボー氏達に『仕事!? そんなものは奴隷のやる事だ』と言われるのかと思ったら、田家さんの『仕事をします』という言葉に『成功を祈るぜ、若いの!』とチボー氏達は田家さんにエールを送ったのだ。
なんかイイですよねこういうの。学生と労働者の間に分け隔てが無いのって。その後のシーンで、仕事一辺倒だと思っていた田家さんのお父さんが『好きな本を一生持ってるのもいいもんだと俺は思うがな』と言う(うちの親父も仕事人間なのだが、こういうことを言うのだろうか? もしこういう発言をする人間なら、カッコイイ男! と思えるのかもしれない)。
僕が本好きになったきっかけの一冊は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』だった。この本に影響されてプールに通おうかな、と思ったり、井戸は無いから深い穴を掘り、その中に入って力を溜めよう、などと考えたりした。この小説を読んだ時に感じた『読書の楽しみを初めて知る』楽しみをもう僕は感じられないと思うと、田家さんが羨ましくてしょうがないのだ。純粋に本を楽しんでいる田家さんが。
何のために本を読むのか? と考えるくらいなら本なんて読まない方が良いのかもしれない。
紙の本
黄色い本。
2002/05/23 08:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:真 - この投稿者のレビュー一覧を見る
派手なストーリーがあるわけでもなければ、意表をつく展開があるわけでもない。どこにでもいそうな普通の人々が、どこにでもありそうな生活を送る、ただそれだけを淡々と描いた漫画。
じ〜っくりと時間をかけて読まないと、このマンガの面白さは理解できないと思う。物語を追って急いで読んでしまってはもったいない。一コマずつゆっくりと読んでいくのがいいんじゃないでしょうか。このマンガには、そういった「ゆっくりと」した時間が流れているような気がします。ゆっくりとした、日常の時間。
殺伐としたマンガばかりを読みすぎて、疲れてしまった人に薦めます。一種の「癒しマンガ」ですね。
紙の本
待ってました…の一冊
2002/02/26 19:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:emis - この投稿者のレビュー一覧を見る
やっと出ました。高野文子さんの一冊。友達に「高野さんの本出るよ」と電話で知らせたら「えっ! うそ!」と言ったきり沈黙したほど久しぶりの出版。
表題は名作「チボー家の人々」にのめり込む文学少女のお話。小さい頃から読書好きで本の世界にどっぷり浸かった事のある私は、この本の中で「チボー家の人々」に浸る少女の世界にいつの間にか自分も浸っている。しかもそれは、少女を通して自分自身の姿を見ながら自分自身の物語に浸っているような…と言う不思議な感覚を味わいました。とても不思議な読後感でした。