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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.10
- 出版社: 小学館
- サイズ:20cm/301p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-09-386112-9
紙の本
下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん
著者 嶽本 野ばら (著)
バリバリにロリータの女の子と、バリバリにヤンキーのレディース。趣味も性格も違うのに、奇妙な友情で結ばれた二人の少女が繰り広げる、爽やかな青春ストーリー。
下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん
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著者紹介
嶽本 野ばら
- 略歴
- 〈岳本野ばら〉京都府生まれ。2000年、書き下ろし小説集「ミシン」で作家デビュー。他の著書に「鱗姫」「ツインズ」「エミリー」など。
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紙の本
乙女の成熟
2003/05/09 01:51
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナガタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヤンキーとロリータ。前者は集団の掟に生きる存在で、下はニッカボッカに上はさらし巻、時代を超えて変わらぬ定番アイテムに身を包む、おしゃれとはほど遠い感覚の持ち主だ。かたや後者は、フリフリ、ヒラヒラのスカートに厚底ブーツ、頭に冠のロココ調お姫様ファッションを愛する、孤高の人。どちらも高校生としては極めて少数派だけれど、集団対孤高のメンタリティは180度異なる。
茨城県下妻に引っ越してきたロリータ少女と、地元のレディース・走り屋に所即するヤンキー娘に、通じ合える部分はあるのか。フツーの今時の子として生きられない魂をもった2タイプの少女の出会いと成熟を描く、ちょっと変わった青春譚である。
ロリータ少女は、野ばら文学お約束の、孤独で身勝手で美しいものだけを愛せばいいわと腹をくくった「乙女」の精神の持ち主である。
<だってどんなに最愛の人と巡り会ったとしても、人は1人で生まれ、1人で思考し、1人で最後は死んでいくのです。−−支え合うことによって人という時はできあがる、だから人は1人でなんて生きては行けないのだなんてしかつめらしく語る人達がいますが、それなら私は人でなくてもよい−−ミジンコでいい、プラナリアでいい、そちらの方が寄り添い合ってしか生きられない人間よりも、遙かに生物として自立していると思うのです>
深く険しく孤独を愛し、自分の好きなロリータ服さえあれば他者なんていらない、と考える人だ。
ファッションについて語られるディテールが、2人の距離感を計るものさしになっている。ヤンキーだけれど、ヤンキー特有の集団主義、言い換えれば群集心理に染まりきっていない少女イチゴとロリータ少女は、ファッションを媒介にして、少しずつ、互いへの理解を深めていく。
ヤンキー娘はロリータ少女のパチンコの腕前に敬服し、ロリータ少女はヤンキー娘が一途に族の先輩へ思いを寄せる様子に感心する。互いに一張羅をきて代官山へでかけ、ロリータ少女はヤンキー娘の服への思いの片鱗を知る。ヤンキー娘はロリータ少女の愛するブランドのモデルに、抜擢されてしまう。そしてヤンキー娘が「ケジメ」(リンチのこと、だとか)を受け入れ、族から脱退しようと決意した時、ロリータ少女がケジメの場に、バイクに乗って駆けつける。
そして危機から友人を救った後、帰り道、バイクに乗ってひそかにこう思う。「ロココじゃないけど、こういうのもありかな」と。
今回の野ばらワールドでは、「乙女」の精神は、他者と出会って、成熟という回路を得ることによって生き延びる。これまでのように、他者を殺すことで物語を美しく終えるのでもなく、鱗におおわれ近親相姦という愛の禁断に身を投じるのでもなく。成熟しても、孤高の精神は滅びない。希望の灯る結末は、乙女の精神をもつ者を温かく包むだろう。