- カテゴリ:一般
- 発売日:2002/10/10
- 出版社: 岩波書店
- サイズ:20cm/155p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-00-025754-4
紙の本
新私たちはどのような時代に生きているのか 1999から2003へ
有事法制・個人情報保護法案が国会で審議される2002年の日本で、「正義」を実践するとはどういうことなのか。1999年角川書店刊「私たちはどのような時代に生きているのか」に...
新私たちはどのような時代に生きているのか 1999から2003へ
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商品説明
有事法制・個人情報保護法案が国会で審議される2002年の日本で、「正義」を実践するとはどういうことなのか。1999年角川書店刊「私たちはどのような時代に生きているのか」に新たな対談を加えた増補・リメーク版。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
辺見 庸
- 略歴
- 〈辺見〉1944年生まれ。作家。「自動起床装置」で芥川賞を受賞。著書に「眼の探索」など。
〈高橋〉1956年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科助教授。著書に「戦後責任論」など。
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紙の本
現代も続く戦争責任
2006/02/01 01:20
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一応、言論の自由が保障された現代の日本において、過去の戦争を起こした当時の為政者を非難し、戦争責任を言及することは比較的たやすい。
過去の日本が起こした戦争はあきらかに過ちであり、現代の日本では、その総括はまだなされきっていないのも確かである。この問題が解決しない限り、中国や韓国をはじめとするアジア諸国との本当の和解はなしえないであろう。
アジア諸国には、現代においても根強い反日感情が残っている。日本が真に国際社会の一員になりきるには、こういった日本に対する国際的疎外感を解消していく必要がある。
それでは、そのために我々は何をすれば良いのか。すべての責任を、あの暗い戦争の時代に求め、過去の戦争責任の追及にばかり精を出していればよいのか。戦争当時、まだ生まれてさえいなかった現代の世代は直接的には何ら責任はないと言えるのか。
本書は、1999年及び2002年の二回にわたる、作家辺見庸氏と哲学者高橋哲哉氏との対談である。
さて、対談時点のその年の日本の政治状況を見てみる。
1999年→周辺事態法、国旗・国家法 etc.
2002年→有事法制案、個人情報保護法案 etc.
戦争を反省し、民主的・平和的な国をつくるために、戦後日本が守り続けてきた大事なものがある。学生・知識人・ジャーナリストが、時には血を流しながらも守り続けてきたものがある。それが一気に瓦解していく、その節目となる年がこれらの年であった。
日本という国が、いつまでたっても国際社会で一人前の大人になれないのは、決して過去の戦争責任ばかりが原因ではない。現代の保守・反動的政治、どんどん右傾化していく政治情勢に対し、なんら抵抗することなく許してしまう、そんな現代世代にも大きな責任がある。
小泉首相が靖国神社に参拝し、国会の場でどうどうと中国や韓国を批判しても、一向に避難の声をあげない現代の世代にこそ責任があるのだ。このような首相に高い支持を与え、このような政権を選挙で大勝させてしまう現代の世代こそ、大いに反省すべきなのだ。かつてであれば、世論を正道に先導した知識人や学生たち。現代の沈黙はなんだ。かつてであれば権力の悪を的確に指摘したジャーナリズム。現代の堕落はなんだ。
作家と哲学者の静かな対話の中に、現代に対する大きな怒りが込められている。
「メディアと一体となった政権」「メディアの翼賛状況」
「「バランスのいい抵抗」というものが果たしてありうるのか」
「「健全なナショナリズム」の大合唱」
「安全圏から語ることの欺瞞」
「冷静に常軌を逸する」
「鵺のような全体主義」「ファジーな全体主義」
「世界ではすでに「意味の戦争」が始まっている」
「護憲派の言葉の失調状況」
対談の節々にあらわれる二人の巧みな言葉使いも美しい
紙の本
彼らの声は多くの人たちには届かなかったのか?
2016/09/12 18:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、1999年及び2002年に作家の辺見庸氏と哲学者の高橋哲哉氏が行った対談を収めたものである。この当時彼らが危惧していた事態は、今、よりいっそう進んでいる。彼らの声は多くの人たちには届かなかったのか?彼らが発信している声にこれからも耳を傾けていたいと思う。