- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.10
- 出版社: 新潮社
- サイズ:18cm/95p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-542303-7
紙の本
農業は人類の原罪である (進化論の現在)
1万年前に始まったとされる農業。なぜこんな面倒なものが突如始まることになったのか。「楽園後」の農業が、人類にとって終わりなき業の始まりだったことを論証する。「進化論」の最...
農業は人類の原罪である (進化論の現在)
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商品説明
1万年前に始まったとされる農業。なぜこんな面倒なものが突如始まることになったのか。「楽園後」の農業が、人類にとって終わりなき業の始まりだったことを論証する。「進化論」の最先端を紹介する知的興奮のシリーズ第1弾。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
コリン・タッジ
- 略歴
- 〈タッジ〉1943年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学卒業後、ロンドン動物学協会のフェローに。動物学者、サイエンス・ライタ−。
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紙の本
控えめに、Bigな話を
2007/05/30 06:36
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
内容については他の評者さんの文を参照していただくとして、周辺的な話を書いてみる。
【長けりゃいいってもんじゃない】
本文が87というページ数も、それあたりの文字数も少ない。価格は高めだが、それはおくとして、論点を絞っていることもあって、このボリュームでも著者の主張はしっかり伝わってくる。
どうも世の中、むやみに長いだけの本が多すぎるのだ。もちろん、長いのは必然という例外もいくらでもあるけれど、もっとダイエットして欲しいよ。
本書はその点すがすがしい。品質を落とさずに削るという難しい作業をこなしている。
ただ、このページ数が適切かどうかは考える余地がある。論拠の提示が少ないという意味では、やはり端折ってるなと思わせられるところはある。この題材なら120〜150ページぐらいあってもいいと思った。理想のページ数を決めるのは、ホント難しいことではあるが。
穿った見方をすると、この省ページぶりは、結論部で読者に呼びかけているあることに対して忠実であるからと解釈できる。結論部の結語なので引用は控えるが、ヒントは新石器時代から続く生き方を見直そうという呼びかけだ。
いや、解釈というより妄想みたいなもので、そう考えるのも面白いというだけのことなんだけど(苦笑)。普通に考えれば、この「進化論の現在」というシリーズのコンセプトがそうなっているからなのだけどね。
【表題について】
原題は素直に訳すと「ネアンデルタール人、ならず者、農民」となる。目を引くうまい題名に変えたとは思うが、別に著者は農業を「原罪」とまで決めつけているわけではない。
「原罪」を暗示していると訳者は受け取ったそうで、そう言われれば、それが大きく的を外しているわけではないのだが・・・いいのかなあ、こんな風に改変して。
紙の本
農業が本格的なものとなった時、人類は繁栄と引き換えに重い労働を受け入れざるを得なくなった、それは原罪である
2004/04/18 21:26
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「人間は、今考えられているよりもっと以前から農業を行なっていた。それが本格的なものとなった時、人類は繁栄と引き換えに重い労働をすることになった」進化論の現在シリーズの一冊。ある意味、三冊のうちでもっとも当たり前のことが書いてある本。ただし、訳者の竹内久美子の解説によると、特に農業が始まった年代に関しては、学問的にかなり論議を呼ぶものらしい。厳密に読まない素人は、こういうところを読み飛ばす。
農業は決して楽なものではない。にもかかわらず、それは人類に不可欠なものになっていく。農業のもたらす食物の選択肢の広さが、結局生き残りにつながり、人口の増大を生むからだという。しかし、その人口を維持する為には、決して楽ではない農業を継続せざるを得なかった。なにか零細企業の自転車操業を思わせる論旨だが、わかりやすい。
むろん、これ以外にも小麦栽培の特長や、農業開始時期の問題などがわかりやすく書かれている。このシリーズに共通する手軽な長さなので、ぜひ読んで欲しい。驚きは無いかもしれないが、進化論はこんなものも扱うのか、と知るだけでも価値がある。
『シンデレラがいじめられる本当の理由』、『生物は体のかたちを自分で決める』と比べれば、過激さでシンデレラ、お惚けで生物、常識で農業といった位置づけだろうか。ともかく、デザインがシンプルで版型が小さく、どれも100頁に満たず、値段も手頃。カバーの色が女性に好まれそう、ついつい三冊並べたくなる。
このシリーズ、思いついたようにポツポツ続きが出ているような、そうでないような。折角の面白い論集なのだから、売れ行きを気にせず、もっと定期的に出してほしい、とは読者の我儘だろうか。正直、その後のものが、この最初の三冊以上にそそられないのは本の内容というよりは、出版社の広告戦略のミスがあるような気がしてならない。竹内久美子監修というのが、既に売りにはならない時代である、ということも理解しておきたい。
紙の本
農業は最大の自然破壊である
2003/09/28 09:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Okawa@風の十二方位 - この投稿者のレビュー一覧を見る
農業は最大の自然破壊である。
心情的な「エコ」ではなく、学問としての「エコロジー」に触れた方なら自明の真理でしょう。本来人間の手が触れていない野生としての自然を、食料の生産ために人間がコントロールする環境に作り変えること、それが農業の本質なのですから。
では、農業は自然を破壊するだけでなかった、それを行う人間をも家畜化したという理論はいかがでしょう。しかも、少なくともその初期には、農業を始める前よりも人間をずっと不健康にひ弱にしたという事実。
文明の進歩に伴って人間は豊かになるというのが当たり前の考えです。ところが本書で説かれているように、狩猟時代の人間よりも農耕時代初期の人間の方が、骨からでも病気の痕跡が多く見られるようになったのです。これは狩猟時代であれば食物連鎖によってコントロールされていた人間の数が、農業によってそのコントロールを失って、農地の養える限りのぎりぎりの数まで増えてしまい、ほとんどの人間が慢性の栄養失調状態に陥ってしまったからです。こうして人口増加の悪循環の中、人類は生きるため、増えるために大地を耕し続けることになったのです。
「おまえが土に還るまで、顔に汗することなくパンを得ることはできないだろう」
楽園を追放されたアダムとイブへの神からの呪いの言葉…これは正に農業を始めた人間達の状況を正確に表していました。
本書ではこうした旧約聖書のストーリーやエデンの場所探し、西部劇や「七人の侍」を織り込みながら、農業はどのようにはじまったのか? それはどのように発展し人間に何を与えたのかを、実に興味深く分かりやすく教えてくれます。農業を始めた人間がいかに多くの動物を絶滅させてきたのかなどのショッキングな事実も、本書を読むとすんなりと納得させられてしまいます。日本でも縄文人と弥生人の比較論などで同じ趣旨の話が出てきていますし、人類学に興味のある方ならお勧めの一冊です。