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蒲団・一兵卒 改版(岩波文庫)
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.6 47件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2002.10
  • 出版社: 岩波書店
  • レーベル: 岩波文庫
  • サイズ:15cm/156p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-00-310211-8
文庫

紙の本

蒲団・一兵卒 改版 (岩波文庫)

著者 田山 花袋 (作)

蒲団・一兵卒 改版 (岩波文庫)

税込 518 4pt

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みんなのレビュー47件

みんなの評価3.6

評価内訳

紙の本

「蒲団」の主人公は「私」ではない

2003/07/03 20:39

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

「蒲団」は自然主義小説の始まりとして文学史的には記憶されている。また、この本のカバーには、「主人公の内面を赤裸々に暴き立て、作者自身の懺悔録として文壇に大きな衝撃を与えた」とある。また、ここから私小説なるものが生まれ、作者の身辺雑事を題材とした小説ジャンルが生まれたということも聞く。

しかし、ここで「文学史」的な常識を受け入れる前にひとつこの作品を読んでみてはどうだろう。

とりあえず、ほとんど前提知識を持たないまま、一読してみて私が抱いたのは、この主人公は本音と建前の間で、女学生に対する性欲をもてあましている、滑稽な人物だということである。文学者らしく、新しい文化、新しい女を口では奨励し、女学生に自立した行動を促しているのだが、いざ女性が自分の意思で男と付き合うことを選択すると、それに怒って彼女の故郷へ報告し、結果的に女学生を実家に帰してしまうのである。今読めば、主人公はバカな男以外の何者でもない。私小説であるとか、自然主義であるとか以前に、性的な告白など珍しいものでもなくなった今、多くの人に読ませてみればそのような感想が返ってくるのではないだろうか。

現に、さまざまな場面で主人公の滑稽さは意識されたものとして描かれているように思う。
女学生芳子と男とがもしや寝たのかも知れないと疑い、他人のものになったのではないか(他人のもの/自分のものという表現が頻出するところが、この作品の時代性であり、滑稽でもあるところか)と悩み、泥酔する場面がある。その後には蒲団をひっかぶったまま厠に入り、妻に蒲団を剥がされた後も厠に横になって眠ってしまう(本書では28頁)ところはその代表的な部分である。

こういう男は今でも見つかるだろう。言ってることとやってることが真っ向から違っているのである。その煩悶に引き裂かれて主人公は泥酔する。蒲団が面白いのはそういうところではないか、と私は思う。

つまり、この作品の主人公竹中時雄と作者田山花袋には距離がある。作者と作中人物という距離が確実に存在している。

しかし、冒頭の引用でも示したように、これは作者の「赤裸々な懺悔録」として扱われている。
それはおそらく解説のなかでも引用されている、島村抱月の「蒲団」評からの伝統的な「蒲団」評価なのだろう。
原因はもちろんこれだけではないだろうが、その後の「蒲団」評価は一義的にこの捉え方で決定されてしまったのではないだろうか。

読了後、ふたつの「蒲団」論を読んだ。
ひとつは、講談社現代新書(現在品切れ?)の後藤明生「小説」で、とても面白いのだが、上記の私の感想と重なる部分もあるので、省略する。
もうひとつは、大塚英志「キャラクター小説の作り方」(講談社現代新書)である。
仮構を現実と混同し、「私」なるものを無批判に受け入れる「純文学」に対し、元々仮構であるキャラクターとしての「私」を描く「キャラクター小説」は、仮構から現実へと迫ることが出来るのではないか、ということのようだ。そして、「私」とは「文学」が産み落とした「キャラクター」であり、共に虚構である点では元々同じであったと言うのである。とても面白い「蒲団」論だと思った。いくぶん図式的ではあるが(「私」の虚構性を意識しつつ「前衛私小説」を書く笙野頼子の存在)、日本文学史をサブカルチャーから読み直す試みであり、文学も漫画もある意味同列になっている現在の状況において小説を書くことの意味を考えさせられる。
二人とも、数十年ぶりに読み返して、「蒲団」という作品の位置を改めてやり直している。私も、ある機会で読んだのだが、いろいろな意味でとても面白かった。「蒲団」を読み直す時期が来ているかも知れない。

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紙の本

田山花袋は原文をどう読んだのだろうか。

2004/06/12 11:10

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:仙道秀雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「蒲団」について
 これが自然主義文学の代表作というものか。自分の読み続けたい文学ではないが、たぶん当時の日本人には内面を教義の言葉でなく、自分の言葉で見つめなおすことが西洋的脈絡をもった「自己」を発見するうえで必要だったのだろう。なぜならそれがあってはじめて江戸を引きずった通俗的な儒教観念や葉隠れ的なもの、仏教的迷信、神道的神秘主義などから逃れることができ、迷走しながら西洋化する日本にあって内面の自由を得ることができ、そういった日本の変貌から西洋的に距離をおくことができたのだろうから。

 明治の日本人がどう生きようとし、その背景にはどんな世界が広がり、どんな言葉遣があったのか、などを知る上では貴重な作品である。その意味でこの作品にたいして当時の同時代人たちがどんな反応を示したかは興味のあるところである。

 話は変るが、作品中には西洋の小説が頻出する。西洋の小説の筋書きになぞらえて主人公は自らの境遇を慨嘆したりしている。その場合田山花袋は外国作品をどう読んでいたか。たぶん文字を目で追っていたのではないか。原文で読んでいたと思えるが、声に出せたのだろうか。発音はできなかったのではないか。アクセントにも疎かったのではないか。発音や抑揚の追跡が苦手で再現ができなかったとすれば、音は聞こえてこない、西洋人作者の声は響いてこないはずだ。だとすれば、その読み方は日本古来の漢文式であったろう。

「一兵卒」について
 この作品は蒲団よりも高く買いたい。脚気から衝心にいたりみじめに死んでいく日本兵士、どんな気持ちで、どんな周囲の環境の中で「くたばっていくか」、またどんな風に「日本」のために死のうと思い、どんな風に戦争のむごたらしさを知っていくようになるか、などが丁寧に書かれている。

 ところで柄谷行人さんは「蒲団」についてこう書いている。

 1907年(明治40年)に発表された『蒲団』という作品は社会的に大きな衝撃を与えた。当時、島村抱月は《肉の人、赤裸々の人間の大胆なる懺悔録》と評した。そして、その反響の大きさが、当時の作家たちを、島崎藤村の『破戒』のような方向ではなく、『蒲団』のような私小説の方向に向かわせたといわれている。花袋自身、「隠しておいたもの」を勇敢に告白したという。しかし、後の調査では、これがまったくフィクションであるということがわかっている。また、周囲の人たちにも了解済みであったことも。明らかなのは、これが世間に衝撃を与えるという目的をもって書かれたということである。花袋は『蒲団』を書いても恥ずかしくなどなかった。虚構なのだから。しかし、彼は文壇的競争心のためなら何でもやってしまう自分の心だけは「隠した」。そのほうが恥ずかしいからである。ところで、現在、「私小説」と称して、身勝手な「事実」を書く作家がいるが、金と名声以外に書く動機がないということを恥じてもいない。

 やっぱり柄谷さんはアンパンマンの世界が好きなのだ。わたしも好きだが、柄谷さんほど動機善なりやとは問わない。動機はひとさまざまであってよいが、悪い動機は悪い結果をもたらす。その限りでは動機は善であるほうがトクだ。しかし柄谷さんはどうもそうは思っていないように感じられる。

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紙の本

赤裸々の人々

2011/01/18 00:33

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る

「蒲団」赤裸々にといった形容で語られる作品ではあるけれど、現代の目で見ればそんなすごい話でもなく、しかし書かれた当時としてはそりゃ吃驚されたんでしょうね。
いいおっさんが本当にそこで泣くかよと僕なんかは思うのだけど、当時は男性の側もそういう面では抑圧されていたことの反作用で、あるいは秘かにみな泣いていたのかもしれないし、この主人公である小説家がことさら歪んだ性格だったのかもしれず、どこまでリアル(自然主義的)であるかも実は判然としない。むしろ露悪的に書かれた滑稽な人物像と読む方が、自然な読み方に思える。むろんそれは、不倫だ、愛人だといってさほど珍しいとも感じられない現代の感覚によるのであって、明治時代の厳格な道徳下でなら泣いたのかとなると、とんと見当がつかないのだ。
「赤裸々」だというのなら、そう思った人は自分も同じ境遇で泣くと思ったのだろう。
近松の描くシチュエーションでなら、そりゃ泣きますよ。確かに泣く。当時でも現代でも、若者でも老人でも泣く。
だが「蒲団」では、現代なら泣かない、江戸時代でも泣かない。
明治時代に個人主義、恋愛といった概念は市中に広がり、一方で成人男子あるいは家長の沽券のようなものは遺っていた。そこに生じる感傷の素朴な形態であり、そこで泣く人は明治においてもやはり稀だったろうと思う。泣くというよりむしろ、惨めな男の姿に愕然とするか、時代から取り残されていく様を嗤うかかもしれない。
むしろもっと端的に、性的な動機によってパワハラに走るオッサンの精神風景、自己弁護と言えば、現代にも共感を生むかもしれない。
「一兵卒」日露戦争の戦地でひっそりと病死していく一人の兵士の話だが、戦闘シーンは回想として現れるだけで、完治しないうちに病院を抜け出しての単独行の道のりが描かれている。軍の組織体制から離れて中国の荒野に飛び出してしまえば、戦争であろうとなかろうと命の保証は無かろうと思うが、しかし彼の脳裏に自分の境遇への呪いばかりがうごめくのはいた仕方ない。
そうなってくると、この作品の意味するところは戦争批判なのか、世の不条理に対する嘆きなのか、あるいはそれらは同じものなのか。
兵士の(オッサンの)恨みの向けられる先は様々だし、一意に決まるものでもなく、結局は世の中全体の理不尽さ、意の侭にならないすべてが意識させられるのだろう。人間を一皮ずつ剥いていったら、最後はみなその悲しみだけが残るのだろうか。

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紙の本

中年男の寂しさ?

2001/08/12 02:46

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『蒲団』という小説は、作家が自分自身をモデルにして、赤裸々に自分のことを語ったと言うことで、私小説の初めとして有名だ。この小説を読んでいつも感じるのは、やっぱりこの主人公竹中時雄の情けなさだ。そして、時雄が真面目であるようでいい加減な性格であることだ。
 作家である竹中時雄は、年は30代。現代の感覚ならまだ老けているような印象はないけれど、明治時代だとやはり年配ということになるのだろうか。そんな時雄には、妻も子供もいるが、その家族との単調な生活に寂しさを覚える。時雄はこう言っている、

 「妻と子——家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供のために生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞たらざるを得るか。」

 そして、新婚の頃のような新鮮さを懐かしんでいる。そんなところに、弟子にして欲しいという手紙を若い女性から受け取る。この女性、横山芳子に恋をする時雄。時雄は、芳子が家にやってきてから生き生きする。これまで家庭の中で味わっていた寂しさを埋めるのが、芳子の存在であった。時雄にとって芳子は、「平凡な生活の花でもありまた糧でもあった。」
 このあたりの家庭における夫の寂しさに、同情できる余地があるかもしれないが、でも良く考えれば都合がよいというか、自分勝手ではある。
 そして、そのうちに芳子と若い男の恋愛が発覚して、時雄は嫉妬する。時雄が芳子の恋愛で一番気にしているのは、その恋がはたして霊の恋なのか肉の恋なのか、ということだ。霊の恋即ち高尚な精神的な恋愛。一方肉欲に根ざした肉の恋。時雄は、しきりに芳子が肉の恋に堕落しているのではないか、そればかり気にしている。恋愛を、霊肉の二元論で捉え精神を肉体の上に置くのは、当時の文学者に共通するところではあるが、それにしてもどうして霊肉の恋愛を時雄は気にするのか。その理由が明らかになる時雄の内面を語った場面が、何度読んでも自分勝手だなと思う。時雄はこんなことを言っている、

 「あの男に身を任せていたくらいなら、何もその処女の節操を尊ぶには当たらなかった。自分も大胆に手を出して、性欲の満足を買えばよかった。」

 時雄にとって、処女でない女性は汚れた存在だ。芳子はすでに恋人の肉欲に負けているのだから、自分も性欲を満足させてしまえばよかったと後悔するのは、どうしようもない男なのではと思ってしまう。この時雄の論理が、大人気ないし、情けない。だから有名な最後の場面、芳子が使っていた蒲団のにおいを嗅ぎながら、涙する時雄はあわれだ。あまりにも惨めな姿で悲劇というより完全に喜劇になっていると思う。でも、『蒲団』の本当魅力は、この中年男の時雄のこのような駄目さ加減にあるのではないだろうか。

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2004/10/04 02:13

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2005/09/24 20:15

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