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  • みんなの評価 5つ星のうち 4 9件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2002.11
  • 出版社: 晶文社
  • サイズ:20cm/260p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7949-6549-4

紙の本

期間限定の思想 「おじさん」的思考 2

著者 内田 樹 (著)

成熟した大人である「ウチダ先生」が、ヴァーチャル女子大生に、大人になるための説教・説法を連発。現代思想の研究家であり、武道家であり、全身豆知識とも呼ばれる著者が熱く語る、...

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期間限定の思想 「おじさん」的思考 2

税込 1,980 18pt

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商品説明

成熟した大人である「ウチダ先生」が、ヴァーチャル女子大生に、大人になるための説教・説法を連発。現代思想の研究家であり、武道家であり、全身豆知識とも呼ばれる著者が熱く語る、日本社会への苦言・提言集。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

内田 樹

略歴
〈内田樹〉1950年東京生まれ。東京都立大学大学院博士課程(仏文専攻)中退。東京都立大学人文学部助手を経て、神戸女学院大学文学部教授。著書に「ためらいの倫理学」「映画は死んだ」など。

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みんなのレビュー9件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (2件)
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  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

「物書き廃業宣言」ヤメテ!カムバァ〜ック、Ojisanーesque

2003/03/07 23:53

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 実を言えば、内田樹を知ったのは【オリオン】さんの書評によってであった。それで、遅れ馳せながら、彼の著書を読み始めたのに「物書き廃業宣言」をこの本のあとがきでしている。内田樹の著書群にはオリオンさんの丁寧な書評がアップされているので、私は遅れてきたファン心情で「帰っておいでよ、内田さん、中島みゆきも紅白に出たことだし、HPのライブに拘泥しないで、貴方のような方こそ、メジャーでプレイし続けて欲しい」、そんなオマージュを捧げるために書評らしからぬ一文を書きました。成る程、内田の語り口はライブ感のある「生もの」の手触りがある。−たとえば日本刀の斬りの場合、「右手は遠くへ刀を投げ、左手は柄を引き寄せる」という相反する力を同時に使う事によって、非常に斬りの冴えが出る。(略)/この本の全体を通じて書いているのは、そのようなことなんです。/複数のファクターを同時に容認しておいて、そこでバランスをとるというのがいいね、−
 
 彼は万人が納得する正解なんてない。「正解がない」という前提で、「当為」と「欲望」、「本質」と「実存」の二つの要請の間で引き裂かれ、必死にバランスを取っている状態こそ、正統な人間のあり方だと言う。その中間状態はシステムとして開かれているから、倫理的であるというだけでなく、結構、身体的に気持が良い。あれ、これって、私を含め名も無き人々の常日頃の生き方、振る舞い方ではないか。彼自身、内田言説は少数派と言うが、表舞台に露出したメジャーな「ためにする言説」で目眩ましされて、まっとうな我々の振る舞いを見えなくさせているのかもしれない。第一、「まっとう」な故に矛盾に満ちて言語化出来ないとも言える。
 彼は学者を辞めたわけでなく、時評エッセイ、講演コメントの類は打ち止めということであるが、かようなポジションで発信出来る貴重な言論人を逸するのは残念至極である。娯楽として『内田樹研究室』HPだけで消費出来る言説だと謙遜するが、彼のような人こそ表舞台で発言して欲しい。神戸女学院で内田樹日本文化論の講座に聴講生として参加出来るらしいが、内田先生よりオヤジ度が高いので、聴講する度胸がない。
 
 内田言説は「身体性」と「運動性」にリンクした「矛盾」の緊張感をエネルギーとする。かような「多様性」の中から引き出し得る「最適性」は文学(おはなし)をして「矛盾する要請に同時に答えるような存在をありありと現前させる方法」と見る。その方法論から憲法9条と自衛隊を拮抗する関係において半世紀以上も平和を維持出来たという矛盾文脈は限りなく文学に近いと言えるかもしれない。そのような語り口は政治、法律言語では無理であろう。「物書き廃業宣言」はするが、HPの場で様々な言説とも交通し、「おはなし」を通して、結論が先にあるのでなく、書き続ける事によって「おはなし」が立ち上がり、見えてくる何かを我々に示してくれるのであろう。そして、その何かは型として鍛えられた身体の気持ち良さを根拠にしているらしいが、その秘密を知りたいものだ。秘伝書の中身は虚で、「虚」の一言で片付けられそうであるが、「虚」を根っ子に持つが故に彼の「おはなし」は予測出来ないものかもしれない。だからこそ、聞きたいものだ。
 
 しかし、オヤジがおじさんにcome・backと叫ぶとは色気がない。逆効果かな。勘弁して下さい。

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紙の本

「逆説」の魔術師

2006/01/10 04:26

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る

《「自分が経験した痛み」を他人にも強要する人間は、「他者の痛み」が想像できないのではない。「自分が経験した痛み」を思い出せなくなっているのである。「他者の痛み」ではなく、「自分の痛み」を忘れてしまったのである。
「私はその痛みに耐えた」という自尊を手に入れる代償に、痛みはそのリアリティを失ってしまったのである。傷はもう「痛まない」。だから、いくらでも他人に傷を与えても、少しも「痛くない」のである。》

これは『暴力の伝播を停止させる方法』からの中間結論だが、こういった「逆説的真理」を語らせたら著者の右に出る人もそうはいないと思う。ここに至るプロセスにも説得力がある。
この後も話は続き、またもや逆説的な「答え」が示される。即効性のある「方法」ではないが、納得させられてしまう。

目次には問い形式の見出しが並んでいる。

《「大人になる」とはどういうことか
ひとはなぜ仕事をするのか
女は何を望んでいるか
子どもたちはなぜ街で坐るのか
ほんとうの恋がうまくいかない理由
なぜ教室で私語をしてはいけないか》

一見、陳腐でつまらなそうな問いである。それは答えもたぶん、陳腐でつまらないのだろうな、という偏見からくる事前予想なのだが、著者はその予想をやすやすとひっくり返す。マジックを見せられているようだ。
それも、難解な論理を連ねて煙に巻こうというのではなく、平明な語り口でやってのける。
「使嗾」なんて言葉もまれに出てくるが、それはスパイスということで。

《本書が「美味しくいただける」賞味期限はせいぜい最大限三年というところであろう。》とのことだが、どうしてどうして。とうに3年過ぎたが、時は本書が芳醇なワインであることを証明している。

最後に、『フェミニズムが歴史的使命を終えるとき』に対しての異論を。

著者が批判するのは、『ザ・フェミニズム』(上野千鶴子・小倉千加子著)という本。私も著者が引く範囲の両氏の発言には、あまり共感はしない。しかし、著者の反論にも捻りがない。

《小倉--自己利益を最優先することによって、結婚制度を内部から崩壊させてしまえるから結託できるということ》

著者はこの《自己利益を最優先すること》に噛みつく。ロックやホッブス(ルソーも)を出してきて「近代市民社会」擁護の立場から反論するのだが、政治理論として素朴すぎる。もちろんロックやホッブスは、参照に値する政治思想家だ。しかし、今更その思想を「素のままに」使って、「近代市民社会」を基礎づけるのはちとナイーブだ。

《全員が自己利益の確保を最優先した場合、(ロックやルソーを信じるなら)前近代的な「ワイルドでエゴイスティックな競争社会に舞い戻ることにはならないのだろうか?「自己利益を最優先すると自己利益の確保が損なわれる」という人類学的戒律はいったい「誰を」保護するために制定されたものかを、彼女たちは考えたことがあるのだろうか?》

リベラルな近代社会を語るなら、ミルやベンサムも外せない。私も素朴に借用すると、システムの枠内で個々人が《自己利益を最優先すること》が、結果的に最大多数の最大利益に繋がる、という反論も可能だ(それが理想だと言うのではない)。
小倉氏が結託したい相手はシステムの破壊を望んではいないから、著者の懸念は杞憂だとも言える。

「近代市民社会」は、「秩序に従順な市民」を求める。「人類学的戒律」とやらから導き出された近代システムは、容易に「抑圧的機構」に転化する。それを、フーコーや多くのポスト構造主義者達は批判してきたし、フェミニストもまた「異議申し立て者」に翼する(申し立て全てが正しいとは言わないが)。
となれば、ロックやホッブス的なるものの批判的再検討を抜きにして、有効なフェミニズム批判も為し得ないはずである。

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紙の本

知的緊張と美的緊張が漲るオジサネスク・シンキング

2003/02/08 20:19

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 おじさんは断定しない。だって、おじさんは大人だから。大人とは、事実と理念を「折り合わせ」、矛盾した要請に「同時に」応え、それに「引き裂かれてある」ことを常態とする存在者である。大人は「自立しつつ依存している」おのれのあり方への徹底的な知的反省の人である。

 たとえば、おじさんは臆面もなくラカンの請け売りをする。断定とはつねに「他人の言葉」の繰り返しでしかない。ラカンはそう言った。「自分の感覚」に基づいて「ほんとうのこと」を言おうとする人間は、「断定する人間」を前にして政治的に敗北するしかない。「だって、何言ってるんだか、分からないんだから」。要するに、「何でも断定的に語るやつはバカだ」。おじさんはそう断定する。そしてその断言が他者に達しようとする刹那、間合いを見きって、いまのはラカンの請け売りさ、とネタばらしをする。おじさんは含羞とユーモアの(つまり、自分との間合いを見きっている)人でもある。

 おじさんはまた、身をもって「現代思想」を生きる。だから、村上春樹の物語群はすべて「この世には、意味もなく邪悪なものが存在する」ということを執拗に語っているのであって、そのような危機の予感のうちに生きている人間だけが「気分のよいバーで飲む冷たいビールの美味しさ」を知るのだと、一刀両断に喝破する。

 以上は、紙上の女子大生相手にくどくどと(失礼)説教をたれる第一章「街場の現代思想」のほんのさわりで、あいかわらず論理の達人の冴えは鋭い。(随所に挿入されたアジサカコウジの4コマ漫画も冴えている。これは本書の見所の一つ。)

 以下、「時評的子ネタ集」の第二章「説教値千金」、自書解説やらエッセイやら本音インタビューをこまめに集めた第三章「私事で恐縮ですが」と、おじさんは縦横に期間限定・地域限定の思考を繰り広げる。「では、沈黙するおじさんになりかわってウチダがご説明致しましょう」と、しゃしゃり出る(失礼)。

 いたる所に、値千金の名句、警句が鏤められている。次の言葉など、かの中村天風の七つの諫め──「怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、悪口を言うな(言われても言い返すな)、取り越し苦労をするな」──に匹敵する「極意」だと思う。

《相反する二つの力が一つのシステムの中で同時に作用するとき、そのシステムそのものがすごいエネルギーを放出する。バレエや仕舞のもたらす美的緊張感というのも、本質的にはそういうものだと僕は思っています。》

 世に正解はなく、意味などない。あるのはただ「他者に向き合うしかた」のみ。真正の知的緊張と美的緊張が漲る、鮮やかな「オジサネスク・シンキング」の書。

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