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紙の本
狂人のふりをするドン・キホーテ
2003/06/21 12:09
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ドン・キホーテ」の訳者による『「ドン・キホーテ」入門』と銘打たれた本書では、セルバンテスの生涯から、作品論、人物論までを分かりやすく解き明かす。
新書であるためか少々論理が牽強付会である部分も多い(特に、イエス・キリストや寅さんなどと関連づける場合)。が、話の筋自体は明快で、読んだ人間ならいくつもの点で目から鱗の知見に出会うはずだ。
なかでも興味深いのは、第五章における、「ドン・キホーテは佯狂である」という指摘だ。普通に読んだ場合、見過ごされてしまうところだが、著者はドン・キホーテ自身の台詞を例示して、彼が「狂人であるふりをする」佯狂の人であることを論証する。これは「ドン・キホーテ」に対する我々の見方を大きく変える指摘である。
ここから引き出されてくる(というより、この論の根拠)のは、セルバンテスの作為を重視する見方である。ドン・キホーテが意識的に自らを騎士に擬したように、セルバンテスの小説作法とは、アイロニーやユーモア、パロディなどの方法を存分に用いたものであり、周到に構築されたものであるということだ。(そう思ってみれば、作中に張り巡らされた仕掛けをうまく説明できる。アイロニー、パロディ、メタフィクション性などは、言ってみれば自らの行いへの徹底した懐疑、もうひとつの見方、自己省察によってこそ生まれうるものである)
ここから、ドン・キホーテ像もまた大きく変容してくる。はじめ、単なる狂人かと思われた彼も、世界の腐敗を正すために、自ら無償の旅へと旅立った騎士であった。しかし、彼のその試みも、時代錯誤の故に当然皆から嘲笑されることになる。だがそれでもドン・キホーテは自らの行いを最後、死ぬ間際まで貫徹するのだ。
勇敢な騎士、悲劇的な行動。しかし、セルバンテスはドン・キホーテではない。セルバンテスはドン・キホーテの行いがどのようなものであるのか知悉している。だから、セルバンテスは作中でドン・キホーテをぶざまに敗走させ、滑稽な人間として描くのである。
それはまた、セルバンテスの時代への見方を反映する。時にスペイン没落の時、時代は明らかに変転を迎えていた。自らもまた年老い、おちぶれた。
「しかし、あの熱狂的行為が純粋であり、それゆえ美しいものであったことも否定できない。このように彼は、おのれの過去を否定すると同時に肯定し、泣きながら微笑んだことだろう」18P
花田清輝式に言えば、転形期を生きたセルバンテスは過去の栄光と現在の没落を、対立したまま統一したのだ。その方法によって「ドン・キホーテ」は永続的成功を勝ち得た、と著者は言う。
その通り。
「神の退場した近代」をモデル化し、その後の小説のいわば「原型」ともなった「ドン・キホーテ」の射程は広い。私としてはこの本は「ドン・キホーテ」の読後に読んで欲しいのだが、いきなりあの長大な(わりには読みやすいのだが)本に挑む気にもならず、かといって岩波少年文庫版の抄訳を読むのも気が引ける、という方には、最高の訳者によるこの入門書から入るのもいい。
「ドン・キホーテ」を読み、本書も読んだという方には、本格的な「ドン・キホーテ」論である、「反ドン・キホーテ論」が弘文堂から出ているのでそれも一緒に。本書は、そのドン・キホーテ論のエッセンスを抽出したようなものであるので、新書では物足りないと感じられたら、是非どうぞ。
この本を出したすぐ後、牛島氏は亡くなられた。が、「ドン・キホーテ」は残る。
紙の本
ドン・キホーテ解読のための良き手引き書
2003/01/19 13:43
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひろみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いきなり「ドン・キホーテ」の長編を読み始める前に、本書に目を通しておくと、原書の真髄、読み所が理解されて、途中挫折することなく、最後まで読みきれます。「ドン・キホーテ」を解読するための手引書であって、同書が近代文学史上の傑作と言われる所以がよく理解されます。