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まさしくこれは世界最悪の旅だ。だが、だからこそそれに立ち向かった人々の力を知ることができる
2008/08/05 22:56
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投稿者:Skywriter - この投稿者のレビュー一覧を見る
南極点を目指した二つのグループ、アムンセン隊とスコット隊のことは広く知られている。特に、スコットが南極点に辿り着いたときに見たものは、アムンセン隊が残したノルウェーの旗だったこと、そして帰途においてスコット隊は全員が死亡するという悲劇に見舞われたことから格好の話題となった。
本書はそのスコット隊の一員として南極へ赴き、スコットの遺体を発見するメンバーともなったチェリー・ガラードによるスコット隊の記録である。本書にはスコットが死の直前までつけていた日記を始めとして当時の記録から多くの引用を行うことでスコット隊を見舞った悲劇の全貌を明らかにしている。
本書からは、極地という、まさに生きていくのに極限の努力を強いられる地での探検がいかなるものかが痛いほど伝わってくる。這い出した途端に凍りつく寝袋、クレバスなどの危険地帯、欠乏する食料。人為ミスがほとんど無かったとしても、ほんの些細なことが死につながる。
スコット隊の最後の生き残りである三名が遂に燃料と食料の欠乏から息絶えたのは、補給地からわずか20キロ、状況が状況ならば一日で辿り着くこともできた、そんな地点だった。ブリザードが彼らの前進を拒み、そして命を奪うことになったのである。最後に息を引き取ったスコットの日記は胸を打たれる名文で、最後の旅を共に過ごした仲間を褒め称えるものだった。
それにしても、彼らの死を思うとき、心に一抹の寂しさが過ぎるのは避けられない。スコット隊が南極点を目指したのは、彼らの野心や願いからではなかったから、ということを知ってしまったからだ。
スコット隊の目的は、南極での科学調査だった。スコットの右腕で共に亡くなったウィルソンは皇帝ペンギンの生態を調べるため、他のメンバーも地質学など様々な研究テーマを持っていた。やがて彼らの少なからずが一線級の研究者となったことからもスコット隊の目標が分かる。
では、なぜスコット隊は南極点を目指したのか。それは、スポンサーを満足させるためだった。
なんとか研究資金を捻出しようとするスコットは、「世界初の極地制覇」なる、耳に心地よい目的のためならばカネを出すが、科学になど興味が無く資金を出す気も無い人々に頼らざるを得なかった。科学者が科学で食っていけるようになったのは二次大戦後であるため、時代と言えば時代なのだろうが、それが余りに残念でならない。
南極点到達のみを目的に掲げたアムンセン隊が、誰一人欠くことなく生還したのとは対照的な結果には、狙い自体が正反対だったという原因があったのである。
また、スコットの遭難に関しては当時から多くの批判が寄せられている。それにガラードが丁寧に反論しているのが興味深い。これを読めば、スコット達がどれほど当時考えられるだけの準備をしていたかがよく分かる。アムンセン隊の生還を知る我々が後出しジャンケン的に好き勝手な批判をすることは、その後の探検隊の利になったとしても、スコット隊を見舞った悲劇を正当に評価することにはならないのだろう。
統率力に優れた英雄的な個人が率いる形で探検が行われた、ほとんど最後の時代の話ではあるが、いや、むしろそれ故と言うべきか、スコットの旅をこうして記録の上だけでも追体験できたのは貴重な体験だったと思う。
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苦難に立ち向かいながら…
2022/02/03 18:51
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投稿者:もかが好き - この投稿者のレビュー一覧を見る
探検行を共にする仲間を敬い、その身を案じる心情が、淡々と綴られた日記、記録から伝わってきて感動を覚える。
スコットらは、結果として、極点の到達で先を越され、さらに、遭難者死することになる。日記には、ぎりぎりのところまで、諦めずに挑もうとする強い意志が端々に感じられ、他者への尊敬と思慕が溢れる。死を迎えるに際しての潔い心情が綴られていて、助けてあげたい気持ちになる。
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南極到達に残念ながら破れたイギリスのスコット隊の詳細を描いた貴重な書です!
2020/11/03 13:13
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、二十世紀初頭に繰り広げられた南極点到達競争において、残念ながら、初到達の夢破れ、極寒の大地でほぼ全員が死亡したイギリスのスコット隊の悲劇的な探検行の真実を詳細に描いた貴重な書です。同書の著者であるアプスレイ・チェリー・ガラードは、24歳でスコットを隊長とするイギリス南極探検隊に参加し、動物学者としてウイルソンの助手をつとめた人物です。このとき「世界最悪の旅」を経験したのですが、南極行進では第1帰還隊に編入、数少ない生還した隊員の一人です。この貴重な人物によって、描かれた貴重な書がこれです。ぜひ、読んでおきたい一冊です!
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なんだかこれまでアムンゼンに負けて、しかも生きて戻れなかったスコット隊、というイメージを持っていたけど、探検の目的というか探検とは?と考えたときにどれほどスコット隊が多くを持ち帰ったかを知り、見直した。
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はっきり言って読みにくい
序章も長いし、何が言いたいのかもよくわからなかった。
スコット探検隊の詳細が調べたい人には向いているのかもしれない
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「世界最悪の旅」にスコットさんは不在。訳者の白瀬矗disがひどいので、wikiを読んだら、ちょっと同情した。
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[ 内容 ]
二十世紀初頭に繰り広げられた南極点到達競争において、初到達の夢破れ、極寒の大地でほぼ全員が死亡した英国のスコット隊。
その悲劇的な探検行の真実を、数少ない生存者である元隊員が綴った凄絶な記録。
[ 目次 ]
南極探検の歴史
第一の夏
冬の行進
第二の夏
第三の夏
極地への歩み
帰還行程
遭難の批判
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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軍人スコット率いるイギリス隊が、折角苦労して南極点に辿り着いたのに、既にノルウェー隊に先を越されており、しかも帰路でんでしまうという悲しすぎる話を、生存者がまとめた本。角幡唯介『極夜行』内で好意的に紹介されており、南極探検についてはWikipediaの記事で読み興味があったことから、実際に読んでみることにした。
南極点への冒険はWikipediaや各ホームページにて詳らかに書かれており、本書の訳が古く読み辛いことから考えても、冒険の足跡を辿る目的ならばこの本を読む必要は薄いように思われる。
しかし、実際に探検に携わった人物の手記や各記録、また世界の大英帝国国民が北欧の小国ノルウェーに抱いた複雑な感情、そして批判への時に冷静で時に感情的な反論等は、生だからこそ胸に迫ってくるものがある。
「近代の文化国家は、探検をふくめて科学的研究の基金のために関心を払うべきである(p.254)」などは、ノーベル〇〇賞受賞者がよく発言している内容に酷似しており、いつの時代も一緒なのかなぁと思った。いつの時代でも一緒なら、今後も今のままで……とはならないか。
なお、本書の翻訳年については1984年に河出で出たものを新たに文庫化したと書いてあるだけで、明記はされていない。同著者の同タイトルの本が昭和19年発売とあるが、戦前、というか戦時中だろうか??翻訳の古臭さや読みにくさはなかなかのものだった。
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世界最悪の旅~スコット南極探検隊
チェリー・ガラード著
加納一郎訳
中公文庫BIBLIO
なんか読んでいて違和感が・・・
と思ったら
読みたかったのは下記だ!
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世界最悪の旅~悲運のスコット南極探検隊
アプスレイ・チェリー・ガラード著 (Apsley Cherry Garrard原著)
加納一郎訳
朝日文庫
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や、や、こしぃ
もしかして
「中公文庫BIBLIO」
は
省略形なのかもしれない
ちっ
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図らずもアムンセンと南極点到達を争い、敗れたあげく全滅したスコット隊の一人が書いた報告書である。
著者は極地到達部隊には組み込まれなかったため、帰還を果たした。極点の代わりに皇帝ペンギンの卵を得るため、著者は冬に営巣地まで行っている(これが「世界最悪の旅」)。スコット隊は科学者を何人も擁し、アムンセン隊に比べ科学調査の色合いが濃かったと強調されている。
最悪の旅はもう本当に最悪だった。何が最悪かというと、まず、南極の冬は日がない。ずっと夜である。自分の行く手も見、コンパスも見えないほどの闇なのだ。そして寒い。マイナス50度の寒さというのは、寝袋や手袋が凍るため、中に身体を押し込むことができず、紐や綱も凍るため設営や荷解きができないレベルの寒さで、人体の耐えうる限界だろうと思われる。あちこちに凍傷ができ、水膨れができる(下手をすると水ぶくれの中も凍るらしい)。息で帽子が頭にはんだ付けのように凍り付く。テントの外に出て、あたりを眺めただけなのに、その姿勢のままで衣服が凍り付いてしまう。また、犬橇ではなく、人力でソリを動かすのも最悪である。雪が柔らかく、足は沈み、ソリは砂の上を引くようなものだったという。ソリは2台だったが、1台ずつしか引けない。つまり1台引いて、また戻り、もう1台を引くというやり方だ。極寒の闇の中を3倍歩くことになる。クレバスだらけの氷脈を進むにも月光を頼りに人がソリを引いていく(著者は近視だが眼鏡すらかけることができない)。やっと卵を採集したと思ったら、大地をも吹き飛ばすような風が吹き、テントが飛ばされる。人間は吹き飛ばされながらも這って散乱した装備品をかき集める。極度の疲労に幻覚が始まり、眠りながら行進しながらした。誰もが「最悪の旅」であることに異論はないだろう。
印象的なのは隊員の精神力である。著者と旅をともにしたのはボワーズとウイルソンである(2人とも極地南進でスコットとともに散っている)。ボワーズは「最悪の旅」中、九死に一生を得たあと、もう一度ペンギンのところに戻ろうと言い出す。
「敬愛すべきバーディー(ボワーズ)、彼は断じて打ちひしがれることを承服できなかったのである。わたしは彼が一度でも打ちまかされたのを見たことはない」また、「暗黒と厳酷のもと、他人が生き抜く最悪の場合と信じられる、これら苦難のすべての日およびその後においても、一言半句の憎しみ、怒りの言葉も彼らの唇をもれたことはなかった」という。
本書は「この仕事の名誉はだれに帰すべきであるか、だれが責任をとったか、だれが苦難のソリ行にしたがったか」を明らかにするために書かれた。著者は死んでいった僚友の真の姿を残したかったのだろうと思う。壮絶なノンフィクションであるにもかかわらず、行間から証人としての義務感と思慕の情とがにじみ出て、読んでいて切なくなった。
極地に向かったスコット隊についても、残された日記から詳細に状況を書き起こしている。また、なぜ遭難に至ったか考察もされているが、それらは他の人の書いた解説本や伝記でも十分伝わる(つまり類書の方が分かりやすい)。ただ、スコットたちの葬儀を行い、十字架を立てる部分だけは、遺体を捜し当て、遺品を集めた当事者だからこその感慨を多く含んでいる。碑文を決めるのに異論もあったらしい。結局「努力し、探索し、発見し、しかして屈するところなく」に決まった。
かなり読みにくい部類の本だと思う。訳もよくないし、注も少ない。
最初は地理が分からなった。赤道を中ごろに据えたメルカトル図法の世界地図に慣れており、南極大陸の大きさや形もピンとこない状態だった。当然ながら南極点のまわりは全て北なのだが、なかなか頭が追い付かない。Google マップも無力だったため、極地研が出している南極の地図を購入し、横に置いて読んだ(立川の極地研にも行った。南極の地形模型があり、非常に参考になった)。部隊がいくつかに分かれ、同時進行で行動しているため、それらを追うのも一苦労だった。ネットで見つけた各隊の時系列行動表を印刷し、座右資料とした。そこまでしないと、なかなか本書の理解は難しかった。
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不屈の闘志と仲間への信頼と、死ぬ間際までの真摯な態度には感動した。大きなものを教えられた。偉大な勇者を描いた比類ない作品だと思う。
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こういうの読むと、「スコットは〇〇だから失敗した。これに学ぼう」みたいなことを軽々しく口にするのは恥ずかしいことだと思えてしまう。スコットはスコットで当然ながら様々なことを考えてたことがよくわかる。
にしても、本当に壮絶なドラマがあったんだなあと驚愕。
極限状態でありながら最後まで理性的であるスコット一行の姿には、神々しさすら感じる。自分の小ささが恥ずかしく思えるほど。
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世界最悪の旅,アムンセンとスコット,エンデュアランス号漂流,3冊まとめて感想書きましたー。
http://blog.livedoor.jp/h_ohiwane/archives/52042346.html
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ずっと気になっていたイギリスの探検家スコットの南極点到達と遭難死については多数の本が出ているが、最初の1冊をどれで読むのがいいのか決めかねていた(スコットの日記はちょっと難しそうだし)ところ、この本の評価が高かったので。昔の全集モノにありがちな抄録だが特に問題なし。題「世界最悪の旅」はスコットのではなく、カラード本人の旅の事を指す。日も昇らない真っ暗な中、マイナス50度に達する南極の冬、旅の目的は皇帝ペンギンの営巣地へ卵を採取するため(!)。途中テントが吹き飛ばされて死を覚悟したり、目が悪いので足手まといになっちゃったり、5つ採取できた卵を2つ割っちゃったりという本人のどきどきエピソードなどが結構インパクトがあったため、その後に描かれるスコットの旅のほうは寒くてもマイナス40度程度なので「結構あったかいじゃん」とか思ってしまった。アムンセンとの南極点到達レースについて、そもそもスコット自身はそのつもりでなかったので、「レース」という言葉を使ってはスコットに気の毒な気もする。とはいえスポンサーのために最初に南極点に到達することが必要だったし、当然可能なはずだったのが、アムンセンが突然目的を変えてなおかつアムンセンのほうは本気で取りに行く体制だったのに対し、スコットはそこまで万全ではなかった。南極点に着いてみればすでに取られていて、スコットはその後のこと、これまでのことを考えたら本当に絶望しかなかっただろう。遭難してしまったのはいちばんはやはり気持ちの問題だったのではないかと思う。スコットのこの旅は人間というものを考えさせられて、私を捉えて離さない。といいつつ、ペンギンに夢中なウィルソンと弟子のカラードにはほっこりしました。この本で輝いていたのは、ペンギンの生態に触れた数ページではないか。
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本書は、1912年1月に、ノルウェーのアムンセン隊に遅れること僅か20余日で南極点に達しながら、帰路において全員が死亡した英国・スコット隊について、若くして同隊に動物学者として加わったチェリー・ガラードがまとめたものである。
スコット隊の探検については他にも何冊もの本が出ているが、本書『The Worst Journey in the World, Antarctic, 1910~1913』は、ガラードが10年をかけて、十分な反省と多くの批判を聞き、関係者からの資料と助言を得た上で執筆しており、それ故に、余裕をもって客観的に探検の経験を伝えながら、なお手に取るような臨場感をもっている点において、類書と大きく異なり、その価値を高めていると言われている。本書には、遺体の枕元から発見されたスコット隊長の日記からの抜き書きも随所に含まれている。
本書に綴られた南極の自然の凄まじさと、そこで自らの信念に従いつつも、時折漏れる悲壮感は、我々一般人の想像を遥かに越え、まさに「世界最悪の旅」と言い得るものである。
それにしても、探検・冒険とは一体何なのだろうか? 本書の著者はスコット隊に参加したガラードであるから、アムンセン隊のことを、「真直ぐに極にむかい、一番にそこにいき、一人の生命をもうしなうことなく、自分はもとより、その隊員にも極地探検の普通の仕事以上にとくに大きな労苦を課することなしに帰ってきた。これ以上に事務的な探検は想像できないのである」とこき下ろし、スコット隊を、「わかりきった数々の危険にむかい、超人的な忍耐力をもって非凡の業をなし、不朽の名声をえ、ありがたい教会の御説教にたたえられ銅像とまでなったが、しかも極への到達はただおそるべき余計な旅行を結果することとなり、その上、有為の人を氷上に空しく死なせるにいたったのである。・・・その目的は多岐にわたっていた。われわれはあらゆる種類のことに知的関心をもち興味を抱いていた。われわれは普通の探検隊の二倍あるいは三倍の仕事をしたのである」と書くのもむべなるかなであるが、スコットとアムンセンの南極点到達から1世紀を経た今、その意味を改めて問う時なのかも知れない。
本書のあとがきを書いている石川直樹や『空白の五マイル』の角幡唯介が指摘するまでもなく、先人達によるこれまでの数々の挑戦に、科学技術の発達がドライブをかけて、現代においては、万人が納得できるような価値をもつ冒険的な対象は地球からなくなってしまった。とすると、冒険・探検とは無くなってしまうのか。。。?
ガラードは最後に「探検とは知的情熱の肉体的表現である」と語っているのだが、この言葉にそのヒントがあるような気がする。つまり、本当の冒険・探検(の意味)とは、対象としている場所や空間に存在するのではなく、その行為を行っている個人の中に存在するのではないかと思うのだ。
冒険・探検とは何か?を考えさせてくれる、貴重な記録である。
(2019年6月了)