紙の本
二方向から「身体」を再認識する対談集
2017/04/15 03:27
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読人不知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
武術研究家の甲野氏と「バカの壁」などの著書で知られる解剖学者の養老氏の対談集。
ふたつの観点から、身体感覚を読み解く。
専門的な話題が多いが、対談集なのですらすら気軽に読み進められる。
明治維新後、西洋式の鍛錬や洋服の導入などにより、日本古来の体捌きが廃れて久しい。
服装による動作の制限など、何気ない変化が身体の動きを変え、心身をも変えてゆくなど、ハッとさせられる気付きが多い。
稽古で組み上げられた型を敢えて崩し、再構築した体術。
スポーツの世界では、単一基準での評価に特化した強力な動作が評価される場面が多いが、日々の生活など実際の必要に迫られる場面では、そんな単一の力が求められることは、ほぼない。「単線の物差し」では測れない成果の綾について、考えさせられた。
例えば、足の遅い人でも人混みに紛れ、他人との衝突を回避して移動できれば、追跡者の速度を落とし、自分の姿を隠して逃げ切ることができる。この状況では、百メートルを九秒で走る脚力は必要ない。生きる為には、総合力が必要だとの想いを得た。
宮本武蔵など剣豪の逸話や現代でスポーツ化した武術からも身体性の変遷を読み解き、腰を痛めない介護の動作など、現代の生活を楽にするヒントも与えてくれる温故知新の書。
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人間の身体について考え続けて来た二人が、日本人が元々持っていた身体の使い方を語り合うという内容は、非常に興味深い。特に、「体の部分部分を、魚の群がパッと方向転換するように、全く同時に別の方向に動かす」などということが本当に出来るのか?想像してみると楽しい話題がたくさん。
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養老孟司と甲野善紀の対談
非常に興味深い。
心だけになっちゃうと破綻をきたす。
文武両道の考え方。分けて考えない。
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あなた、どこかに身体を忘れてきちゃいませんか?
そんな問いかけに思わず手に取った一冊。いつから私達日本人は身体を忘れ始めたのか、そこらあたりの歴史は分かった。身体無くしては、何も始まらない、という事を思い出させてくれる一冊。ちょっと難しい。
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やっぱり、事実は小説より面白い! 宮本武蔵、千葉周作、真理谷円四郎、植芝盛平……伝説の超人・天才たちの身体感覚が手に取るようにわかる。桑田真澄投手が実践して奇蹟の復活を遂げた「古武術」の秘密とは。現代人が失ってしまった「身体」を復活させるヒントを満載。メスと刀が「身心」の本質へと肉迫する。
おいらも、習ってみたくなりますた♪
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帯表
巨人軍・桑田投手、驚異の復活の秘密
「身体を変えれば、心も変わる!」
本書は、光文社「カッパ・サイエンス」版(一九九三年)に加筆修正を行ったものです。
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2003年8月15日読了。以下、過去の日記から抜粋。
旅のお供の一冊は今回はコレ。
よく話す数学の先生に半ば強引に薦められたモノ。
日本の今でいう武術に属する剣道、柔道などと、
かつて江戸時代まで残っていた古武術は、
基本的に大きくずれてしまっているというお話である。
細かい武術のことはよく分からないけれど、
なかなか面白い話がいっぱい入っていた。
たとえば、昔の人は「走らない」。
走るのは武士や飛脚、忍者など限られた人種。
町民、農民は一生走らずに過ごした人も珍しくないという。
なぜかというと、昔は普段歩く時の動作が、
右手右足、左手左足を一緒に動かすものだったから。
で、火災が起きたりして、どうしても走る必要があると、
万歳をして、足だけで走ったりするというのである。
これは司書の先生から聞いた話であるが、
江戸の火災の様子を記した絵巻などを見ていると、
本当に逃げている人々は万歳をしているらしい。
だから、よくドラマで見かける百姓一揆などの場面で
農民が猛スピードで走ってくる・・・なんてこと、
現実にはあり得ないんだとさ。へぇ、へぇ、へぇ・・・
なんだか話の本筋よりも、こういったエピソードばかりが
印象に残ってしまった一冊だったなぁ。
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寝しなの本としてこのところちょっとずつ読んでいるけれども、これは時間がかかる。身体系であることなのに、「自分で考える」ことの重要性を強調している本なんて、そうそうないかもしれない。ゆっくり読みたい。考えながら読まなくてはならないから。体育は好きだけど本は読まないという学生、こういう本を読んでくれないかな。
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心と体、知覚と運動の関係についての考察。
現代の武術における「型」が本来の意味と目的を失い、ただただ礼儀と伝統を表すもののみに扱われいる。
ある極みに達した人が体得したものを後代に伝える難しさの問題。
伝承していく過程で達人の域に届かないものが出て、そうして代を重ねるうちに本質が消えて形式化された型だけが残る。
仏教にも同じことが言えそうだ。
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「古武術の発見」3
著者 養老孟司、甲野善紀
出版 知恵の森文庫
p220より引用
“生きがいなんて人に考えてもらうもんじゃなくて、
自分の頭を使っていれば、
いくらでも見つかるものだと思います。”
解剖学者と古武術研究家である著者による、
古武術を中心とした身体の使い方などについての対談集。
古伝の術についてから修行に関する事まで、
時代による変化などを交えて語りあわれています。
上記の引用は、
エピローグの中の一文。
生きがい云々や生涯学習がどうこうと、
大きな声でtvなどで言われている時は、
結局何かしら利害が絡んでいるんだろうなぁと思いました。
自分で自分の楽しみを考えられるようになれば、
きっと楽しく生きていくことが出来そうです。
身体一つでどこにいても楽しく時間を過ごせる、
そんな目標を目指してこれからも色々とやって行けたらいいな、
と思います。
ーーーーー
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「心身一如」はかつて「身心一如」だった、身のほうが先立った。江戸時代頃にひっくり返ったらしい。マニュアルのオート化こそが達人の領域。換骨奪胎は過去から行われてきたことだけれど、いま知っていると思っている自分の心と身体も、ほんものが残っているのか疑いたくなってしまう。
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言葉や身体をツールとして異分野の専門家が対談している。異分野の人同士が理解し合える部分が人間の共通点なのだろうか。
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江戸時代の人は「体をひねる」という事をしない 「ナンバ歩き(右手と右足が同時に出る歩き方)」 だったので、ランニングというものが出来ず、特殊な訓練を受けた武士階級等は、その動きから判別できた、というのは衝撃的だった。
桑田真澄投手が師事した武道家の先生(常に襲われたときのことを考えている)と、脳外科の養老先生 が、肉体的な感覚に対するメタ認識を語り合う一 冊。すごい面白い。
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人間の"身体"と、"脳や心"について。
・"身体"ありきで"脳や心"がある。
・自分の小さな脳で、自分の人生で、なにかの結論を求めようとしない方が良い。悟りなんてものは必要ない。
・自分の中にある"我"よりも、他や社会から見る"自分"を意識し大切にした方が良い。
とても面白い対談本だった。
体と脳をいったりきたりするビジネストレーニングは今後トレンドになるのだろうなぁと思った。
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武術研究家・甲野善紀氏と養老孟司氏の対談本です。
対談形式で読みやすいですが、武術のことなので、やったことがないとよくわからないことも多かったです。
実際に現代武術をやっている方でも古武術の身体の動かし方がまったく異なるので、言葉だけで理解できるものではないとのことでした。
日本刀の形が平安時代の末期から形状が変わっておらず、日本人の道具に対する執着が見られるという話がおもしろかったです。
逆に歩き方、走り方は江戸時代と現代ではかなり違っていて、手足を左右同じ方を前に出す形(いわゆるナンバ歩き)だったそうで、当時描かれた絵を見ても、そこに描かれた人々の走る様は現代のそれとは異なるとのこと。
甲野氏の編み出した技法は野球選手の桑田投手にも影響を与えたそうで、幅広く応用できる技術なのだと思います。